8/2「なにもかも」
男がいた。
「いいかお前達、獲物を捕らえるために最も重要な事は気づかれない事だ」
彼は自身の妻子に話しかけながらその獲物に近づいて行く。
「まずは視界、相手の後ろから近づくのが一番いい、だが相手もそれは十分理解している、なんたって野生の生き物なんだからな」
そろり、そろりと一歩ずつ噛みしめるように。
「こいつの場合は幸運な事にそうではないが、物音や些細な振動には敏感だ。こうやって忍び足で近づいて行く!」
男の手には虫取り網、そしてその先の木に止まった獲物に狙いを定める。
「最も重要なのはタイミング!遅すぎず、さりとて早すぎても逃げられる。自分の持つ野生の勘を最大限に研ぎ澄ませて、ここぞというタイミングで捕らえる!」
間合いは完璧、そしてその時が訪れた、らしい。
「今だ!! そりゃ!」
男は虫取り網を素早く振った、獲物は逃げる事もなく大人しく捕らえられた。
「やったぞ!この輝き、とても美しい……」
恍惚に浸る男を見て娘は呆れた様子であくびをする。
「ねえお母さん、たかがテントウムシ一匹にあんなになってるのよ?」
「そうねぇ、元々変わってる人だとは思ってたけど年々酷くなっている気がするわね……」
男はテントウムシ、それも結構小さいサイズのを家族に見せながら飛んで跳ねている。
「ちょっとあなた、危ないわよ?」
「何言ってるんだ、こんな大物捕まえたんだから喜ばないわけ、うわわっ!!」
突如として揺れが一家を襲い、男は倒れテントウムシが逃げてしまった。
「ああ、しまった!」
「うう、こんな時に地震とは……。お前達、私の事は良いから早く逃げるんだ」
「逃げるってどこによ!! 大体これは……」
娘が何か言いかけた時、扉を開けて男が出てきた。
「皆さん大丈夫ですか?ちょっと今日は天気が荒れてましてね、それで……」
彼は男を見てこう言った。
「本当に乗ってるだけでいいんですか?」