泰然猫若
われわれ人間と違って、猫は物事を記憶できないらしい。道理で、叱ってもシュンとするのはその時だけで、少し経つと平気に過ごしている。思いっきり可愛がっているのにちっとも懐かなかったり、逆に、餌もやらないのに暖を求めて身体を摺り寄せてきたりする。これも、猫が記憶力を備えていないからなのか。これでは、よしんば飼い主がネコ語を話せたとしても、猫に「これから夕方まで留守にするからね」などと語りかけることは虚しい。
さて、人間のことに話を振る。多くの人は自分の人生を豊かにしたいと願って現世を精いっぱい生きている。人生の瞬間瞬間でそれぞれ幸福を感じ、生まれてから死ぬまでの幸福感を全部足し合わせたものを人生の豊かさと定義してもよいだろう。この幸福感は、幸福なときはプラス、不幸なときはマイナスになる。ここで、横軸に時間をとり、縦軸に幸福感をとって、2次元平面に人生曲線を描いてみる。すると、人生曲線と横軸で囲まれた図形の面積(生まれてから死ぬまでの区間で人生曲線を積分したもの)が人生の豊かさを表す。時間(横軸)は万人に共通するとすれば、人生を豊かにするためには、当然のことながら、幸福感(縦軸)を大きくすることが重要になる。
ところが、どうやら幸福感の大小だけでなく、幸福感の傾き(上向きか下向きか)、つまり人生曲線の導関数(微分係数)も、人生を豊かにする上で重要であるように思える。それは、ある日の幸福感の増分が前日の幸福感の増分より大きければ、とりわけ幸福感が増大し、逆に、前者が後者より小さければ、いささか期待外れでガッカリするからである。したがって、人生の豊かさを正しく判定する際には、幸福感にその傾きをボーナスとして追加しなければならないと考えられる。
そこで、人生曲線に具体的な関数をいくつか当てはめて考察してみよう。このとき、生まれた時点と死んだ時点では、ともに幸福感がゼロと仮定する。まず、上に凸の放物線ではどうか。この場合、人生曲線が常に横軸より上にあるため、生まれてから死ぬまでの全区間にわたって幸福感がプラスになり、世間一般の感覚では豊かな一生になるだろう。ところが、この上に凸の放物線の導関数を求めると、前半でプラス、後半でマイナスになる。つまり、前半生では、昨日より今日の方が幸福な状態が続き、後半生では、一転して昨日より今日の方が不幸な状態が続く。これに対して、下に凸の放物線の場合、人生曲線が常に横軸より下にあるため、生まれてから死ぬまでの全区間にわたって幸福感がマイナスになるが、その導関数は、上述した上に凸の放物線とは逆に、前半でマイナス、後半でプラスになる。したがって、前半生では、昨日より今日の方が不幸な状態が続くものの、後半生では、一転して昨日より今日の方が幸福な状態がずっと続くのである。
以上のことから、次のような結論に達する。すなわち、人生の豊かさが単に人生曲線の大小だけに依存すると考えれば、下に凸の放物線より上に凸の放物線に沿って生きる方が豊かな人生を送れることになる。しかし、人生曲線の導関数まで考慮すると、かえって下に凸の放物線に沿って生きる方が豊かな人生を送れることになる。特に、若い頃ならともかく、人生の折り返し点を過ぎてからの不幸は耐え難いと感じる人には、こうした生き方が魅力的に映るのではないか。また、すでに人生の後半生にいる人にとっては、たとえ今までの人生曲線と横軸で囲まれた図形の面積がマイナスであっても、残りの人生で巻き返しを狙えると前向きになれるのではないだろうか。
さらに、現時点に立って人生を過去と未来に二分して考えてみる。まず、過去の人生を振り返ると、大昔の幸福より最近の幸福の方が幸福感が大きいと思えるし、大昔の不幸は最近の不幸ほど気落ちしないだろう。これは、時間の経過とともに幸福感が薄れるためだと考えられる。まとめると、これまでの人生の幸福感については、幸福や不幸の発生時点が現在に近いほど重きを置いて考えないといけない。次に、未来の人生についてはどうか。例えば、趣味が山歩きだとすると、今週末に山歩きに行く場合と半年後に山歩きに行く場合とを比べると、後者より前者の方が幸福感が大きい人(早く楽しみたい人)もいれば、その逆の人(楽しみを先にとっておきたい人)もいるだろう。或いは、両者の幸福感が変わらない人もいるかも知れない。つまり、これからの人生の幸福感について考えるときは、これまでの人生と違って、一律に幸福や不幸の発生時点が現在に近いほど重きを置くべきだとは言えまい。
以上、人生曲線の導関数に着目したり、現時点を基準に人生を過去と未来に分けたりして、人生の豊かさについて考察してきた。だが、ひょっとしたら、さらに人生曲線の第2次導関数(導関数の導関数)も人生の幸福感に影響を及ぼすのかも分からない。また、現時点という動点を基準にするのみならず、いくつかの定点(例えば、成人の日、結婚したとき、定年退職時など)を基準にして人生を細分して考えた方が、人生の豊かさを正しく判定できるような気もする。残念ながら、私は高校数学程度の知識しか持ち合わせていないため、これ以上細かく数学的に考察することはできない。癪だから、否、わが人生を豊かにするため、大学時代に購入した微積分の教科書をじっくり読み直そう。
とはいえ、還暦を過ぎてまで自らの人生にジタバタ喘ぐのは、日本男児として大層みっともない。腐っても昭和生まれだ。鶴田浩二や高倉健の大きな看板に私淑して育ってきたんだ!背筋をピンと伸ばして擬勢を張った後、ふうっと息を吐いて横を見ると、能天気な飼い猫が幸福感いっぱいに臍天で眠っている。記憶力を失うことは怖いけど、猫のように生きるのも一興か。泰然たること猫のごとし。(完)