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CAR LOVE LETTER 「HISTORY」

作者: YAS
掲載日:2009/08/15

車と人が織り成すストーリー。車は工業製品だけれども、ただの機械ではない。

貴方も、そんな感覚を持ったことはありませんか?

そんな感覚を「CAR LOVE LETTER」と呼び、短編で綴りたいと思います。

<Theme:TOYOTA CELSIOR(UCF31)>


今日の社長も本当にお辛そうだ。

世界的な不況に見舞われ、今我が社もかなり厳しい状況に追い込まれている。

最近の社長に、笑顔は無い。


私は社長の運転手を務めている。毎日朝早い時間から、本当に夜遅い時間まで、私と年はさほど変わらないのに、ものすごいバイタリティに溢れた方だ。

今日も朝一番から会議に出席し、昼前に得意先を2軒回られ、蕎麦でさっさと昼を済まされた後はまた得意先回りに社長自ら飛び込み営業。

夜9時に社に戻ってからも会議や書類整理をこなされ、お帰りは日が変わる直前だった。


社長をお宅までお送りすると、なんと明日からいつもより1時間早く迎えに来いとおっしゃる。

このままでは会社よりも先に社長が倒れてしまうのではないか。私は一抹の不安を覚えた。


不況の波は、会社の経営だけでなく、従業員の生活にも陰を落とす。

賃金カットや派遣労働者の契約打ち切り。

社長の経営責任を問う声も聞こえるが、毎日苦労苦慮される社長の姿を見ている私には、そうとは感じられなかった。


商品を売って利益を得る会社にとって、私の様な何も生まない存在は、本当はお荷物かも知れない。

社長や会社が楽になるのであれば、どうぞこの首を捧げましょう。私は後席でしばしの休息を取られる社長に、ミラー越しに念を送った。


土日も祝日も返上で奔走される社長。

「流石に少し疲れた、次の週末、温泉に出かける。」とおっしゃった。

また社長は、「悪いが、一緒に来てくれ。」ともおっしゃった。


普段プライベートの行動には私や会社経費で購入したこのセルシオを使う事は決してなかったのだが、今回は違った。


土曜日の早朝、社長のご指定の時間から15分早く社長のお宅に到着する。

すると社長はもう門の前で待たれていた。


「休みの日の朝早くからすまないね。」

社長はそう言うと、後席ではなく助手席に乗り込んだ。


温泉宿は、社長のお宅から2時間程の山間の、隠れ家の様な所であった。

以前この辺りに、接待のゴルフで訪れた事があった。


「あの接待は無駄だったよな。」社長がゴルフ場の看板を目で追い、呟いた。


宿に到着し、明日のお迎えの時間を伺おうとしたら、なんと社長は私も泊まって行けとおっしゃった。

少々戸惑ったが、家に居てもすることがあるわけでもなく、また社長直々のお誘いだ。私は恐縮しながらセルシオを駐車場に滑り込ませた。


「相変わらず職人の様な車庫入れだな。」と社長がおっしゃる。

久しぶりに社長の笑顔を見た気がする。


社長と私は、街の喧騒から隔絶された秘湯につかる。梢のざわめきと、川のせせらぎ、鳥の鳴き声と、しかし遠く遠くに聞こえる飛行機のエンジン音。

まるでタイムスリップでもした様な気分だったが、やはりここは現代なのだな。


社長もそれを感じておられる様だ。無粋な飛行機に苦笑いしながら「いい湯だな。」と遠い目をしておっしゃった。


私は感じとった。

きっとこれは、私へのメッセージなのではないか。

私と社長は、もう30年以上の付き合いだ。恐らく私が会社で一番の古株だろう。会社の良い時も悪い時も、私は社長と供に駆け抜けた。


しかし時代は私の様な存在は、許さないのであろう。それ位切迫しているのだ。


ついに来たか。

いつでもこの首を捧げようと思っているが、やはりその時が来るかと思うと、少し背筋がこわばった。


夕食は、質素とも豪勢とも言えないものであったが、この状況では贅沢とも取れる品が並ぶ。

社長と私は、宿の夕食と、遠い記憶を肴に久しぶりに酒を汲み交す。


創業当日は私も社長も若かった。

徹夜なんてへっちゃらだったし、中古のオンボロパブリカに商品をギュウギュウ詰めにして、二人で九州まで行商に行ったりもした。


「あの時はオーバーヒートして、近くの商店に駆け込んでバケツに水をもらったよな!でもそのトラブルがきっかけで、今もあそこはお得意様だもんなぁ。」

また社長は遠い目をして、グラスのビールを流し込んだ。


私にも社長にも、あのオンボロパブリカはとても心に残る車だった。

正月にお神酒をかけたり神主に祈祷してもらったり、新入りが毎日の洗車なんかの手入れをしたり、今の社用車でやっていることは、全てパブリカでやりはじめた事だ。

そんなパブリカを廃車するときは、私も社長も目がしらを熱くした。


社長が意を決して口を開く。


「セルシオを手放す事にしようと思う。」


あの車にもずいぶん世話になったが、今は経費を少しでも減らさなければならない。

あなたの職場を奪ってしまうのを、本当に申し訳ないと思っている。


やはり。しかし私は覚悟の上だ。

社長、お気になさらずに。私は無言で、そっと社長のグラスにビールを満たした。


その後セルシオは業者に引き取られて行った。大切に使っていたため、意外な程高値で売れたと、総務の担当が雑談していたのを耳にした。


私の職場のセルシオは居なくなってしまった。

手持ち無沙汰の毎日が続くが、何故か私に辞令は来ない。


その代わり、社長からの社内便が私のもとに届いた。

中には一本の車の鍵が入っているだけだった。


よく分からないままに私は社長車の駐車場へ足を運ぶ。

するとそこには、少し前のカローラが停まっていた。


「こんな中古の小型ですまんが、また俺の足として、相談役としてこいつを頼む。」

社長が社長室の窓から私に声をかけた。


私は職を失ったとばかり思っていた。困惑の面持ちの私に、それを察した社長は言う。


「職場を奪うとは言ったが、職を奪うとは言っていない。それに、俺は運転が出来んしな。」


なんと・・・!

社長とは、もうしばらくの付き合いになりそうである。


「社長、こいつはパブリカの孫みたいなもんです。また商品山ほど積んで、九州北海道まで行商に行きましょうか!」


社長は満面の笑みで私に「よせよ。」と答えた。


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― 新着の感想 ―
[一言] きっと、こんな会社は持ち直すと思います。いい話です。こういう話が書けることがすごいです。しかも短編で。私は、長々と書いているのでこういうピリッとした文章が書きたいです。 YAS先生の作品は全…
2009/09/01 11:42 退会済み
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