虚無僧
ここから物語が動き始めます。
――クチャ…
足元で何か柔らかいものを潰した音がした。
「あ、やべ…うんこ踏んじゃった」
足の裏を擦るように歩み人だかりのある方へ向かっていった信長。家臣はやや後ろで鼻を摘みながらついて行く。
人ごみをかき分けようやく中に入る事が出来たが、よく見てみると人だかりを中心に一人の男が立っていた。
男の周りには十分な空間がある。男のすぐ横には立札が置いてあり【鬼回し】とだけ書かれていた。
因みに儂の周りにも十分な空間が出来ている。あゝ悲しい哉。
男は頭を天蓋(頭から首にかけて竹で編まれた笠)で覆っており顔は見えない。服装はというと白衣の上から袈裟を着ていたので一目で虚無僧だと分かった。
おもむろに男は袖から掌ほどの和紙を取り出すと何やら小言でぶつぶつと唱え始めた。その瞬間、和紙から勢いよく白煙が立ち込め男の周りを覆った。
因みに儂のケツからも勢いよく屁が出たのは内緒だ。
やがて煙が晴れるとなんと男の隣に半身程の赤鬼が現れていた。見物客から悲鳴が聞こえてくる。儂の後ろにいた者は呻き声を出している。
突如現れた赤鬼に見物客の中には恐怖で逃げ出す者も出てきた。辺りが騒然とした矢先、
「心配無用」
男が決して大声ではないが誰の耳にも届くよう言い放った。すでに赤鬼は敵意は無いと言わんばかりに地に膝をつき平伏していた。
暫く周りの混乱が収まるのを待っていた男は何処からか太鼓を取り出すとドンと一つ叩いて赤鬼を立ち上がらせた。さらにドンと一つ。今度は赤鬼が逆立ちをし始めた。ドンと一つ宙返り。ドンと一つゴロンと前転。
太鼓の音に合わせ面白おかしく芸を披露する赤鬼に最初は恐怖一色だった観客にも次第に笑い声が聞こえるようになっていった。
信長も最初は驚いて屁をこいてしまったが、コミカルな赤鬼の動きに堪らず可笑しくなりしまいには家臣とともに腹を抱えてゲラゲラと笑っていた。
幾ばくか赤鬼に芸を見せ男が最後にドドンと太鼓を叩くと赤鬼が白煙とともにパンッと弾け消えていった。
周りの観客は「うおー」だの「すげー」だの軽く乱痴気騒ぎとなってしまったので虚無僧の男は少々戸惑っていた。
「実に素晴らしい芸であったぞ」
信長は男の方へ歩いていった。家臣たちは観客を鎮めるのに夢中だ。
信長は懐から小判を取り出すとそれを男に手渡す。
「こ、これは!」
男は戸惑っていたが、信長は良い良いと半ば
強引に小判を押し付けた。
「其方の芸、誠に感服した。それは見物料じゃ」
男も観客からお捻りを取るつもりではあったが、まさかお捻りで小判が出てくるとは思っていなかったようだ。未だ多少の戸惑いがある。
「御主名を何と申す?」
少し冷静になったようだが信長の言った言葉はかろうじて理解したという感じだ。「あきまさ …在昌と申します」と名乗った。
男の名乗りに満足したのか信長はうむと大きく頷くと「ところで御主、腹は空いておらぬか?」と聞いた。
「え?いえ…「そうか!空いておるか!仕方ないのーならば儂が奢ってやる!一緒に食べようではないか!」」
在昌は空いていないと答えようとしたが、両肩をガッチリ掴んだ信長の鬼気迫る顔に怯み「はい…是非とも」と思わず了承してしまった。
誤字脱字がありましたらすみません。