閑話 ハヤドリの岐路
スミレ坂さんに魔術士の初期教育を受けてから、私はイモハミ婆様と会うために熊村に向かった。だけど……
魔術士になって、驚く程に待遇が変わった。
ヒノカワ様の命により、猪村連合から精鋭4名が、私の護衛に就いた。顔は良く知っているけど、これまで仰ぎ見る対象だった精鋭が、私の護衛に……
しかも、『我ら命に代えてでも、ハヤドリ様を守り抜く』そう真顔で宣言された。本気にしか見えなかった。
侮りも不満も感じない。ましてや欲情した目など、熊村への旅程で一度も無かった。
同行したスミレ坂さんの親衛隊の方が、態度が悪い。一度、スミレ坂さんに叱られて、切腹云々の騒ぎが起きてしまった。
まあ、『ハヤドリさんは、神意を降した聖女。無礼を働く者は許せない。私自身、気持ち悪くて仕方ない』などと、絶望的に厳しい事を言われたら……表面的には平伏せざる得ない。だけど、心の中が変わるわけは無い。キット、面従腹背よね。
熊村への旅の間、歳の近いスミレ坂さんと色々な話をした。その中に、スミレ坂争奪戦前の話もあった。
「ハヤドリさんも結婚前に開眼してしまった。だから、私と同じ経験をするかも知れない。私は、開眼して『お嫁に嫁けなくなる』と、苦悩したのよ」
「何故? 男の子なんて、選り取り見取り、選び放題だったんじゃないの?」
「そうじゃないの。『男に飢える』という言葉はあるけど、実際に『男に飢える』訳じゃないから。私を妻に欲しいと思わない男を、無理に選んでも意味のない事
開眼した途端、誰も、私を妻にしたい女と見てくれなくなったの。
開眼するまでは、同じ村の同世代の子と、気安く遊んだりしていた。男の子は、スケベだから、女の子に相手して貰いたくて、バカをしたりする。そういう、男の子の気持ちがくすぐったくて、楽しかった。ハヤドリさんとも、男の子についてお喋りした覚えがある。
私だって、何時か村の男の子達の誰かと夫婦になるのだと思っていたから。密かに、男の子の品定めもしていた。
でも、開眼した事が知られて、男の子達の態度が急変した。そりゃ、公の場では、仕方ないわ。でも、大人が居ない場所でも、距離を置かれるの。誰も、私を嫁に獲ろうと狙ってくれないの。
村長の息子達ですら、同じ。腰が引けているのが見え見えなの。お陰で、熊村の男の子達に完全に幻滅してしまった」
「だから、『村の男は、イマイチ魅力を感じないのよ』なんって、言っていたの……」
「そう、ウオサシと夫婦になって、男の気持ちを理解した今なら、何てバカな事を言っていたのかと思う。だけど、当時はそういう思いで一杯だった。
男も、女と同じ。自分に自信が無いと、『私なんかで良いの?』と卑屈になってしまう事がある。それだけの話だったの。男の子達が一時的に卑屈になっていただけなのに、苦悩していたの」
「私も、同じ目にあうの……」
「判らないわ。兎村の年頃の男なんて一人も知らないから。でも、もし、万一、そういう思いに囚われる事があったら、私の話を思い出して。
ハヤドリさんの前で卑屈にならない若衆は、兎村には居ないかも知れない。でも、若く手柄を挙げて、確り自分の足で立っている若衆は、連合中探せば何人もいるわ。
その中には、キット気の合う男もいる筈よ」
3日かかって、熊村についた時には、夕暮れ近かった。北部大連合の『コヨミ』とやらでは6月14日らしい。そして、イモハミ婆様に、話があると小屋に引き入れられた。
「ゴリ村での話は聞いた。タツヤが酷い事をさせてしまったと反省していた。救いになるか判らないけど、ババの知る昔話を聞いておくれ。」
破廉恥娘と此処まで鳴り響いているの。死にたくなる。
それから、イモハミ婆様が初めて聞く神話をしてくれた。
神々の世界でも、至高の目的の為に、大勢の前で秘所を晒すような女──いや女神様だから超絶偉い女傑様かな?──が居るのだ。
「それは、天鈿女命という。太陽の神が隠れてしまい。世界が暗闇に覆われて、朝が来なくなった。神々すら、困り果てた事がある。
中略
この話で重要なのは、『女の性』には、世界を動かすだけの力が潜んでいるということだよ。ハヤドリは、実際に神々を動かした。明確な神証がある。天鈿女命に比肩する、偉大な奇跡を成したんだ。この世は男だけの物じゃない。『女の性』が無ければ、この世は存在しえない。今は、本当に辛いとは思うけど、何時かそういう見方もあるのだと、思えるようになって欲しい。
ババは、タツヤともヒノカワとも話をしたが、二人とも、ハヤドリが幸せになるように、力を尽くすと誓っていた」
イモハミ婆様の優しい語りに、涙が止まらなくなる。神話まで持ち出して、私を労わろうとしているのは、痛いほど解る。でも、あの欲情した目、目、目、暫くはどんな立派な男でも──例え、夫に相応しい男でも──あんな目では見られたくない。
「婆様。ありがとうございます。少し、気持ちが軽くなりました。でも、暫くは……」
「無理する必要はないよ。皆ハヤドリの事を大切にしているから。だから、何も心配する必要は無いとだけ心に残しておいて」
その日は、何日かぶりに熟睡する事が出来た。
次の日の朝、猪村に飛び立つ前のタツヤ様に会う事が出来た。私、恨んだ目とかしていないわよね? 神である事を隠されているとはいえ、神であるタツヤ様への不敬は決して許されない。
タツヤ様は、言葉を選びながら、私の為に最大限の事をすると、仰って下さった。少しだけホッとする。気が緩んだのだろうか、私は自分でも思わぬ事を喋っていた。
「スミレ坂争奪戦の前に、タツヤ様が『25歳でも健康に子供を産む事は十分可能だ』と仰ったと聞いていますが、本当でしょうか? 25歳になっても健康に子供を授かる事は、本当に可能なのでしょうか?」
タツヤ様は、ビックリしたように目をパチクリさせてから私に応えた。
「30歳ぐらいで出産される女性は、普通に周りに居ると思うのだが……イモハミ婆さんも末の子はそうじゃなかったかな? 40以上でも、健康な子供を授かった例はあるはずだよ。初産が遅いのは、負担になる場合もあるようだが、25歳だったらまだまだ何の弊害もないはずだ。
それが、どうかしたのかい?」
「では、女性としての務めを果たす為の猶予は10年以上はあるのですね……
それなら、それまでの10年を使って、神命を果たさせて下さい。私の故郷の兎村の聖戦は当然として、それ以降もタツヤ様に追従して戦傷者を助けて、神命──聖戦──に全てを捧げたい。神命を受けた私が、私として、地に足を付けて歩き、自分を誇れるようになるため、それを認めてください。
そして、十分に務めを果たしたら、タツヤ様の力で、私に良い夫を紹介して下さい。出来れば、25歳になっていても、『おばさん』などと呼ばない。良い男を紹介して下さい。最大限の事をして頂けると仰った言葉を信じています」
「……」
「タツヤ‼ ハヤドリさんに何てことを言わせるの‼ 全く反省していない‼ バカじゃないの‼」
何を誤解したのか、傍にいたアマカゼさんが黄色い声で、タツヤ様に抗議し始めた。
中略部分には、日本神話の『天の岩戸』の話が、ほぼそのまま入ります。
もし、知らない方がいても、調べる必要はありません。ストリップが出て来る神話として挿入したかっただけで、天の岩戸の詳細が今後の展開に関わる事はありません。
次は、猪村へです。
また、スミレ坂争奪戦前の話は、前作10話、16話に出てきます。




