閑話 アマカゼの決意
恐るべき落とし穴に落ちてしまった。
私の人生は……もうタツヤ次第なのに。それが、底無しの落とし穴だったなんて。
タツヤは、人では無い。隠しているのだろうけど、もはや明らか。二歳の時に本当のマルは消され、今のタツヤに入れ替わった。そういう事なのだろう。
人と異なる存在と見せ掛けの夫婦になる。子供も無く、愛情すら無い人生、私はそんな落とし穴で生きるの?
……気を確り持とう。別に、まだ酷い目に合わされた訳じゃない。それどころか、表面上は優しくしてくれている。もしかしたら、神の使いだとしても、私への愛情を持つかも知れない。子種も有るかも知れない。
それに、もう遅すぎるわ。私から、タツヤを捨てる事は、明らかに無理。他の娘に奪われたら、私の未来はそこで終わってしまう。
一方、タツヤの方は、私どころかこの島ごと捨てる自由がある。
タツヤ程のツワモノ。引き止める為なら、どの村とて何でもする。力を示すのはタツヤにとっては朝飯前だわ。単に、妖魔の屍体の山を作れば良いだけ。
いや……あっさり産まれ直すだけなのかも知れない。
◇
海には不思議な魅力がある。飲み水にも田んぼにも使えない紛い物の水。幾らあっても全く価値がない筈なのに、何時までも見ていたくなる。
タツヤと二人きりで、並んで見ているのは、不思議だけど本当に楽しい。
去年の海を見ながらの強行軍が酷く辛かったから、余計にそう感じるのかも知れない。
「気に入ってくれて嬉しい。何時かこの海に漕ぎ出して、益々豊かに成りたいな」
タツヤは、時々不可解な事を言う。この紛い物の水が宝に見えているの? それとも……
「魚類型魔獣のお肉が好きなら、調理法を学んで食卓に上げるようにするわ。別にタツヤ自身で狩らなくても大丈夫よ」
タツヤが驚いて目をパチクリさせた。違う意味だったのかな?
「ありがとうアマカゼ。頑張って色々工夫してくれて。アマカゼの魚料理を食べるのを楽しみにしておくよ」
「うそでしょ。バカにしないで。本当は何を考えたの?」
タツヤは、苦笑して話を続けた。
「ゴメン。ゴメン。別にバカにした訳じゃない。考える事がアマカゼらしいなと少し楽しくなっただけだよ。
そして、さっき海を見て考えていたのは、海の向こうの大地の事さ。世界は、遥かに広い。この島が100個あってもまだまだ足りない。そして、広いだけに色々な違いがある。この島では手に入らない物も色々あるだろう。そういう物を手に入れて豊かになりたい。そう考えていたんだ」
「時々、大船がやって来るのは知っているわ。でも、それって大げさすぎない? 一寸意味不明すぎるわ。私は、この島の大きさもイメージできないのよ?」
「ああ、そうだな。確かに、話が飛躍し過ぎだな。ワシは、ヒノカワ様と島を一巡りしたし、この世界の大まかな形も知っている。だから、そう思うけど、アマカゼにしてみれば突飛な話だよな。
そうだな、この島の果てまでは、タコ村からトンビ村の20倍位だな。
そして、この世界の最も遠い場所は、さらにその70倍位の距離があるな。
それを知っているから、見ていない広大な土地に魅力を感じてしまうんだろう」
昨日のマコさんとの話もだけど、タツヤは何て多くの事を知っているのだろう。どれほど多くの事を神々と祖霊に叩き込まれたのだろう。
「タツヤは、その訳の判らない程広い世界を救えと神託を受けているのよね? よく考えると無茶苦茶じゃない? この島を毎年救ったとしても間に合う訳も無いような、恐ろしい神託じゃない? タツヤは、神託を果たせ無い可能性に怯えたりはしないの?」
タツヤが、目をパチクリして一瞬だけ考えた。そして……最近では余り見ない、癖が出た。
「神々とて、真剣に努力した者に惨い事はしないだろう。僕の一生を捧げて、世界を救うための第一歩を築ければそれで良いんじゃないかな? 第一、目の前の難題を一つ一つ対応していかなければならないから、そんな先の事を考える余裕は、今のワシには無いよ」
え?『僕』、タツヤが嘘をついた? 一体どんな種類の嘘をついたの? 一生というのが嘘だとしたら……まさか、二生も三生もあったりする存在なの⁉
◇
ダメだわ。考え事を続けちゃ。タツヤは自分の癖を自覚している。沈黙を続ければ不審を招くだけ。
「アマカゼ。ワシには秘密が多い。誰にも語れない秘密が多すぎる。でも、何も心配する必要は無いよ。だって、ほら。正に、此処でアマカゼと同じものを見て、同じ楽しみを分かち合って、大切な事だと感じているのだから。
ワシは、アマカゼに誓うよ。アマカゼがおばあちゃんになるまでには、この島を妖魔に怯えない島にしてみせると。
一生掛けても、到達しえない。そういう意味の嘘は混じって居ないよ」
つまり、タツヤには二生目の再戦の機会も、三生目の再々戦の機会もあるって事なの。やはり、人ではないの。でも、私には人生を選びなおす余裕なんて無い。人外のタツヤと人生を歩むしかない……涙が出そう。
哀しい想いを隠そうと、私はタツヤに抱き付き、口づけをした。一寸、早すぎるけど、私のファーストキスよ。タツヤが奪ったのだから、私を不幸にしないで。一生、上手く騙して。
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「マル」は、タツヤの幼名です。
ここでは、命名の儀で自分で名前を決めます。(タツヤは6歳で命名の儀実施)
前世の名前である「太宰竜也」にちなんで主人公自身が「タツヤ」と名付けました。
獣でも好きになれる覚悟、未知の存在と結ばれる覚悟
義務感と利害損得が後押ししていますが、アマカゼは、前に進みます。




