前髪を切ろう 後編
「行ってきます」
「ああ、って、卓也? 加南子はもう来ているのか?」
「え? 呼んでないけど」
お母さんから教わったのは、コンビニよりは歩くけど、本当にすぐ近くだった。どうやらお姉ちゃんも同じ所へ通っているらしいし、おばさん専用ってことはないみたいだし、安心だ。
今までお母さんに切ってもらっていたからって、おばさんみたいにダサい頭になっても気にしない訳じゃない。あれはあれで、僕にほどよい切り具合だったからセーフだっただけだ。
お昼になってしまう前に行くことにして、玄関の手前のダイニングを横切るときに、お姉ちゃんの姿が見えたので挨拶したんだけど、なんかめっちゃ変な顔された。
お姉ちゃんはずんずん僕に近づいてきた。びびって足を止める僕の横を通り過ぎて、玄関に出て靴を履いている。
「何してるの? 早く行くよ」
「え? お、お姉ちゃんも行くの?」
「あのな、卓也が加南子との今までの関係をやめて自立したいって心がけは立派だ。でも、男が一人で出歩くなんて、物騒なこと、させられるわけないだろう?」
「え? そ、そうなの?」
「当たり前だ。外を歩いている男自体、滅多にいないんだ」
「ええ? いくら男が少ないって言っても、10人女の人がいたら、1人はいるのに、そんなことある?」
「小さな子供ならともかく、大きくなれば女性から身を守るために自衛をするのは当然だろう? 車をつかう。いるだけで、注目を集めているのを自覚していなかったのか? まして誰かと一緒ならともかく、一人で何て、声をかけてくれと言っているようなものだ」
そ、そう、だっけ? ……だ、駄目だ。こっちの僕の記憶の中では、僕は外出時はかなちゃんしか見ていない。他の人なんてそんな恐いものは、全く意識の外にするよう努力していた。だからこそ、周りの男女比も周りの目も、一切覚えていない。
「それに、お前が子供のころも、気づいていなかったかもしれないが、ちゃんと大人が代わりに守っていたんだ。義務教育の間は学校には政府から男子生徒の人数分、登下校時の見守りの為の人員が送られるからな」
「え? そ、そうだったの?」
「そうでないと、子供だけで学校になんて行けるわけないだろう? 義務を免れるとしたら、家から出ない自宅学習か、しっかりした私立で送り迎えも家で手配しているかしかありえん」
……全然知らなかった。こっちの僕、視界狭すぎじゃない? いやまあ、僕が言えたことじゃないけど。
と言うか、じゃあ知識として知っていた以上に、世間に男って少なくて、危ないのかな?
考えたら、学校でも、クラス30人くらいいたけど、僕一人だった気がする。隣のクラスは知らない。かなちゃんと仲たがいするまでも、かなちゃんのこと大好きで仲良しだったから、他の男子と友達になろうとか全く考えてなかったし、考えたことなかった。
うーん。そういうことなら、手間をかけて申し訳ないけど、とりあえず一緒にいってもらおう。それで大丈夫そうだったら、次から一人で挑戦しよう。
「卓也、今まで何を見て生きてきたんだ? 中学になってからは、加南子がいるし近所だけだからと、二人で外出することもあったが、小学生の時は加南子がいるだけでは外出禁止していただろう? 加南子との関係はともかく、気を付けて日々過ごしてくれていると思っていたのに、急にそんなに警戒心がなくなると、今度は別の意味で心配になるぞ。」
「そ、そうだったね。あんまり、気にしてなかった。ごめん。気を付けるよ」
確かに、そうかもしれない。今の僕は、過剰に恐怖しておびえて、かなちゃんに頼りきりで全然現実の危険を正面から認識していなかった。
二人の僕になっても、半分引きこもりみたいにして人間関係を断っていたのは変わらないんだから、気を付けないと。変に自信をつけたら、こっちは男より女の方が強いんだから、本当にひどいことになるかもしれない。
慎重に行こう。僕はもう、これ以上家族やかなちゃんを傷つけるわけにはいかない。僕だって、死にたくない。
「じゃあお姉ちゃん、お願いします」
「よろしい」
靴を履いて家を出る。
数歩進んで門扉を開けて道路に出て、少し離れたところの電信柱にもたれるようにしてかなちゃんがいるのが見えた。
「あ、あれ? たくちゃん! と、詩織さん! え、あれ? まだ呼ばれてない、よね?」
「えっ? あれ? ……もしかして、僕にいつ呼ばれてもいいように、ずっとそうして待ってたの? いつも?」
「え、あ、べ、別に、いつもってわけじゃなくて、その、今日は暇だったし、昨日結局コンビニ行けてないし、その」
う、も、申し訳なさすぎる! ちゃんと説明すればよかったー! 何やってるんだ僕。と言うかいつも呼んだらすぐ来てくれてたし、ちょっと考えたら分かることだった。あー、僕、呼んでないときでもかなちゃんのことめちゃくちゃ束縛してたんだ……。うぅ、罪悪感で死にそう。
いや、でも、ここまでしろって僕が言ったわけじゃないし。勝手にしたわけだし。うん。こ、これから気を付けよう。
ちょっとストーカーっぽくて引いたのもあわせて、なかったことにしよう。僕はもう生まれ変わっているみたいな気持ちでやり直すんだから。
「あの、かなちゃん。もう、今までみたいに急に呼んだりしないから、そこまでしてくれなくていいよ。あの、用事があるとしても、もっと事前に言うから」
「え、でも、それだと不便でしょ? 外出できないし」
「とりあえず今日は、お姉ちゃんと出かけるから」
「そうだ。今まで通り学校の行き帰りはお前にやらせてやってもいいが、勝手に家の前にいるとかストーカーじゃないんだから、もうやめろよ」
「う……そ、そうですよね。はい、すみません、キモくて」
「あ、いや、そんなことは、なくて、えっと……髪を切りに行くだけなんだけど、よかったら、一緒に、行く?」
「行く!」
食い気味に言われた。かなちゃんからこんなぐいぐい来られたことないし、ちょっと引く。と言うか、向こうのかなちゃんは女の子らしく明るいけどおとなしい感じだった。でもこっちはこう、明るくてこっちの女の子らしい感じみたいだ。まぁ、僕の犬として扱ってからはそんなことはなかったわけだけど。
それを考えたら、慣れないけど、このかなちゃんが素なわけだし、いいのか。
「ちょっと、卓也」
「あ、ごめん、お姉ちゃん。頼んでからあれだけど、かなちゃんがついてきてくれるみたいだし、もう大丈夫だよ。ごめんね、ありがとう」
「いや、私も加南子と話したいことあるし、行くよ。髪切っているの待つ間に話すから、気を使わないでいいから」
「あ、うん。わかった」
話、か。別に僕は鈍いわけじゃないから、冷静になった今は家族とかなちゃんの関係が良くないことはわかっている。だから、そういう事を話すんだと思う。僕のことを話すというなら、邪魔はできない。
三人で理髪店に行った。どことなく二人の雰囲気が悪くて、二人とも僕としか話さないから、気まずかった。どうか、切っている間に改善してほしい。僕にも原因があるのはわかっているけども。
そのことばかりが気になって、お店の中で知らない店員さんに髪を切ってもらうという難易度の高いミッションを難なくこなせた。入って最初にお姉ちゃんが店員さんに紹介してくれて、してほしい髪形の説明もしてくれたのが大きい。大丈夫です、とありがとうございました。だけで済んだし。
お店をでたら、二人は和解してくれたみたいで、少なくとも、会話しないってことはなくなっていた。僕と同じで、徐々に仲良くなってもらえたらと思う。