お母さん、お姉ちゃん
かなちゃんと笑いあっていると、がらりとドアが開いた。ノックとかなかったから、びくっとしてしまったけど、そこに現れた顔にほっとする。
そこにいたのは、僕の母と、姉だった。元の世界では父と母の三人家族だったけど、男性の少ないこの世界では精子バンクを利用することも多くて、結婚できても男性の意思だけで別れられることもあり、半分以上がシングルマザーだ。
父がいないことは少し悲しいし、姉は向こうにいなかったけど、こっちの僕の記憶ではそれが当たり前だ。だから、現れた二人のことも違和感なく受け入れていた。
「たくちゃん! 本当に無事でよかった!」
「お、お母さん、お姉ちゃん。ごめんね、心配かけて」
「! い、今、お母さんって」
「あ、う、うん。あの、思ったんだ。今まで通り、女の人を遠ざけているだけじゃ駄目だって。今まで、ひどいことばかり言って、ごめんね」
女性不審だった。僕は、家族でも時々びくびくしてしまうことがあって、母をばばあ、姉を女と呼んでいた。ひどいことばかりいって、本当に申し訳ない。理性ではちゃんと、大丈夫って思っていたんだけどね? 元が結構仲良しでスキンシップ多かったから、それはちょっと恐いからやめたくて、そうなっていた。
「卓也! うう、お姉ちゃんは嬉しいよ。お前が無事なだけでも嬉しいのに、優しいことまで言ってくれて!」
「わっ」
お母さんの後ろにいたお姉ちゃんだけど、感極まったようにそう叫ぶと、ぎゅっと僕を抱きしめた。其の迫りように、一瞬びくっと肩を揺らしてしまった。でも、大丈夫だ。だってこの人は、姉なんだから。
家族二人は、僕がどんなにひどいことをいっても、態度を変えなかった。ちょっと反抗期くらいの対応で、物理的な距離をとりつつもずっと優しいままだった。
だから、大丈夫。恐くない。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん! いくらなんでもそれはやり過ぎよ。たくちゃんが恐がっているわよ!」
「だ、大丈夫! お姉ちゃんも、お母さんも、家族だから、大丈夫だよ。今まで迷惑かけて、心配もかけて、本当に、ごめん」
「たくちゃん!」
「わっ」
僕が最初に反応してしまったのを見て、お姉ちゃんを注意してくれたお母さんだったけど、僕がそう答えると、お母さんも僕に抱き着いてきた。
ただでさえ、単に転んだだけではあるけど、事故で気絶して病院に運ばれたのだ。心配をかけたのだ。思わず抱き着くくらい、当たり前だ。僕だって、前の世界でお母さんやお父さんが病院に運ばれたなら、そうする。
だから当たり前のスキンシップを拒む必要はない。恐れる必要なんて、ない。僕らは家族なんだから。
「ごめんね、二人とも。今更だけど、これからも、よろしくね」
そうしてひとしきり抱き合ってから、僕はその後ろにいたお医者さんと看護師さんに診察されることになった。
一応、気絶している間に精密検査は済ませて問題なかったから、会話の間待っていてくれたけど、退院する前にもう一回検査するらしい。
そう、嫌にタイミングよく入ってきたと思ったら、僕とかなちゃんが会話している途中から、ドアの前で待っていてくれたらしい。ちょっと恥ずかしい。
家族の前で、友達になろうとか、青春してしまった。
検査には少し時間がかかったけど、三人とも待っていてくれた。
「かなちゃんは帰ってくれていてもよかったのに。待たせて悪いし」
「う、じゃ、邪魔だった?」
「や、そうじゃないけど、もう日も暮れたし、近所とは言え、一人で家に帰らせるのも申し訳ないし」
元々お昼は過ぎていたけど、事故って気絶して目が覚めて検査している間に、夕食の時間になっていて、もう夜だ。
さすがに病院に運ばれた僕が送るってのは許されないだろうし、二人はその、詳しく話さず無理やりキスされたしか言ってないけど、それでも可愛い息子、弟のキスを奪って女性不信にしたということで、仲良くはない。送ってはくれないだろう。と言うかどっちか送ったら送ったで、帰りに今度は母か姉が一人になるし、意味がない。
だから思わずそう言ったのだけど、三人そろってきょとんとされた。
「え、そんな、男の子じゃないんだから、平気だよ」
「そうだぞ、卓也。と言うか、今までもそうしていただろう?」
あ、そうだった。こっちでは女の子の方が強いんだから、平気なのだ。むしろ男の子は向こうより断然襲われやすいので、向こうの女の子より厳しく夜歩き禁止なくらいだ。
わかっていても、どうしてもまだ意識が馴染めていないらしい。
「そうだったね。つい、夜って怖いイメージがあるから、かなちゃんのことも守らなきゃって思ってしまって」
こんな感じで言ったら誤魔化せるよね? 実際、向こうでは平気で自分が夜でも出かけたりしていたけど、意識した今、ここから一人で歩いて帰れって言われたら、ちょっと恐い。
「まぁ、たくちゃんは本当に優しいわねぇ」
「うぅ。だ、大丈夫だよ、たくちゃん。今回は、たくちゃんの反応速度に負けちゃったけど、でも、次があったら絶対私が守るから! 信じて!」
「おい、馬鹿加南子。次がないように、事前に注意できて一人前の女だ」
「う、すみませんでした」
ああ、しまったなぁ。こっちでもとっさに突き飛ばした僕だけど、結局二人とも転んだわけで、そんなに守った感じはない。でも女が男に守られるって言うのは、向こうよりずっと屈辱的なことだ。ほじくり返す話題じゃない。
えっと、話題変更しよう。
「えっと、お母さん、僕は優しくないよ。むしろ、二人の優しさに付け込んで、ひどいことばかり言って、本当にごめんね」
かなちゃんはきっかけが自分のせいだけど、二人は完全に何にもしていないのに、急に嫌われているのだ。本当に申し訳ない。
再度謝る僕に、お母さんは僕の手をひいてタクシー乗り場に向かいながら、微笑んでもう片方の手で頭を撫でてきた。
もう高校生になるのに恥ずかしいけど、でも実は向こうの世界での僕は、かなちゃんにふられていじめられてから家しか居場所がないので、結構マザコンだったのだ。父にはしっかりしろと言われていたけど、母にはたまに、耳かきを口実にひざまくらしてもらったりしていた。だからその、嬉しい。
「馬鹿ね、言葉だけ強くしても、たくちゃんが優しい子のままだって、お母さんはずっと知っていたわよ。家事を手伝ってくれたり、勉強も頑張っていたでしょう? 自分のことをあんまり卑下しないの」
「……ありがとう」
勉強はともかく、家事は本当にたまにだ。姉がしないから、母の体調が悪い時に料理をつくったり、目についたときに掃除したりしたくらいだ。元の世界と同じくらいだ。だからとても、普通の態度ならともかく、あんな態度と釣り合うお手伝いレベルじゃない。
でも、お母さんはちゃんとわかってくれていたんだ。胸が暖かくなって、ちょっと涙が出てきた。これはさすがにもっと恥ずかしいけど、こっちの僕は向こうより涙もろいから、仕方ない。
黙ってお姉ちゃんも頭を撫でてくれた。
それから家に帰って、僕は長い長い一日を、終えた。