死を経験すると成長するのだ
「ではアブサン。早速人間の服と支度金をもて」
「ハハッ! すぐにそろえさせましょう」
アブサンが軽く手を叩くと、青い肌の悪魔っぽいメイドが二人、立ち並ぶ柱の陰から音も無くスッと姿を現した。
「「失礼いたします。それでは服のサイズを測らせていただきます」」
二人はユニゾンで呟く。片方がエプロンドレスのポケットから巻き尺を取り出した。
「え、ええと……マジでか」
二人は頷くと、恐れ多いと言わんばかりに玉座の前に跪く。どうやら俺が立ち上がるのを待っているらしい。
魔族とはいえ相手は女の子だ。一方こちらは生まれたままの姿である。見られるのは非常に恥ずかしい!
が、何もしないでいれば、アブサンの目に警戒心が灯るのも時間の問題だ。
「よ、よろしく頼む」
俺は玉座から勢い良く立ち上がった。堂々と包み隠さず、全裸で。
採寸はすぐに終わり、いくつか服の候補が並べられた。
中にはきらびやかな貴族の礼装のようなものまであったが、この世界のごく一般的な“街に住む人間”の服装と注文をつけると、ファンタジー系RPGの村人A的な地味な服が用意された。概ね希望通りである。
メイドに二人がかりで着せられたのは、恥ずかしいながらも良い思い出だ。
服とは別に用意された小袋はパンパンに膨らんでいた。この世界の人類社会で使われている通貨と、換金用の宝石が詰まっていて、どっしり重たい。通貨はその重みと色から、金貨のようだ。
アブサン曰く、人間世界でしばらく遊んで暮らせるできる額だという。
「では行ってくる。城の守りは貴様に一任するぞ」
「承知いたしました。この身に代えても魔王城をお守りいたす所存です」
獅子男は深々と頭を下げる。
思いの外、上手く事が運びそうだ。これでアブサンが城を放り出して追ってくることも無いだろう。もしそんなことがあれば「我の言いつけをなぜ破った?」とでも、問いただしてやればいい。
危険人物を忠誠心で縛り付けるなんて、俺って案外悪役が性に合ってるのかも……っと、調子に乗るのは魔王城を脱出してからだ。
しかし、こうも魔王っぽく振る舞えるなんて、やっぱり魔王の肉体に宿ってしまったからなんだろうか。
俺はアブサンとメイド二人を残して、長く伸びた絨毯を踏みしめながら、出口を目指して歩き出した。
回廊と扉をいくつか抜けると、ようやく外に出た。といっても、見渡せば四方が高い城壁に囲まれている。
どうやら城の中庭に出てしまったみたいだ。庭は魔王城らしからぬ整備されたもので、綺麗に刈り込まれた植木や、色とりどりの花々が満開だった。
見上げた空には厚い雲がかかり、星も月も太陽さえも見当たらない。
というか、あの場を離れたい一心で、大事なことを失念していた。
勇者学園のあるバルガルディアって街は、ここから歩いて行ける距離なのか? いやさすがにそれはないよな。
まいったな……と、立ち往生していると、中庭の茂みから突然、黒い影が跳びだしてきた。
「魔王様! お待ちしておりましたわ!」
体長三メートルはあろう、巨大な黒い肉食獣が俺の前にゆらりと立ちはだかる。
やばいデカイマジかよ見た目は黒豹っぽいけど、大きさが動物園で見たシロクマを一回り大きくしたサイズじゃねーか。化け物かよ。
黒豹はじっと俺を見据えたまま、サファイアのような青い瞳を潤ませる。
「も、もしかして、俺に何か用事なのか?」
黒豹は不思議そうに首を傾げた。
「本当に魔王様なのですか?」
その体躯に見合わない、囀る小鳥のような声色だ。
「い、い、いかにも。急に飛び出してきたので少々驚いただけだ。それで……貴様は?」
途端に黒豹が悲しげに鳴く。
「わたくしのことを覚えていらっしゃらないのですね?」
どうやらこいつも過去の魔王を知る者……というか、この城の連中は大概そうなのかもしれない。
俺は素直に頷いた。
「すまぬ。復活に際し記憶の一部が未だに曖昧なのだ。無理に思い出そうとすると……ウッ……頭が割れるように痛む」
「な、なんとお労しい! その痛み、できることならわたくしが肩代わりして差し上げたいですわ……」
「心配は無用だ。貴様の気遣いだけ受け取っておこう。なに、記憶は徐々に鮮明になりつつある。痛みも一時的なものだ。すぐに収まるだろう」
心細そうな黒豹の声色が、少しだけ明るくなった。
「左様でございましたか。安心いたしましたわ。これより魔王様の行くところ、わたくしがどこまでもお供いたします。人間の結界に感知されない方法も、いくつか心得ております。さあお乗りください。魔王様のお役に立ちたい一心で、この姿に変身したのですから」
突然、黒豹の滑らかな曲線を描く背中に、黒い翼がこうもり傘よろしくぶわっと広がった。
「――ッ!?」
「あら、どうかなさいまして?」
「いや、急に広げるからびっくりしたんだ」
しまった、つい口調が素に戻ってしまった。が、幸運にも黒豹は「それは大変失礼いたしましたわ」と、申し訳なさそうに頭を垂れた。
いやしかし、翼が生えるなんて魔族ってなんでもアリだな。
最初は黒豹の体躯の大きさに圧倒されてしまったが、しなやかに伸びた四肢や艶やかな毛並みは、それが恐ろしい魔族であることを忘れさせるほど、美しい。
俺の目の前にゆらりと腰を落とす。どうやらこの黒豹が足代わりになってくれるようだ。
「では世話になる。勇者学園に向かえ」
黒豹は青い瞳を満月のようにまん丸くさせた。
「ほ、本気ですの魔王様?」
「アブサンから聞いていないのか? 我が直々に人間たちの堕落ぶりを見てやろうというのだ。そのため服もあつらえた。よもや行くのが嫌だとは言わせぬぞ」
俺は近づくと黒豹の胴体をそっと撫でる。
「ひゃん! ま、魔王様いきなりそんな……恥ずかしいですわ」
「す、すまない。驚かせたか。あまりに綺麗な毛並みで……つい、触ってしまった」
「……綺麗……ですって?」
くるりと首だけ俺に向けて、口を開いたまま黒豹は惚けたような顔だ。
まずい、今のは魔王らしくない振る舞いだったかもしれない。
「どうした?」
「ま、魔王様があまりにお優しいので……」
「死を経験すると成長するのだ」
口から出任せだが黒豹は納得したようで「そうでしたのね! ああ、魔王様……わたくし、ますます……」と、しおらしげに呟くのだった。
背に跨がると、漆黒の獣は瞬く間に空へと駆け上がった。
雲の下を縫うように黒豹は飛ぶ。
絶景だ。どこまでも続く地平線の果てまで、黒豹曰く「魔王様の領地」なのだとか。
そんな魔王領を横断し、海峡を越えると人間の住む領域に侵入した。
「魔王様。これより隠蔽魔法によって、人間どもが張った結界による探知を避けながらの飛行となりますわ」
「ああ、良きにはからえ」
「は、はいですわ!」
ひゅんひゅんと風を切って黒豹は進路を西にとる。途中、遠方に人間たちの集落がいくつも見えた。どれも城塞都市という感じで、取り囲む高い壁の中に街並みがあり、空からだとまるでミニチュア模型のようだ。
街に近づきすぎると危険らしく、黒豹はそれらの上空を通過しないよう、うねるように迂回路を選択した。
「少し寒いな。貴様で暖を取らせてもらうぞ」
「お、仰せのままに」
俺は黒豹の背中に仔コアラよろしくぺたりと貼り付いた。瞬間、黒豹は大きく傾いたが、すぐに姿勢を戻す。
「魔王様とこんなに密着するなんて……わたくし、幸せ者ですわ」
「何か言ったか?」
耳元を通り過ぎる風切り音で、黒豹の呟く声をうまく聞き取ることができなかった。
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