今なら降伏を認めてやるぞ
ギムが吠えた。
「消し飛べ凡夫!」
「この世界で才能が全てっていうんなら、見せてやるよ!」
最強の血統を。
聖剣を握る手がみるまに変容する。肘の辺りまでがトゲ状の鱗に覆われた。もはや隠す盾もなく、ありのままに衆目に晒す。
魔王の右腕だ。途端に聖剣を握った手のひらが熱くなった。痛みが走る。聖なる力と肉体の魔法力が反発しあうようにスパークする。
黙れ聖剣。我に抗おうというのか? この魔王たる我に!
魔法力を強制的に流し込み、聖剣を支配する。その聖なる加護を闇の力で上書きして刃が漆黒に染まると、聖剣はしっくりと手に馴染んだ。
魔眼でギムの攻撃を見切り、魔剣と化した聖剣でそれを弾き返す。
「――ッ!?」
その衝撃にギムは大きくのけぞった。俺は嗤う。
「どうした……小僧?」
「き、貴様……何物だ? なんだその腕は!?」
俺の変化に会場内は再びどよめいた。
魔王降臨の瞬間だった。
「なんだとはご挨拶だな」
「フンッ! こけおどしなど通じぬ」
怯えるような素振りは無い。聖戦士の末裔だというのに、これが魔王の腕だってことが、まるで解っていないみたいだ。
ならばその身に思い知らせてやるとしよう。
ギムが再び聖斧を振り上げ、唐竹割りの要領で俺の脳天めがけて振り下ろす。
その刃を左手で受け止めた。瞬間、左腕を鱗とトゲが覆い尽くす。
「ば、バカな……」
渾身の一撃を易々と受け止められてギムの顔つきがようやく変わった。
恐怖、驚愕、脅威、畏怖。
客席ではマリーが拝むように手を合わせている。
「ああ、我が主……なんとお美しい」
恍惚の表情だ。これで彼女が暴れる理由も無くなった。
ギムが吠える。
「離せ……この下郎が!」
「いいだろう」
聖斧の刃を無造作に、それこそ捨てるように放る。ギムの身体がブンッ! と、空気をつんざくような破裂音とともに、闘技場のステージ端まで飛んでいった。
聖斧を地面に突き立てるようにして、場外に落ちるのをこらえると、ギムは再び斧を構える。だが、攻めてこない。
俺は再び口元を緩ませた。
「どうした? 来ないというならこちらから行くぞ」
剣を突きの構えにして俺は地面を蹴る。その足もまた、魔族のそれへと変容していた。
一瞬で懐に入りこみ、ギムの肩口を切り裂く。制服にかかった魔法防御は今や紙切れ同然だ。魔剣と化したアレキサンドライトは聖斧と同等以上の威力である。
「こしゃくなあああああああ!」
「弱い犬ほど良く吠える……そう思わないか? なあギム・ラムレット」
ギムは聖斧を無造作に振り回し始めた。だが、攻撃の軌道は全て魔眼で見切っている。
あえてその全てを紙一重で避けた。力の差は歴然だ。
「今なら降伏を認めてやるぞ」
「俺様に敗北はあり得ない! ましてや降伏などするものかッ!?」
先ほどまで破壊の暴風だったギムの連撃が、まるで頬を撫でるそよ風のようだ。
俺は溜め息を返す。
「では仕方ない……決着を付ける前に最後の確認だ。マリーを攫わせたのはお前の指示か? 正直に応えれば、場外負けで勘弁してやるぞ」
「だからッ!! なんの話だッ!?」
本当に知らないのか。となると斥候のネズミ野郎の独断の可能性もあるな。
「ロディが勝手にやったとでも?」
「あの道化が何をしようが、いちいち気にしてなどッ……いられるかあああああ!」
聖斧が俺の前髪をかすめた。おっと、攻撃速度を見誤ったか。
すると、肉体が再び変化した。
ああ、まずい……もはや手遅れだが、どうやら頭部や胸部まで俺の肉体は魔族化したようだ。
上半身が内側から破れるようにはだける。学園の制服、気に入っていたんだけどな。
「きゃあああああああああああああああああ!」
客席から悲鳴があがった……のだが、あげたのはマリーである。悲鳴というか嬌声だ。客席の他の連中は、俺の変容にすっかり静まり返っていた。
俺は左手をそっと開く。
「まあいい。素直に降参してくれれば良かったんだが、これで仕舞いだ」
軽く、可能な限り優しく触れるようにギムの胸を押した。
瞬間――ギム・ラムレットがステージの端から場外に吹き飛ぶ。
少し力が入りすぎたか。そのままギムは客席側の壁に激突した。衝撃で砂煙が舞う。
まあ、英雄の末裔なんだしあれくらいじゃ死なないだろう。
これでギムの場外負けだ。俺は視線をぐるりと巡らせて審判役を捜したが、その姿は会場から忽然と消えていた。
逃げたのだ。まあ、俺のこの姿を間近で目の当たりにしては無理も無いか。
「ったく。これじゃあ決着がついたって誰が宣言するんだよ」
崩れた壁の瓦礫の中から、ギムが立ち上がった。
「まだだ! 俺様は負けてなどいないッ!」
血走った視線が俺を射貫く。そのまま寝ていればよかったものを。
ギムは聖斧を指すようにこちらに向けた。
「その姿……人間では無かったのか。レナに近づき籠絡しようと画策したゲスな魔族め」
この姿を会場中の全員に見せてしまったら、返す言葉も無い。念のためマリーの様子を確認すると、彼女はその場にへたり込んでいた。どうやら、魔王降臨の光景に興奮が絶頂に達して放心状態にあるようだ。
そして……マリーのそばにいたはずのレナの姿が消えていた。
彼女は客席から闘技場に降り立つと、颯爽とステージの上までやってくる。
場外のギムに顔を向けると、レナは詰問した。
「部下が勝手にやっただなんて、よく言えるわね。それが英雄の末裔のすることなの? クランメンバーの不祥事はリーダーの責任じゃないかしら?」
ギムが苦々しげに返す。
「そういう貴様こそ、そこの化け物の正体に気づきもせず……いや、この話はあとだ。俺様の元へ来い! この化け物を供に倒そうではないか?」
俺に振り返るとレナが表情を曇らせた。この世界の道理で考えればギムの言う通りだ。
どう考えても俺は討伐対象だ。
レナの判断に全てを委ねる。彼女は「味方になる」なんて言ったけど、力が足りずに魔王のそれに頼った俺の責任だ。
だから、レナの好きにしてくれ。
俺が小さく頷くと、レナは再びギムに向き直った。
「タイガは人間よ! もしタイガが魔族だというなら、とっくの昔に私も貴方も消されていたわ。それは戦った貴方自身が一番理解してるでしょ? 彼は誤解を避けるため、本来の力を封印してきたの。それでも英雄の末裔である貴方の挑戦を受けた。貴方のクランメンバーが、タイガの許嫁であるマリーを誘拐して、この戦いを無理強いさせたから!」
誘拐というレナの言葉に、会場内が再びざわめき始めた。
誰もが勇者の末裔の言葉に耳を傾ける中、小さく呼吸を整えてレナは続ける。
「タイガの強すぎる魔法力は生まれ持ったもので、授業で魔法が上手く扱えないのも力が大きすぎるからなの。そして肉体が魔法力の使用に耐えるために変質してしまう……タイガはそういう特異体質なのよ!」
さすがにそれは無理があるんじゃないか? とそんな無理筋まで持ち出して、レナは俺を庇ってくれた。勇者の末裔の言葉に観客たちがどよめく。
「本当かよ? 特異体質って……」
「けど、魔族ってあんな姿なんでしょ?」
「人間なわけないじゃん。どっからどう見たって化け物だって」
「つうか、あいつ弱いフリしてたんだよな。そういうのってムカつくんだけど」
「いやぁ、けどさあ……本気を出したらあんな姿になるってんじゃ、出せないでしょ普通に考えて」
「勇者の末裔のレナ様が魔族を庇うかなぁ。聖剣を貸したりするとは思えないんだけどぉ」
「まあ、ギム・ラムレットを倒すほどの実力者なら、レナ様の目にとまるのもおかしくはねぇわな」
「同じ英雄の末裔でもギムとレナ様じゃ月とすっぽんね」
ざわめきは次第にレナを支持する声へと変わっていった。
これがこの世界での“勇者の末裔”が持つ信頼だ。
もちろんそれだけじゃない。レナ自身の清廉さを支持する声でもあった。
彼女は誰からも「レナ様」って呼ばれて慕われている。
レナには勝算があったのだろうか? 俺がこの姿をさらしても、みんなを説得できるという自信を……レナは持っているようには見えなかった。
遠目にはレナが毅然とした姿に映っているかもしれない。だが、会場中の人間に訴えかけた彼女の肩は心細そうに震えていたのだ。
レナは宣言する。
「勇者の末裔として……ブルーラグーン家の名の下に、この決闘の勝者をタイガと私は認めます」
まばらな拍手はすぐに会場全体の同意を得たように、大きなものへと変わった。
次回も24:00~




