やれよ……馬鹿野郎……
ギムが声を上げる。
「結局は大口を叩いて俺様を押し返すのがやっとか?」
背を見せて逃げれば斬られる。後ろに下がろうと少しでも力を抜けば、一気にたたみかけられる。
抵抗できずにこのまま……死ぬのか? やっぱり嫌だ! そんなのまっぴらだ!
「そっちこそ人質まで取って勝ちたいのかよ?」
「だから……何の話だ!? もはや死すら貴様には生ぬるい」
一瞬、ギムの攻撃が止んだ。男が身をよじり背中をこちらに向ける。
瞬間――背筋がボコリと盛り上がった。
まずい。ギムは身体をひねりこんで力を溜めていた。逃げようにも聖斧の一撃は広範囲だ。逃げ場が無い。もろともなぎ倒される。
咄嗟に腕を交差して双盾を重ねるようにした瞬間――聖斧が真一文字の軌道を描いた。
ボロボロになった盾に全力で魔法力を込める。再び魔族化しつつある肉体を、無理矢理人間のものに戻そうと意識するのだが、人としての尊厳よりも俺の中に眠る生存本能が勝った。
腕が肘の辺りまで魔族化する。制服が破けて内側から食い破るようにトゲ状の鱗が露わになった。
が、同時に力が満ちあふれる。魔法力を加速させる。
結果――ギムの一撃を受けきる代償に、俺自身の魔法力に耐えきれず双盾が爆ぜるように砕け散った。
衝撃に俺の身体は闘技場を転がった。仰向けに倒れた俺のそばに歩み寄りギムが立つ。
見下ろすその表情は怒りだ。だが、かすかに怯えているようにも見えた。
「なぜだ? 今の一撃を防ぐとは……貴様はいったい……」
「ハァ……ハァ……俺は……」
両腕はかろうじて元に戻っている。これで決着……情けないが生き残ったと思った刹那、ギムは聖斧を振り上げた。
「もう一度防げるか試してやろう」
客席は一層どよめいた。俺は武器を失い、勝負がついているのは誰の目にも明らかだ。それでも審判役は動かない。
誰もが固唾を呑んで見守る中、俺は荒い呼吸を整えようとゆっくり息を吐く。
どこで選択を間違えたんだ? 大人しくレナをこんなやつに差し出せば良かったっていうのか?
それともマリーの言う通り、魔王になれば……。
違う! 俺がなりたいのはあくまで勇者なんだ。魔王の力でギムを倒してしまったら、それこそ本末転倒だ。
「命乞いするなら聞いてやるぞ」
「やれよ……馬鹿野郎……」
「つまらんな。死を目前にさえずりもしないとは」
ギムの聖斧が断頭台のように振り下ろされる。この世界に来て死んだら、次はどうなるんだ? 最期に一目でいいからレナの笑顔を見たかった。
静まり返った会場に……凛とした声が響く。
「戦いなさいタイガ! 人質は無事よ」
少女の声にギムの手が止まる。声の聞こえた方角から、空気を切り裂いて光が投げ放たれた。
それは俺の手元に突き刺さる。
美しい刀身を煌めかせた聖剣アレキサンドライトだ。
身体が勝手に動いた。胸の辺りがカアッと熱くなる。跳ねるように立ち上がり、俺は地に突き立てられた聖剣の柄を掴んだ。
「こしゃくなあああああ!」
レナに気を取られて刺し損ねたトドメの一撃を、ギムが再び打ち下ろす。
俺は聖剣でその刃をいなした。レナの見よう見まねで蒼月流の転の構えを取る。
アレキサンドライトの白刃の上を聖斧の刃が滑り落ち、突然力の方向を変えられて、ギムが姿勢を崩した。そこで聖剣を翻すと、すかさず俺は突きを放った。
ギムの肩口を捉える。が、さすがは英雄の末裔だ。ギムの身体から魔法力がほとばしり、制服にかかった防御魔法によって、貫通するどころか切っ先が触れることさえできない。
「ぬううっ!」
が、手応えはあった。ギムは三歩下がって、聖剣を手にした俺との間合いをとる。
客席から今度は甲高い耳触りな男の声が響いた。
「おい審判! 武器の追加持ち込みはルール違反だろうが! 反則負けだ!」
斥候のロディが抗議するのだが、ギムは「黙れッ!」と一喝した。審判もそれに従うらしい。俺を消し去りたいギムにとって、反則負けで生かして返すのは不本意なのだろう。
ロディらギムの取り巻きが陣取った客席の対岸に、レナがマリーを連れて降りてくる。
マリーはスカートの裾をちょこんとつまみ上げるようにして一礼した。
「タイガ様のお言いつけ通り、淑女らしくいたしておりましたわ。できればタイガ様ご自身の手で救っていただきたかったのですが、事情はすべてレナからうかがいました。今回は仕方ありませんわね」
レナはマリーの正体を知っている。たぶん、自分が正体を知っていることに関しては、レナは黙っていたんだろう。でなければ、マリーが大人しく付き従っている訳が無い。
マリーもか弱い人間の少女のフリを続行中だ。
レナが再び客席から声を張った。
「これで思う存分戦えるでしょ? どうなろうと責任は私が持つわ。だから……負けないでタイガ!」
俺の手には彼女の……勇者の家系が代々受け継いで来た聖剣がある。
質量以上にずっしりと重たい。さっき、一撃をいなして反撃に転じることができたのが嘘みたいだ。それでもあの一瞬だけ、俺は勇者になれた気がする。
もしかしたら、レナの込めた魔法力が残っていたからかもしれない。それが消えた今、聖剣の持つ本来の重さが俺の腕にのしかかる。質量的な重さというよりも、要求する魔法力の莫大さを感じた。それに魔王の肉体とも相性が悪いらしく、普通の剣以上に武器相性は最悪だ。
ギムが苦々しい表情を浮かべて客席を見据えた。
「同じ英雄の末裔が……地に落ちただけでなく俺様にたてつくか……レナよ」
言い捨てるとこちらに向き直り、ギムが聖斧で再び俺に斬りかかる。俺は手にした聖剣を振るうことは出来なかった。
「重ってええええええええええええ」
やっと持ち上げたところにギムの聖斧が打ち付けられる。軽々と弾き跳ばされて俺の身体はまたしてもステージの上を転がった。
「フンッ……それは凡人が手にして良いモノではないのだ。この世は血統と才能が全て。力無き愚民どもは俺様に従え。それが嫌だというなら……散れ」
聖斧が空を斬り衝撃波が俺めがけて放たれる。地面に横たわった俺の身体を枯れ葉のように上空へと吹き飛ばされた。
制服には防御魔法がかかっているというが、数度の攻撃を受けてすでに機能停止状態だ。
一度ふわりと浮き上がった身体が、頂点に達すると今度は重力に引かれて地面に叩きつけられる。
「グハッ!」
せっかくレナが許してくれたのに。いや、それどころか俺に代わってマリーを見つけ出してくれたっていうのに、情けないな。
彼女から託された聖剣だけはずっと握りしめたままだ。それを杖のようにして、もう一度立ち上がる。
満身創痍。ただ、それでもさっきまでより、心情的にはいくらかマシだ。
俺を応援してくれる人がいる。レナに呼応して、客席の中からも声が上がり始めた。
がんばれ……奇跡を起こせ……と。まったく、みんな調子が良いぜ。
けど、そうだよな。諦めずにがんばらなきゃな。
でないと……今にもマリーが魔族化して、ステージに乱入するかもしれない。
客席で親指の爪を噛む彼女の視線が俺に訴えかけるのだ。あと一撃でも俺が受けようものなら「我慢の限界ですわ」と。
ギムが客席の空気の変化に舌打ちした。
「力も才能も持たぬ愚民どもが……奇跡など信じるから貴様らは向上せぬのだ。現実というものを教えてやる」
ざっ……ざっ……と、踏みしめるような足取りでギムがゆっくりと間合いを詰める。
「まお……タイガ様! 今こそ真の力を示す時ですわ!」
マリーの奴、此の期に及んで何を期待してるんだ。だが、次の瞬間、俺は耳を疑った。
レナが――勇者の末裔の彼女が声を上げたのだ。
「もう一度言うわ。全力で戦って! 私は貴方から逃げた弱い人間だから、本当ならこんなこと言えないけど……逃げてしまったことに後悔したの。だから、もう貴方を独りにはしない。貴方がどうなろうと私は貴方の味方よ!」
全力……か。ずっと出さずに来たよな。何かと言い訳を取りつくろって。
レナの覚悟に退路を断たれてしまった。勇者の末裔の彼女が、肉体だけとはいえ魔王の味方をしようというのだ。
なら、やってやるしかないじゃないか!
見せてやるよ魔王(レベル999)の全力ってやつを!
次回も24:00~




