まさに平民の希望の星……って感じだな
そして迎えた土曜日――
決戦の日曜日を翌日に控えて、定期戦闘会も佳境だ。
ギム・ラムレットは昨日までに九勝を挙げている。三勝以上している生徒から適当に選んだ九人を、収穫でもするように次々と倒していったらしい。肩慣らしにもならないという雰囲気だ。
彼が手に入れた星の数はゆうに三十を超えていた。ぶっちぎりである。レナと直接対決するまでもなく、ギムの優勢だ。
加えてレナがギムからの挑戦を拒めば、誰もやつには逆らえないという“事実”ができあがってしまうだろう。
ギムの挑戦を受けた連中も責めるに責められない。彼らも被害者だ。
勝ち目の無い戦いであっても、ギムからの挑戦を誰も拒否することはできなかった。
決闘の拒否がルール上で問題が無くとも、戦いを拒んだ人間の学園での居場所を無くすくらい、英雄の末裔には簡単なのだ。
どのみち潰されるなら、戦って敗北する方がマシという生徒ばかりだった。
そんな権力と圧力への反発だろうか、決闘を受けた俺への応援の声が密かに増えつつあるらしい。
外街で行われている賭けのオッズは相変わらずだが、俺の勝利にベットしたなんて酔狂な連中も少なからず現れ始めた。
ギム・ラムレットへの押し込められた不満の声は、日に日に膨らみつつある。
それが爆発しないのは、沸き起こる不満以上の諦めと、誰もがギム・ラムレットとその取り巻き連中を恐れているからだ。
圧制者を倒す存在をみんな待っていた。
つい、言葉が漏れる。
「まさに平民の希望の星……って感じだな」
俺ってば魔王なのに。思わず変な笑いがこみ上げそうになった。
早朝、そんなことを考えながら自主トレと称して校庭で独り走り込みをしていると、すがすがしい朝からあまり見たくない顔が姿を現した。
小柄な出っ歯のネズミ野郎――斥候のロディだ。今朝は二人ほど、ギムの取り巻きを引き連れている。
周回を終え、無視してもう一周行こうとしたところで連中に進路を遮られた。
「おっとっと。無駄な努力ご苦労さん。せっかくこっちから出向いてやったんだから、ちょっとくらい話を聞いても損はさせないぜ?」
しぶしぶ足を止める。
「用件なら手短に頼む。話し終えたらとっとと道を空けてくれ」
「そう邪険にすんなっての。こっちだっておめぇがレナ様と一緒じゃ無い時間を、わざわざ選んで来てやったんだからよぉ」
目を細める斥候に、俺は冷たい視線を返した。
「その話ってのは、レナには言えないようなやましいことなのか?」
「いやぁこいつはねぇ……個人的なお願いって奴なんだよ。レナ様とは関係なく、おめぇだけに確認しておきたい事なんだって」
薄ら笑いを浮かべてロディは歩み寄ると、下からえぐるように俺の顔をのぞき込んだ。
「決闘を前にして、土壇場で逃げるような臆病者じゃあねぇよなぁ?」
「当たり前だ」
「ひゃっひゃっひゃ! まあ、人間追い詰められりゃあ意見も主張も覚悟だって、コロコロ変えるのが普通だからな。ともかくよぉ、こっちはおめぇが逃げない確証が欲しいんだよ。明日は闘技場の客席もぜーんぶ埋まって、立ち見も出るようなビッグイベントだ。しらけさせてくれんなよ?」
「何が言いたいんだ?」
「だから逃げるんじゃねぇ……と、念押しに来たんだよ。つまりよぉ……」
ロディは小声で呟いた。
「おめぇの許嫁、どこで何をしてるんだろうな?」
ネズミ野郎が愉しげに顔を歪ませる。それだけで察することができた。こいつらは事もあろうに、マリーを拉致して人質に取ったのだ。
なんて馬鹿な事をしてくれるんだ。
「悪い事は言わない。すぐにマリーを解放しろ」
解放ついでにマリーに土下座級の詫びをいれてください、お願いします。と、言いかけて言葉を呑み込んだ。
ロディは臆せずむしろ鼻の穴を膨らませて嘲笑するように惚けてみせた。
「さぁて……ねぇ? 解放しろなんて言われてもなぁ……姿を消したって噂しか知らないっだよこっちはよぉ」
こいつらが今の所無事でいられるのも、マリーがいじらしく“タイガの許嫁のマリー”を演じ続けているからに過ぎない。
何がきっかけでマリーが魔族の本性をさらけ出すかもしれなかった。
「いつからだ?」
「おんやぁ~~? 許嫁が昨日の午後からずっと姿を消していることに、気づきもしなかったのかおめぇは?」
人質よりも攫った連中を危惧するなんて、俺もどうかしている。
俺は極力感情の高ぶりを押さえて、静かな口調でロディに告げた。
「マリーに手出しをすれば、お前の命は無い」
「ヒュー! 怖いねぇ。ならなおさら探そうなんて思わない方が身のためってやつだ。許嫁が傷物になっちまうかもしれねぇしなぁ。まあこっちはおめぇが決闘から逃げなきゃそれでいいんだ。じゃあな! 明日が楽しみだぜ」
ボディーガード代わりの取り巻きを引き連れて、ロディはクラン棟のある方面へと去っていった。
連中の背中が完全に消えたのを確認してから、俺は試しに名前を呼ぶ。
「マリー。近くにいるなら我が前に姿を現せ……」
普段であれば、どこからともなく現れるはずの彼女が出て来ない――クズメッセンジャー連中と入れ替わりに、レナが真新しいタオルと飲み物の入ったボトルを手にして、校舎の方角からやってきた。
「おはようタイガ。今朝も早いわね」
俺に飲み物を手渡すと、彼女は笑顔を弾けさせる。朝のすがすがしい空気の中に、凛と咲いた白い花のようだった。
「ありがとうレナ」
「どうしたの? 明日の決闘を控えて、やっぱり緊張してるのかしら?」
察するのが得意な彼女に顔色を読まれたな。
どうすればいいんだ。さすがに誘拐の件は談しづらいものがある。
つい黙り込んでしまう俺に、レナは首を傾げた。
「そういえば、しばらくマリーの姿を見ていないけど……」
「あ、ああ……そう……だな」
タイミングがドンピシャすぎるだろ。俺とロディのやりとりをどこかで見ていたんじゃないかってレベルだ。
「ねえタイガ……あのね、ずっと気になっていたんだけど……もしかしてマリーって……」
じっと俺の顔をのぞき込むレナに、ますますこちらの表情が固まった。
「ま、ままマリーがどうしたって?」
「ええとね……彼女ってなんていうか……タイガと同じように常識に囚われないところがあるでしょ? 自由奔放というか……だから、彼女も……タイガと同じ……」
「お、俺と同じ?」
やばい。まさか気付いたのか!? マリーが魔族だっていうことに。
レナは頷くと続けた。
「異世界人なんじゃないかな!? って思ったの」
「ち、違うって! そんなわけないだろ」
「け、けど心の傷を負ってタイガの事を死んだ許嫁と思い込んでいるっていうのも、なんだか今にしてみれば奇妙に思えて。きっと私には言えない事情があるのよね? だから、そう言わざるを得なかったのでしょう?」
ずずいとレナは俺に歩み寄った。
「それは……その……だな」
「ねぇタイガ……マリーの事、本当はどう思ってるの?」
本当も何も……って、何の話だこれ?
「どうって言われても……」
レナの瞳がジワリと潤む。
「お願い! 嘘だけはつかないで。貴方の事を信じたいから正直に打ち明けて。でないと……不安になってしまうから」
言うべきか? マリーが魔族だということを? いや、ダメだ。
レナと出会ったあの日――彼女が俺に向けた敵意と殺意は本物だった。
悲しげな顔でレナが訊く。
「タイガ……どうしても言えないの? タイガにとってマリーって、本当に成り行きでああなっただけの関係なの?」
「マリーは俺にとって、その……なんていうか……ともかく、あいつが異世界人じゃないことだけは保証するよ」
レナはぶんぶんと首を左右に振る。
「そうじゃなくて……どう思ってるのかが知りたくて……」
様子がおかしい。普段の気丈なレナらしくなかった。急にどうしちまったんだ?
「わ、わかった。正直に言うよ。ええと……マリーの事はだな……ずっと許嫁とあっちから言われ続けたから、情が移ってしまって……いや、本当にそれだけというか……」
しどろもどろになってしまった。レナはうつむくと「そ、そう……」と力無く呟く。
そのまま彼女は続けた。
「マリーの話をするときのタイガって、いつも緊張しているみたいで、今日はとりわけそうだから。彼女の話題になるとタイガって極端に焦り出すし。それって彼女を強く意識しているってことでしょう?」
潤んだ眼差しに詰問されているような気分だ。
つい、言葉が漏れた。
「実は……マリーが何者かに誘拐されたみたいなんだ」
レナの手からタオルがはらりと落ちた。
次回も24:00に~




