約束……守れないかもしれない
「道化が……はしゃぐのは俺様が『踊れ』と命じた時だけだ」
ギムの裏拳がロディの顔面にめり込み、弾く。目にもとまらぬ速度で、突風に吹かれたように小柄なロディの身体がスッ飛んでいく。
花畑の真ん中に着弾して柔らかい土のベッドに陥没すると、ロディはうめいた。
「へ、へぇ……申し訳……ねぇです……旦那ぁ」
仲間相手にも容赦がない。いや、あの口振りからすると、ギムにとってロディは仲間でもなければ、部下ですらなさそうだ。
道化――権力者が飼う珍獣扱いである。
鉄拳制裁を完了し、手の甲にべっとり付いた血糊を取り巻き連中に拭かせると、ギムは俺を見据えて口を開いた。
「貴様は自身を田舎者と言った。身の程をわきまえてはいないが、少なくともこの道化よりは己を知っているらしい。その無知と蒙昧さの自覚に免じて特別に教えてやろう。この学園で……いや、世界で何よりも重視されるのは血統と才能だ。力に溢れた優秀な存在によって人類は導かれねばならない。魔族を退けたとはいえ、そのすべてを抹消できたわけではないのだからな。今も奴らは深い闇の底に潜伏し、襲いかかる牙を磨いている」
闇の底も何も、目の前にいるんだけどな……魔族の王が。
俺に口を挟む余地を与えず、ギムは演説を続けた。
「魔族を皆殺し、英雄の子孫が旗手となって世界を治める。それが絶対的な正義だ。俺様が掲げる正義の名の下に、貴様のような力無き者たちを庇護してやろう。さあ跪き頭を垂れて感謝するがいい」
レナが全身を震えさせながら、怒気混じりに声を張る。
「本当にそれが正義なの!?」
「当たり前だ。同じ英雄の子孫の貴様が、一体なにが不服だというのだ?」
ギムの表情は不愉快さと不可思議さが半々に入り交じったようだった。
レナは大きく首を左右に振る。
「弱き者を守り悪をくじく……それは英雄の末裔として正しい。けど、力だけが全てじゃない。たとえ違う世界で生まれた者同士でも、相手が人とは違う存在であっても、話し合えばきっとお互い理解できるって……思えるようになったから」
声がだんだんとトーンダウンしていく。迷いがある。勇者の末裔の彼女が、本当ならそんなことを言っちゃいけないんだ、この世界では。
今のはまるで、魔族とだって対話できるというような言いっぷりだ。
大戦士の末裔は不快げに鼻を鳴らした。
「フンッ……戯れ言を。魔族を相手にそのような甘い考えが通じるとでも言うつもりか?」
「やってみなければわからないわ!」
「歪んでいるな。到底勇者の末裔とは思えん。俺様がこの聖斧イルメナイトで、貴様の腐った性根を修正してやろう」
「修正って……人間として歪んでいるのはどっちよ!?」
レナの言葉は届かない。説得どころか話し合いが通じる相手じゃなかった。
ギムは地面に突き立てた戦斧――聖斧イルメナイトの柄に手を掛けた。と、同時に取り巻きたちが蜘蛛の子を散らすように距離を取る。
空気が緊迫した。ギムが得物を手にしただけで、ビリビリとヒリつく感覚が皮膚を逆撫でる。
ギムの全身からほとばしる魔法力に、近くに立っているだけで気圧されそうだ。
レナが厳しい視線を送り返す。
「定期戦闘会は明日からよ。決闘には互いの了承が必要でしょ? そんなに戦いたいというのなら、明日、私から正式に申し込むわ」
「決闘だと? レナ……まさか貴様は俺様と対等とでも思っているのか? これから行うのは明日の戦闘会に向けた“指導”だ。が、少々やり過ぎてしまうかもしれんがな」
まるで指揮棒でも扱うように、ギムは軽々と巨大な刃のついた聖斧を掲げた。もともとの膂力に溢れる魔法力と武器系統の相性の良さが重なり合って、振り上げただけで一撃の重さが感じられるくらいの迫力だ。
「ブルーラグーン家は堕落した。今や我がラムレット家こそが最強だということを、その身に刻んでやろう。ありがたく思え」
ギムが聖斧を振り下ろす。刃が虚空を切り裂いた。と、同時に衝撃波がレナめがけて走る。
「――ッ!?」
レナも長剣を抜いてすかさず斬り返す。同じように衝撃波が発生し、二つの力が互いの中点でぶつかり合って爆ぜた。
剣の柄をギュッと握り直し、レナが悔しげに呟く。
「本当に戦おうっていうのね」
「現実を教えるだけだ。持てる者が持たざる者を、己の力で従える事の何が悪い? 言葉など純粋な力の前では、ただのまやかしでしかないのだからな」
「なんでも力で思い通りにできると思わないでちょうだい」
「言葉とは力ある者が敗者に命じるために存在するのだ。上下をハッキリさせてやるから、これからは俺様への言葉使いに気をつけろ」
次の瞬間――英雄の末裔同士が振るう刃が、ぶつかり合って火花を散らした。
レナの華麗な剣さばきがギムを翻弄する。大振りな聖斧を紙一重で避けながら、レナの剣は着実にギムを打ち据えていった。
が、斬撃ではない。レナは魔法力で刀身を覆っているのだ。
「俺様に峰打ちとはずいぶん余裕じゃないか?」
「そういう貴方もね」
「言っただろう指導だと」
ギムの斧の刃も同様に魔法力を纏っている。もしこれが試合形式なら、手数と有効打でレナが判定勝ちをもぎ取るに違いない。
だが、時間制限も無ければ、この場に勝敗を決する審判もいなかった。レナがいくら攻撃をヒットさせても、ギムは涼しい顔のままだ。
「やはり堕落したな。貴様にはがっかりだ。野良犬の相手をするうちに、聖剣アレキサンドライトを振るう腕も、すっかりさび付いたと見える」
巨大な聖斧を無造作に振り回しながら、ギムは嗤う。攻撃は次第に加速していった。レナは防戦一方となり、ついには回避に専念するしかなくなってしまった。
いくら魔法で刃を丸めているとはいえ、ギムの斧は質量そのものが武器であり凶器だ。直撃を受ければただでは済まない。
レナが肩で息をし始めた。
「ハァ……ハァ……クッ!?」
「言葉の使い方をもう一つ教えてやろう。敗者弱者から勝者強者に向けての懇願だ。粉砕されたくないなら、とっとと俺様に跪け」
「誰が……貴方なんかに!」
レナの足が止まった。ずっと回避するばかりだったギムの重たい一撃に、小柄な少女が正面から立ち向かう。
その足裁きや構えは、彼女が得意とする蒼月流の受け流し――転の構えだ。ギムの斧の分厚い刃が、レナの長剣めがけて振り下ろされる。
一撃は……決まらない。どれだけ強い力だろうと、避雷針が雷撃を逃がすようにレナは無効化してみせる。
ギムの斧はレナの剣に導かれるように、白刃の上を流れて滑り落ちると地面に突き刺さった。
聖斧が地面を穿った直後の一瞬の隙に、レナは刃を翻す。切っ先がギムの喉元に突きつけられた。
「勝負あり……ね」
「俺様は敗北を認めていないぞ? その台詞はこの首を落としてから言うべきだったな」
聖斧の柄から手を離すと、ギムの拳がレナのみぞおちをえぐるようにかち上げた。
一瞬、レナの細身が浮き上がるほどの、鋭く速く重たい一撃だ。
「――!?」
声にならない悲鳴を上げて、レナはその場に膝を折り、前のめりでうずくまった。
「トドメも刺さずに勝利宣言とは……貴様こそ傲慢ではないか」
右手で斧の柄を握り直し、ギムは口元をゆがめるように嗤った。
「では真の勝利がどういうものか見せてやろう」
うずくまり動けないレナを見下ろして、聖斧を天に掲げた。こいつ……本気か!?
今の彼女の背中にそいつを打ち下ろそうっていうのか!?
俺は咄嗟に……レナとギムの間に割り込んで両腕を広げた。
背中側にレナを庇ったまま、視線はギムから外さない。
「もうやめろ。勝負はついただろ? というか殺す気か!?」
「英雄の名を汚した者への正しい指導だ」
部外者が口を挟むなと、ギムの眼差しが雄弁に語った。
「……逃げ……て……タイガ」
息絶え絶えの彼女を置いて、そんなこと出来るわけが無い。もっと早く止めるべきだった。
レナならそれでもきっと大丈夫だなんて、どこまで俺は彼女に頼り切っているんだ。
「ごめんレナ……約束……守れないかもしれない」
次回も
24:00にじゃすとみーと!




