用事があるならそっちが出向くのが筋だろ?
あれから二時間ほどでマリーは目覚めたが彼女をKOしたのは打撃ではなかったらしい。マリー曰く「死にかけたのは魔王様のドレインによるものですわ」とのことだ。
無意識のうちに彼女から魔法力……というか、生命力そのものを吸い上げてしまったというのである。
ドレインというのは魔王の力の一つで、相手の力を奪う能力のようだ。単なるMP吸収というよりも、レベルドレインに近いのかもしれない。
魔王の糧になれたと喜ぶマリーだが、しばらく回復するまでは力を使えないとのことだ。
最低限残された魔法力で、マリーは人間に擬態するのがいっぱいいっぱいである。
まあ、それでも人間の姿さえ捨てれば、並の使い手では刃が立たない強さらしいけど。
夜が明ける前に、なんとか学園の寮にマリーを送り届けた。
女子寮の裏口で俺は念押しする。
「良いなマリー。くれぐれも本性を現すような力の使い方をするでないぞ」
「はい。わたくしの身がどうなろうと、ここでは人間として、タイガ様の許嫁でありつづけます。ただ……」
思い詰めたようにうつむくと、マリーは小さく溜め息をついた。
「ただ……なんだ?」
「魔王様の御身が脅かされようものなら、わたくし……色々と剥きだしになってしまいそうですわ」
剥きだし……って、嫌な予感しかしないな。まあアレだ。俺が死にかけるような無茶をしなければいいんだな。うん。難しいだろうけど。
俺は黙って頷いた。喋りすぎる魔王は風格に欠ける。
マリーは微笑んで返す。
「今宵の魔王様の優しさは、らしからぬものとも思いましたが……かつての魔王様でしたら、容赦なく奪われていたはずの命。とうに捧げた命と思えば、わたくしはなんだってすることができますわ。ますます……魔王様への忠誠心が高まってしまいましたの」
殺されかけて高まるなよ!
「ですが、まずは回復に専念するために、実技関連の授業はしばらくお休みさせていただきますわね。特訓も今夜の魔王様のご様子でしたら、これ以上は必要ないかと。二人きりの時間は名残惜しいですけれど、今のわたくしでは魔王様の特訓には力不足ですわ」
「ああ……世話になったな」
「そのようなお言葉、もったいないですわ。それでは失礼いたします。お休みなさいませ……タイガ様」
切り替えるようにマリーは俺を人間の名で呼んだ。
スカートの裾を指でつまみ上げて、淑女っぽく一礼すると彼女は寮の建物に戻っていく。
ふぅ……これでしばらく監視が外れて動きやすくはなりそうだけど、最大の懸念は力を使うと自分が自分でなくなる“あの感覚”だ。
試験で決闘なんてぶっちゃけやりたくない! 命が惜しい! もっと生きたい生き続けたい!
なんとかやらなくて済むような方法があればいいんだけどなぁ……。
◆
特訓の日々もついに終わりがやってきた。
定期戦闘会を翌日に控えて、学園内の空気が張り詰める。
俺の対戦相手は未定のままだ。剣術の初級クラス下位グループの男子と戦うことができれば、良い勝負ができる……と、準備してきた。
が、こちらから声を掛けてもまるで相手をされなかった。実力を隠していることがバレた気配は無いのに、ドベ3(俺を含まず)のアーダ、イーヂ、ウードの三兄弟も、俺をガン無視だ。まあ、無視されるのはいつものことだが、勝てる公算の高そうな俺と戦わないメリットが、彼らにあるとも思えない。
もしかして、三兄弟の誰が俺と戦うかで揉めているんだろうか?
俺としてはこの三人の内の誰が相手でも、レナ仕込みの剣術で倒すことができる。それなら魔王の力を借りずに済むんだが……。
なにせ本気を出せば高位魔族すら圧倒する力である。腕だけとか足だけとか、部分的にコントロールできるようになった今でも、迂闊に使うわけにはいかない。
そんな凶悪な力の最初の被害者となったマリーはといえば、今日まで実技系の授業を自主休講していた。
マリー曰く、完全復活にはもうしばらくかかるらしい。彼女はこの数日、午前中の座学の講義が終わると、学食で昼飯も食べずに独り寮へと戻ることもしばしばだ。
彼女は今日も早退した。
おかげでレナと過ごす時間は格段に増えたけど、正直なところ目の届かないところにマリーを置くのが怖い。魔王様に良かれと、何やら暗躍しているんじゃなかろうか。
こうしてレナと学食で昼食を摂る間も気が気でなかった。
食後のお茶を飲みながら、レナが首を傾げる。
「どうしたの? さっきからそわそわして」
「いやぁ……誰かに見られているような気がしてさ」
「私と一緒にいれば誰かの視線に晒されるのが日常だものね。慣れないのも無理ないわ。さてと、そろそろ行きましょう? 明日に向けて最後の確認と調整ね」
レナはそっと席を立った。
定期戦闘会前ということで、本日は午後の授業は無しだ。
生徒はそれぞれ、明日から一週間続く戦闘会期間に向けての準備の総仕上げをする。今日も放課後は剣術の訓練にあてるが、軽めのメニューをこなして明日に備える予定である。
レナと一緒に食堂を出ると――
「お久しぶりでさぁ。あっしのこと覚えてますよね?」
齧歯類のような前歯が特徴的な、斥候志望のコイツとは入学以来だ。
廊下で待ち伏せか。俺に目もくれず狙いは相変わらずレナみたいだな。
「行きましょうタイガ」
俺が名前を思い出すよりも先に、レナは不機嫌そうに促した。
斥候――ロディは機敏な身のこなしでレナの前に回り込む。
「おっとっと! もうレナ様のクランメンバーにしてくれなんてお願いしたりしませんて。あっしは有力クランに所属してますから」
焦ったような口振りでロディは告げる。俺は溜め息混じりに返した。
「そいつは良かったな」
「ケッ……おめぇ最近調子に乗ってるらしいな? 落ちこぼれ野郎のくせに」
無礼なのはお互い様だが、俺に対するロディの視線は相変わらず敵意に満ちていた。
レナがロディを睨みつける。
「タイガは私の友人よ。その友人への侮辱は私への侮辱に等しいわ」
珍しく語気が荒い。らしくもなく彼女はムキになっていた。
「俺は気にしてないって」
「タイガがそうでも、私が納得できないのよ。みんなタイガの事を誤解してるから。本当は誰よりも勇者を理解してるのに……」
誰よりもは流石に持ち上げすぎだ。けど、勇者の末裔がそう言ってくれるだけで嬉しいと思った。
レナはうつむき加減だ。ロディが手を揉むようにして猫なで声を上げる。
「いやいやいやいや滅相も無い。レナ様を敵に回すつもりなんて、さらさらございませんって。ええ、それでですね、本題なんですけどぉ……今日は午後から明日に向けての自由時間じゃありませんか?」
レナはゆっくり顔を上げると、冷淡な眼差しを向けながら告げる。
「午後の予定が詰まっているから、話なら手短に頼むわね」
「いやね、あっしのクランマスターが、レナ様に会いたいってんで。詳しいことはマスターから直接お伝えするんで、ちょっとツラを貸してもらえやせんかね?」
勇者の末裔であるレナを呼び出そうなんて、いったいどういうヤツなんだ?
俺は割り込むように訊く。
「用事があるならそっちが出向くのが筋だろ?」
「だからあっしを使いに寄こしたんだっての。そんなこともわかんねぇのか?」
蔑むような眼差しには慣れっこだが、ロディにされると妙に腹立たしい。この男には人を不快にさせる才能があった。
レナが忌々しげに眉間にしわを寄せ、溜め息を吐く。
「いったい誰が私に用事があるのかしら?」
その口振りはさも相手を知っているかのようだ。ロディが答える。
「そりゃあもちろん、勇者の末裔たるレナ様をお呼び立てできるのは、このお方くらいなもんでしょう! 大戦士の末裔にして我がクランリーダーのギム・ラムレットの旦那でさぁ」
得意げにロディは胸を張った。瞬間――レナの表情が「やっぱりね」と、曇る。ギムと言えば俺にとっては最も注意すべき人物だ。レナもマリーも警告している。
まだ会ったことは無いし、これからもお近づきにならずに済めば良かったのだが……。
レナが声を絞り出すように言う。
「わかったわ……タイガはいつもの場所で待ってて。話をつけてくるから」
いつもの場所――何かあった時は中庭のイチイの木で合流するのが、すっかり俺とレナの約束事になっている。
が、彼女だけを行かせるわけにはいかない。家同士の繋がりが強く幼なじみのような相手でも、聞いた限りじゃギムという男とレナは相性最悪なようだし。
レナの態度が豹変したのは明らかだ。
「レナ。俺も一緒に行くよ」
「けど……タイガは……」
心配してくれるんだな。不安げに潤んだレナの瞳に俺はそっと頷く。
「無茶はしないから。それにたいしたことはできないけど、それでもレナの力になりたいし」
こんなにも心細そうな彼女を見るのは初めてだ。俺はロディに向き直った。
「というわけだから、案内してくれ」
「チッ……まあ、おめぇも来た方が話は早いか」
言い捨てたロディの背中を追って、俺とレナは長い廊下を歩き始めた。
次回も24:00に~




