殺すことなどいつでもできる
「フッ……では、城に戻るが良い。魔軍師アブサンともども、守りを固めよ」
「それは魔王様のお言葉であっても、承伏するわけにはまいりませんわ。せめて魔王様のお体に本来のお力が戻るまで、父の名代としてお側に仕えさせてくださいませ」
ぐぬぬ、なんて頑固なやつだ。
「……って、父って?」
「魔軍師アブサンはわたくしの父ですわ。魔王様の記憶の混濁は、本当にお労しい」
まるで父親そっくりの言い回しだ。親子揃って魔王に忠義を尽くすだなんて、迷惑すぎることこの上ない。
しかし、ここまでかたくなな忠誠心を考慮するに、無理強いは火に油を注ぐ結果になりかねない。
正直、生きた心地はしないが、しばらくは彼女の好きにさせ、俺が独りでも大丈夫だと解らせる。もしくは――
「良かろう。ただし、不甲斐ない働きをするようであれば、即刻城に戻ってもらう」
ミスを理由に送還する。我ながら魔王思考になると、妙にあくどい……もとい、頭が回る。
マリーはぶるりと身を震えさせた。
「で、で、ではさっそく、この学園に入学したという勇者の末裔を抹殺するといたしましょう。魔王様とこうして合流することが叶った今、わたくしの持てる力の限りを尽くして……」
おいおいおいおい。がんばれと激励したつもりじゃないんだ。というか、がんばらないでくださいお願いですから。
「待てマリー。実は……すでに勇者の末裔は我が見つけているのだ」
「まことにございますか魔王様」
「我を疑うのか?」
「いいえ、滅相もございません」
レナの正体については、すでに学園中に知れ渡っている。マリーが気付くのは時間の問題だ。なら、先んじてくぎを刺す。今がその唯一の好機だ。
「実は、我と供にいたあの少女がそうなのだ。名はレナという」
マリーは悔しそうに下唇を噛みしめた。
「怨敵の存在に気付けぬ我が身の若輩が恨めしいですわ」
全身に殺意を漲らせる彼女に、俺は静かな口振りで告げる。
「そう言うな。あの程度の矮小なる力で勇者の末裔だというのだから、貴様が見逃すのも無理は無い。警戒に値しないということだ」
「ですが、そうだとしても勇者の末裔を御身に近づけるのは……」
心配そうなマリーに俺はニヤリと嗤う。
「目の届く範囲に置けば、監視も容易であろう。何より人間の腐敗と堕落を観察するのに、勇者の末裔など最適ではないか。あやつに群がる有象無象の醜さのなんと滑稽なことか」
マリーは目をぱちくりとさせた。
「目から鱗ですわ。勇者の末裔とその取り巻きの堕落を娯楽に貶めるだなんて。勇者の誇りを陵辱し尽くす行為に他なりませんわね」
「殺すことなどいつでもできる。が、ここは人間どもの希望にして象徴である勇者の末裔を、存分に利用してやろうではないか。あの娘は我の気配に微塵も気付いておらぬからな」
マリーはブルブルっと身震いをした。
「魔王様のお考えをぜひ、伺わせてくださいませ」
「すでに我は……いや、タイガ・シラーズはレナという娘の心の中に入りこみつつある。先ほどなど、貴様が許嫁と口にしたのを耳にして、あの娘はずいぶんと動揺していたようだ」
瞬間――マリーの顔が再び怒りの形相に変わった。
「人間風情が魔王様に! 許せませんわ! 発情した雌犬……汚らわしい! 汚らわしい汚らわしい汚らわしいッ!!」
ま、まずい。ここまで順調だったが、地雷を踏んだっぽいぞ。マリーが抱く魔王への愛情は、嫉妬を含んで身を焦がす炎の如く燃え上がった。
「魔王にではない。タイガという人間にだ。そこを勘違いしてはならぬ」
マリーはハッと我に返ると、小鳥のように囀る。
「も、申し訳……ございません。取り乱してしまいましたわ」
現状に納得はしていなさそうだ。俺が止めなければレナを今すぐにでも殺しに行く……そんな雰囲気だった。
レナを守らなきゃいけない。そのためには……ごめんレナ。
「良いなマリー。あの娘を我の虜として、骨抜きの傀儡とする。故に手出しは無用だ。念のため、我の視察の間、貴様には人間への手出しの一切を禁じる。無論、学園に溶け込むために試験や演習、訓練などでの戦闘は認めるが、殺してはならぬ。目立っては我が企ても水泡に帰すからな」
頷きながらもマリーは悔しそうな表情を浮かべた。念押ししておこう。
「力を行使するのはあくまで最終手段だ」
「はい。承知いたしておりますわ。わたくし、魔王様に死ねと命じられれば喜んで、この命を捧げますもの」
言葉とは裏腹に、まだまだマリーは不満げな顔だ。
「いったい何がそれほどまでに受け入れがたいというのだ?」
少女は瞳に涙をため込みながら「たとえ魔王様ではないと頭で理解していても、魔王様に好意を寄せる人間の存在がわたくしには……どうしても許せないのです」と、声を震えさせる。
仕方ない。もう一言付け加えよう。
「心配するな。貴様が何よりも誰よりも、この世で一番に決まっておろう」
すると――
「は、はううううううん! 魔王様! あの約束を思い出してくださったのですね!?」
彼女にとって魔王との約束は、よっぽど大事なことなのだろう。
「あ、ああ。そうだとも」
マリーはうっとりと恍惚の表情で頷いた。
「あの約束が果たされる日は、そう遠くありませんわね。指折り数えて楽しみにしていますわ。ああ! そう思うと、これから始まる人間の学園生活というものさえも、楽しみにすら思えてきましたわ」
やっと機嫌が直ったな。しかし――魔王とマリーとの約束か。思い出すも何も俺は魔王とマリーの間に交わされたそれを知らない。
「時に……約束についてだが……」
「わかっております。それ以上は何も仰らないでくださいませ。わたくし、待つことには慣れておりますから」
この場で無理に聞き出すのは、かえって先ほどのように地雷を踏むかもしれない。今はマリーの機嫌が直っただけで良しとしよう。
しばらくはマリーが暴走して、学園の生徒や講師に手出しをすることは無い……と、思いたいものだ。
俺はマリーを引き連れて教務局前に戻った。
「レナに話がある。そこで待て」
「はい。タイガ様」
マリーをその場に待たせて、距離を取る。
レナが心配そうな顔で俺と合流した。
「その様子だと大丈夫……みたいね」
「ごめん。心配かけた」
「急に“あの姿勢”になったから、よっぽどの事なのよね?」
察しの良いレナに頷きつつ、少し離れた所から俺を見つめるマリーの視線を確認した。
そう、レナの察しの良さには助けられもしたが、マリーに関してはその正体を看破されるわけにはいかない。
「ええとマリーなんだが……」
「許嫁というのはどういうことなの? まさか……魔族じゃないでしょうね」
レナは囁くような小声で俺に訊く。いきなり核心を突くの止めて!
「ど、どうしてそう思うんだ?」
「ええと、学園都市の結界が万が一にも破られるとは思えないけれど、タイガがそれくらい切羽詰まっているように見えたから」
これからはあの姿勢を使うのを控えよう。魔族と紐関連付けられるのはまずい。
「ええと、ちなみにどうして万が一なんだ? やっぱり学園の結界はすごいからか?」
魔王の力を発揮した時に内側から外壁を破壊したこともあったし、現にマリーの侵入を許しているので、いまいち俺としてはピンとこない。
心配そうな眼差しでレナは告げる。
「もちろん結界の件もあるけど、ええとね……私のご先祖様が言うには、魔族にとって人間に化けることは、人間で例えるなら全裸で外を歩き回るよりも恥ずかしいことらしいの。そもそも低位の魔族の変身なら、この街の結界にすぐに感知されるし……魔王軍幹部クラスの高位魔族なら、その網もかいくぐることができるかもしれないけれど、その高い魔法力相応のプライドが、人間に化けることを許すとは思えないから」
「お、おう。そうなのか」
「あ、もちろんタイガは例外ね。精神が人間なんだから、人間の姿に恥ずかしい気持ちなんて無いんでしょう?」
「当然だ。人間の姿を恥ずかしいと思ったことはないぞ」
ということは、マリーは高位の魔族で人間に化けているわけで……人間で言うところの全裸で、しかも学園の制服というリード付きの首輪をして露出プレイをしているような状況なのかもしれない。
アブサンともども、親子揃って変態か! 最大限好意的に考えれば、魔王への忠誠心が変態的羞恥心を越えた忠臣だ。
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