俺たち初対面だよな?
「もうちょっとわかりやすく言ってくれ」
「ギムは『名家の出身でなければ人間ではない』を地でいく、実力=家柄という傲慢が服を着て歩いているような男なの。裏を返せば、どんなにゲスな人間でも名家出身者なら認めるっていうことだから」
レナは分け隔ての無い人間だ。ただ、彼女が生まれながらに持つ“権力”の匂いに釣られて近づいてくる連中には、ことさら敏感なのかもしれない。斥候のロディがまさにそれだ。
俺は腕組みして頷いた。
「そういうヤツは俺も好きじゃないな」
彼女は眉尻を下げつつ、悲しげに笑う。
「ええと……誤解の無いように言うと……この世界ではギムの方が普通というか一般的なの。英雄の末裔というのは無条件で偉いという感じだから……」
特権階級による支配と腐敗――魔王城で魔軍師アブサンの言ったことは、どうやら本当だったらしい。
「まあ、俺のいた世界も程度の差はあれ、似たような所はあるかも」
「そ、そうなんだ」
少しだけ残念そうにレナは呟いた。
「とりあえず、ギムって男には要注意……っと。覚えておくよ。ありがとうレナ」
「聖戦士の家系は魔族に対して敵愾心が強いから……なんて、私が言うのもおかしな話だけど、充分に気をつけてね」
まだ出会った日の“勇者と魔王の決闘”をレナは気にしているみたいだ。
「感謝こそすれ、俺はもう気にしてないって。大丈夫大丈夫」
少しだけレナの表情に明るさが戻った。
「タイガの場合、咄嗟に身を守ろうとして……ね」
近くに人はいないのだが、遠巻きにこちらを見ている生徒たちは散らばっている。
唇の動きを読まれる可能性が無いとは言えない。それに、入試のため学んだ基礎知識にもあったのだが、諜報系の魔法というものが存在するらしい。俺が異世界人だという話なら冗談や妄言で済むけど、肉体が魔王というのは口にしない方が良さそうだ。
そんな配慮から言葉を濁したレナに、俺は笑顔で返す。
「ああ、気をつける」
……って、あれ? なにか致命的な事を見落としてないか?
「なあレナ。戦闘会って実際に戦うんだよな? しかも、かなり本気で」
「そうだけど……あっ」
ここにきて彼女も気付いたようだ。先ほどまで俺にあれこれ説明することで頭がいっぱいだったんだから、仕方ない。
そう、そもそも戦うという行為そのものが、俺の場合、実は結構マズイのである。
命の危険を察知すると、魔王の因子が目覚めて肉体が魔族化してしまう。
レナとの出会いの時に発覚した事実だ。
「ああならないよう、対策を練る必要があるってことだな」
俺の言葉にレナも深くゆっくり頷いた。
とはいえ、ピンチに身体が勝手に反応して魔族化しちまうんだし……いったいどうすりゃいいんだ?
教務局――
そこは生徒の学園生活全般を支援する部署である。学園で先生と呼ばれる人間には二種類あって、専門的な学問や魔法に剣術などを指導する講師と、教務局勤務の職員に分類される……とは、レナの言葉だ。
入学後、生徒は教務局で学科の授業選択をしなければならない。同じ剣士学科の生徒でも、その能力に応じて取得する授業を変えるのが“普通”なのだという。
「はえー。この建物全部が、まるごと職員室みたいなものなのか」
教務局の建物を見上げて俺はぽつりと呟いた。街にあった役所と同じくらいの大きさだ。
開放された玄関口を、生徒がひっきりなしに出入りしている。なかなか切れない生徒の波にレナが困り顔を浮かべた。
「流石に初日とあって混雑してるわね」
下手に人混みに呑み込まれたら、レナと離ればなれになってしまいかねない。
「もう少し時間をおいて、落ち着いてからにしようか?」
「そうね。別に早い者勝ちというわけでもないし」
選択する科目についてはレナにお任せしてしまった。
内訳はこうだ。剣術と各種座学を中心に、魔王の因子の暴走を誘発する可能性がある、魔法の授業は最低限に抑える――という構成だった。
真面目に授業を受ければ単位を得られるものばかりである。
本当なら魔法剣士のレナは、もっと高度な魔法の授業を受けたいだろうに、初心者の俺に合わせてほとんどの授業で一緒になるよう、科目を組んでくれた。
優しい。美人で強くて気遣いまでできるなんて、さすが勇者の末裔……いや、未来の勇者だ。
もちろんそれが好意ではなく厚意からのものであり、なにより俺の肉体が魔王で監視しなければならないという使命があってのことだから、勘違いはいけないぞ俺。
なんてことを考えていると、人の波を華麗にすり抜けて、少女が独りこちらにやってきた。
俺たちと同じ学園の制服姿だ。色白で艶っぽい黒髪が良く映える。青い瞳でじっと俺を見つめたかと思うと――
「こんなところにいらしたのですね!」
やや幼さの残る口振りで言いながら、黒髪の少女は突然、俺に向かって飛びつくと、ぎゅっと身体を抱きしめた。
「ちょ、ちょっといきなりなにしてるのよ!?」
レナが驚きの声を上げる。黒髪の少女はお構いなしだ。俺の胸に顔を埋めたかと思うと、すんすんと鼻を鳴らしてから、なにかを確信したように頷いてスッと顔を上げた。
誰だ……いったい? 下から上目遣い気味に、のぞき込む瞳に見覚えがあるような無いような。
レナのじっとりと湿った視線が「どちら様かしら?」と、俺に疑問符を投げかける。
「ええと、ちょっと離れてくれ。落ち着こう。俺はタイガ。タイガ・シラーズだ」
シラーズというのは元の名字の白州をもじって、こちらの世界にローカライズしたものだ。
入学に際して作ったばかりの名前だった。
「タイガ……ええ、もちろん存じ上げておりますともタイガ・シラーズ様」
黒髪の少女の返答に、レナの表情がますます険しくなった。慌てて俺は黒髪の少女に告げる。
「存じ上げる……って、人違いじゃないか? 俺たち初対面だよな?」
「郷里で幼い頃よりお仕え……もとい、一緒でしたのに。もうわたくしをお忘れですか?」
「お忘れもなにも……」
じっと彼女の顔を見ていると、どことなくだが猫っぽく思えた。
黒髪はショートボブで、さながら艶のある滑らかな絹糸だ。
全体的に色素が薄く、肌の色もかすかながら冷たい青みのようなものさえ感じられる。
やや吊り目気味ながらも、満月のように大きな青い瞳がじっとこちらを射貫くように見上げた。
小柄だ。胸も慎ましやかな大きさで、肩幅も狭く小さく抱きしめれば折れてしまうんじゃないかと思えるほどだ。
彼女は口元を緩ませ、かかとを上げて背伸びをすると、俺の耳元に口を寄せ囁くように名を告げた。
「マリーですわ。一週間ほどご無沙汰しておりました」
そっと俺の身体を解放すると、一歩下がって制服のスカートの裾をつまみ上げながら、淑女のような素振りで少女――マリーはちょこんと頭を下げた。
っていうか、マリー……マリー……マリーだって!?
俺を魔王城から連れ出して、この街の手前の森で降ろした黒豹の名前だ。
まるきり別人じゃないか。いや、豹が人になったんだから、別人っていうのも違うけど。
「な、なんでお前がここにいるんだ!? というかその格好……」
この街には魔族は入れないよう結界が施されてるんじゃないのか? 俺が入り込めている時点である意味ザルのようだけど、それは俺が普段は人間とそう変わらない姿をしているためだ。魔王の因子が眠っている間は、俺は人間と変わりない。
外街と学園、二つの門を彼女はくぐり抜けてきた。制服姿ということは、学園の生徒になりすまして潜り込んだようだ。
マリーは合図でも送るように小さくウインクしてみせた。
「旅慣れていないこともあり、水や食べ物などこの土地に身体を合わせなくてはいけなくて。お探しするのが遅れて申し訳ありませんわ」
相応の準備さえすれば、魔族であろうと侵入は可能――と言いたいらしい。
卒業までひっそり庇護を受けるという、俺の異世界学園生活プランは早くも風前の灯火だ。




