どうかその剣を納めて俺の話を聞いてください
「レナが……勇者の末裔だって?」
彼女は小さく頷く。
驚きとともに、ああ、そうなのだ。と、スッと腑に落ちた。
彼女の勇者オタクっぷりも、彼女自身が持つ気高さも、困っていた俺を助けてくれたことにも全て納得がいく。
彼女はこの時代の勇者なんだ。
時折、じっとレナに見据えられた時に感じた重圧感は、この肉体に染みついた魔王の本能が反応したのかもしれない。
二百年の時を経て、こんな形で相反する二人が対することになるとは、レナのご先祖様も、魔王(本物)も思うまい。
レナは一歩も退けない状態だ。突然現れた魔王に怯える気持ちを強靱な意志で抑え込み、現世の勇者として魔王を倒すと、その瞳が使命を語っていた。
そう、たとえ差し違えてでも……。
なんてのはまっぴらごめんだ。このままレナに殺されるのも、レナを傷つけるのも俺は望まない。
だから――俺はその場で膝を折って地面に正座した。
「な、何をしようというの?」
切っ先を下げて俺の鼻先に突きつけたまま、レナが緊張の面持ちで訊く。俺はじっと彼女の顔を見据えて返した。
「お願いします。どうかその剣を納めて俺の話を聞いてください」
ゆっくりと前傾姿勢になり、俺は腰を折って頭を下げると額を地面から三センチのところでぴたりと止める。
いわゆる土下座である。
「ちょ、ちょっと! 何よその屈服したポーズは!? 魔王の威厳はどこに行ったの?」
首を差し出すような格好のまま、俺は返した。
「だから俺は魔王じゃないんだって。俺のいた世界では、このお願いの仕方をしてダメだったら、もう死ぬしかないんだ!」
これ以上の譲歩を俺は知らない。
今はなんとしてでもレナに話を聞いてもらうんだ。恥も外聞もあるものか。
チンッ! と、硬質的な音が響いた。同時に彼女から向けられた敵意が和らぐ。
そっと顔をあげると、レナは複雑そうに口を結びながら、剣を鞘に納めてくれた。それでも手は剣の柄に添えられたままだ。
思い詰めたようにつっかえつっかえになりながら、彼女は俺に告げる。
「信じられないけど……信じたいという気持ちは……あるの。もし貴方が魔王なら、あの女の子を助けようとはしないもの。それに貴方が語った勇者の理想像には心から共感できたから……」
どうやら少しだけ彼女は冷静さを取り戻したらしい。こっちは今もまだ心臓がバクバクと早鐘を打って、今にも爆発しそうだ。
レナはさらに続けた。
「それで……貴方のいた世界って何かしら? この世界とは別の世界が存在するとでもいうの? もしかして、その世界から来た……とか?」
俺の言葉尻を捕まえてそこまで看破するなんて、ギョッとするぞ。勇者の末裔だから特別勘が良いのだろうか?
ともあれ、弁明のチャンスだ。選択を誤れば次は無いかもしれない。
正直に全て打ち明けよう。それで信じてもらえないなら、打つ手が無い。
「ド田舎の村から来たっていうのは嘘だ。謝る。というか、全部正直に話すから、俺を殺すかどうかはその後で決めてくれ」
ゆっくり上体を起こすと地べたに正座したまま、俺はここに来るまでのいきさつをレナに語った。
レナは俺の話に驚いてばかりだったが、こっちだって彼女の理解の早さに驚かされっぱなしだ。一を聞いて十を知るという感じで、無茶苦茶呑み込みが早い。
「つまり、貴方は転生して魔王の肉体に宿ってしまった。なんとか魔王軍の元を離れて、この学園都市に保護を求めてやってきたというわけね」
満点の解答に俺は何度も首を縦に振った。
「そうそう! そういうことだ! むしろ俺は勇者になりたかったんだ」
「…………」
眉尻を下げつつ眉間に小さな皺を寄せて、レナは困り顔のまま返答を保留した。
恐る恐る確認する。
「ええと、信じてもらえたかな?」
「残念だけど……信じるしかないわね。その肉体は貴方が窮地に陥った瞬間に、魔族の因子が覚醒。肉体や瞳が一時的に魔王化した……といったところかしら」
俺自身よりもレナの方が解っているようだった。
「瞳って……目まで変わってるのか?」
「今は元通りだけど、戦いの最中はずっと金色の光を発していたわ。あれはきっと魔眼ね。私の剣を防いだのも、魔眼で未来を読み取っていたんじゃないかしら? 反応するというよりも、先読みするような防御をしていたし」
相手の動きがゆっくりに見えたり、レナの太刀筋がわかったのも魔王の力か。
「ああ、けどダメだよな。こんな身体で勇者になりたいなんて……」
溜め息混じりに俺は自分の両手に視線を落とした。
あれ? かぎ爪もトゲみたいな鱗もどこに消えたんだ?
顔に触れてみれば、どこか尖っているような鱗の冷たさは無い。
全部……元通りだ。
レナが苦笑いを浮かべた。
「どうやら緊張状態が解けて、魔王の因子が眠りについたみたいね。貴方、話している最中に少しずつだけど戻ってたわよ」
「じゃあ、俺……人間に……」
「一時的なことだと思うわ。油断すればいつ魔王の因子が目覚めるかわからないわね」
マジか。
「それじゃあ、これからどうしたらいいんだ?」
懇願するように訊くとレナは困惑した表情を浮かべた。
「わ、私に訊かれても……ええと、タイガは魔王軍には戻りたくないのよね?」
「当たり前だろ! 心は人間なんだ。魔王になって人間と戦うなんて考えられない」
「けど、勇者学園が貴方を受け入れ保護してくれるとは……」
断言はしないがその可能性は低いという言葉の濁し方だった。
「正直に話せば信じてもらえないかな? 身体は魔王だけど心は人間だ! って」
レナの表情がますます険しくなる。
「それは期待できないわ。貴方に斬りかかった私が言えることじゃないけど、この世界の人間は“魔族は倒すべきもの”と、教育を受けてきたから。魔王だなんて知れたら世界中から狙われかねないもの」
「そいつは困ったな。はは、はははは」
人間との交流を諦めて、人里離れたどこかに隠遁するしかないのか?
まだろくに右も左もわからない異世界で一人暮らしなんて、人生の難易度が激上がりだ。
正座したまま頭を抱えてうずくまる俺に、そっと寄り添うように近づいてレナはしゃがみ込んだ。
「そうね……あえて、それを承知で学園に入学するというのは、案外良いかも。正体がバレたら退学どころか討伐対象になってしまうけど、街の外で隠遁して、潜伏場所を魔族に嗅ぎ付けられて魔王城に強制連行。そのまま魔王に祭り上げられたものの、魂が別人と判明して……そのあと、魔族が貴方をどうするかは想像もつかないけれど、きっとろくな事にはならないでしょうし」
このままだと想像したくも無い未来が現実のものになりそうだ。
レナは俺の表情から気持ちを読み取るようにして、頷いた。
「けど、学園で目立たないように大人しく慎ましやかにさえしていれば、その間に貴方の抱える問題の解決策を探ることができる……かも。あくまで希望的観測に基づいた意見だけどね」
レナの表情に少しだけ柔和さが戻りつつあった。
「だから……一緒に入学しましょ?」
「レナ……良いのか? お前に迷惑をかけるんじゃないか?」
勇者の末裔の少女は凛とした眼差しで、じっと俺の顔をのぞき込んだ。
「むしろ魔王の肉体が目の届かない場所で隠遁するのは、勇者の末裔としては見過ごせないもの。この提案は、私が責任を持って魔王の肉体を監視するということでもあるのよ」
心強いという前に自分が情けない。女の子にかくまってもらうなんて。それでも厚意に甘えるしか道は無い。レナだって、俺の秘密が発覚すれば辛い立場に追いやられるに違いない。
それでも俺に協力してくれるというのだから、こちらが拒む理由などあるものか。
「ありがとう……レナ。世話になるついでに、もう一つ……俺からも条件というか、お願いをしていいか?」
「ええ、何かしら? 私にできることなら協力するけど」
少し心配そうなレナに言うのは心苦しいが、こればかりは自分でもどうなるかわからない。
「もし俺が心まで魔王になりそうだったら、殺してくれ」
次回は自動更新でお昼の12:00になりそうです~




