放課後
放課後
高校二年になった私、榊原沙織は何故か美化委員というものにされてしまった。
この推薦という名の、虐めに近い行為は小学生からなのでもう馴れている。
私は、全般的に成績が中の上であるので本格的な嫌がらせがなんとなくし難く、いくつかの仲良しグループに薄く浅く付き合っているので無視もされにくい。
まあ、見る人が見れば分かるのかも知れないけど今の所はうまくいっている。
長年の経験と研究による賜物だ。
なので先生も、私を余程のことがない限り注意もしないのだが、このような役員決めの時の要員として利用している。
先生もプロなのでそのような生徒を見つけるのだろう。
ともかく有り難く拝領した美化委員なるものだが、この「仕事」は簡単に言えば放課後校内を見廻って適度に掃除をするというものだ。
ところが不幸中の幸いで、日中、女子高生独特の内容会話や内容に付き合いヘトヘトになっている私には思いがけない気分転換の機会となった。
まあ、たまに工作室のゴミの捨て忘れとか美術室の絵の具汚れの清掃とかがあるけど一人でやればすぐに終わる。
夕日の差し込むコノ字型の校舎を、屋上から順に巡って降りていく。
まるで迷宮のように思える時がある。
窓から見える赤い空に浮かぶ雲は、巨大な飛行船に見えて本当に乗れそうに思える時がある。
次の角を曲がったら牛のような頭をもった怪物が待ち構えているかも。
科学室の物陰には人体実験された遺体があるかも。
一人空想にふけりながら踊るように進む幻想旅行。
彼に会ったのは5月の連休明け、五階の蛇口の並ぶ給水場だった。
そこは私のお気に入りスポットで、街と山並みがとても綺麗に見える。
見覚えのあるような顔なのだが思い出せない。
足音が聞こえたのか、こちらを見たがすぐにまた窓の外に顔を戻した。
まあ別に風紀委員ではないのだから注意する必要もないしと思いながら彼の後ろを通り過ぎた。
その時、彼が何か呟いているのに気づいたがよく聞き取れなかった。
そういえば、さっきも音楽室で女子生徒がまるで誰かと喋っているように独り言を言いながらピアノを弾いていたけど流行りなのかな。
そして、翌日も彼は同じ時間、同じ場所にいた。
微かに音楽室からピアノの音色が聞こえる。
やはり、窓から外を見ながら何か言っているようだ。
なんか気になったので彼から2つ隣の蛇口の前に行き手を洗いながら耳をすます。
「今日も来ている。」
な、なに!
「あ、あの私は美化委員なので。」
変に勘違いをされているようなので睨みつけてハッキリと言う。
「え?。」
彼は驚いたようにこちらに顔を向けて言った。
「え?。」
私も同じ言葉を繰り返してしまった。
「あ、ごめん。何か言った?。」
彼はきょとんとした顔で言う。
何、本当に独り言を言っていたの?。
「い、いえ。何か言われた気がしたから。」
「あ、また口に出ていたんだ。ごめん、驚かせちゃったかな。」
オイオイ、本当に独り言が流行っているの?。
「昨日も居たでしょ。何見ているの?。」
「あの雲。」
「ああ、あの飛行船みたいな雲見ていたの。」
「そう見える。本当に?。」
彼が突然食い気味に聞いてきた。
「え、まあ私にはそう見えるけど。まあ、感性は人それぞれだしソフトクリームに見えたり、動物に見えたりするんじゃないかな。」
彼は童顔で可愛い感じがあるのに割と身長がありので、覗きこむように聞かれ少し仰け反って答えた。
まあ、モテる男子の部類であろう。
「でも、僕の友達は一人としてそうは答えなかったよ。」
「いや、だから感性の問題だから。あなたの・・・。あ、私、榊原沙織二年生」
彼は石野雅史、二年生、バスケットボール部で現在足首捻挫のため休部中だそうだ。
やはり、モテる男子の部類か。
「で、なんで帰らないでこんな場所にいるの。」
「3日程前からあの飛行船が気になって、屋上はまだ少し寒いからここで観測しているんだ。」
確かに、3日前にあの雲あったよね。
自然と、二人揃って飛行船型の雲を見る。
「ほんとに、他の誰もあの雲が飛行船のように見えないって?。」
「うん、一人も・・・。」
「そう・・・。」
なんだかそれから十分近く喋ってから別れた。
翌日、情報屋の波多野美緒に慎重に話を振って石野雅史の情報を聞いた。
バスケットボール部でテストも常に上位、だが母性本能を揺らす童顔と声で
人気だそうだ。
そうか、見覚えがあると思ったら校内のバスケ大会で騒がれていたあの男子か。
母親を病気で早くに亡くしていて、父親が数年前に再婚したんだけど、その相手がなんと二十代の美人で彼を溺愛しているんだって。
それで、練習試合はもとより見学の出来る試合にはほとんど全て来て、応援しているそうだ。
まあ、普通の男子は聞きたくない情報だろう。
最後に美緒に聞いてみた。あの雲何に見える?。
「テレビカメラ。」
そうだよね。
その日の巡回の時も石野雅史はあの場所に居た。
「あるね。」
「あるよね。」
又も、自然と二人揃って飛行船型の雲を見る。
「何人かに聞いたけどホントに一人も飛行船とは言わなかったよ。」
私がポツリと言った。
「でしょう?。でもやはり感性の問題かな。」
「・・・・。」
私は答えずに黙って雲を見ていた。
「じつはね、捻挫もう治っているんだ。」
「ふーん。」
「別にバスケットボール好きで始めたわけではないし。」
「じゃあなんで?。」
「今の母親に気に入ってもらえるように。ゴマすりっていうのかな。」
「そうなんだ。」
子供なりに気を使っていたんだ。
「で、好きになってくれたのはいいんだけど今度は僕が疲れちゃってね。」
高二で人疲れ、私と同じ意味かな?。
「バスケットボール部辞めるの?。」
「どうしようかな。あ、今動いたよね?。」
「うん、動いた。左のプロペラみたいの。」
少しの間、二人黙って雲を見つめた。
「昨日の夕食の時に、高校卒業したら寮のある大学に行くって話したら大変なことになりかけて親父が必死に止めたんだ。」
「心配なんだ。愛されているんだね。」
「母親だからかな?。」
夕日が強くなってきた。
「ねえ、今更だけど二回目なのに何でそんなことまで私に話してくれたの。」
ニコリと石野雅史は笑うと
「僕がおかしいのかもしれないけれど、何年も付き合っているから何でも話せるとは限らないと思うんだ。それに、家族より信用できる他人だっていると思うし。」
私は今までそんな友人居なかったのだけど、あなたにとって私はそうなの?。
「それとも、榊原さんは僕の話したこと皆に言いふらす人かな?。」
それからほぼ毎日、同じ時間、同じあの場所で会い、並んで飛行船型の雲を見て少しの会話をした。
本の話、映画の話、音楽の話、先生につけたアダ名の話・・・。
私はいつのまにか雲ではなく、彼の横顔を見る時間の方が長くなっていた。
でも彼はずっと雲を見つめていて時々、今動いたねと聞いてくる。
見ていない私は、そうだねと返事をした。
ある日、彼が別れ際
「今日から親父が出張なんで、友達の家に泊めてもらうんだ。」
と楽しそうに言った。
私が、夜ふかししすぎて明日遅刻しないようにねと言ったら楽しそうに笑っていた。
翌日から彼は二日間休んだ。
学校には風邪だとの連絡があったそうだ。
美緒に聞いたら、泊まる予定だった友人の家に行けなくなったと電話があったそうだ。
あの時は元気そうだったのに。
そして、三日目も登校しなかった。
お見舞いに行こうかと思ったが、違うクラスの接点が雲だけの私は何と言って行けば良いのか思い浮かばなかった。
だけど、その日の放課後
「石野くん。」
夕日が差し込み始めた、あの場所に彼がいつものように立っていた。
学生服の上着を着ていないので白いワイシャツが光って見える。
「風邪、大丈夫なの?。上着着ないで、寒くないの?。」
彼は手の平を目の上にかざすと
「あ、ねえ榊原さん。すごいよ今日は両方のプロペラが回転していて近づいて来ているよ。ほら。」
「ねえ、聞いてるの?。石野くん。体大丈夫なの?。」
私は外を見続ける彼の右腕を思わずつかんだ。
「やめろ。僕に触るな!。」
彼は乱暴に私の手を振り払った。
「石野くん?。どうしたの。」
彼はまるで悍ましいものでも見るような目で私を見ると
「もう僕に近寄らないで、もう僕には何も無いから。」
そう言いながら手で体中から何かを払い落とそうとした。
私は何も言えず呆然としていると、彼は再び窓の外を見て
「あ、榊原さん。ほら来たよ。行こう。」
と言って止める間もなく、屋上への階段を駆け上がって行った。
私が屋上の扉から出た時には彼はフェンスの側に立ち雲を見上げて両手を上げていた。
「ねえ、石野くん。こっちに来て。あぶないよ。」
「ほら、見えるだろ。もうすぐ昇降用のラップが開くだろうから一緒に乗ろうね。」
彼は振り向きもせずに言う。
「何をしようとしているの。ちょっと!。」
彼はフェンスに指を掛け登りはじめた。
私は駆け寄って腰にしがみつきてフェンスから彼を引き離そうとしたその時、風が吹いた。
目の前で彼のワイシャツがはためき背中と腹部が露わになると、そこには引っかかかれたようなミミズ腫れと、いくつもの赤い染みが点々と見えた。
「やめろ。離せ。邪魔をするな。」
彼は足をばたつかせ蹴ろうとするが私はしっかりとしがみつき全体重をかけて離さない。
「一緒にあの飛行船に乗るんじゃなかったのか?。嫌になったのか。」
彼は動きを止めて私を見下ろした。
「しっかりして。飛行船なんて何も無いじゃない。あれはただの雲よ。」
本当に?。
そう、ただの飛行船の形に似ていた雲よ。
毎日同じ場所に同じ形で?
気のせいよ。
今も、あんなに近いのに見えないの?。
待って、もしかしたらよく見れば。
私が顔を反らせて空をよく見ようとしたその時、彼の左肘が私の頭に当たり激痛と共に一瞬目の中を白い光が飛び、彼を掴んでいた手を離してしまった。
座り込み痛みをこらえていた私が次に目を開けた時、彼はフェンスの一番上の内側に曲げてある場所に座っていた。
「そうか、榊原さん一緒に来れないんだ、残念。でも、またチャンスはあるかもしれないよ。」
そう言うと彼はフェンスの立ち上がり、両手を伸ばして足を踏み出した。
私はゆっくりと立ち上がるとスカートの埃を払い、扉に向かって歩きはじめた。
体に力が入らずふらふらする。
ふと、名前を呼ばれたような気がして振り返った。
茜色に染まる空に巨大な飛行船があった。
プロペラの付いた船室の窓から手を振っている人が見える。
そうだ、石野くん乗れたかな。
私は手を振り返すこともなく、飛行船は雲の中に消えていった。
扉を開けると夕日が階段の踊り場に私の影を創りだし、下へと続く階段は徐々に暗さを増してゆく。
その先には何が待ち受けているのだろう。
私はまだ、この迷宮から抜け出せないでいる。




