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イオの受難編・⑤


とある海岸。そして、一艘の小舟がまっている。

上空から、ゼウスとイオが降りてくる。


ゼウスはイオの手を引き、小舟の前までエスコートして、

「さあ、着いたよ、イオ。ここはギリシアの果ての地さ。この小舟に乗って、対岸に渡れば、ヘラやぼくら、ギリシアの神の統治の外さ」


海の先には、うっすらと対岸が見えている。


「………これは、どこの海なのですか?」


「うん? トラキアの端に位置する海峡なのだけれど、名前はつけられていないね……」

と、一間思案し、

「そうだね。海を渡る君に捧げて、《ボスポラス海峡》と名付けよう! 海を《渡る牝牛》という意味で、どうかな?」


「え、ええッ!!! そ、そんな歴史的な名称を、適当に決めないで下さい!!」


「ぼくと君の愛の証として、後の世に残されるのだよ。素晴らしいではないか」

「人のトラウマを、後の世に残さないでっ!!!」


ゼウスは明日の方角を見つめて、

「――――この先、人々がこの海峡を渡るたびに、神が牛を船に乗せて見送る、切ない情景を思い浮かべるのさ。なんてロマンチックだろうね……」


「絵面がまったく、ロマンチックじゃありません……」


「そうかい?」

と、ゼウスはいきなりイオを抱き上げる。

「きゃあっ」


そっと小舟へと乗せて、

「――――短い間だったけど、君のことは決して忘れないよ、イオ」

「……はい。私もです」

「君の初めてを奪った、情熱的のキッスもね!」

「それは忘れたいです!!」

と、顔を真っ赤に、反論する。


「君の意外と脂くさい口臭も、巨大でざらざらした舌も、どれも衝撃的で、初めての体験だった」

「そ、それ、私が牛だったからですっ!!!! 牛タンで、うっとり浸らないでっ!!!!」


「では、君の本当の唇を、試させてくれるのかな?」

と、イオの唇を指先で触れる。

「ええっ!!? ……って、その手には乗りませんよっ!」

パシッと、指を払う。


ゼウスは気にせず、肩をすくめて、

「ぼくはまだ、君からの返事をもらっていないんだよ?」

「な、何の返事ですか!?」

「結婚のだよ」

「え…!?」

どきりっと、胸が高鳴った。


「ぼくの、何十人目かの、あ、もしかしたら百何十人目かの、愛人になってくれ!」


「いやですっ!!! だ、だいたい、そんなこと出来るわけないじゃないですかっ!! 私は、ヘラ様に仕える神官なのですから……」


そう言っても、ちくりと、胸に痛みを感じる………どうして痛いたいのか、彼女にはわからない。

だから、ゼウスの目を見ないよう、ただ俯く。


ゼウスは、そっと、そんな彼女の頭をなでて、

「――――では、また会ってくれるかい?」


「え……」

顔を上げると――――ゼウスの眩しい笑顔が、そこにある。


「いつか、アルゴスの事件やヘラとの関係を改善させて、………絶対に、君を迎えに行くよ。だからその時は――――


「再び、ぼくの手を取ってくれるかい?」


イオの脳裏に、手を繋ぎ降りてゆく二人の姿が、浮かび上がった――――



「………き、期待しないで待っています」

と、顔を背けたまま、ぼそりと呟く。その頬はほのかに赤く染まっていた。


「そうかい。――――ありがとう」

と、指をくるっと回す。


つむじ風が吹き、イオの乗った小舟を海へと押し出す。

「この小舟には、ヘルメスの《旅》の守りがついているから、無事に難破せず、向こう岸までつけるさ。

――――さようならだ、イオ」


「……さようなら…」


小舟は流れに乗って、あっという間に、沖へと進む。

遠のいていくゼウスを、イオはただ見つめ――――――


ぞわっっ!! と、恐怖した!!

ゼウスの背後、その森の奥から現れた人物に!!


「――――へ、ヘラ様…!!」



==============================


【第五話】「神様に負けないように」


==============================


森の奥から、ヘラはゆったりと歩き出る。


背を向けていたゼウスは、くるりと振り返り、

「やあ、ヘラ。――――君の美しさは、いっこうに衰える気配を見せないね。いや、ますます磨きがかかっているようだ。その紫外線さえ反射させてしまいそうな、白く光る君の肌には、スノーホワイトだって嫉妬してしまうに違いない。その黒くつぶらな瞳の前では、ぼくは永遠の眠りについてしまいそうになるよ」

と、無邪気な笑顔でマシンガントーク。ベラベラベラ!


しかしヘラは無表情のままで、

「お久しぶりね、間男。貴方は未だに、そんな醜い人の姿でいらっしゃるのね?」

その黒くつぶらな瞳の奥は、濁った光を抱いている。


「………10年ぶりに出会えたダーリンに対して、少々辛辣すぎる挨拶ではないかい?」

「あら、ワタクシはてっきり、貴方にはもう《三行半》を突き付けたものだと思っておりました。なんなら今すぐ、腐った毒林檎とともに、突き付けてもよろしくてよ?」

ちなみに、《三行半》とは、離縁状のことである。(註釈)。


ゼウスは変わらず、にこりと笑ったまま、

「ナイスなジョークだね、ハニィー。でも、ぼくが君へと寄せる愛を書き記そうとするならば、《三百万行半》でも足りないさ!」

「――――白々しいことをおっしゃるわ。口が達者なことだけは、変わらずねっ!!」

とゼウスの背後の、小舟に乗ったイオを、ギラリと睨んで、

「…………ワタクシが、貴方とそこの小娘との、淫通を知らないとでもお思いなのかしら!?」

「誤解だよ!! ぼくとイオちゃんの間にはそういった…」


「イオ、《ちゃん》、ですって!!! 人間の小娘なんかと、淫蕩にふけって、忌ま忌ましいッ!!! 二度と他の女と《刺し塞げ》ないようにッ、貴方の《なり余った処》を、滅し潰しても良くってよ!!!」と、憤激っ!!

ちなみに《刺し塞ぐ》はS○X、《なり余った処》はペ○スのことである。(註釈)。



***


ゴゴゴゴッ!!! と、ヘラから発せられたられた怒気が、大気を揺らす。

ヘラの背後の森が、一気に枯れ落ち、荒野となる!!

逃げるように散った小動物や鳥達も、ぼたぼたっと、命を失い落ちていく。


イオが乗った小舟の周りでも、

「きゃあっ!!」

ぷかりぷかりっ、と、死んだ魚が浮かび上がってくる。

イオは恐怖で、身を震わせる。



***


ほっほほほーっ!! と、ヘラは声高らかに嗤う!


「――――貴方はもうお忘れになったようですけども、ワタクシが真に司るのは、《母性》でも、《出産》でも、《豊穣》でも、《繁殖》でも、《寿命》でも、なくってよッ! 


生きとし生けるすべての、生殺与奪を握る権力!!

それこそがワタクシの、《生と死》を統べる女神の真の力ですわっ!!」


と、ヘラは遠くの小舟を一睨みして、

「………おわかりいただけるかしら? そこの泥棒猫の命も、ワタクシの手の中にあるようなもの。ワタクシの前では、神さえ命を請いで、ひれ伏すのです!!」

と、顔を邪悪に歪める。


しかしゼウスは、

「さすが、ぼくのグッド・ワイフ! 最高神の妻に値する、素晴らしき女王の力だね」

盛大に拍手して、彼女を讃える。


その行為に、ヘラはさらに激しく顔を歪ませて、

「もう貴方の配偶者のつもりはないと、申しているのよ…。――――今すぐ! そこの姦婦と共に、冥界に送って差し上げましょうか!!?」


「はははっ、君の隠された力がどれほど凄いかなんて、今さら長々と説明しなくても、ぼくは重々承知だよ。ぼくは、一時も君のことを忘れたことなんてないのだから。


――――――だけれどもね……、ぼくも脱いだら、けっこう凄いんだよ!」

と、眼に強い光を携えて、手を振るう!!



***


すると、

ヘラの背後の荒野は、再び草木が生い茂り、鬱蒼としたジャングルへと様変わり!! 地に横たわる小動物達も、2倍ほど巨大化し、再び元気に走り回る!!

イオの周りでは、死んだ魚達に、翼が生え、水鳥となって羽ばたいていく。


「す、すごい……」

舞い落ちる水鳥の羽根の中、イオは呟いた。



***


「―――――《天候》を司る力というのは、雷を落としたり、風を吹かしたり、雲に変身したりなんて、何もそれだけの力じゃないよ!! 

天を操るとは、すなわち、天の《定め》を掌握すること……」

と、ヘラへと一歩一歩、悠然と近づいていく。

「っ……!!」

ヘラの額に冷や汗が流れ、後ずさる。ゼウスは一歩駆け足で詰め寄りながら、


「君が《生から死まで》を支配するなら、ぼくは《生まれる前から死んだ後まで》、魂の至る処を、事象の始まりを、


――――すべての存在の《運命》を支配する。それがオリュンポス神族の初代にして末代の王、ギリシアの最高神たる、このぼくさ!!」


ヘラを逃がさないよう、彼女の腕を掴む。

そして、そっと、その頬に手を触れて、

「――――ぼくの本当の力のことは、君が誰よりもよく、知ってくれているだろう?」

優しく微笑みかける。


「お、おのれぇ~~この、痴れ者がっ!!!」

と、激情にまかせて、ビンタを繰り出すが、

バシッと、ゼウスはその手を掴み、指をからみつかせて、逆にヘラを抱き寄せる。


「ヘラ、もう止めよう。醜い夫婦喧嘩なんていう、戦争は!」

「……ワ、ワタクシはもう、貴方と夫婦のつもりはないとッ…」

「その耳飾り―――」

「えっ!?」


ゼウスは、ヘラの耳につけられた、真珠の飾りを見つめて、

「君の白い肌によく似合う、パールホワイトの耳飾りだね。今日、ぼくに会うためにつけて来てくれたんだろう? ありがとう、とても似合っているよ」

「な、なにをッ、思い違いを……ッ!! わ、ワタクシは、ワタクシは……!!」

と、見るからに動揺して、ゼウスの腕の中から逃げようとする。


ゼウスは彼女の背へと手を回し、さらにきつく抱きしめて、

「本当に綺麗だよ、ヘラ。クレオパトラさえも、この真珠をワインに落として溶かすのは、はばかれるだろう……」

「こ、こんな時でも……、他の女の話ですかッ!!」

「いや、違うよ」

と、何の容赦もなく、ためらいもなく、脈絡もなく、



 ゼウスはヘラの唇を奪う。



「………………………………………………へっ?」

 すっとぼけた声を、離れていく小舟の上の、イオが上げた。



***


ヘラは何が起こったのか、瞬時に理解できず、

「な、なにをッ…なにを、あ、貴方は……」

唇を押さえて、わなわなと呟く。


ゼウスは、ヘラの瞳をまっすぐ見つめて、

「――――ぼくが一抹の愛を多くの女性に求めようと、永遠の愛を誓っているのは、君だけさ。二人の子をつくり、共に育て、家庭を築きたいと思えるのは、生涯で唯一人、ヘラだけなんだ。


………ぼくは共に生きる伴侶として、君という女性を愛している!!」


ゼウスの腕の中で、ヘラはわなわなと震えながら、

「わ、ワタクシ、ワタクシは……、ワタクシの方が、、、」

 うるるっ、と、目に涙をためて、


「もっともっと、愛してるんだからぁ~~!!! ゼウス君がいないと、生きていけないわよ~~!!!! もう、ばかぁ~~!!!!」

と、ゼウスを力いっぱい抱き返した!!


「だ、大好きなの~~~!!! ずっとずっとお慕いしているよっ!! 世界の中心でサランヘヨ~だよっ!! で、でもゼウス君、全然おうちに帰って来てくれないし!! ワタクシが、どんなに淋しくて枕を濡らしたと……」


そっと指を押しつけて、ゼウスはヘラの口を閉ざす。

「むむぅ…」

「――――せっかくの10年ぶりの再会なんだよ。今は、互いのすぎた過ちを責めるのは止して、ただ時を忘れるように、二人の愛を確かめあおうよ。


――――心から愛しているよ、ヘラ」


「そ、その何百倍も、何千倍も、何万倍も、あいぃしてるよぅ~~~!!!! ゼウス君~~~~~!!!!」

二人は濃厚なキスを交わす。

ヘラは感激と悦びのあまり、体中から恍惚たる光りを発し、



――――――その日、燦然とした光が、ギリシアの世界全体を包み込んだ。



イオは眩い光の中で、

「な、なな、なんですとーーーーーーー!!!!!!!!!!!」

叫ばずにはいられなかった。



***


そして……


そのヘラの威光は、アルゴスを中心に、多くの奇蹟をもたらせた。

十年に渡り子が生まれなかったアルゴスの、ほぼ街のすべて女性が一斉に妊娠した。60歳を過ぎた老女も妊娠したし、卵巣のないニューハーフも妊娠した。

中にはいきなり妊娠十ヶ月や、破水が始まる娘たちもいた。子を多く望む家庭には、双子、三つ子、~~七つ子と、多すぎる子宝が授けられた。


そのすべての子どもたちは、無事に生まれ落ち、何の病気も怪我もなく、健やかなに成長することとなった。


また、その光は農業や漁業、畜産というあらゆる生産業にも恵みをもたらした。

干ばつによって枯れた稲も含めた、全ての作物が豊富な実をつけ、羊の毛は刈っても刈っても、その瞬間に生えそろった。

その年は、百年に一度の大収穫の年となった。



***


そして……


失意のまま、ボラポラス海峡(その後正式に命名)を渡り終えたイオは、遊牧民族のスキーティアの人々に助けられることとなった。

王族の方たちからの手厚いおもてなしを受け、またそこに仕える青年との出会いによって、イオの心は癒されていった。二人は互いの手さえも握らぬような、慎ましい愛を育んでいき、ついに求婚を申し出られた。そんなおりにイオは、


 ――――――――――妊娠していたことを知る。


「な、なな、なんですとーーーーーーー!!!!!!!!!!!」

人生二度目の、絶叫であった……



                             【イオの受難編・エピローグへ】

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