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イオの受難編・④


その後、一晩経ってもゼウスは現れず、ヘラの怒りが再び沸点を超えそうになるのを、ヘパイトスは必死に、

「ゼウス様も久しぶりにヘラ様に会えるいうことで、衣装選びや準備に、お時間がかかっておるのです! そうに間違いありません!」

となんとか説得し、事なきをえた。


その間もずっと牛のままのイオは結局、オリュンポス山から西に離れた小島、《サモトラケ島》にある祠に、捕らえられることとなった。そして明け方が近付く頃――――


「モー (お腹がすきました)」


彼女の呟きに応える声はない。代わりに、隅の暗闇から百を超える目が、ぎょろりとイオへと向けられた。


「モ、モ~ (ひ、ひぃい~)」


ヘラのクジャクの羽は、人型をかたどるようにくるまって、アルゴスという巨人へと変身していた。羽根の目玉のような模様が、本当の目ん玉となって、3mはあるかという巨人の足から頭までを覆っており…………率直にいって、


(き、キモチ悪~~~い!!! ぎゃああああぁぁ~~、こっち見ましたぁ~~!!!)


彼女も、《アルゴス》という名はよく知っている……というより、彼女が住む街の名がそれなのだ!

《アルゴス》とは、街を造りあげた初代国王の名であり、それには《速き光》という意味がある。

街は誕生から、わずか数十年でペロポネソス半島に必要不可欠な都市にまで発展した。その逸話を非常によく表したこの名前を、イオを含む町の人たちは誇りに思っていた。


ゆえに、まさかそれと同じ名を冠する神話の巨人がこんなにも気味の悪い容姿をしているとは、イオは夢にも思わなかったのだ………


アルゴスがのそりと、立ち上がり、イオに向かって直立不動の姿勢をとる。

「モ、モモっ (ひ、ひいい)」

と、びくつき、後ずさるイオ(牛)。


パチパチと、アルゴスは全身の目を動かして、

「ダ・イ・ジ・ョ・ウ・ブ・?」

と、さながら《LED》の点滅のように、目ん玉の開閉で、一文字ずつ文字を作りだす。


「ウ、ウモっ…? (へ、へえっ…?)」

イオは知らないが、それはまさしく現代社会の《電光掲示板》と同じ仕組みであった。ちゃんと《?》マークも表現するあたり、まさに職人芸と言えるだろう。


「ゴ・メ・ン・ネ―――コ・ワ・イ・オ・モ・イ・サ・セ・テ」

「モ、モモッ~。―――モーモモゥー? (い、いえいえ~。―――あの、あなたは私が何を言っているのかわかるのですか?)」

「ウ・ン」

「モ、ウモっ? モモゥー… (ど、どうしてですか? こんな牛の鳴き声なのに…)」


アルゴスは、思案しているかのように、一旦目を閉じるが、

「――――オ・ハ・ナ・シ・ハ コ・コ・ロ・ト・コ・コ・ロ・デ ス・ル・モ・ノ・ダ・カ・ラ………」


「…………」

じんわりと、アルゴスの言葉はイオの心の中に染みわたった。思わず涙が流れそうになるのを、イオ(牛)は首を振って止めて、

「モ、モゥモー。モー、モモーモゥモ~~… (あ、ありがとうございます。こんな、牛の姿になった、私なんかに優しく声をかけて下さって…)」


アルゴスは首を激しく横に振って、

「タ・イ・セ・ツ ナ・ノ・ハ ミ・タ・メ・ジ・ャ・ナ・イ・!」」

どきっん! と、言葉は、いや真理は、イオの胸を打ちつける。


イオはたまらず、ぽたぽたと、目から涙を流す。

(お、おっしゃる通りですよ! 私はなんて、醜い勘違いで、気持ちを塞いでしまっていたのでしょうか……!!)

アルゴスの胸にある二つの目が、にこりと、優しく閉じられる。


「ヘ・ラ・サ・マ イ・マ・ハ オ・コ・ッ・テ・イ・ル」

「モ、モー! (は、はい!)」

 イオ(牛)は首を縦に何度もふるう。


「デ・モ イ・ツ・モ・ワ ヤ・サ・シ・イ」

「モー! (はい!)」

「ホ・ン・ト・ウ・ニ ワ・ル・イ ヒ・ト・ナ・ン・テ イ・ナ・イ・!」

「モーー!! (はいっ!)」

イオは、せわしなく過ぎていく日常の中で忘れていた、なにか大切なモノを思い出せた気がした……



そんな時、祠の入り口から、聞きなれた笛の音が聞こえてくる。


(こ、これ……ヘルメス様の笛の音…!)


どきりっと、イオ(牛)はアルゴスの方へ目線を投げる。

アルゴスの目はにこりと笑ったままで、

「ヨ・カ・ッ・タ・ネ――――キ・ッ・ト ト・モ・ダ・チ・ガ キ・テ・ク・レ・タ」

「モ、モー!  (は、はい!)」


(本当は敵である私の安否を、こうも気遣って下さるなんて……。本当に、本当にありがとうございますっ、アルゴス様!!)

彼女はこの巨人様に、めいっぱいの尊敬の念を抱かずにはいられなかった。


「イ・マ ム・カ・エ・ニ・イ・ク・ヨ」

と、アルゴスは笛の音がする入口へと歩き出す。


が! そんな彼の頭上から、

ズガガガッーーン!!!! と、雷撃によって天上の岩が破壊され、


「モ…!? (え…!?)」

「!!」


ぷちりと、落ちてきた岩でアルゴスは潰された。


そして現れた人物は、勿論――

「はっはははっ!! さすがの《百眼の巨人 アルゴス》といえど、視界の外からの攻撃には、避けることも防ぐこともできはしまいっ!! 勝利は、この一瞬にすべてを懸けた、ぼくらにもたらされたようだね!

もしかしたらイオちゃんも気づいているかもしれないが、笛の音はこの場所におびき出すため、助けが遅かったのは、ここに君が連れ去られるのを待っていたからさ! 


さあ、待ちわびたかい? 迎えに来たよ、マイ・レディ!」

どや顔に満ちたゼウス、その人であった。


(ア、アア、アルゴスさまっ~~~~~~~~!!!!!!!)

イオ(牛)は号泣した!!



==============================


【第四話】「最高神と牝牛の、愛と感動のハネムーン」


==============================



「やあ、全く。ダディのその鋭い思考能力には、毎度のことながら脱帽だよっ」

と、ゼウスの隣にヘルメスが降り立つ。


「いや、なんてことないさ。君の素敵な笛の音があったおかげさ、ヘルメス。君一人の手柄と言っても過言じゃない。―――そうだよ。今回の事柄は、君が果敢にも一人でアルゴスに向かって行ったと、人間達の歴史には記すべきだ!」

「この上、おれに手柄を譲ろうだなんて、ダディはなんて思いやりのある神なんだ。―――ダディ、愛しているよっ」

「ぼくもさ、マイ・ラヴリー・サンっ!」

と、抱き合う二人――――アルゴスが下敷きになっている岩の上で。


「モ、モモモッモーーーーー!!! (そ、そこから今すぐどいてーーーーっ!!!)」

イオ(牛)は力の限り叫ぶ。


ゼウスは、ぱっと笑顔で、彼女へ向き直り、

「やあ、イオちゃん! そんな若干ヒステリック気味に聞こえなくもない叫び声を上げるほど、君はぼくに会いたかったのかい? そうかい、ぼくもさ!」

「モゥモ、モモーーッ!!! (いいから、どいて下さいって!!!)」

ぴくぴくっと、岩の下で、アルゴスは痙攣している。どうやら、生きてはいるようだ。


ヘルメスもそれに気付いて、

「あ、ダディ。まだこいつ生きているようだね。止め刺しとく?」

「うん、そうだね」

「モッ~~!!! (ヤメテッ!!!)」

 

ヘルメスは、アルゴスを元へしゃがんで、

「この巨人、目が全身にあってキショイけど、瞳はとっても綺麗なんだね。目ん玉ほじくり取って、アクセにしたらどうかな?」

「キチガイじみているようで、中々ナイスな提案だね。さすが隠れドSなだけあるよ」

「モ、モモッモモーー!!! (ほ、本当にヤメテ下さいっ!!!)」


「そうかい? イオちゃんも欲しいんだね」

「ウモッモモ~~~~っ!!! モモゥウモッモモ~~~~っ!!!!! (伝わらな~~~いっ!!! ココロとココロが伝わらないっ~~~~!!!!)」

と、そんな最高神たちの暴走(しかし日常風景)を、


「お止めになって下さい、ゼウス様。その巨人は、ヘラ様の大切なペットでございます」


現れたヘパイトスの言葉が、止めた!


突然の登場で、ゼウスも驚きを隠せない。

「やあ、ヘパイトス。………予想の十倍は早い到着だね」

「ただの二重警備ですよ。あなた様が来られるのを、外でずっと待っていただけです」


岩の下のアルゴスに視線を向けて、

「アルゴス、お役目御苦労でした。後はぼくに任せて、休みなさい」

「…………」

アルゴスは眠るように全身の目を閉じ、クジャクの羽となって、祠内に舞い散る。


ヘパイトスはその一枚を掴んで、

「ご存じのように、アルゴスの見たものは全て、ヘラ様も見ておられます。――――もう、大神殿を発ったことでしょう。ヘラ様は後数分でいらっしゃいます」


その事実に、気が張り、ゼウスとヘルメスは身構える!


「ぼくは、ヘラ様が来られるまで、あなた様をこの場に留めていればよいだけです」

と、いつでも外せるように顔を隠す鉄仮面に手をおいて、

「出来るならぼくも、この恐怖を再び解放したくありません。そのままじっと、動かないで下さい。一度この仮面を外すと、ぼくでも制御はできないのですから……」


「厨二病のセリフ、そのまんまだねっ!!」


「………だけど困ったことに、言う通りの恐ろしき力が、あいつの顔面にはあるってことだよ、ダディ。どうする?」

 ゼウス&ヘルメスとヘパイトスの間で、張り詰めた睨みあいが続く………


(ど、どうするんですか…?)

イオ(牛)の額にも、不安で、冷や汗が流れてくる。


「……まったく、君は本当に優秀だよ、ヘパイトス。君なら誰かに仕える必要もないだろうに…………。そんなにまで、自分の母親が大好きかい?」

「――――今さら、答えるまでもないことです」

「自分のコンプレックスを武器にするほどかい?」

「――――はい…」


ゼウスは盛大にため息をついて、

「そうかい、すまなかったね」

「え?」

「おっと、ぼくが謝ったなんて、思わないでくれよ。これはある子から言づけられた謝罪だよ」

「…………謝罪…?」

「そうだよ。君をはげしく傷つけたんじゃないかって………泣いていたよ―――――――、アフロディーテがね」

「え……」

その思いもよらぬ名に、ヘパイトスの緊張が一瞬、ゆるむ。


その一瞬に!! ゼウスは腕をふるい、

ビュウウッン!! 一陣の大風が吹かす!!


「イオちゃん、ぼくに掴まって!!」

イオがかぷりと、ゼウスの裾を噛み、

「さあ飛ぶよッ!!」


風が二人を持ち上げて、天上の穴から、外へと飛んでいく!!


「くっ、逃がしま…」

と、後を追おうとするヘパイトスの、腕を掴んで、


「おいおい、最高神と牝牛の、愛と感動のハネムーンだよ。野暮な真似は止めときなよっ!」

 ヘルメスはにやりと笑った。



***


ビュオオオッーン!!! と、風をきって上昇するゼウスとイオ(牛)。


(ひ、ひいいぃぃ~~)

イオは初めての空中飛行に怯えて、固く目を閉じている。


ゼウスはそっと、彼女の両手(両前足)を握り、

「大丈夫だよ、イオちゃん。そっと目を開けてごらん」

と、優しく囁く。イオ(牛)はゆっくりと瞼を開けて、

「――――――モゥー」



目の前に広がる、《世界》に心が震える。



大いなる《エーゲ海》を囲うように、巨大な大陸が二つ並んでいる。東の地平線から登ってきた太陽が、山々を光に包み込み、海をより青く輝かせる。


(――――まるで…)


「――――まるで、世界がぼくらの手の中にあるかのようだろう?」

と、ゼウスはにっこりと、イオ(牛)へと笑いかける。


イオは、その考えが傲慢だとはツッコメなかった。

だって自分もそう思ってしまっているのだから……


「神の中でも、この高さまで飛べるのは、ぼくくらいさ。――――だから人間では、この風景を見ることが出来るのは、君だけだよ」

(え……)


ゼウスは、イオ(牛)の瞳をまっすぐに見つめ、

「結婚指輪の代わりとしては、いささか大きすぎたかな? 主神としてここに言い表そう、この景色が、この世界が、永遠に君のためだけにあること――――――


「愛しているよ、イオ――――ぼくと、結婚しよう」


どきっ、と、何か熱いものがイオの胸を打ち、顔が赤くほてっていく。

(え、ええ、な、なんでっ……なんで…わたし……)



――――わたし、こんなにも嬉しいのだろう…



まっすぐゼウスの顔が見られない。顔を隠そうと腕を上げ、自分が牛であったことを改めて思い出す。

「おっと、そうだ。忘れるところだったよ。君を元の姿に戻すため、ディーテからこれを受け取っているんだ」

と、懐か綺麗な色の液体が入った、小瓶を取り出す。

「この薬を飲めば、君も元の姿に戻れるよ」

「モー!! (えっ!!)」

喜びで顔がほころぶ。その目の前で、


ごくごくぅ、とゼウスが薬を一気飲みする。


「モモッ……!!!」

驚き固まるイオ(牛)、の頬にゼウスは手をそえて、


「ちゅ」

口づけをする。


「ん~~~~~!!!!」

口が塞がれ、喋れないイオ(牛)に、ゼウスは口移しで、薬を流し込む。


(なッ、ななッ、な、なッ、ななっなんでぇ~~~~~!!!!?)


思考が定まらず、イオは顔を真っ赤に慌てふためく。


最後に強くおしつけ、ゼウスは唇を離し、

「言っただろ? ぼくはアメーバだって、牛だって守備範囲内だと! ――――君が変身したものならねっ」

「……!!」

イオ(牛)の体の中から、水があふれ出てくる。水は、外側の牛だけを洗い流し、中から一糸まとわぬ人間姿のイオがあらわれる。


「モー……も、も、……戻りました!? って、わ、わたし、は、はだっ!? き、きゃあぁー!!」

と、顔を真っ赤に、しゃがみ込むように、身体を隠す。

ゼウスは雲を呼び寄せ、そんなイオの全身を覆う。


「え……」

雲は純白ドレスに変化して、イオを美しく装おう。


「ふふっ、女性を無理矢理裸にするのは、趣味ではないのでね。

簡素だが、白いウエディングドレスだよ。気に入って頂けたかな?」

と、イオへと手を差し出す。


イオは顔を背けて、

「………」


 ――――ぎゅっと、ゼウスの手を握りしめる。



 二人は手を繋ぎ合って、緩やかに地平へと降りてゆく。


                             【イオの受難編・つづく】


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