8.N
少しの時間しか過ごしていないが、ヘリウムの癒しの笑顔を失ってしまったのは男として寂しいものがある。
コアに戻ってきた俺は感傷に浸りながらも元素の整理をした。
俺が所持している元素は……出しゃばりの銅、謎なお姉カリウム、危険ネガティブコバルト、お嬢崩れアルミニウム、
現状ノーマルな酸素、鬼小姑の水素、そしてさっき別れた変声おっとりヘリウム。だがヘリウムは含まないとすると6種類か。
ヘリウムみたいに今の手持ちからもまた減っていくのかもしれないが、今の俺にはどうすることも出来ないし。
ただ危険を避け、扉に表示された元素で回収していくしかない。
俺の手持ちの原子番号と扉の数字からいくと次は「7/1」の扉。水素を使って窒素を回収する。
また気体で出てきたりするのかな。だとしたらあまり危険じゃなさそうだからありがたいけど……って
そーいえば1って鬼小姑の水素じゃねーか……。頭を掻きながら浮かない気分で扉を開けようとしたその時、背後から水素の声が聞こえた。
「ねぇアンタ、ここをさっきみたいな感じで行くと間違いなく死ぬよ」
「……な、なんだよ。脅しかよ」
「ふふっ、脅してるわけじゃないわ。本当の事よ。次のステージで暗赤色の物が浮遊してると思うの。それすべて三ヨウ化窒素だから」
「三ヨウ化窒素が浮いてる!? そんなバカな……。それに三ヨウ化窒素って少しの振動で爆発するんじゃ……」
「ご名答。少しでも触れた途端、実験失敗ハカセの出来あがり~!」
「それ失敗博士どころじゃねーだろ……」
「アンタがもし回収ポイントまで辿り着いたら協力してあげるわ。それじゃね~」
一体どういう状態なんだ……。水素の言ったことが本当ならかなり危ない橋じゃないか。
俺は目を閉じ無意識に震える身体をギュッと押さえ、ゆっくりと息を吸い込み……ゆっくりと吐き出す。
慎重に扉を開けそっと中に入るとそこにはいくつかのシャボン玉のようなものが浮いていた。
そしてそのシャボン玉の中には暗赤色の物質が入っているものや何も入っていないシャボン玉もある。
だが大きさや数はさほどでもなく、間隔も開いているため正面の壁に見える排水口まで行けないこともない。
今は停滞しているが、俺が動いたことにより気流が生まれ衝突しないようにだけ気をつければ行けるはずだ。
俺は呼吸も最小限に止め、ゆっくりとうつ伏せになり爬虫類の如く地をはって前進していった。
幸いにも俺の目線から見えるコースにはシャボン玉は配置されていない。
行ける! これは行けるぞ! 傍から見ればかなり怪しい状態だが致し方ない。
この状態でクロクラから元素が出てくるなんてことでも起きなければ……
「ちょっと聞いてよ~。あたしさっきのステージでお呼ばれなかったんだけどぉ~。もしかしてこのままあたしの出番なくなっちゃうわけなの!?」
「コッパーは全然マシじゃない。うちなんて自殺手法で登場したそれっきりよ。記念の品も受け取ってくれなかったし……しくしく……」
俺は最悪の事態を思い全身の立毛筋が反応したが、どうやらクロクラの中での会話が聞こえているだけだった。
「まぁまぁ二人共落ち着いて。私も登場してそれっきりだったから……。あ~あ、私の見込み違いだったのかしら。
どうせならカップの縁にも青酸カリを塗っておくべきだったわねぇ~」
「カリウムかわいそう……。そもそも泰千代って名前からして古臭いよねぇ。せめてアダ名だけでもカッコよくしてあげようよっ」
「下僕の分際で名称なんて……ペスで充分ですわ」
「わーっ! アルミン嬢、話し方に違和感なくなってきたねっ。もう完璧なお嬢様って感じだよ」
「うちのコバルト60は……」
「ああっ、そーだったわね! じゃあぜ~んぶ入れちゃってペスチヨ60なんてどーかしら」
「コッパー、残念だけど彼……今から実験失敗して禿チヨになるのよ」
こ、こ、こいつら……この動けない状態で……俺は怒りをどこにぶつければいんだぁぁぁぁぁぁ!!!!
あいつらにも後で全員アダ名つけてやるからなっ!!
はっ!?
し、しまった! くだらない会話に気を取られていたせいでシャボン玉の一つが俺の視界に近づいてきた。
気づかぬうちに大きく動いてしまったのか!?
緊張のあまり、汗が額から顎へと滑り落ちていく。
漂うシャボン玉は俺の眼と鼻の先を横切り、左へと流れていった。
気も抜けないまま俺は歩伏前進を続ける。そして俺はなんとか排水口まで辿り着くことが出来た。
「パチパチパチ、おめでとう! なかなかやるじゃない」
気の抜けた俺の目前には、水素の生足がみえる。もう立ち上がる気力もない。
「余程疲れたのねぇ。でも緊張感味わえたでしょ? 我ながら名案だったわ。うふふふふっ……」
「……名案て……もしや」
「ふふっ、三ヨウ化窒素なんてうーそっ! もちろん爆発なんてしないわよ。
因みにあの暗赤色に見えるのは単なるススで、透明の方には亜硝酸アンモニウムが入ってるのよ」
「くぉぉぉのや……」
怒りのあまり顔を上げた俺の視界に入り込んできたのは、心頭を滅却してしまう程の眺めの良さだった。
俺は紳士の様にサッと立ち上がり
「成功したご褒美に水素のぬくもりが欲しいんだが」
それを聞いて水素は不思議な顔をしていたが、勢い良く飛んできた銅のたらいが俺の頭に直撃したのは間違いなくコッパーのツッコミだろう。
排水口から出ている気体を水素で固体にしてもらい元素回収することが出来た。