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第七章 招かれざる客二人

 指輪の暗闇も、慣れれば居心地がいい物で。レイはあれから、ずっと指輪の中にこもりっぱなしだった。亜矢から「出てこい」の合図もない。あったとしても、こんなイライラした気持ちのまま出ていきたいとは思えない。

 暖かい水のような闇の中に漂いながら、レイはとりとめのない事を考え続けていた。

 外の様子が見えない指輪の中にいるせいで正確な時間は分からないけれど、今頃亜矢はヒメカの家についた頃だろう。

(ちくしょう。亜矢の奴。あんなに嫌わなくたって)

 心の中でブツブツと呟く。

(まさか本当に体を乗っ取ろうと思ったわけじゃないのに)

 久しぶりに部分的とはいえ生身の体を手に入れて、少しはしゃいでしまっただけだ。

「……でもまあ、冷静に考えば勝手に腕を動かされてはいい気分はしないよな」

 レイだって同じ事をされたらのっとった奴をぶん殴るかも知れない。

 だんだん気持ちは落ち着いてきたものの、なんだか今さら『ごめんね』とは言えない感じだ。

(まあ何にしても、ヒメカの家じゃゆっくり話し合うことはできないだろうな。亜矢が自分の家に帰ったら考えよう)

 そう決心すると心が軽くなった。

「それにしても、亜矢って気が強いよな」

 『指輪に戻って』と命令したときの亜矢の目付きの輝きは、ゾクッとするくらいで、その辺の男よりも迫力があった。

「でも、優しい奴だ」

 自分がニヤニヤしているのがよく分かる。

『ヒメカがどんな様子か、気になるじゃない』

 公園で亜矢が言った言葉を思い出す。。本人は否定をしていたが、なんのかんの言ってヒメカの事を心配していたんだと、レイには分かっていた。

 人なんか信じない、自分が幸せならいい、なんて言いながら、困っている友達を放っておいたりしない、優しい奴だ。でなければ記憶喪失の幽霊を家に置いたりしないだろうし、その幽霊が過去をなくして不安がっているからといって励ましたりしないだろう。

(ただ……)

  とレイは考えた。ただ、亜矢はなんだかそんな優しさを人に見せるのを怖がっているように見える。きっと、父親のせいだろう。親友に裏切られて自殺し たという亜矢の父

親。そして借金と一緒に遺された亜矢と母親にとっては、それこそその父親に裏切られたように思えたに違いない。

 だから、亜矢はこれ以上傷つかないようにしているのだろうか? 他人に付け込まれないよう、優しさも弱さも隠して。裏切られないよう、最初から信じないようにして。 

 それでも、心の奥にはちゃんと消えない優しさが、暖かさが隠れている。初めて亜矢が指輪をはめたとき、その気持ちが流れ込んできた。

 だから好きになった。

「亜矢は、俺の事どう思っているのかな」

 きっと、嫌われてはいないと思う。ふざけて耳元で囁いたときの、照れたような、焦ったような亜矢の表情を思い出して、レイはクスクスと笑った。

 でも、俺は幽霊だ。例え両想いになったとしても……

(やめよう。好きといえば、あれからヒメカは恋人と仲直りしたのかな?)

 ヒマなせいで、レイはそんな事をぐるぐると考えだした。

『いやあ、まさか見破られるとはね』

 音楽室の廊下で、そう言って浦澤は笑っていた。恋人の将来のために身を引きたいけど、自分からフるのは嫌だなんて我がままな男だ。あんな楽譜の仕掛けまで用意して。

『いやあ。昨日一日中、家の中で考えたのにな』

 思い出した浦澤の言葉が、コツンとレイの心に引っかかった。何かがおかしい。鼓動を速める心臓はないけれど、焦るような、イヤな予感がじわじわと体の中に広がっていく。

 楽譜事件が起こった日の前日。それは公園で、ヒメカの依頼を聞いていた日だ。

 てっきり、恋人がヒメカに付きまとっていたのだと思っていた。公園で感じた人の気配も浦澤の物だったのだと。

 しかし、浦澤がその日家から出なかったのなら、つじつまが合わなくなる。だとしたら、浦澤の他にもいるのだ。レイ達の近くで、ヒメカに付きまとっていた者が。

 気づいた時には、レイは指輪を抜け出していた。

 指輪から抜け出た室内は、ぼんやりとオレンジ色の光に照らされていた。

 ヒメカの部屋は、亜矢の物とは違ってぬいぐるみが飾られた女の子らしい物だった。かわいいピンクのシーツがかかったベッドで、のんきに亜矢が眠っていた。お客様にいい場所を譲ったのだろう。ヒメカは床に布団を敷いて眠っている。

 家の外で、かすかに音がした。足音なのか、何か硬い物同士がぶつかったのか分からないが、とにかく人間の立てる音だ。

 レイは音のする方向の壁に顔を突っ込むようにして外を覗く。どうやらここは二階のようで、下に庭が広がっていた。庭には小さな噴水があるほど広く、亜矢がお金持ちだと言っていたのも納得できた。

 噴水の周りにある花壇の隅に、動く影があった。シルエットから男だろう。黒いジーパンにファーのついた黒いダウンというやる気満々の格好だった。持っているドライバーのような物は、多分鍵開け用の物だ。

 レイは急いで顔を引っ込めると、亜矢のそばにかけよった。

「おい、亜矢!」

 眠りが浅かったらしく、亜矢はすぐに目を覚ますと迷惑そうな顔をこっちに向けてきた。

「うう、何よ一体。今かぼちゃの馬車から種とって大量生産して大儲けする夢見てるんだから」

「チッ、この強欲シンデレラめ。いいから起きろ!」

 レイは、今まさに家に入り込もうとしている不審者について亜矢に話した。

 亜矢は、そろそろとカーテンの隙間から外をのぞきこんだ。黒い影が、家の前をうろうろとしていた。

「た、大変! ヒメカ、起きて、早く!」

 亜矢がヒメカを揺り起こし、レイから聞いたことを伝える。

 ヒメカは怖くて半べそをかき始めた。 

「ど、どうしよう。お父さんもお母さんもいない時になんで」

 ピキピキとかすかだが確かな音が下から聞こえてきた。玄関のガラスは着実に壊されているらしい。

「とにかく、二階だと追い詰められる。下に降りよう」

 亜矢は部屋の出口を指差した。スパイ映画にあるように体を低くして、階段を降りていく。

 玄関にはめられたすりガラスに、人影が映った。鍵のすぐ上のガラスに、鋭いヒビが入っていく。

「シッ!」

 亜矢は唇の前に人差し指を立てて見せる。

 玄関マットを引きずって、玄関のドアの前に広げた。

「ちょっと、一人にしないでよ!」

 ヒメカが背を屈めてこそこそとついてきた。

 亜矢はもう一度「シッ!」と合図をしてから、マットの端を持ち、その横にしゃがみこむ。玄関口の真横の壁に隠れた形になるから、侵入者には見えないだろう。ヒメカの家が大きくてよかった。狭い亜矢の家なら、傘立てや靴箱がジャマでとても無理だ。

 ゆっくりと玄関の戸が開く。敷居を黒いスニーカーがまたいだ。靴底が、しっかりとマットを踏んだ。

「セイ!」

 タイミングを見計らい、亜矢は思い切りマットを引っ張った!

「ヌオッ!」

 侵入者は、バナナでも踏んづけたように後へひっくり返った。

「ヨッシャアアアア!」

 亜矢が勝利の雄叫びをあげる。

「お前、無人島に流れついてもイノシシとか捕らえて自活できそうだな」

 レイがボソリと呟いた。

 亜矢は女王様よろしく倒れた男のミゾオチを踏みつける。

 古いファーの付いたダウンは、どこか獣の臭いがした。

「この匂い、あんたがストーカーね?」

「公園でヒメカの様子をうかがっていたのは、浦澤ではなくてこいつだったわけか」

 レイが憎々しげに呟いた。

「人の家に忍び込むなんていい度胸ね」

「ゲ、ゲホ…… なんだ、この狂暴女は…… この家の娘一人じゃなかったのか」

 レイの眉がピクッと動いた。

「待て。お前、なんでそれを知ってるんだ? ヒメカの知り合いではないだろうに」

 自分が亜矢以外には見えないモードなのも忘れて、レイは思わず呟いた。

 パニックになりながらも、ヒメカが携帯を取り出した。

「け、警察警察」

「待て!」

 いつの間にか男の手に拳銃が握られていた。

 ドラマとは違う、拍子抜けするほど小さい音が鳴った。幸い、亜矢に踏まれたみぞおちの痛みが残っていて、狙いが定まらなかったのだろう。弾が外れ、ヒメカの後の壁に穴が空く。 

「きゃああああ!」

 ヒメカは両手で耳を押さえ、しゃがみこむ。落ちた携帯が床を滑った。

 銃口が今度は亜矢にむけられた。

(まずい!)

 レイが男の正面に回り込むと、パッと姿を現した。

「う、うわぁっ!」

 男が驚いている間に、亜矢はヒメカに駆け寄って引っ張り起こす。

 震える手で亜矢に縋り付きながら、ヒメカは酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせている。

「あ、あのあの……」

「ああ、あの半透明の男は誰だって言いたいんでしょ? かわいそうに、混乱しちゃって。でも耐えて」

 亜矢が命令っぽくなだめるという器用な事をする。

「うわああああ!」

 男が立て続けにレイにむけて引き金を引いた。

(こいつ、本当に人殺そうとしてやがる! なんて奴だ!)

 幽霊の身としたら、許すわけにはいかない。少しお仕置きをしてやる事にしよう。

 と言っても、物に触れられないレイにできるのは、せいぜい脅かすぐらいだ。なら、強盗が逃げ出すくらいハデにやらないと。

 レイは、がくりと膝をついて、そのまま崩れ落ちた、ふりをした。まるで本当に人間が撃たれたように。壁に寄りかかるように座り込み、薄目を開けて様子をうかがう。

 その間に、亜矢は、よろめくヒメカを玄関から一番近い部屋に押し込んだ。

「待て!」

 ドアが閉まろうとした時、男がドアノブをつかんだ。

「クッ……」

 二人の真ん中で、引き合いになったドアがぎしぎしときしむ。

(クソ!)

 今すぐにでも亜矢に加勢しに行きたい。手を握り締めて、立ち上がりたいのを我慢する。

 自分がドアノブにしがみついた所で、赤ちゃんがぶら下がっているぐらいの重みにしかならないだろう。それではダメだ。この強盗が逃げ出して、もう二度とここに戻って来る気にならないほどの恐怖を与えなければ。そのためには、絶妙なタイミングで脅かさなければならない。そしてそれは今ではない。

 タイミングを見計らって、亜矢は思い切り手を離す。戸の隙間から、よろけた男の腹に蹴りを放った。

(おお、うまい)

 薄目でその様子を見ていたレイは、思わず関心した。

 しかし、取っ組み合いのケンカなんて小学生以来やっていないのだろう。亜矢の蹴りは、たいしてダメージを与えられていないようだった。

 真っ黒な銃口が、亜矢にむけられた。

「クソ、なんだってんだ一体!」

 薄い闇の中でも分かるくらい男の顔は怒りでドス赤くなっていた。

「楽に仕事ができるはずだったのに! 口封じにお前らを殺すしかないじゃないか!」

「させねえよ、バーカ」

 レイは幽霊らしく白い残像を残しながら、すうっと男の目の前に姿を現した。はだけた炎柄の着物から見える体に、黒い銃創が開いている。

 レイの姿を見て、真っ赤だった男の顔はおもしろいくらいの速さで青くなった。

「き、貴様、さ、さっき死んだはずじゃ!」

「ああ、化けて出たのさ!」

 喉に、胸に、額に、腹に開いた傷口から、赤い血が糸のようにツウッと滴り流れ落ちた。

「うああああ! あはっあはっは!」

 男は笑い声のような狂った叫び声をあげた。レイに弾を使い切ったのも忘れ、無駄に何度もカチカチと引き金を引いた。

「やっぱり、やっぱりやめておけばよかったんだ! あの女の忠告通り!」 

「どういうことよ」

 亜矢は泥棒に詰め寄った。

「さっきもそんなような事言ってたわよね。誰かから、この家にヒメカしかいないって聞いたような。誰か、女が背後にいるの?」

「お、おいあんまり近づくな!」

 レイの忠告は、ほんの少しだけ遅かった。

「く、来るな!」

 混乱した人間の、信じられない速さで、男ははらいのけるように腕を振り、亜矢を殴りつけた。

 床に叩きつけられた勢いで、亜矢は胸から「はっ……」と息をもらした。

 その時、レイはわけのわからない寒気を感じた。自然と視線が亜矢の首筋にむく。亜矢の襟首から木のペンダントが飛び出し、床に落ちていた。それが寒気の源だった。きっと、草食動物が肉食動物の匂いをかいだら感じるだろう、本能的な恐怖。

 あれは、お守りだ。たぶん、俺を消すための。誰からも教わらないのに、感覚でそれが分かった。

 床に伏せた亜矢と目があった。今にも泣きだしそうに、亜矢の顔が歪んでいく。自分は今、どんな顔をしているのだろう。

「あ……」

 亜矢は、ヨロヨロと立ち上がった。

「死ね!」

 泥棒は空になった拳銃を放りなげた。そして、懐から取り出した。新しい銃を。黒い手袋をした指が引き金を引いた。

 ドラマなどとは違う、小さく咳き込むような銃声。亜矢は「え?」という驚きの顔をした。そして、そのまま支えを失ったように倒れこむ。その勢いでぶつかった棚から、雑誌やネコのオブジェが振ってきた。小さなバラの生けられた一輪挿しが落ちて砕ける。

 ヒメカは悲鳴すらあげられないのか、口を押さえて震えている。

「亜矢、亜矢」

 恐怖で視界がグニャグニャと歪んだ。体が冷えて、震えが止まらない。動揺しているせいか、自分の体の輪郭がにじんでいるのが分かる。

 どうしていいか分からずに、レイは亜矢の周りをうろうろする。幸い、まだ息はあるらしい。ほんのかすかに眉がしかめられた。目の端から涙がにじんで転がり落ちる。

「手前!」

 レイはめちゃくちゃに強盗に殴りかかった。しかし、拳は全て敵の体を抜ける。

「ふ、ふはははは」

 泥棒は笑った。

「そうか…… お前は幽霊なんだな。そっちから攻撃できないのか」

「くそ、くそぉ!」

 レイは悪霊そのものの顔で、食いしばった歯の間から言葉をしぼりだした。

 泥棒は、ヒメカの胸に銃口をむける。

 殴りかかったレイは、後にある戸棚にめりこみそうな勢いで、泥棒の体を擦り抜ける。そのとたん視界の隅に光る物が映った。割れた一輪挿しの欠けら。

 がんばればコップぐらいなら持ち上げられた。この欠けらなら、なんとか。

 狙いもつけずに振り上げた欠けらは泥棒の腕を切り裂いた。

「次は頚動脈切るぞ!」

 庭で、砂利を踏むタイヤの音がした。弾かれたように犯人は窓の外をのぞく。

「パトカー!」

「まあ、あれだけ騒げば誰か通報するわな」

 レイはにやりと笑った。

「くそ! 覚えとけよ」

 オリジナリティの欠けらもない捨て台詞を吐き、犯人は玄関へと走っていった。しかし、ヒメカもレイも、その背中を見ていなかった。

「おい、亜矢」

 レイは、亜矢に駆け寄った。亜矢は返事をしなかった。

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