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第九章 終わり・始まり(前)

 冷たい闇の中を、亜矢は漂っていた。シロップ漬けになったようにぼんやりした頭で誘拐犯の顔を思い出した。そして車から出てきた白い影も。

(あ~、私、あれから殺されたのかしら?)

 何だか、金縛りにでもなったように体が動かない。目の前も真っ暗だ。そこで急に恐怖が湧いてきた。このままだと私は死ぬんじゃないか? 叫ぼうとしても、まともに息ができない。死にたくない。消えたくない。レイの気持ちが分かる気がした。

「おい、しっかりしろ、亜矢!」

 その声に、パッと現実が帰って来た。

 気づいたら、倉庫のような部屋で亜矢は後手に縛られていた。真っ暗だったのは、床に顔を伏せて横たわっていたからだ。

 雨はまだ振り続いているらしく、遠くで車が水溜まりを散らす音がした。

「亜矢。よかった。死んだのかと思った」

 すぐ目の前に、心配そうなレイの顔がある。明るい茶色の瞳の輝きにちょっと安心した。

 部屋の中は、古い物独特の匂いがした。

「レイ。どこ、ここ」

「『クリオ』の中だ。お前が寝てる時偵察してきた」

「あんた大丈夫? なんだか、白い影に襲われたみたいだったけど」

「ああ。なんだか白い犬に噛み付かれそうになったよ。とっさに指輪の中に逃げ込んだけど、危なかった」

  亜矢はなんとか立ち上がると、周りを見渡した。薄暗い部屋には、ラックのような棚

が規則正しく並んでいた。その棚には隙間なく木箱が並べられている。きっ と、ツボや

ら茶わんやらが入っているのだろう。品物を守るために、湿度などを調節しているのだろう。空気清浄機のような物が隅で低くうなっている。

「ラッキー! ふん、こんな物置に放り込むなんて、バカな奴らね」

 亜矢は棚に背をむけると、後手で小さな木箱を探る。箱にかかった組紐は太くてすぐ解けた。箱を開けていったん振り返って見ると、箱の中には茶色の茶わんが黄色い布の上に鎮座ましましていた。

「うう、これ、いくら位するのかしら。もったいないけど……」

 もう一度棚に背を向けて箱に指をひっかける。持って帰りたい思いを断ち切るように、思い切り床に落っことした。

「えい!」

 にぶい音を立てて茶わんが割れる。割れた欠けらで縄を切る。

「よっしゃ、ここから出なきゃ」

 棚がぎっしりと並んでいるせいで、廊下へ続く道はかなり狭かった。できる限り足音を響かせないように爪先立ちでドアにむかう。

「なあ、亜矢」

 部屋の半分ほど進んだ所で、レイがぼそぼそと呟いた。

「何よ」

「ほら、公園で言ったろ? 獣の臭い。なんか、またするんだけど」

 何か視線を感じた気がして、亜矢は足を止めた。目の前の棚の向こう側。乗っている箱と箱の隙間に、何が動いている。

 見ると、赤い光が二つ浮かんでいた。そのまわりを、白い煙が取り囲んでいく。その煙は少しずつ固まっていった。白い煙は、前足に、肩に、牙になって行く。

「な、なるほど。これが原因だったのね」

 ガシャンと棚の上の物を落とし、犬は亜矢にむかって首を伸ばす。だが棚に防がれて牙はぎりぎり亜矢には届かない。

「どうして! 霊は現実の物に触れないんじゃなかったの?」

「さあ、何かカラクリがあるんだろ!」

 亜矢は必死に戸口にむかって走った。しかし膝が木のおもちゃにでもなったようにうまく動かない。

 先回りした白い影が亜矢と扉の前に陣取った。うなり声を上げて体を伏せる。

「ううう、嘘でしょ! 何、その体勢。明らかに飛び掛かるためだよね? ちょ、ま、待て! フセ!」

 そんな言葉に当然犬が従うわけもなく。

 ダッ! 大きな前脚が床を蹴った。犬は牙を剥き出し、亜矢の喉を食らい付こうとする。

(まずい。何とかしなくちゃマジで殺される!)

 何か、何か方法はないか? 必死で考える。そして自分でも誉めてあげたくなる素早さで思いついた。唯一自分にできる反撃方法。幽霊を消す決定的な方法。

 胸からペンダントを引き出して、両手で強く握り締める。そして思いっきり犬に突き付けた。

 獣は、お守りに顔を突っ込む形になる。水の入ったビニール袋をひっぱたいたようなバチンという音。見えない壁にぶつかるように、犬が中空で弾き飛ばされた。

 床の上に転がったした獣は、口を開けて無音の悲鳴を挙げた。水にひたされたように、犬の輪郭がゆらゆら歪む。あれほど硬そうだった牙も爪も、鈍くなって空気に溶けていく。まるで煙が吹き飛ばされていくように、犬の姿が消えていく。

「ふええ、こんなにお守りが利くなんて」

 大きく息をして呼吸を整えながら、亜矢は額に浮んでいた汗をふいた。

「あれ、どうしたのレイ。そんな殺人現場でも目撃したような顔して」

「いや、俺、あんなふうに消してくれって亜矢に頼んでいたのか、って思うと少し恐くなった」

「あははは」

 レイを消すためのペンダントを持っていた事の後ろめたさもあって、亜矢はごまかし半分に笑った。

「あら、楽しそうだこと」

 急に聞き慣れない声がして、二人は振り返る。女が着物姿でこっちを見ていた。手に、拳銃を持って。

 亜矢もレイから話は聞いている。彼女が宮波時子だろう。

 まるで商品の品定めをしているように、ジロジロとレイを観察している。

「まさか、指輪に幽霊が取り付いてるなんてね。で、この幽霊に渡している報酬は何?」

「報酬? 何の事よ」

 人殺しの道具を向けられて、せっかく収まった亜矢の鼓動がまた速くなった。いい加減胸が痛くなってくる。嫌な汗がジットリと背中をつたう。一回犯人に撃たれた時の激痛を思い出して、呼吸が苦しくなってきた。

 銃を突き付けられた時の対処の仕方、なんてぶっそうな物は学校で教わっていないから、映画の知識通り亜矢はとりあえず両手を挙げてあとずさった。

「こっちに来なさい」

 宮波が二人に命じる。

「はん、誰があんたの言う事なんか……」

 ピタッと亜矢の言葉が止まった。気付いたのだ。宮波の言葉が、自分にかけられたのではない事に。

 宮波の隣に、白い霧のようなものが浮かび始めた。その霧は、少しずつ固まって、もう二度と見たくない形になっていった。連なる鋭い牙、針金のような毛。ただし、胴体はなく、完全な生首状態だ。

 目の前の視界がじわじわと歪んで、自分が涙目になっているのが分かる。

「あのお守りじゃ浄化しきれなかったんだ!」

「ノーラはそんじょそこらの悪霊じゃないもの」

 ノーラというらしい犬は主人の隣におとなしく控えている。だが、宮波の命令があれば襲いかかってくるのは明白だ。

 レイが両手を合わせてみせた。

「なあ、頼む。ここで見た事は誰にも言わないからさ。見逃して」

「あら、大丈夫よ幽霊君。あなたは消したりしないわ。利用価値がありそうだもの」

 春の蜂蜜みたいな声で宮波は言った。

 亜矢の眉がぴくっと動く。

「利用価値だぁ?」

 妙にむかむかとして亜矢は睨み付けた。

 耳によみがえる雨の音。あの日、レイは自分自身を消そうとしていた。亜矢の命削りながら、この世にいたいと思わない、と。そして半透明のレイの胸。亜矢を助けるために、ちょっぴり消えた彼の体。

(そんなレイを利用しようだ?)

「あんた、私を殺して代わりにレイを自分の下僕にでもするつもり?」

「ええ、そうよ。ここまで元気な幽霊はそういないからね。たいてい今にも消えちゃいそうな奴ばかりで。で、この幽霊の生前はどんな感じだったのかしら? 完全に利用するにはそう言う情報が必要だからね。それが聞きたくてあなたを生かしておいたってわけ」

「レイの生前? 残念ながら私が知りたいぐらいだわ。こいつ、記憶をなくしているの」

「へえ」

 宮波の片眉がピクッとつり上がった。マンガだったらこめかみ血管が浮き上がっている所だろう。

「嘘言うんじゃないわよ。そんな事あるわけないじゃない。そんなにその幽霊が大切なの?」

「い、いや、嘘じゃないんだけど……」

「嘘じゃないって」

 レイと亜矢の声が重なった。けれど宮波は信じてくれないみたいだった。

「仕方ないわね。あんたが持っていたようなペンダントぐらい、私も作る事ができる」

 どこか自慢気に宮波は言った。

「完全に操る事はできなくても、あなたの幽霊をそれで脅す事ぐらいはできるもの」

 おしゃべりはもう終わり、とでも言うように宮波が銃を握り直した。

 ぞぞぞっと亜矢の背中に寒気が走る。改めて不利な立場を思い知らされて、今までの怒りも吹っ飛んだ。

「ちょ、待って、私を殺しても処分が大変よ! 重いし、腐るし、かさばるし、刃物でバラすにしても血が出るし!」

「お、お前、自分の体によくそんな事言えるな。刃物でバラすって、マグロじゃないんだし」

 聞いていたレイがうめくように言った。 

「心配ご無用。あなたが縛られている間に仲間を呼んでおいたの。あと十分ぐらいでくるんじゃないかしら。そうしたら、あなたの死体をどこかに処分しておきましょう」

「そそそ、そんな~!」

「待て、やめろ!」

 レイが宮波の腕にしがみつこうとした。けれどやっぱり擦り抜けた。

(ああ、あのペンダントみたいな切札があれば! って、人間相手じゃペンダントも役にたたないか!)

 いや、一つだけあった。たった一つだけ、一か八かの切札。

「ふん、あんたなんかに負けるわけないじゃない」

 胸を張って、できる限り余裕の表情を浮かべる。なんでここまで追い詰められて笑えるのか、相手が不思議に思うように。

(どうか、足が震えているのに気付かれませんように!)

「どういう事?」

 狙い通り、宮波は不思議そうな顔をしてくれた。むこうがこっちの考えを知りたいと思っている限り、すぐには殺されないだろう。

 あとは、この作戦にレイが気づいてくれるかどうか。

「こんな奴、のしちゃいましょう。こんな……こんなゴキブリみたいな奴!」

 その瞬間、亜矢とレイの視線が重なった。

 そう。ヒメカの家に泊りに行く準備をしていた時。ゴキブリにてこずる亜矢を見兼ねたレイは手伝ってくれようとして……

 レイの半透明の唇が笑みの形になった。気付いてくれたのだ。それが嬉しくて、亜矢も笑みを浮かべる。きっと今、二人の表情は鏡に映したようにそっくりだろう。

 レイは煙のようにふわりと動いて、亜矢の体に入り込んだ。体の中を静電気が通るような感覚に、ちょっと身震いする。

 宮波の目に映る自分の瞳が鋭くなったのが分かる。レイが生きていて怒ったら、こんな感じだろうと言うように。

「なっ!」

 とっさに何が起きたのか分からなくても、雰囲気がおかしいのは分かったのだろう。宮波は銃を構え直した。だが、遅い。亜矢のローファーが宮波の手を横に蹴りはらった。

 亜矢の体を借りたレイは、身を沈めて床を蹴る。鳩尾にパンチを喰らった宮波は、小さく咳き込んでずるずると床に崩れ落ちた。

 ノーラは命令がないと動かないつもりなのか、倒れた主人を見下ろしている。

「よっしゃぁ!」

 叫んだのはレイなのか亜矢なのか、亜矢自身にも分からなかった。

 レイが体から抜け出して、亜矢の隣に浮かぶ。

「まさか、お前が体を貸してくれるとは思わなかったよ」

「しかたないでしょ、それしか方法がなかったんだから」

「前は手を借りただけで大騒ぎしてたくせに」

「あんたこそ、私の作戦に気付いてくれて嬉しかったわ」

 レイは「当たり前だろ」と得意気に笑うと、扉を指差した。

「さて、お互いに絆が深まったところで、逃げようぜ」

 廊下に飛び出して、玄関に向かう。ガラスのドア越しに、何台もの車が急ブレーキをかける音がいくつも響いた。

 二人はあわてて方向を変えた。

「くそ、そう言えば、部下呼んだって言ってたあの女!」 

「レイ、非常口非常口!」

 亜矢は廊下の端にある非常口に走った。そのドアノブをつかむより先に、ドアの向こうからカンカンと階段を駆け登って来る足音が響く。

「げ、もう来やがった」

「れ、レイ、もう一度合体して部下達やっつけて!」

 ほらほら、と亜矢はパタパタと両手を振ってみせた。

「合体ってロボットじゃねえんだから! さっきのはたまたま宮波が油断してたからできたんだよ! 大人数相手にできるか!」

 とりあえず非常口に鍵をかけてから、亜矢達は適当に選んだ部屋に飛び込んだ。扉の鍵をかけて大きく息をする。

「どうすんだ! お前このままじゃ殺されるぞ!! 俺はもう死んでるからいいけれど!」

「どうするんだって、こっちが聞きたいわよ!」

 亜矢が入り込んだのは、店長だか社長だかの部屋らしい。濃いブドウ色のじゅうたんに、普通の二倍はありそうなデスク。

「て、ここあの女の部屋だ!」

 レイが信じられないというように叫んだ。

「亜矢、船の絵、船の絵!」

 言われるがまま、亜矢は絵を動かした。隠し金庫が現われる。

「747089!」

 カチリと軽い音がして、金庫が開いた。

 中に入っているのは、ブロックのように積み重ねられた紙の束だった。床に紙が散るのもかまわず、亜矢は乱暴に一枚引き抜いた。

「これって……」

 それはどこかの家の間取りだった。どこにソファーやタンスがあるか、家具の位置まで詳しく記されている。おまけに、家族構成や大体の年収まで。

「なに? 顧客情報?」

 レイに聞いてみたけれど、返事がない。

 レイは軽く唇を噛み締めて、怒りを押さえているようだった。亜矢が少しゾッとする程の、深く静かな怒りを。

「ど、どうかしたの?」

 どうやってか、部下達が非常口を開けたのだろう。靴音が近付いてくる。

「て、そんな事やってる場合じゃない。こんな隠れ場所、すぐに見つかるぞ!」

「レイ、あんた一度ここに忍び込んだでしょ! 抜け道とかないの?」

「そんな事言われても! 宮波の部屋で隠し金庫を見ただけだぞ! あとはドッグフード!」

 そう言った瞬間何か思いついたのか、レイがハッと顔を上げた。残像でも残しそうな勢いで亜矢の隣を離れ、文字通り傍にあった棚の中に頭を突っ込んだ。

「俺が忍びこんだ時、鳴き声とか臭いとか、生身の犬がいそうな気配はなかった」

 早口で言いながら、レイはあちこちの引き出しやら本棚やらに顔を突っ込んで部屋の中を探し回っている。

「それなのに、なんでドッグフード?」

「一体、それがなんだって言うのよ!」

「幽霊は生きてる奴の生命力を吸い取る。宮波が自分の生命力を黙って犬にあげてる? そんな性格には見えない。きっと、何か仕掛けががるんだ。どこからか生命力を持ってくるような」

「ああなるほど」

「のん気関心なんてしてないで、とにかくなんか怪しい物を探せって!」

 自分が何を探しているのかも分からないまま、亜矢は机の引き出しを空けた。その勢いで中に入っていたペンや定規が床に飛び散った。

 部屋の扉が開く。毛足の長いジュウタンの上でボスボスと鈍い足音を立てて、男達がなだれ込んでくる。皆ドラマの銀行強盗のように、目、鼻、口に穴の開いた毛糸のマスクをしているのが不気味だ。

 宮波が男に支えられながらその中心にいた。

「よくも暴れてくれたわね」

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