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夜の天気雨-水玉傘と天気占い-

作者: 彩珠那由正
掲載日:2026/06/25

「二人っきりですね、先輩」

「ああ、見てごらん。とても星が綺麗だ」

「はい。本当に綺麗です」

「でもね、僕は空を見上げることが出来ないでいるんだ。何故だと思う?」

「え……えっと、どうしてですか?」

「それはね、この星空よりも綺麗な君が、僕の隣にいるせいさ」

「あ、雨宮先輩、そんな……恥ずかしいです」

「晴香……」

「先輩……あの、雨宮先輩? 自分で自分を傷つけるのは、もうやめませんか?」

「……そうね。私もやっていて何か悲しくなってきた」

 

 抱いていた晴香の腰から手を離し、私は盛大にため息を吐いた。


 彼氏がいない女二人、もしも隣に彼氏がいたらというシチュエーションで、交互に彼氏役をやっては今みたいなやり取りを繰り広げていたのだが、さすがに空しくなってきてしまった。


 夏祭りの日、丘の上には私たち以外、誰もいない。


 祭り会場から離れたこの場所は、昔から私のお気に入りだった。


 人混みは苦手だけれど、花火は好きだ。


 だから毎年、打ち上げの少し前になるとここへ来る。


 町を見下ろせる高台。ここからなら花火もよく見える、とっておきの場所だった。

 

「女二人でも、私は楽しいですよ。雨宮先輩と一緒にいるのは楽しいですから」

 

 こんな恥ずかしい台詞を平気で言ってのけるこの子の名前は晴香。私が所属する水泳部の後輩で、色々と指導をしている内に段々と仲良くなっていった。

 

 素直ないい子で、正直同じ女から見て敵わないなってくらい可愛い。


 でも、それを鼻にかけている様子もなく、とても好感の持てる子だった。

 

 そんな子が浴衣姿で笑いながらあんな台詞を言うのだ。私が男だったら、きっとここで押し倒しているに違いない。

 

「晴香さ、何で彼氏とか作らないの? クラスの男共が放っておかない筈。告白されたりするでしょ?」

「それは、何度かありますけど……そうですね、いつかいい人が現れたら考えます」

「あんま理想が高すぎるのも考え物よ?」

「誠実で、ちゃんと芯が通っている人ならそれでいいんです。それ以外は求めません」

「へえ……不細工で、貧乏でも?」

「はい」

「臭くて、お風呂入らない人でも?」

「……不潔な人はちょっと」

「あはははは!」

 

 引きつらせた笑いを浮かべる晴香の姿が面白くて、笑ってしまう。

 

「何で笑うんですか! 雨宮先輩だって、不潔なのは嫌ですよね?」

「そりゃあね。汚いより綺麗な方がいいに決まってるよ」

「ですよね。お風呂はちゃんと入ってくれなきゃ困りますよ。うんうん、困る」

 

 一人でブツブツ言いながら、地面を見つめて首を縦に何度も振って頷く晴香は、可愛いだけじゃなく面白かった。

 

 そんな晴香を見ていて、ふと思い出す。


 そういえば昔、晴香のように見ているだけで楽しい気持ちになる女の子がいた。

 

 青いサンダルと、水玉模様の傘が脳裏に浮かぶ。

 

「雨宮先輩、どうしました?」

「……ん? ああ、ちょっと昔のことをね」

「昔のことですか?」

「小学校低学年の時の事なんだけど」

「雨宮先輩の過去ですか、ちょっと興味あります」

「いや、話してもいいけど、そんな面白い話じゃないよ?」

「聞かせてください」

「いいけど、まあ花火が打ちあがるまでまだ少し時間があるし、暇つぶしにはなるか」

 

 花火までは、まだ少し時間がある。

 

 私は草の上にハンカチを敷き、その場所へと腰を下ろした。

 

 同じように晴香もハンカチを敷き、肩に掛けていた手さげ鞄を両手で抱え持って私の隣に座る。

 

「昔出会った女の子の話なんだけどね。小学三年生の時に出会ったんだ。ほら、私が住んでる家の近くに公園があるでしょ? そこで天気占いをしている子がいたんだけど……」

「……え?」

「あ、天気占いって知らない? 靴を飛ばして、表なら晴れ、裏なら雨ってやつ」

「あ、いえ、知ってます」

「そっか。まあ、それをしている子がいたんだけど、私はその時、天気占いのこと知らなくてさ、何してるのか気になって声かけたんだ」

 

 話しながら、私は過去の光景に思いを馳せる。

 

 その忘れられない過去の思い出は、今でも鮮明に思い出すことが出来た。


 ◇   ◇   ◇


 「ねえ、何やってるの?」


 暑い日差しが照り付ける、夏休みの日。私は人の少ない公園で、ブランコを漕ぎながらサンダルを空へ向かって飛ばしている女の子に声を掛けた。


 私と同じくらいの歳だろうか。その女の子は片足でぴょんぴょん跳ねながら、飛んでいったサンダルを追いかける。


「天気占いだよ。知らないの?」

「天気占い?」

「ちょっと待っててね」


 サンダルを拾い、履き直してから女の子は私のもとへと駆け寄ってくる。


「昨日、お父さんに教えてもらったの」


 そう言って、彼女は私の目の前で再びサンダルを宙へと蹴り飛ばした。


 女の子の足から離れたサンダルは中空でくるりと回転し、表向きで地面に落ちる。


「表だから明日は晴れ。裏だったら雨」

「へえ」

「昨日は裏だったから、今日は雨だよ」


 私は空を見上げた。


 雨雲は広がっているけれど、まだ雨は降っていない。


「降ってないよ?」

「これから降るんだよ。天気予報でも言ってたし」

「あ、そういえばお兄ちゃんも傘を持っていけって言ってた」

「ほら、占い当たるんだよ」


 女の子が嬉しそうに笑う。笑顔の似合う、可愛い子だ。


「私もやる!」


 私は彼女の真似をしようと、運動靴をその場で半分脱ぎ、勢いよく蹴り上げた。


「あっ、でも運動靴は――」


 言葉の続きを聞く前に、私の靴は放物線を描いた後、地面を何度か跳ねて表向きで止まった。


「やった! 晴れだ!」

「運動靴は表になりやすいんだって」

「え? そうなの?」

「そういう構造らしいよ」

「それってずるくない?」


 なんだか騙された気分になる。


 すると女の子は少し考えてから、自分のサンダルを脱いだ。


「じゃあ、これ使う?」

「いいの?」

「うん」


 私はサンダルを借りる。


 ついでに持っていたバッグと傘を近くのベンチへ置いた。


「今度こそ本気!」


 足に力を込めて、思い切りサンダルを蹴り上げる。


 飛んでいったサンダルは先ほどよりも大きな放物線を描き――そのまま近くの木の枝に引っ掛かった。


「「あ……」」

 

 二人で木の近くへと駆け寄り、枝にぶらさがったサンダルを見上げる。


 気まずい空気をなんとかしようと、私は思いついた言葉を口にする。


「……明日は雹だね!」

「ええ!? 木の枝に引っ掛かると雹なの!?」

「今決めた!」


 可笑しそうに、女の子は吹き出した。


 サンダルは意外と高いところにあった。


 私は閉じられたままの傘を持って、木の枝えと伸ばしていく。


「届くかな」


 背伸びをして突いてみる。


 惜しい。本当に、あと少しだけ届かない。


「うぅ……あとちょっとなのにい……」

「たあああっ!」


 突然、後ろから声がした。


 次の瞬間、小石が枝を目掛けて飛んでいった。


 見事にサンダルへ命中し、枝から外れたサンダルが地面へ落ちる。


「やった!」


 振り返ると、そこには女の子が投球フォームを終えたままの体制で、得意げな顔を浮かべていた。


 本当に、見ているだけで楽しい気持ちにさせてくれる女の子だと思った。


 サンダルの救出に成功してからしばらくして、予報通り雨がポツポツと降り始めた。


「あ、本当に降ってきた」


 頬に落ちた雨粒を指で拭う。


 女の子も空を見上げたなら、ふと思い出したように呟く。


「あ」

「どうしたの?」

「傘……家に置いてきた」

「え?」

「玄関に置きっぱなしだった」


 困ったように眉を下げる女の子。

 

 雨は少しずつ強くなっていた。


「まっかせなさい!」


 私はバッグを開き、いつもそこに忍ばせている青い折り畳み傘を取り出した。


「これ貸してあげる」

「いいの?」

「もちろん。サンダル貸してくれたお礼」


 女の子の顔がぱっと明るくなる。


「ありがとう!」

「ねえ、その傘開いてみて」

「うん?」


 きっと驚くだろうなと期待しながら待っていると、女の子は不思議そうに首を傾げた後に、私が手渡した折り畳み傘を開いた。


「わあ!」


 予想通りの反応だった。

 

 傘の内側には、水玉模様。

 

 外からは見えない、秘密の模様だ。


「可愛い!」

「でしょ?」


 私は自分が持っていた傘も広げて見せる。

 

 こちらも同じ水玉模様。


「わあ! 一緒だ!」

「お兄ちゃんが作ってくれたんだ」

「すごい……」


 目を輝かせる女の子に、私は少し誇らしげな気持ちになった。


「私のお兄ちゃん、何でも出来るんだから」

「へえ」

「急にバク宙とかするし」

「なんで?」

「……分かんない」


 二人で顔を見合わせる。そして、同時に笑った「あはは!」と笑った。


「あ、でも傘返さなきゃだよね。ねえ、明日もここ来れる?」

「うん、来れるよ!」

「じゃあ明日返すね。明日も遊ぼ?」

「うん!」


 そう言って、女の子は小指を差し出した。


「約束」

「うん。約束」


 指を絡める。それだけなのに、なんだか少し嬉しかった。


「それじゃあ帰るね!」


 女の子は私が貸した水玉模様の折り畳み傘を差して、公園の出口へと走り出した。


 途中で何度も振り返り、そのたびに手を振ってくる。


 私は何度も手を振り返した。その姿が見えなくなるまで。


 女の子の姿が見えなくなってから、私も自分の傘を持って家に帰ることにした。


 ◇   ◇   ◇


 お腹に響くような大きな音と共に、夜空に光り輝く花が咲いた。

 

 花火の打ち上げが始まったようだ。

 

「綺麗だね、晴香」

「……はい」

「でもね、僕は空を見上げることが出来ないで……」

「またやるんですか!」

「あはは、ついノリで」

 

 二発目の花火が上がる。


 もう何度も見たこの祭りの打ち上げ花火は、何度見ても変わることなく綺麗だった。

 

「……それで、その後はどうなってんですか?」

 

 花火を見上げながら、晴香が話の続きを促してくる。

 

 この話はもうすぐ終わってしまう、本当につまらない話だ。


 けれど、つまらなくても途中で話をやめようとは思わなかった。


 だから私は過去の思い出話を終わらせるために、話の続きを口にした。

 

「私さ、行けなかったんだ。女の子との約束、破ったの」

「……そうですか」

 

 まるで答えが分かっていたかのように、晴香はすぐに返事をした。

 

「天気占いでは晴れだったけど、次の日はまた雨だったんだ。きっとあの女の子は、雨の中ずっと私の事を待ってたと思う。でも、私は行かなかった」

「……何か、理由があったんですか?」

「実はさ、女の子と出会った次の日に、兄さんがバイクで事故ってね」

「え?」

 

 連続で花火が打ち上がり、夜空が光で満たされる。


 この思い出は、女の子との楽しい記憶と、約束を破ったという嫌な記憶の二つがあった。

 

「私って小さい頃はお兄ちゃんっ子だったんだよ。その兄が事故にあったなんて連絡が入ったもんだから私と家族は慌てて新幹線に乗って、兄が住む所まで行ったわけ。女の子との約束をふいにしてね」

「そうだったんですか……お兄さんは無事だったんですか?」

「それがさ、全然大したことなかった。いや、右足を骨折したんだけどね、事故ったとは思えないほどのニコニコ顔で、病院に来た私たちに『やあ、久しぶり。事故っちゃった。あは』とか言ってさ。あれからだね、私がお兄ちゃんを兄さんと呼ぶようになったのは」

「あ、あはは……それは、良かったですね」

「まあね、大事無くてよかったんだけどさ。その次の日に、私とお父さんだけでこの町に戻ってきて、私はすぐに公園に行ったんだけど……いるわけないわよね。それから何度か公園に行ったけど、結局、その日から女の子とは会えなくて、それっきりだよ。ね、つまらない話だったでしょ? でもさ、私が約束を破ったってだけの本当につまらない話だけど、私は何故か忘れることが出来ないんだ。あの公園を通るたび、頭に浮かぶんだよね。雨の中、私が貸した傘を差して一人で佇む女の子の姿がさ。そして同時に思うんだ。もしあの日、私が公園に行くことが出来たら、今頃あの子と友達でいられたのかなって」

「……雨宮先輩は悪くないです。仕方ないと思います」

「仕方なかったっていえばそれまでなんだけど。何て言うのかな……事情があったにせよ、女の子とは会えなかったわけだし、ままならないって感じだよ……あの子、今頃どうしてるかな」

「きっと、その女の子は……」

 

 ラストフィナーレの花火が上がる。


 晴香が言おうとした言葉は、今までで一番大きな花火の音に掻き消された。


 止め処なく聞こえる音と空に光る花火。私と晴香は、無言でそれを見つめ続けた。

 

 全ての花火が打ちあがり、辺りが静寂に包まれる。


 耳鳴りと少しばかりの余韻を楽しんだ後、私は立ち上がった。

 

「ああ、綺麗だった! さて、花火も終わっちゃったし帰りますか」

「そうですね……それ!」

「え?」

 

 晴香は何を思ったのか、立ち上がったかと思うと履いていた黒塗りの下駄を宙に飛ばした。


 下駄は裏向きになって草の上に落ちた。

 

「あ、もしかして、話を聞いて晴香もやりたくなった?」

「はい。そんなところです」

 

 そういう子供っぽい所も男はくらっときそうだなとか、そんなことを思いながら、私は晴香の下駄を拾って晴香の足元に置いた。

 

「ありがとうございます」

「犬になった気分だよ」

「雨宮先輩は運動神経抜群ですから、きっとフリスビーも犬より上手に取りそうですね」

「犬と比べられてもね」

「あはは」

「さて、行こうか」

 

 晴香が下駄を履いたのを見計らって、私は先に歩き出した。

 

「子供って、無力ですよね。どんなに駄々をこねても、親の言うことには逆らえません」

 

 歩みを止め、振り返る。

 

「え、急に何?」

「私の家、田舎にあるんです。今はおばさんの家でお世話になってるんです」

「へえ、それははじめて聞いた……あっ」

 

 ぽつりと、頬に水滴が落ちた。

 

「雨? 月は出てるけど……珍しい、夜の天気雨だ」

 

 少しずつ、空から降る雨の量が多くなる。


 見上げても雲はなく、星空と月を確認することが出来た。


 夜の天気雨を見るのは、これがはじめてのことだった。

 

「凄いよ晴香! 夜の天気雨、こんなのはじめて見るよ!」

「私もはじめて見ます……花火の後に、夜の天気雨……何だか今日は、凄い日ですね」

 

 二人でしばらくの間、夜空を見上げる。


 体中に降り注ぐ雨は、何故だか温かい気がした。

 

「先輩、濡れると風邪ひきますよ」

 

 空を見上げていた私の頭上を何かが遮る。

 

「……え?」

 

 視界が星空から、水玉模様に変わった。


 ぽつぽつと、雨が傘を叩く音が耳に届く。

 

「その女の子は、ずっとこう思ってました。この傘を私に貸してくれた女の子に会いたいと、会って傘を返して、そして友達になりたいって」

「あ……そうだったんだ……私も……思ってたよ。また会いたいって」

「会えましたね!」

 

 少しだけ目じりに涙を貯めた晴香が笑う。

 

 その笑顔は、今まで見てきたどの笑顔よりも素敵だった。

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