砕けたキーホルダー ~カバンについた最後の思い出~
始まりというものは、いつも静かに訪れる。
大抵の場合、それは終わりの形をしている。
ニュースの音量を下げた瞬間、画面の端に“未成年の事故”という文字が見えた。
暴走トラックの事故。
うわぁ、規模大きいじゃん。
軽症の女性と、意識不明の男性。
両方10代かー……。こっわ。
ドコの車……あれ? ナンバープレートがぼやけてる?
ニュース映像の音声が、わずかに遅れ……映像がズレたような気がした。
編集のミス?
いや、Liveなのに、どうして??
「えっ……?」
他人事だと思おうとしたのに、映ったカバンのキーホルダーだけが、脳に焼き付いた。
――あれは、彼のものに似ている。
胸の奥で、小さく何かがひび割れた。
違う、違うはずだと自分に言い聞かせたのに、言い訳の言葉は息より先に消えていく。
子どもの頃、彼に渡したあの魔法少女のキャラクターのガチャポン。
もう恥ずかしいと笑う年になっても、彼は鞄につけ続けていた。
「ガチャポンって面白いよなー。
ありゃ、これかー。あ、でもこれ持ってるからあげる。
僕もつけとくから、親友の証ってことで!」
そう言った何気ない私の言葉。
「うん、親友の証だ!」
これを、彼はずっとカバンに付けていた。
たぶん、私よりもずっと大切にしていた。
――いや、似ているだけだ。あれは誰か別の子のものだ。
――子どもなら、ああいうキーホルダーを付けることだってある。
――だけど……あれ、もうガチャポンにはなかったはず。
そのはずなのに、靴も履き替えず家を飛び出していた。
冬の空気が刺すように冷たい。
そのせいで、心臓と手が震えてるだけ。
呼吸が乱れ、何かを祈るように名前を何度もつぶやいてしまう。
“どうか、違っていて。どうか、そこにいないで。”
願いは、走るたびに遠ざかっていく気がした。
走った。
息が荒れ、髪を振り乱れても構わなかった。
彼の家に着く。
ピンポーン、とインターホンを押しても、応答はない。
静かすぎる玄関。嫌な予感が脳裏をかすめた。
その瞬間、リィン――とスマホに付けた鈴が鳴った。
震える指でスマホを取り出し、今日の緊急受け入れを調べる。
近い病院だった。
脇目も振らず、私はまた走る。
――これで何もなかったら、久しぶりに話そう。
――ずっと昔からの気持ちを伝えてもいい。
――だから、お願い。
病院に入る。
入ると同時に、大きく体が重くなる。
息が強く切れる……走りすぎた?
結構な人が居て、ざわついていた。
「ねぇ、さっき運ばれた子……高校生ぐらいの男の子だったらしいわよ」
「トラックは“誰も見てない”とか言ってて、何それって感じ」
「警察も来てたけど、すぐに帰ったって。
引かれたのなら、事件なのにどうしてかしら?」
でも、そんなの気にしてはいられない。
あの噂話は彼の事?
確認しないと……。
息を整えながら、人をかき分けて、案内板を確認する。
――あっちね。
病院で走るわけにはいかず、速足で緊急外来に向かう。
自分の足音だけが、やけに響いた。
そのとき、誰一人すれ違うことはなかった。
あれだけ、人が居たはずなのに、誰も、いない?
さっきまでは、人であふれていたのに――。
いや、そんなことより、緊急外来のロビーに向かわないと。
緊急外来のロビーは暗く、受付だけにぽつりと光が灯っていた。
その光の中心に、受付の女性が立っていた。
妙に大きく、くっきりと。
空気が、さっきより張りつめたような気がした。
糸をピンっと張ったように。
私は構わず駆け寄り、声が震えるのも気にせず言った。
「すみません……界翔くんは、ここに……いませんか。
幼馴染なんです……!」
返事がない。
表情すら、変わらない。
――おかしい。
「輪音は、こっちに来ちゃダメだ」
子どものころから何度も聞いた声だった。
振り返っても、誰も、いない。
金属をひっかいたようなキィンという音が鳴る。
同時にズキンっと頭に鈍い痛みが走った。
明滅する光に包まれ、目の前が一瞬、ぐにゃりと歪んだ。
「な、なに?」
ほんの一瞬、世界が息を止めたみたいだった。
空気が“入れ替わる”音がした気がした。
「今日はどのようなご用件でしょうか?
問診表をご記入いただけますか?」
突然の声。
心配そうな受付の女性の表情と、明かりが灯っている?
まばたきをした一間、昼の病院の明るさが広がっていた。
ついさっきの暗いロビーが夢だったみたいに、
全部が白くて明るかった。
やけに、まぶしくも感じた。
人も少ないながら居て、先ほどとは全く違って見えた。
まるで、空間を切り取ったようなその時間を不思議に思いつつも、
もう一度同じ言葉を出した。
「すみません……界翔くんは、ここにいませんか。
私は、金堂輪音。
彼の幼馴染なんです……!」
「……ああ、彼の。ちょっと待っててもらえますか?」
眉を下げた表情で、心臓がドクンっと大きくなった。
「……はい」
言葉はか細くしか出せなかった。
そわそわし続けている。
落ち着く感じがしない。
その様子を心配しているのか、誰かしらが私を見続けているように感じる。
天井からすら見られているように感じるとか、笑えない。
「……ご家族様の確認が取れました。では、こちらに」
ぐっとさらに重くなる。
家族に、確認。
本人では、なかった。
――どうか、生きていて。
でも、現実はそんな優しくはなかった。
案内された時の記憶は、あんまり覚えてない。
顔の上に白い布がかけられていて、
私は、言葉が出なかった。
彼は、もう居ない。
そう思うと、自然と涙が零れた。
転んだ私に手を差し伸べてくれたあの手。
その手は、傷だらけだ。
「……界翔、どうして?」
「あの子は、道路で……トラックに」
音を立てて、すべてが崩れていく音が、聞こえた気がした。
『後悔は後で悔いるモノである』
突然、頭に浮かんだ言葉。
なるほど、言い得て妙にしっくりくる。
でも、彼いなくなってから、気づいてしまう。
彼を好きだったのは、子供のころの話。
いつの間にか、彼を“昔のままじゃない”理由で遠ざけていた。
でも、本当は気付いていた。
ずっと、私は彼のことが好きなままだった。
それに、私は目を逸らしてた。
本当は好きなのに、“違うよ”って誤魔化して。
恥ずかしがって。
最初に意地を張って、笑えずに拒絶したあの瞬間――
もし、『また、遊ぼう?』と言えていたら……。
もし、友達の目なんて気にしなかったら……。
もし、《《先に》》想いを伝えていたら、きっと何かが違ったかもしれない。
一緒に帰っていれば、変わったかもしれない。
……彼を、守れていたのかもしれない。
今にして思えば、おかしい。
誰かに、彼は導かれるように。
最初から“記録に残すつもりがなかった”みたいだった。
まるで、嘲笑われているかのよう。
トラックは見つからない。
ニュースも、肝心の“トラック”には一度も触れない。
まるで最初から無かったみたいに。
警察が動いてくれているのかもしれない。
だからなのか、映像にはトラックが映っていない。
まるで私だけが、何か大事なものを見えないようにされているみたい。
でも、違和感がぬぐえない。
なら、どうして、警察は帰っていったのか。
私にも事情聴取とかするものじゃないのか。
……やる気、あるの?
「界翔」
冷たくなってしまった彼には、もう届かない。
手を頬に当てても、彼の手はもう涙を拭いてはくれない。
――指先に触れた瞬間、冷たさが爪の奥までしみた。
その手首には、拭いきれない泥が乾き、白く浮いている。
彼の近くには、キーホルダー。
魔法少女のキャラの笑顔が砕けて、傷一つない彼の代わりに傷ついたかのように、感じた。
それが、より彼の喪失を際立てた。
どこか、彼が泣いている気がした。
手の感触が、まるでその涙を吸い込み、冷え切っているように感じて辛い。
まるで、彼に拒絶されているような。
慌てることも、笑顔も、ない。
白い布をそっとめくられても、綺麗にただ眠りにつき、表情すら歪まない。
笑顔も、泣き顔も、困った表情も、全部ない。
どうして、傍にいてあげられなかったんだろう。
どうしてあの時、笑って“またね”と言えなかったんだろう。
伝えられなかった言葉は、今も胸の奥で静かに燻っている。




