第三十二話 逃げ場を作るという仕事
32話です。
朝、畑に来る人数は揃っていた。
だが、
全員が中央に集まらない。
自然に、端ができる。
木陰。
倉の影。
水路の向こう。
誰も指示していない。
だが、
誰も咎めない。
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「……今日は、静かだね」
誰かが言って、
誰も返さない。
静か=悪い、ではない。
この村は、もうそれを知っている。
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先生は、板を持ってきていた。
久しぶりに、
線を引かない板だ。
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「今日は、仕事の話ではありません」
ざわめきが起きる。
「え?」
「じゃあ、何?」
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「逃げ場の話です」
一瞬、空気が固まる。
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午前。
作業は始まるが、
全員ではない。
「……あれ、ユノは?」
「倉」
「ロウは?」
「水路の向こう」
理由は聞かれない。
それが、変化だった。
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先生は、板に短く書く。
逃げ場
→ 役割を持たない
→ 評価しない
→ 説明しなくていい
「……サボり?」
誰かが言う。
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「違います」
先生は首を振る。
「機能です」
ざわめき。
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「働かない時間があるから、
働ける時間が続きます」
セラが、小さく言う。
「……それ、
昨日まで言われなかったやつ」
「昨日までは、
必要ありませんでした」
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昼前。
倉の影で、
ユノが座っている。
何もしていない。
だが、
眠ってもいない。
「……来たの?」
声をかけられて、
驚いた顔をする。
「誰にも、
何も言われないのが……」
言葉が続かない。
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先生は、近くの板に一行足す。
逃げ場
→ 何もしない
→ だが
→ 壊れない
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昼。
集まりは、起きない。
代わりに、
小さな島がいくつもできる。
二人。
一人。
三人。
それぞれ、距離が違う。
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「……話したくない」
「……一人でいい」
「……今日は、誰とも」
それが、
許されている。
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午後。
畑の端で、
余っていた男が言う。
「……逃げていいってさ」
「いいの?」
「先生が」
二人で、苦笑する。
「……助かるな」
「うん」
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作業量は、落ちた。
だが、
止まらない。
誰も無理をしていないからだ。
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夕方。
セラが、先生の横に立つ。
「ねえ」
「はい」
「逃げ場ってさ」
「ええ」
「……責任放棄に見えない?」
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先生は、板を指す。
逃げ場がない
→ 無理をする
→ 壊れる
逃げ場がある
→ 戻れる
「戻るための場所です」
セラは、静かに頷く。
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夜。
集まりは、ある。
だが、
輪は大きくならない。
「今日は……」
「……来なくていい人もいる」
それだけで、決まる。
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灯りは少ない。
布は敷かれない。
だが、
誰も孤立していない。
一人でいることと、
独りになることは、違う。
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翌朝。
畑は、昨日より軽い。
声が戻る。
挨拶が増える。
劇的ではない。
だが、
折れていない。
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少年が、先生に聞く。
「先生」
「はい」
「逃げた人、
戻ってくる?」
先生は、少し考える。
「戻れる人だけが、戻ります」
「戻れない人は?」
「去ります」
「それで、いいの?」
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先生は、はっきり答えた。
「去る自由がない村は、
牢屋です」
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板の下に、最後の一文が書かれる。
制度
→ 人を縛る
逃げ場
→ 人を残す
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農村は、
新しい段階に入った。
働かせる村から、
残す村へ。
成功ではない。
だが、
長く続く形だった。
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次回予告(PVフック)
第三十三話
「戻ってこない選択」
逃げ場を作ると、
必ず出る。
――戻らない人間。
その選択を、
村は受け入れられるのか。
誤字脱字はお許しください。




