第二十九話 説明できない欲
29話です。
朝、畑は静かだった。
配置は守られている。
理由も、説明も、全員が理解している。
――それでも。
目が、合いすぎる。
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「……おはよう」
声は出る。
だが、
一拍遅れる。
昨日までは、
納得が先にあった。
今日は、
感情が先に立っている。
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午前。
作業は順調だ。
鍬は正確。
水は均一。
無駄はない。
だが、
触れない距離が、近い。
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セラが、手を止めて言う。
「ねえ、先生」
「はい」
「これ……説明、できないよね」
「何がですか」
「……これ」
言葉にせず、
視線だけを向ける。
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そこにあるのは、
仕事ではない。
役割でもない。
欲だ。
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昼前。
井戸のそばで、
小さな声が重なる。
「……夜、どうする?」
「決めてる」
「誰が?」
一瞬、沈黙。
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「先生が決めるの?」
誰かが言う。
その問いに、
空気が張りつく。
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先生は、首を振った。
「決めません」
「え?」
「決められません」
ざわめきが起きる。
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「仕事は決めたじゃん」
「配置も」
「公平も」
「欲は?」
誰かが、強く言う。
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先生は、板を立てる。
久しぶりに、
線を引かず、言葉だけを書く。
欲
→ 理由がない
→ 説明できない
→ だから
→ 強い
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「欲は、
正当化できません」
先生の声は低い。
「だから、
管理が難しい」
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昼。
集まりが自然に起きる。
「……選ばれてる人、いるよね」
「偏ってる」
「説明、聞いても……」
言葉が、途中で切れる。
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「納得は、できない」
誰かが言う。
「理解は、してるけど」
それが、
一番危ない状態だった。
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午後。
作業中、
誰かの手が、誰かの腕に触れる。
一瞬。
「……ごめん」
「いい」
だが、
離れるのが遅れる。
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セラが、小さく言う。
「先生」
「はい」
「これ、放っておいたら……」
「壊れます」
即答だった。
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板に、追記される。
欲
→ 放置
→ 噂
→ 比較
→ 憎しみ
誰も否定しない。
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夕方。
畑の端で、
男が一人、言う。
「……正直に言っていい?」
「どうぞ」
「羨ましい」
それだけだ。
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否定も、反論も出ない。
羨ましい、は
説明できない。
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夜。
集まりは、ある。
灯りは少ない。
距離は、近い。
「今日は……」
言いかけて、止まる。
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誰かが、言う。
「決めてほしい」
視線が、先生に集まる。
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先生は、ゆっくり首を振った。
「決めると、
恨みが私に集まります」
沈黙。
「それでも?」
誰かが言う。
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「それでも、
欲は消えません」
その言葉が、
重く落ちる。
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夜は、何も起きなかった。
だが、
何も起きなかったことが、
一番不穏だった。
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翌朝。
畑は回る。
だが、
視線が、刺さる。
説明では、
ここまでだった。
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先生は、板に最後の一行を書く。
欲
→ 説明できない
→ だから
→ ルールがいる
少年が、それを読む。
「先生」
「はい」
「それ……また揉める?」
先生は、少しだけ笑った。
「揉めない欲は、
存在しません」
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農村は、
次の段階に入った。
仕事の公平。
配置の説明。
それでも残る――
説明できない欲。
ここから先は、
優しさでは進めない。
誤字脱字はお許しください。




