第二十五話 小さな余り
25話です。
朝、畑に出て、誰かが言った。
「……あれ?」
それは疑問でも驚きでもない。
違和感に近い声だった。
「何?」
「いや……いつもより、早い」
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作業は、確かに早かった。
鍬が止まらない。
水が均一に回る。
人が詰まらない。
誰も頑張っていない。
だが、
どこも引っかからない。
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先生は、板を持ってきていなかった。
今日は、
数える日ではない。
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午前。
溝のそばを通った女が、足を止める。
「……水、ちょうどいいね」
「昨日、掃除したから」
それだけの会話。
だが、
誰も否定しない。
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昼前。
いつもなら、
この時間帯に誰かが声を上げる。
「まだ終わらない?」
「昼、遅れそう」
今日は、出ない。
代わりに、
一人、手が止まる。
「……あれ、終わった」
終わった、という言葉に、
周囲が一瞬だけ静かになる。
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「……何する?」
誰かが言う。
この村で、
一番扱いづらい言葉だ。
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セラが、周囲を見る。
「……少し、休む?」
「休んでいいの?」
「今日は、いいでしょ」
許可が必要なあたり、
まだ慣れていない。
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木陰に、数人が座る。
水を飲む。
汗を拭く。
誰も、寝転ばない。
だが、
体が戻ってくる感じがあった。
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「……暇だね」
誰かが、笑う。
笑っていいのか、
測っている声だ。
「暇って言うな」
「でも……」
言葉が続かない。
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先生が、初めて口を開く。
「それが、余りです」
全員が、そちらを見る。
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「水の余り」
「時間の余り」
「体力の余り」
「どれも、小さい」
「でも、重なります」
セラが、息を吐く。
「……贅沢だね」
「ええ」
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午後。
誰かが言い出す。
「……あれ、直しておく?」
「今?」
「今なら、余裕ある」
選ばれない仕事が、
選ばれる側に回った瞬間だった。
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別の男が言う。
「道の石、邪魔じゃなかった?」
「前から気になってた」
「やっとく?」
誰も反対しない。
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夕方。
畑の外の仕事が、少し進む。
目立たない。
だが、
確実に残る。
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セラが、先生の横に立つ。
「ねえ、先生」
「はい」
「これ……成功?」
先生は、少し考えた。
「成功ではありません」
「じゃあ?」
「失敗しなかった結果です」
セラは、笑った。
「それ、好き」
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夜。
集まりは、自然に起きた。
「今日は……」
「……どうする?」
声が軽い。
「明日、余裕あるし」
「じゃあ……」
言葉が、途中で止まる。
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誰かが、言い直す。
「無理は、しない」
全員が頷く。
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布が敷かれる。
灯りは二つ。
距離は、
昨日より少し近い。
誰かの手が、
誰かの指に触れる。
絡まない。
だが、
離れもしない。
※①
余りがあると、
欲は暴れない。
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翌朝。
畑は、
昨日と同じ速度で回る。
誰も驚かない。
だが、
不安もない。
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先生は、初めて板を出す。
短く、書く。
小さな余り
→ 判断が楽になる
→ 無理をしない
→ 続く
少年が、それを読む。
「先生」
「はい」
「これ……増える?」
先生は、首を振る。
「守らないと、消えます」
「守ったら?」
「次に行けます」
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昼。
木陰で、誰かが言う。
「……今日、悪くないね」
それは、
この村で一番大きな賛辞だった。
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小さな余りは、
祝われない。
だが、
確実に覚えられる。
農村は、
初めて
**“余裕を管理する段階”**に足を踏み入れた。
誤字脱字はお許しください。




