孤独の正当化
僕はたぶん、逆張りの馬鹿だ。
それは自覚している。
世の中に対して文句ばかり言って、誰かが楽しそうにしていると無性に冷めてしまう。
「いいじゃん、別に」って笑って済ませられない性分なのだ。
街を歩いていても腹が立つことばかりだ。
公共の場でいちゃつくカップル。
スマホ片手に大声で笑ってる若者。
TikTokの音楽をスピーカーで流す中学生。
まるで自分が存在している世界に興味がないみたいに、彼らは自分の快楽だけを優先して生きている。
いや、快楽ですらない。
流行という名の空気に流されて、自分が何者かもわからないまま生きている。
その群れが、僕は心底うざい。
でも、こういうことを言うと、決まってこう言われる。
「そんなこと気にしなきゃいいじゃん」
「人のことなんて放っとけよ」
それができたら苦労はしない。
放っとけないから苦しいのだ。
僕は他人の無神経さに耐えられない。
世界がどんどん鈍感になっていく音が聞こえる。
人が人であることを忘れていくような、そんな匂いがしてくる。
駅のホームで恋人同士が抱き合っている。
それを見て、「幸せそうだね」と思えない自分に嫌気がさす。
電車の中ではイヤホンから漏れるシャカシャカ音。
スタバの中では、ノートパソコンを開いてドヤ顔で仕事してるフリの男。
SNSでは「これが今のトレンドです」とか「バズる曲まとめ」とかが溢れている。
みんな自分を持っていない。
誰かが流した正解らしきものに群がって、同じ言葉を発して、同じリアクションをして、同じ笑い方をする。
それを“共感”と呼ぶらしい。
僕には、ただの同調圧力にしか見えない。
正直に言うと、羨ましいときもある。
あんなに簡単に笑えて、あんなに簡単に世界と繋がれるなら、それはそれで幸せだろう。
でも僕は、どうしてもそれができない。
心のどこかで、「そんなもん偽物だ」と思ってしまう。
僕が間違っているのか、世の中が壊れているのか、もはや判断もつかない。
ただ、ひとりになってようやく呼吸ができる。
夜のコンビニに行くと、照明の白さが妙に落ち着く。
誰も話しかけてこない。
誰も僕を観察しない。
レジの店員は無言で会計を済ませ、僕は缶コーヒーとタバコを買って店を出る。
この無関心だけが、僕にとっての優しさだと思う。
街の喧騒も、笑い声も、流行の言葉もない。
ただ冷たい空気と自分の呼吸音だけが残る。
家に帰ると、スマホを机に置いて通知を全部切る。
タイムラインなんて見たくない。
「幸せアピール」も「病んでるアピール」も、どれも同じくらい気持ち悪い。
誰かに見てもらう前提でしか生きられないのか。
誰かの承認がないと、自分が存在できないのか。
そんな社会に、僕は何の魅力も感じない。
僕はいつからこんなに拗らせたんだろう。
昔は少しくらい素直だった気がする。
「流行り」とか「人気」とか言われれば、とりあえず興味を持ってみた。
でも、ある日気づいた。
“好き”という言葉が、誰かの口から出るたびに薄っぺらくなっていくのを。
“好き”という感情すら、他人の評価によって左右されるようになっているのを。
そこに真実なんてない。
それを悟ってしまった瞬間、僕の中の何かが冷めた。
たとえば、誰かが「この映画泣けるよ!」って言えば、僕は絶対に泣かない。
誰かが「このカフェおしゃれだよ!」って言えば、行っても何も感じない。
反射的に構えてしまうのだ。
心のどこかで「それ、本当にいいと思ってるの?」と問うてしまう。
そして、そう問うた瞬間にもう楽しめなくなる。
誰も僕を裏切っていないのに、僕は勝手に世界を疑っている。
でも、その逆張りは一種の防衛本能でもある。
群れに入らなければ、失望しない。
期待しなければ、裏切られない。
孤独でいることは確かに苦しいが、嘘を飲み込むよりはずっと楽だ。
僕はその静かな孤独を、自分なりの誇りとして抱えている。
夜、窓を開けると遠くの繁華街の音が聞こえる。
笑い声、車のクラクション、ビルの隙間を抜ける風。
誰かの人生がちゃんと動いている音。
僕の部屋は静かで、冷たい。
でも、この静けさの中でしか、自分が自分でいられない。
それでもたまに、思うことがある。
もし、僕みたいな人間が世界にもう少しいたら、世界はどうなっていたのだろう。
たぶん息苦しくて、退屈で、冷たくて、誰も笑えない社会になっていただろう。
つまり、僕みたいなのは少数派でちょうどいいのだ。
世界のバランスを取るための“ノイズ”みたいな存在。
そう考えると、少しだけ気が楽になる。
世の中がうざくても、世界は止まらない。
人々は恋をし、笑い、写真を撮り、SNSに上げる。
誰も僕のことなんて知らないし、僕も誰のことも知らない。
それでいい。
僕は僕の目でこの世界を睨みつけ、
誰も見ようとしない場所を見て、
誰も聞かない音を聞いて、
誰も気づかない違和感を集めて生きていく。
それが僕の「生き方」なんだと思う。
くだらない群れの外で、
ただ一人、冷めた目でこの世界を見ている。
そして、いつか誰にも見えないところで静かに笑って死ねればいい。
流行にも、同調にも、誰かの“いいね”にも縛られないまま。
僕は、そういう逆張りの馬鹿として、今日も息をしている。




