第3話「吃音の男」
吃音の青年――ティロン・エルディアス。
静かな王宮の夜、ジークと彼のあいだに、はじめての対話が交わされます。
それは少しぎこちなくて、けれどどこかあたたかくて。
ふたりの関係が、少しずつ動き始める回です。
宴が終わり、夜の王宮は静かに沈んでいた。ジーク・バルガハルは、長い廊下をひとり歩いている。
その背後、そっと誰かの気配が――
リュシア「……おひとりですか?」
リュシアが、控えめに声をかけてきた。
今夜の主役同士。けれどまだ、どこかぎこちない空気が漂っている。
ジーク「姫さまこそ……お疲れでしょう」
リュシア「大丈夫です。……ご挨拶もろくにできていなくて……」
小さな沈黙。
リュシアは、柔らかく微笑む。その笑顔はどこか初々しい。
リュシア「これから……少しずつで構いません。お話しできれば、嬉しいです」
ジーク「……はい。こちらこそ」
ふたりの間に、ほんの短い“あたたかさ”が流れる。
リュシアは軽く会釈して、静かに去っていった。
ジークがひとり廊下に残ったとき――
物陰から、誰かが近づく。
その足取りはほとんど音を立てず、壁際の影からすっと現れた。
現れた青年――ティロンは、銀髪に青白い肌、目元にうっすらと憂いを浮かべている。
そして、彼が口を開いた瞬間、言葉がなかなか続かず、しばらく空白が落ちる。
ティロン「……ず、ず……ずいぶん……た、たの……楽しそう、だ……っ、たな」
息を吐くように、時折ことばが喉で詰まり、同じ音が何度も繰り返される。
本人はそれをどうにか飲み込みながら、こちらを直視している。
ジークはその異変に動じることなく、ごく自然に返す。
ジーク「……何か御用でしょうか」
ティロンは少し口元を歪め、今度はゆっくりと――単語の端々で言葉が絡まりながらも、諦めずに続ける。
ティロン「……き、きみ……が、ジ……ジーク・バルガハル、だろ……?」
声はどこか乾いていて、吐息混じり。言葉の節々で、わずかに肩や指が痙攣するような仕草も混ざる。
ジーク「そうです。あなたは?」
ジークの声色に、差別や警戒の色は一切ない。
ティロンは、少し驚いたような、そしてどこか警戒を解くような目つきで一瞬だけジークを見る。
それから、再び言葉が喉元でもつれ、ため息のように吐き出す。
ティロン「ぼ……ぼく、は……、た、た、ただの……通りすがり、さ……。こ、この、王宮には……き、君みたいな、か、顔……は、め……珍しい」
吃音は依然強いが、話していくうちに少しずつリズムが乗っていくようにも見える。
ジーク「珍しい、ですか?」
ティロン「“外から来た奴”は、す、すぐに分かるんだ……。この空気、な、慣れてない……顔をしてる」
ティロンの発話は相変わらず引っかかるものの、ジークは気にすることなく、やや穏やかに返す。
ジーク「あなたは、この空気に慣れている?」
ティロンは、ためらいがちに壁にもたれた。
ティロン「……うん……こ、ここが……僕の……檻、みたいなもの、だ」
ここから先、ティロンの吃音は少しずつ弱まり、むしろ皮肉や観察者らしさが浮き出てくる。
ティロン「――君は、しゅ。祝福されてると、本気で思った?」
ジーク「……正直に言えば、違和感ばかりでした。祝福より、冷たい目線ばかりで」
ティロン「ふ……ふふ。まともな感覚で良かった。……この場所の“祝福”は、だいたい、毒と同じだよ」
ジーク「……ずいぶん捻くれてますね」
ティロン「しょ、正直なだけさ。……君みたいな“希望の駒”を、みんな内心どう見てるか、知りたい?」
ジーク「……」
ティロン「表向きは歓迎。裏では……ああ、きっと面白がってる。新しい玩具が増えたってね」
ジーク「玩具、ですか」
ティロン「“駒”でも“玩具”でも。ここは、そういうところ。……君の席も、いつ消えるか分からない」
ティロンはわざとらしく肩をすくめる。
ティロン「……ま、慣れるよ。そ、そのうち、“蚊帳の外”にも」
ジーク「あなたも……“蚊帳の外”ですか?」
ティロン「ぼ、僕? ――僕なんて、最初から“枠の外”だよ。だれも、見ちゃいない」
皮肉にも哀しみが混じる一瞬。
ジーク「……なぜ、それでも王宮に?」
ティロン「さあ。……で、出ていけるほど、強くないからかな。……君と違って」
ティロンは、ふっと息をつき、壁から離れる。
ティロン「……じゃ、ほ、僕はこれで」
歩き出しながら、ティロンが後ろ手に振る。
ティロン「……お、おやすみ。“新人貴族”さん」
ジークは、彼の残した言葉の棘を胸に感じながら、静かな廊下にひとり残った。
やがて廊下の奥に、ティロンの足音が小さく消えていく。
その胸裏には、幼い頃から投げつけられてきた冷たい視線や、嘲るようなささやきが、静かな残響としてこびりついていた。
言葉が詰まるたびに、周囲はわずかに眉をひそめ、顔を背ける――そんな反応ばかりを見てきた。
だが、さきほどの男は違っていた。
どれだけ言葉がつかえても、ほんの少しも態度を変えず、自然に会話を返してきた。
その事実が、ティロンの心に小さな戸惑いを残していた。
それが何なのか、自分でもまだ、うまく言葉にできないまま。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回、ティロンが本格的に登場しました。
少しずつジークとの距離が近づくきっかけになる回でもあります。
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