•第1話「処刑前夜。牢の中の俺に“鍵”が投げ込まれた」
※この話には暴力・死の描写が含まれます。
地下牢に閉じ込められた元軍人ジーク。
処刑を待つ彼の前に、言葉をうまく話せない“王族の青年”が現れる――
革命は、鍵ひとつから始まった。
しん――としていた。
湿った石壁にもたれ、崩れ落ちるように座っていた。背中の骨が、冷たい石に軋む。
地下牢の空気は重く、血と鉄と、干からびた汗の匂いがこびりついて離れない。
どこか遠くで、何かが爆ぜた。戦か、雷か。それとも、誰かがまた“処され
た”音か。
──関係ない。
ジーク・バルディアは、もうすぐ殺される。
理由はある。だが、分からないふりをしている方が楽だった。
信じてくれた人がいた。背を預けてくれた者もいた。
だが結局、自分は“何も守れなかった”。
仲間も、理想も、正義も――全部が嘘になった。
喉が張りつく。唾を飲むたびに血の味がする。指先は氷のように冷たい。もう自分のものじゃないみたいだった。
目を閉じると、“あの目”が浮かぶ。
託してくれた目。信じてくれた手。
最後まで自分に未来を託してくれた“あの人”の――その手を、裏切った。
何も見たくなかった。
目を開けば、錆びた鉄格子と、誰かの骸。
目を閉じれば、後悔と怒号と、焼けるような叫び声。
生きても、もう戻れない。
いや、“戻れる場所”など、最初からなかったのかもしれない。
牢番のいびきが響いている。
扉の向こう、木の椅子に浅く腰かけ、頭をがくりと落としたまま。
首の鎖が揺れ、金属音が濁って響く。地下牢を支配するのは、沈黙と腐臭。そのすべてが、鼓膜の奥で、世界を塗り潰していく。
――そのときだった。
視界の端に、“何か”がいた。
いつからいたのか分からない。
鉄格子の外、松明の影の中に、人影が静かに腰を下ろしていた。
気配はない。だが、確かに「いる」。
目が合った。黒い影が、ただ黙ってこちらを見ていた。
その唇が、ほんの僅かに動いたように見えた。
***
ジークは顔を上げた。
朦朧とした視界のなか、その姿をぼんやりと見つめる。
鉄格子の向こうに、フードの青年――ティロン・エルディアスが立っている。
彼はジークの足元に、ひとつの鍵を転がした。
ティロン「……ま、ま負けっぱなしで、寝てた方が楽かもしれないけどさ」
牢の外から、吃音の混じる低い声。皮肉と芝居がかった響き。その奥に、熱を殺したような影がある。
ティロン「……誰かのために動いて、裏切られて、ふ。踏み潰されて……
そ、それでも、“何も残らなかった”って、笑えるくらいに惨めで……」
ジークは顔を上げなかった。ただ、かすかに手が震えていた。
ティロン「“それが人生”って、あ、諦めるのもひとつの才覚さ。
じ、実際、お前は“よくやった”と思うよ。……この国の終わりにしては、ずいぶん綺麗な死に様だ」
一拍の沈黙。
ティロン「……ま、まあ、“汚いまま這いずる”よりは、よっぽど楽だろうしな」
ジークの目が、わずかに揺れる。
その目線の先。鉄格子の外、足元に転がった鍵。
ティロン「……で? 君は、そ、そのまま“きれいに”終わるつもりか」
それは問いではなかった。まるで“選べ”とでも言うように、静かに置かれた言葉だった。
ティロン「……お。俺は、外で待ってる。
もがく気になったら――その時は、い。一緒に来い」
ジークは、ふと息を吸った。血の味がした。渇いた喉に、焼けつくような空気が流れる。
“綺麗に死ぬ”――そんな言葉に、心のどこかが、軋んだ。
……それで、終わっていいのか。
誰に問うでもなく。
ただ、自分自身に。
ジークは、震える手で、鍵を拾い上げた。
***
冷たい金属の感触が、掌に重くのしかかる。
震える指で、ジークは鍵を回す。
ギィ――。
錠が外れる音に、牢番が目を覚ました。
鈍く濁った目が、こちらを睨む。
牢番「……てめえ、何してやがる」
足音が近づく。ジークは、とっさに扉の影に身を隠した。
――殺すしかない。
そう思うより先に、身体が動いていた。
背後から飛びかかり、首に腕を回す。
牢番「ぐっ……!」
暴れる肩を、押さえつける。
首の骨が軋む音が、耳の奥で響いた。
ジーク(やめろ……やめてくれ……)
殺すつもりなんてなかった。
でも、手を緩めれば殺される――。
数秒の後、牢番の力が抜けた。
ジークは、荒い呼吸をこらえながら、崩れ落ちた体をそっと床に下ろす。
血の気が引いていく。目の前の男は、かつて同じ軍服を着て城壁を守ったこともあった。
だが今は、もう“敵”だった。
自分を監視し、死へと追いやる側――。
それでも、殺した。
ただ、生き延びるために――。
***
逃げる足音が、闇に消えていく。
だが、“なぜこんなことになったのか”――
それだけは、まだ自分でも分からなかった。
剣は訓練で振ってきた。戦場で敵を斬ったこともある。
だが、牢番はかつての「仲間」だった。
王都の兵士として、同じ焚き火を囲んだ夜もあった。
でももう違う。
今は“処刑人”で、“自分を殺すための手”だった。
――だから俺は、手をかけた。
自分の意志で。ただ、“生きるため”に。
これは正義じゃない。任務でもない。
ただ、壁の向こうに続く“何か”を信じた。
鍵を投げてきた、あの異物のような青年の視線だけが――何より現実だった。
血の温度が、まだ掌に残っている。
すべての始まりは、あの婚約発表の夜。
あの祝宴で、何かが確かに狂い始めたのだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
処刑直前の男と、喋れない王族。
彼らが交わす静かな会話が、物語の起点になります。
次回から、王都の陰謀が少しずつ動き始めます。
引き続きよろしくお願いします。
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