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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 11 La decisione di un Padre(とある司祭の決断)
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Episodio 7 Encontro com Kanpaku(関白との会見)

                  1


 翌日、関白殿下の軍の船団は昼頃には長崎に着いた。

 コエリョ師はその船に乗ってきた武将を案内し、教会やポルトガル商館、そして長崎の町を見せたりしていた。その武将は信徒クリスティアーノではないようだった。


「この町は大村の殿から寄進を受けて、イエズス会の所領となっております」


 フロイス師の通訳を聞いた武将の顔が少し曇ったのを、同行していた私は見落とさなかった。

 そしていざ乗船となって、コエリョ師とフロイス師は船に乗り込もうとした。私も当然のごとくそれにつき従おうとしたら、コエリョ師は不快そうに私を制した。


コニージョ神父(パードレ・コニージョ)、なぜなたが同行するのです?」


 たしかに、私がともに行く必然性はない。だが、それはコエリョ師らにとってであり、私としてはこういう時に同席することこそが目的でオルガンティーノ師に派遣されたのだ。だが、それは彼らには言えない。


「でも私は、こちらではあくまで都布教区のオルガンティーノ布教区長の代理として振る舞うようにと、オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノからは命じられています。だから、関白殿下との会見にも、オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノの代理として出席させて頂きます」


「好きにするがいいでしょう」


 意外とあっさりコエリョ師は認めたものだった。隣にいたフロイス師は不服そうな顔をしていた。

 さらにはポルトガル商館から商館員が三名、平戸にいるカピタン・モールから関白殿下への進物を携えて同行することになった。


 我われは船に乗り込んだ。ポルトガル商人とは別の船だった。と、いうのも船は一艘ではなく五艘の軍船だったからだ。

 軍船とはいっても小型のフスタ船よりさらに小さい。軍船の中でもいちばん小さな小早コハヤという船で、小さいだけに速度はいちばん早いらしい。

 しかもこの日は帆ではなく漕ぎ手が櫓を漕いで進んだ。ナウ船だと数時間で着く口之津まで日本の帆船だとその日のうちに着くのは無理だが、この船だと夕方までには口之津に着いた。

 口之津で一泊というのはコエリョ師が出した希望だ。ここで有馬にいるモウラ師と合流して、ともに八代に行くことになっている。モウラ師は有馬の神学校セミンリヨの院長だが、今ではシモ布教区の布教区長も兼ねている。だから、関白殿下との会見に同行するのは当然ともいえた。


 関白殿下の武将と家来たちは停泊した船の中で寝てもらって、我われは口之津の司祭館に入った。モウラ師はすでに到着していて、私との久々の再会を喜んだ。ほかに口之津で私は、小ロペス師とも再会した。

 さらには天草の教会のゴンザレス師もいた。ゴンザレス師は以前有馬の近くの有家の教会にいたので、ヴァリニャーノ師による長崎の協議会で顔を合わせたと思う。

 今回は天草の殿であるドン・ジョアン天草殿の用向きでコエリョ師を訪ねて来たということだ。夕食の間は、天草からここへ向かう途中に海賊に襲われてその城に拉致され、ドン・ジョアン直々に兵を出してくれて助かったという話で持ちきりだった。

 私はコエリョ師、フロイス師とは食事と聖務日課の時以外はほとんど顔を合わせることもしなかったし、ほとんど会話もなかった。

 食事の後コエリョ師はゴンザレス師と天草のことについて別室で話し込んでいたし、私はモウラ師や小ロペス師との再会に話に花を咲かせていた。。


 そして翌日は早朝には、我われを乗せた関白殿下の軍船はモウラ師も加えて出港した。

 口之津からまっすぐ南下する対岸は天草の島だが、船は少し東に進みながら南下した。自然と本土と天草の島の間の狭い海峡を通過する形になった。海峡といってもまっすぐではなく、大小さまざまな島の間を進むような形で、とても美しい景色だった。

 その海峡を抜けてっもう一つの海を越えた向こうが九州本土で、まっすぐに進む対岸が八代だということだ。

 その陸地に近づくにつれ、何カ所か広い範囲にわたって山火事のように煙が立ち上っているのが見えた。


「あれは関白殿下に攻撃されて炎上した敵の城です。もう二、三日もああして燃えたままです」


 船で同行している関白殿下の武将が説明してくれた。

 八代が近づいた。ここもまた風光明美である。ちょうど川が何本にもなって分かれて海に注いでいるが、船はその幅の広い川をさかのぼっていく。ほんのわずかな平らな土地は水田で、稲がちょうど青々と波を打っていた。

 川の上流はすぐに右に折れまがり、そこに港がある。港からすぐの山を登ったところが八代の城だという。

 我われはとりあえずそのっ山の下にわずかに広がる城下町の中の、一つの屋敷に案内された。

 屋敷といっても、明らかに寺だった建物に思われる。戦争の傷跡でだいぶ破壊されているようだった。だが今はその寺も、関白殿下の武将が接収しているという。

 城下町の様子を見てもほとんどの家が焼かれたり壊されたりして、この八代の城を関白殿下が攻撃するためにかなり激しい戦闘が行われたようであることを物語っていた。

 破壊を免れた家も住民たちはどこかに追いやられて、関白殿下の武将や兵士たちが自らの宿営にしていた。

 町は関白殿下の兵であふれていたのである。

 我われを向かてくれたもともとは寺であった屋敷の主は、なんと信徒クリスティアーノだった。

 我われの到着はもう薄暗くなり始めた頃で、部屋に通されてすぐに酒と食事が運ばれて、我われはかなりのごちそうにあずかるのだった。

 我われ四司祭と数人の修道士、そしてポルトガル商館員の三人で話は盛り上がっていた。

 我われは聖務日課を済ますと、特にすることもないのでさっさと寝てしまった。


 翌朝は、うるさいほどの小鳥の鳴き声で目が覚めた。

 ここでは、大自然の営みに囲まれて生活しているのである。そこへ武将の小姓が、朝食について伺いに来た。我われはミサを立てねばならず、朝食はその後になる旨をフロイス師は告げていた。自動的に関白殿下との会見は午後になる。

 この日は木曜日で、実は聖体祭なのである。ここで三人でミサを挙げることになるが、そのことは想定の範囲内で聖具とかは一応持ってきてある。もちろん、聖体行列などはできない。こんな山の中でこの人数でやっても仕方がない。


 頃合いを見計らって、コエリョ師の司式で聖体祭のミサを始めた。

 パウロの書簡ではキリストの最後の晩餐を伝える「コリント書」で、福音書エヴァンゲリウムは「ルカ伝」からあの五つのパンと二匹の魚による大群衆への給食の話だった。

 こんな状態だからコエリョ師の説教もなく、普通の平日のミサと変わらない状況で祭日のミサにしてはあっという間に終わった。

 私はまた、日本で初めて体験した高槻の、ヴァリニャーノ師をして「ここはローマか」とさえ言わせたあの盛大すぎる聖体行列を思い出した。そして都の教会で少しさびしい行列を体験したこともあったが、その後はずっと高槻だったし、ここ数年は大阪でそれなりの盛大な聖体祭を過ごしていた。

 行列もない聖職者のほかは商館員三人が参列しているだけの、しかも教会の御聖堂おみどうでもない場所でのこんな寂しい聖体祭は日本に来てからは初めてだった。

 それから食事を持ってきてもらった。またもや朝からごちそうだった。

 屋敷といっても寺を接収したにすぎない。そんな場所でこれだけごちそうを出してくれるというのは破格の待遇である。

 そして夕方近くになって関白殿下が会見をするということで、あの小姓が呼びに来た。我われは城に上がるべく、進物の荷物とともに屋敷を出た。



                  2


 城は少し高い山の上で険しかったが、なんとか頂上の城に辿り着いた。

 ここは島津の城だったが関白殿下はたちどころに陥落させて、今その城に入っているという。

 我われの到着の知らせはすでにいっているようで、山の中の城門には多くの甲冑を来た武将が我われを出迎えてくれていた。

 城といっても本当に戦争のためだけの砦という感じで、きらびやかなものはほとんどなかった。そんな大きな城ではないが、その中には関白殿下の軍の兵士がたくさん詰め込まれている。

 もちろん、あの二万の軍勢がこの城に入り切るはずもなく、ここにはほんの身の回りの兵だけで、他の軍勢は分隊ごとに山の下の城下町で宿営している。

 木々の隙間から見える風景は、目下に昨日のぼってきた川が横たわっている。かなりの川幅と水量だ。

 その向こうの正面は別の丘陵っだが、右手の方に平地がある。その向こうが海だけれど、海までは少し距離があるのでうっすらとしか見えなかった。川は右手の方で大きく湾曲して遠くに見える海に向かって流れていく様子が分かる。


 それほど大きくはない城の建物の一室で、関白殿下は鎧の上から陣羽織ジンバオリという袖のない戦争の時に着る上着を着て腰掛けに座っていた。今日は別に戦争の出陣はないはずだが、それでも鎧を着ているということはやはりここは戦争の陣中なのだ。

 我われはその間の木の床に座った。


「おおおお、おおおお、バテレン殿。こんな山奥までよう来られたでよ。大坂でお会いしたコエリョ殿とフロイス殿だにゃあ」


 フロイス師の通訳を聞いて、コエリョ師は頭を下げた。


「おや、大坂の南蛮寺のコニージョ殿もか。こちらに来られてたかや。いや、ともに大坂に住んでいる者同士がこのような遠国の山中で会うとはおもしろいものだでのう」


「はい。お久しぶりでございます」


 私は直接日本語で答えた。私に対する言葉までも、フロイス師はコエリョ師にその耳元で小声で通訳していた。そして一つ咳払いをすると、強引に私と関白殿下との話に割って入った。


「こちらはこのしもの地方の布教区長のバテレン・モウラです」


「モウラと申します」


 モウラ師も日本語であいさつした。それからポルトガル商館員を紹介した。


「おお、バテレン殿ではないいわば俗人の異国の人を、わしは初めて見た」


 そう言って関白殿下は立ち上がり、我われのそばまで歩いてきた。


「やはりバテレン殿とは違ってきらびやかな服よのう。珍しい形をしておる」


 関白殿下は大笑いをした。そして目を止めたのは、彼らが持っていた盾と剣だった。


「その剣を見せてはくれぬか」


 フロイス師がその言葉を商館員に伝えると、商館員は自分の剣を関白殿下に鞘ごと差し出した。関白殿下はそれを抜き、珍しそうに眺めていたが、すぐに商館員に返した。


「なかなかなきらびやかで立派であるが、やはり日の本の太刀の方が美しいでよ」


 そしてコエリョ師に向かって言った。


「日本の刀は美しいけれど、わしは見ての通り醜く小柄なじじいだで。だけんどよ、このわしがこの日本で成し遂げた成功を忘れんでちょうよ」


 関白殿下は声をあげて笑いながら、元の位置に戻って座った。それを見計らってコエリョ師が話し始めた。


「下関ではお会いする約束をしておきながら、到着が遅れて会えませんでしたこと、大変失礼をしました」


 その言葉をフロイス師の通訳で聞き、関白殿下は笑っていた。


「いやいや、気になさらないでちょ。この秀吉にとってもまずは島津を降す戦が先決。バテレン殿方とゆっくり話すのはそれからでもいいんだけどもよ、せっかく長崎の近くまで来たので迎えを遣わした」


 関白殿下は愛想がいい。


「恐れ入ります」


 そこへ、小姓たちが背の高い器に盛った菓子を持ってきて、我われの前に並べた。


「さあさあ、美濃の干柿でござる。召しあがられよ」


 関白殿下が直々に勧めてきた。


「いやあ、実は豊前の秋月との戦も上々で、九州の北はほとんど制圧した。弟の小一郎の軍も四日前に日向の根白坂ねじろざかで島津の軍を打ち破ったとの知らせがあった。わしはこれからだ。ここから南へ向かって、いよいよ島津との最終決戦だにゃ」


 その言葉がフロイス師からコエリョ師に伝えられ、さらにコエリョ師の言葉がフロイス師にを通して関白殿下の耳に入る。


「ご武運をお祈りします」


 関白殿下は満足げにうなずいていた。


「まあ、力づくで兵で攻めて降伏させるばかりでなく、わしには一つ策略がある。そのため、一向宗の」


 そこまで言いかかけて、関白殿下は言葉を切った。


「いや、これはそなたたちに話していいことではない。忘れてちょ。それよりも、今回の九州征伐でわしは初めて豊前から筑前を通った。かつては羽柴筑前守と名乗っていたのに、その筑前の国を今回初めて見たのだからおかしなもんだで。大昔だったならば、筑前守というのはこの筑前の国を治める役人として都から筑前に実際に派遣されたものだ。今は完全に名誉職だがな」


 関白殿下は声をあげて笑った、何かごまかされた感じだ。


「そうそう、羽柴筑前といえば、ちょうどそんな頃にコニージョ殿とは姫路の城で会うたの」


「はい、懐かしうございます」


「あの頃は上様もまだおいでじゃった。そうそう、フロイス殿が都で上様と親しくされておったときは、わしはまだ小者だったから物陰から見ておった」


 またもや、関白殿下は高笑いである。


「島津がかたづけば、大方この日の本はわしの掌中に入ったことになっで。あとは小田原の北条、仙台の伊達くらいだな。だが、徳川殿が我が配下になったから、今は徳川殿が睨みをきかしてくれておる。帰順してくるのも時間の問題だろう」


「それはおめでとうございます」


 コエリョ師の言葉を、またフロイス師が伝えた。


「日の本が完全に手に入ったら、次は上様も果たせなかった明の制圧じゃ。その折にはコエリョ師のお国も援助してくれるんだったよな」


「はい、間違いなく」


 大坂でこの話が出た時は、オルガンティーノ師がなんとか話を止めようとしたけれど押し切られた。

 私は身がまえた。こういう時のために、オルガンティーノ師は私をよこしたのだ。

 かつて織田殿がチーナを攻略する構想を持った時、あの明智殿はなんとか阻止せねばと我われに語っていた。もしかして本能寺の事件は、明智殿が命を張って織田殿がチーナのコンキスタドールになることを阻止したのではないか。

 関白殿下にもコンキスタドールにはなってもらいたくない。だが、そのことに我われが首を突っ込むと、ヴァリニャーノ師が禁じていた内政干渉になってしまう。

 だけれども、コエリョ師がそれに加担するとなると話は別だ。阻止なければならないのは関白殿下よりもむしろコエリョ師ということになる。そのコエリョ師の腹の中は見え見えなのだ。

 私は焦った。


「話は変わるがのう」


 関白殿下は、少しだけまじめな顔をした。私は内心ほっとした。


「バテレン殿方を迎えに行かせたわしの手の者の話だと、長崎の町はほとんどそなたたちな南蛮寺の領地のごとくなっていたとか」


「いえ、違います」


 コエリョ師に伝えるまでもなく、直接にフロイス師が返事をし、話の内容はその後小声の早口でコエリョ師に伝えていた。


「長崎の町は大村の殿より我がイエズス会が寄進を受けた、いわば知行地でございます。寺や神社の知行地と同じです」


「そなたたちはあの地を領有する大名ではないというのだな」


「さようでございます」


 実質的には関白殿の言う通りなのだが、フロイス師はあいまいな返事をしただけだった。

 こうして、関白殿下との会見は終わった。

 明日はすぐにまた乗ってきた船で長崎まで送ってもらう。


「島津が降伏して九州全土が我がものになったら、わしが大坂に帰る前にもう一度会おう」


 関白殿下はコエリョ師にそいう言ったが、その顔は基本的に笑顔でもどこか厳しさが込められていた。


「さらに商館員たちからのお願いもございます」


 フロイス師が話に付け加えた。まずは商館員が自分の口でそれを述べ、フロイス師が通訳した。


「この者たちが申しますには、ポルトガル船が長崎や平戸に停泊中は、自由に日本の商人が来て貿易できるよう、ご朱印状を賜りたいとのことです」


「うん」


 関白殿下は大きくうなずいた。


「このたびも多大な進物を頂戴した。そのようなことはお安い御用だ」


 そして関白殿下はその場に控えていた秘書に許可証とその写しの二通を書かせ、朱印を押した。そして自ら立って商館員のそばに行って、それを与えた。


「そのポルトガルの船だがな、こんな西の果てではなく、堺にまで来て商いをしてほしい。バテレン殿、考えておいてくださらぬか」


 その言葉をフロイス師を通して聞いたコエリョ師は、輝かせた顔を挙げた。


「ポルトガルの船の停泊にはかなりの水深を必要とします。瀬戸内の海や堺の港など十分に調査し、可能ということになればぜひ堺まで行けるようにしましょう」


 関白殿下は満足そうにうなずいていた。


 その後、我われは奥の茶室に案内されて、関白殿下から直々に茶の湯の接待を受けた。

 そのようなものはは初めての商館員に、フロイス師は細かく作法などをその場で教えていた。

 ところが彼らの目を引いたのは初めて接する茶の湯という日本の文化ではなく、その道具が総てきらびやかな黄金だったことであった。

 

 城内で一泊してから八代を後にした我われは再び口之津で一泊し、モウラ師と別れてて二日後の土曜日には長崎に帰り着いた。

 ところが送ってくれた武将は、前よりも丹念に長崎の町の観察を始めたのだ。しかも、迎えに来た時よりも少し多めの人員が、我われを長崎へ送り届ける船には乗っていた。

 長崎では町域の範囲、耕作地のありなし、広さなどつぶさに見聞しては記録していた。

 どうも関白殿下の内命を受けたのかもしれない。


「時にこの土地の安堵のご朱印状は?」


 帰り際に武将はフロイス師に聞いた。


「いえ、そのようなものはございません」


「知行地というからには、領主よりその所領を安堵する朱印状があるはずでござるが。大村殿からは朱印状は?」


「特には…」


 武将は少し首をかしげていたが、それでいいにしたようで八代へ帰っていった。

 私が気になったのは、武将たちはこの長崎の地に限らず大村へ行く船が出る時津の港へ向かう街道沿いの、湾になった海に北側から注ぐ川の東側の山の麓の一体の村をも調査していた。

 大村へ海路で行くときは時津の港に向かう時に必ず通る村なので私は何度か見た村だが、ロペス師に聞くとその浦上の村も今はイエズス会のこの長崎教会の知行地になっているという。

 ここは大村殿ではなく、有馬のドン・プロタジオからの寄進だそうだ。私はこの浦上という新しいイエズス会の土地も見てみたいと思ったが、ふと有馬という地名にも懐かしさを覚えた。



                  3


 これからの日々は関白殿下が一日も早く島津を滅ぼし、この九州のどこかで落ち着くのをひたすら待つ毎日となる。

 だが、この長崎の教会で何もすることなく日々を過ごすのも退屈だし、何よりも毎日コエリョ師やフロイス師と顔を合わせて暮らすのも疲れる。

 一度、ロケけいをつれて浦上へと行ってみたが、そこは農民が暮らすただの村だった。教会もない。

 ただ、領民はここでも全員が信徒クリスティアーニのようで、我われが行くととても喜んで迎えてくれた。私は集まった村人たち一人ひとりに祝福を与えた。


 五年前に初めてこの村のそばを通った時に、その時はイエズス会の知行地でも何でもなく信徒クリスティアーニもあまりいなかったと思うが、この村に何か不思議な霊的な関係を感じたものだ。

 今こうしてイエズス会の土地となったわけだが、あの予感めいたひらめきはそんなことで済むようなものではなかった。

 ただ、今はこの浦上には教会も何もない以上そうちょくちょくとは行っていられないし、また歩いてすぐのところでもあるから領民たちはこの長崎の教会に来ようと思ったらいつでも来られる。

 そこで私はやはり、有馬に行ってみたいと思った。コエリョ師にそれを言うと、やはり「好きにしなさい」との返事だった。


 私はロケ兄とともに、陸路で有馬に向かうことにした。馬だと二日で着く。

 まずは長崎から東へと向かっていくと、半島を横断して海に出る。あとは海を右手に見ながら海岸にそって東へ進むことになる。やがて海岸線は大きく湾曲するので、さらにそれに沿って今度は南下だ。

 そのあたりに信徒の家があるという情報があったので、ロケ兄が聞きこんでくれて探し当て、泊めてもらった。


「いやあ、難儀ですわ。このへんの人の言葉はようわからんです」


 都生まれのロケ兄は、言葉の訛りに苦しんでいるようだった。

 翌朝は海から離れて山に入り、ちょっとした峠道を超える。そうすると口之津は経ないで直接に有馬に着く。

 海とは反対側から有馬の町に入ることになる。


 私は懐かしい神学校セミナリヨのドアを叩いた。ここにも日本に来たばかりの頃に数カ月滞在したことがあった。

 神学校セミナリヨには数日前にともに八代に行ったモウラ師のほかには、下関からともに戻ってきたマリン師、また最近日本に来たというアントニオ・フェルナンデス師という人もいた。

 さらには修道士で、安土でともに過ごしてあの事件をともに潜り抜けてきた画家のニコラオ兄とも再会できた。


 私はいてもたってもいられず、神学校セミナリヨの学生たちに会わせてもらい、その授業を見学した。私が授業をやりたい衝動にかられたけれど、ここは私の教室ではないので遠慮した。

 それにしても、若い学生はやはりいいものだ。私がどうもこちらに来てから気分がいらいらして落ち着かなかったのも、学生たちと接する機会がなかったからかもしれない。


 お城にも上がってドン・プロタジオにも挨拶がしたかったが、モウラ師の話ではこの有馬の殿のドン・プロタジオは関白殿下の軍の一員として戦争に行っていて不在だとのことだった。


「ドン・プロタジオは関白殿下の軍なのですね?」


 私が思わず念を押してしまったのは、前に少し聞きかじったところだと、三年くらい前にドン・プロタジオは島津と同盟して竜造寺と戦っていたからだ。

 竜造寺隆信はその戦争で戦死したが、つまり有馬の殿は薩摩の島津と同盟関係にあったはずだ。

 それが今は関白殿下の軍の一員として島津と戦っているという。


「大坂の方から関白殿下の海軍の司令官が来まして、説得していたようですよ。その人、信徒クリスタンでしたね」


「ああ、ドン・アゴスティーノですね。私はその方をよく知っています。大坂の教会によく見えていますから。お父さんはジョアキムといって、ザビエル神父(パードレ・ザビエル)とも親交があった古い信徒クリスタンです」


「そうなんですね。だからわざわざこの神学校セミナリヨを訪ねて来たんですね」


「ドン・プロタジオはもうおいくつに?」


「二十歳ですよ」


 計算すればそうなるのはすぐ分かるが、どうも感覚的にピンとこなかった。初めて会ったときはまだ少年だった。一年半後に再会した時は少し青年の面影が見えていた。


「もう立派な大人です」


 モウラ師は笑った。

 私はもうひとつ、気になっていることがあった。


「するとあの、ヤスフェも?」


「ああ、いっしょに戦争に行っています」


 私はがっかりだった。もちろん状況的にそれは予想はしていたけれど、有馬でヤスフェに会うのも楽しみの一つだったのだ。

 ただ、とにかく元気ならばそれでいい。

 そしてもう一つ、今さらながらに気付いたことがあった。

 「有馬アリマ」というのは地名でもありここの殿の姓でもあるけれど、逆さに読めば「マリア」となるのだ。

 そうだ、この有馬は聖母マリア様のゆかりの深い地なのだ。そう思うと、なんだか私は嬉しくなった。


 私はこうして長崎にいるよりもずっといいので、有馬で数週間を過ごした。何よりも学生たちと接するのが楽しかった。

 典礼も年間に入っている。もう6月も中旬だから気候はどんどん暑くなり、雨季である梅雨ツユが来るのも間近に感じられた。


 そんな時、お城の方から留守の武士サムライ神学校セミナリヨまでわざわざ来てくれた。その武士がもたらしてくれた知らせによると、すでに関白殿下は薩摩との戦争に勝利をおさめ、島津を降伏させて筑前に向かっているという。

 私は慌ててロケ兄とともに長崎に戻ることにした。


 降り出した小雨の中、ミノという日本式の雨具を着て馬で急いだ。

 コエリョ師は戦争が終わったらまた関白殿下と会うことになっている。ここでのんびりしていてコエリョ師に置いていかれたら大変だ。

 私が長崎に戻ると、コエリョ師はまだ長崎にいた。


「ああ、帰ったのですか。私は博多に行きます。帰ってこないようだったら、そのまま置いていこうと思っていたけど」


 笑いながら言えば冗談だなと思うけれど、それをコエリョ師はにこりともしないで言うからもうそれが本心だろうとしか思えない。ここでまた自分も博多に連れて行けなんて言うと、いやな顔をされるだろう。

 そこで私は考えた。


「そろそろ大坂に戻ろうと思います。ですから、博多までご一緒させていただけませんか」


「好きにしなさい」


 最近のコエリョ師の答えは全部これだ。どうも私の行動については、まじめにかかわろうとはしていないようだった。

 私と彼らもともに主キリストをぶどうの木としする枝同士で、一つの主の体である同じ教会共同体の聖職者だ。頭ではそう思おうとしても、互いに愛し合いなさいと言われても……やはり苦手なのだ。


「フスタ船で行きますよ。大坂までの時間が短縮できます」


 それもまたにこりともしないで言うから、もう間違いなく皮肉だ。

 だが私は、大人しく大坂に帰るつもりはない。いや、関白殿下が九州にいる以上、まだ私は帰れないのだ。

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