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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 2 Attraversando Kyushu(九州横断)
9/96

Episodio 3 Conflitto(対立)

                  1


 ゴアには戻らず日本に留まることを決意したヴァリニャーノ師は、早速行動を開始した。

 まずは今後の日本における福音宣教と聖職者養成についての、日本滞在中の全司祭による会議を開くということを巡察師権限で発表した。


 そのことで話があるということで、八月も末のある日、ヴァリニャーノ師は神学校の空いている教室にカブラル師、コエリョ師そしてメシア師を集め、さらにクチノツからわざわざアルメイダ師をも呼び寄せて予備会議を開くことになった。

 その席に私もあくまでオッセルバトーレ((オブザーバー))として同席せよとのことだった。


 会場は木の床の上にじゅうたんを敷いて、椅子とタボーラ((テーブル))が運び込まれた。長時間の床に座っての会議は耐えられないと、カブラル師が強く主張してこうなったそうだ。

 会議開始の祈りを一同で捧げた後の開口一番、ヴァリニャーノ師は立ち上がって次のように言った。


「私はこの国に来る前に、この国における福音宣教の様子はいろいろと耳に入っていました。しかし、昨年の七月に実際にこの国に来てこの目でいろいろと見聞したところ、それまで思い描いていた印象はことごとく崩壊したのです。ゴアもひどかったがこの国おいても問題は山積でして、まずはこの国の信徒たちと我われイエズス会との間の不協和音をはじめ、この国の修道士たちが我われ宣教師に対してかなり不満を持っていることに唖然としました。異教徒はまだしも、洗礼を受け、福音宣教の道を志したこの国の人びとと我われとの間に、あってはならない溝があるのです。そして何よりも問題なのは、信徒たちが受洗の恵みを戴きながら定着しない、つまり、棄教者の増大です」


 私はそれを聞きながら、まだ来たばかりの身として驚きと衝撃の連続だった。まだまだこの国の表面しか見ていない私にとって、これまでのゴアやマカオとの比較で、この国ほど驚くべき速さで福音が一般民衆に浸透している国はないと思っていたからだ。


「ちょっと待った!」


 割れんばかりの大声でヴァリニャーノ師の話を遮ったのは、カブラル師だった。


巡察師ヴィジタドールはそのすべてが日本総布教長の私の責任であるとして、それを追及するおつもりですな」


 ヴァリニャーノ師は、このカブラル師の発言を当然のこととして予想していたようで、穏やかな表情のまま言った。


「何が誰の責任とかそういうことではなく、私はただ現状を述べているのです」


 だがカブラル師は引き下がらずむしろ立ち上がったので、仕方ないという顔つきでヴァリニャーノ師は着席した。カブラル師は立ったまま話を続けた。


「私はこの国に来て十二年、これまで福音宣教と人びとの魂の救済、霊益のためにこの地の果ての国で『天主デウス』のみ意のまにまに奮闘してきた。それを、昨日今日この国に来たばかりのあなたから頭ごなしに批判を受けるいわれはない。そもそも、たった一年で、この国の何が分かるというのです。あなたが総長の名代であるということは重々心得た上で言わせて頂きますが、我われはポルトガル国王のご付託を得てはるばるこの地まで来ている。国王陛下はポルトガルの威信を世界に広めんとて、イスパニア王に引けを取らじと大いなる志の元、我われを遣わした。そうですよね、コエリョ神父(パードレ・コエリョ)


 話をふられたコエリョ師も大いにうなずいていたが、ヴァリニャーノ師は手のひらを二人に向けた。


「ちょっとお待ちください」


 まだ憤慨していた様子だが、しぶしぶとカブラル師は座った。ヴァリニャーノ師は着席のまま両ひじをタボーラ((テーブル))について話し続けた。


「あなたは国王陛下のポルトガルによる世界制覇のためにここに来られたのですか? 福音宣教のため、人びとの霊益のためではなかったのですか?」


 カブラル師は答えなかった。ヴァリニャーノ師はさらに付け加えるように言った。


「わたしはポルトガル人ではありませんからね」


 だがここの空気を見ると、ポルトガル人ではないのはヴァリニャーノ師と発言権のないオッセルバトーレ((オブザーバー))の私だけで、ヴァリニャーノ師の顧問的存在であるメシア師も含めあとは皆ポルトガル人だ。

 それにしても、キリストのみ言葉のまにまに「すべての人に福音を告げ知らせよ」というただそれだけの目的でここに来た私にとっては、我われの存在と活動がポルトガルという世俗の国の領土拡大と関連付けて論じる考え方は全く想定外のものだったから、このような話が出るということだけでも驚きだった。

 だが、なぜかそんなやり取りが私の心の中に深く刻まれてしまったのである。


 さらにヴァリニャーノ師は、カブラル師に言った。


「そもそもあなたは国王陛下、国王陛下と言われるが、あなたの言う国王陛下、セバスティアン一世陛下は二年前にモロッコとの戦争で戦死されて、今はエンリケ枢機卿が聖職のまま王位に就かれているのですよ」


 この話に驚きの表情を見せなかったのは、私とアルメイダ師だけだった。この二年も前の情報は、私が乗ってきた船に積んであった報告書によって初めてこの国のポルトガル人たちに伝えられたのだろう。ただし、アルメイダ師だけは、すでにマカオで耳にしていたはずだ。


「もはや領土拡張に野心を燃やしておられた国王ではありませんよ。それに、我が会の性質として、出身国がどうのこうのとこだわるのはおかしい。今日はたまたまイスパニア人はいませんけれど、あなたのような発言はイスパニア人がいたらやはりおもしろくないでしょう。ただでさえ世俗の世界ではポルトガルとイスパニアが覇を競っていますからね、我が会の内部でもその影響が出てはいけないということで総長はポルトガル人でもイスパニア人でもない私を巡察師に選んだのではないかと思っているのですが」


 カブラル師は、また黙ってしまった。


「さらには、あなたは『国王陛下のご付託を得て』とおっしゃいましたが、我われをここに遣わしたのはどなたですか? そりゃ、究極的には御父の『天主デウス』であり主キリストですけれど、この世的にはどなたですか? ポルトガルの国王陛下なのですか? イエズス会の総長ですか? 違うでしょう?」


 カブラル師はますます苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。


「言うまでもないでしょう。あなたもおわかりのはずだ。我われが得たご付託とは、教皇様のご付託に他ならないはずです。では、議題を進めます」


 ヴァリニャーノ師のそのひと言で、ようやく会議は始まったという感じだ。

 まずは審議というよりも、私とアルメイダ師が乗ってきた船でもたらされた書類による決定事項の伝達であった。

 そのひとつ目は、これまで日本はゴアのインジャ管区の管轄でマカオ司教区に属していたが、日本をそこから切り離して独立した管区にするという案が示されており、決定は巡察師に一任するとのことだった。

 だがすぐに司教の着座はできないので、これまでの総布教長を管区長にするということだ。


「ですからカブラル神父(パードレ・カブラル)、あなたが管区長ですよ」


 だがカブラル師は、ニコリともしないで横を向いていた。


「それはあなたの本意ではないのではないですか?」


 それにはヴァリニャーノ師は答えず、逆に聞き返した。


「あなたの意見は?」


「まあ、賛成ですな」


「他の方は?」


 メシア師とコエリョ師も賛成の意を示した。


 そこでヴァリニャーノ師は、さらに話を進めていった。


「すでに六月に発表した通り、この日本は三つの布教区に分ける。ご存じの通りこのシモ布教区、ブンゴ布教区、そしてミヤコ布教区の三つです。このシモ布教区の布教区長はコエリョ神父(パードレ・コエリョ)


 ヴァリニャーノ師はここで、コエリョ師を見た。


「引き続きあなたにして頂きます」


 コエリョ師も無表情でうなずいていた。これからこの国が管区となっても司教はいない以上は教区と称することはできないので布教区と呼ぶが、ほぼ教区と同じような性質を持たせることはヴァリニャーノ師の考えの中にはあるらしい。


 シモ布教区には小教区としてナガサキ、アリマ、アリエ、クチノツ、アマクサ、オームラ、ヒラドなどが含まれる。

 ブンゴ布教区というのは、私はまだ知らない。ミヤコとは王都という意味で、前からよくその名は耳にしていた。アヅチもここに含まれるらしい。


「布教区長は毎年、そして布教責任者は、もし管区になれば管区長は三年に一度、管轄内の教会を巡回してください。あと、布教区長の任期は三年にしたいと思いますが、いかがでしょうか」


 これには、皆賛成の様子だった。


「それと、これも総長から私に権限を一任されていることですが、日本における教育施設の設置です。すでにこのアリマに神学校セミナリヨはできていますが、今後は三つの布教区に学院コレジオ、日本人のラテン語習得と新人宣教師の日本語習得のための神学校セミナリヨ、そして修練院ノビツィアードを設置していきたいと思っています」


「あのう、ひとついいですかね」


 ここでアルメイダ師が手を挙げた。


「神学校の日本人学生には、どこまで教えるのでしょうか。今はとりあえずラテン語の講義だけやっていますけれど、それ以上まで教えるつもりなのですか」


「いずれ哲学、神学も学べるようにしたいと」


「いやあ、私はどうも賛成しかねます。やはりまずは語学をしっかりと体得させてから次の段階に行った方がいいのではないかと思うのですが」


 アルメイダ師がまだ言い終わらないうちに、カブラル師が口をはさんだ。


「日本人に哲学や神学など、そのような高度なことを教える必要はない。それこそ『豚に真珠』だ。『恐らくは足にて踏みつけ、向き返りて汝らを噛み破らん』というみ言葉の通りなるに違いない」


「ちょっと待ってください。私はそのような意味で反対しているのではありません」


 アルメイダ師は少し慌てたそぶりを見せた。ヴァリニャーノ師はあきれたふうな顔を、カブラル師に向けた。


「どうしてあなたはそのように偏見と差別に満ちた考えしかできないのですか」


 カブラル師はその時、確かに鼻で笑った。


「本当は私は、日本人にポルトガル語やラテン語の習得もさせたくはない。いいかね。彼らがポルトガル語に精通して、我われの会話も聞いて全部理解するようになったりしたら、彼らは我われを馬鹿にするようになる。あの、クチノツにいるジョアンという日本人の説教師がいい例だ。日本人ほど傲慢で貪欲な偽善者はいない。インジャの黒人よりももっと低級だ」


 一瞬、場の空気が凍りついた。この差別発言には私だけでなく、誰もが不快に思っていただろう。しばらくしてからヴァリニャーノ師が沈黙を破り、カブラル師は無視してアルメイダ師の方を見た。アルメイダ師もまたヴァリニャーノ師よりも年長で日本滞在歴も長い。だから、アルメイダ師に対しては、ヴァリニャーノ師も十分に敬意を持っているようだ。


「たしかに、おっしゃることはよく分かります。語学習得の重要性は私も認識しております。では、他の方は?」


 しかしあとの二人は、哲学や神学まで教授内容を拡大することに異議はないとのことだった。


「ではこの件は保留ということにしまして、次に日本人をイエズス会に迎え入れることの是非については」


 これもカブラル師とアルメイダ師が、それぞれ考え方は違うにせよ、結果として反対ということになった。続いて日本人の在俗聖職者のことなど論じられたが、それぞれ意見もあってなかなか統一見解は出そうもなかった。

 カブラル師はまた、鼻で笑っていた。


「日本人ごときが聖職者?」


「私はこれからはどんどん日本人司祭も養成していくべきだという考えに立っております」


 ヴァリニャーノ師がその持論を伝えて、とりあえずはまとめておいたという感じだった。



                  2


 会議が始まってから、だいぶ時間がたった。


「次に我われ聖職者の服装の件ですが」


 ヴァリニャーノ師の言葉に、またカブラル師の顔が曇った。ヴァリニャーノ師はかまわず続けた。


「かつては我われが日本人に親しむために絹の衣を着用していましたけれど、今後はそれを一切やめてシーナからもたらされた薄い黒色の布の衣の修道服スータンを着用すべきです。ゴアの聖職者と同じようにと考えたらいいでしょう」


 これは誰も異論はないようだったら、すぐに次の議論に移りそうな気配はあった。にもかかわらず、またもやカブラル師が沈黙を破って手を挙げた。


「そのことはいいのです。そもそも我が会は清貧をモーチ(モ ッ ト ー)としていたのですが、このアルメイダ神父(パードレ・アルメイダ)の入会による多額の喜捨で、その風紀が乱れてしまったこともある」


「また、その話ですか」


 今度は、アルメイダ師があきれたふうだった。その話は私自身もアルメイダ師からマカオで聞いた。そのせいでアルメイダ師は功績がありながら長きにわたって司祭への叙階が許されなかったということだった。


「あなたはまだ根に持っておられるのですか。そもそも主キリストも言われた。『汝の持てるものを、ことごとく売りて貧しき者に分かち与えよ。然らば天に宝を積まん』と。私はそれに従ったまでですが」


「ここは、個人攻撃は控えてください」


 ヴァリニャーノ師はカブラル師にビシリと言ってから、さらに言葉を続けた。


「ただ、日本における我われの会の財源として、ポルトガル商人によるマカオとの絹の取引による収益に頼ってきたという慣例はあまり好ましくないこととはいえ、会からの資金では全然足りないというのが現状です。ですから私はすでに総長や教皇様、さらにはポルトガル国王陛下にもこれは大目に見てもらえるようにと、まだ私がマカオにいた時からすでに嘆願書を送ってあります。ただ、ポルトガルの商人の方々に不満を抱かせるような方法は望ましくないわけでして、これに関しては私はマカオにおいてポルトガル商人たちと新たな契約を交わしてまいりました。その内容は皆さんはもうご承知だとは思いますが、我われの取り分の絹をもたらした定期船がまだマカオに戻らず日本に停泊中の間は、我われはその積み荷を保管するだけで売却等の活動は控えるということになっています。これはポルトガル商人の貿易活動の阻害にならないための配慮ということですから、ここでもう一度確認しておきます」


 それに対しては、誰も異存はないようだった。


「ただ、いつまでもこのやり方のみに頼っていては限界もあるでしょうから、早急に財源確保の新たな構想を練る必要はあります」


 この話題はこのヴァリニャーノ師の言葉で締めくくられた。私は当初、この会議はもっと日本人の霊的指導に重点が置かれる会議かと思っていた。

 だが、こういったやり取りを聞くにつけ、霊的次元に至らない現実的な問題にもかなり直面しているようだ。


 時々の休憩をはさみながら、会議はまだ延々と続く。

 次は、日本への司教着座の問題についてだ。


「これに関しては我が修道会だけの問題ではなくカトリック教会全体の問題で、我が会に決定権はなく、あくまで上申するかどうかです。ただ、まだ日本はゴアのようなポルトガルの海外県があるわけではなく、マカオのようなポルトガル人の居留地として保障された地域はないのが現状ですね。そうなると、司教様においで頂いても、どこに司教座を据えるかという問題があります」


「やはり、ナガサキでしょうかね」


 メシア師が発言した。だが、ヴァリニャーノ師は首を横に振った。


「いや、ナガサキもまだ本来の領主であるオームラのトノのドン・バルトロメウからイエズス会に寄進されたばかりで、しかも我われの完全な領地ではなくあくまで知行地です。ましてや、ご承知のようにイエズス会に寄進されたのであって、ポルトガル国とは何の関係もないことです。その点、ゴアやマカオとは全然性質が違うし、またナガサキが寄進されてからまだ日も浅い。ましてや、今の日本は戦乱に明け暮れる日々ですからね、日本のどこにも安全な土地というものはない。だから、この件については時期尚早という気がします。はっきり言って、今はまだ司教座を日本に設けるのは不可能だし、今はまだそうすべきではないと考えます」


 このヴァリニャーノ師の意見には誰も異議を挟まなかったが、またしてもカブラル師が何か難癖をつけたそうな顔で手を挙げた。


「そのナガサキですがね、あなたは今しきりにナガサキを要塞化し、武装までしようとしている。これまで信徒クリスタンとなったこの国のトノスに武器弾薬を提供して支援し、それによって教会への庇護をとりつけていたやり方をあなたは、私はかなり非難しましたよね?」


「そうです。我われがここ国に浸透するためには、武器によらずに精神的、知的に入りこんでいくのが最良の方法です。あのアリマの戦争の時の食料の支援は、あくまで人道的なものです」


「そう言われるが、この国ではいくら信徒クリスタンのトノが教会を庇護してくれようとも、そのトノが異教徒のトノとの戦争に負けたら、教会もまた一般庶民の信徒クリスタンも危険にさらされる。そういった状況が生じ得る可能性もかなり高いのですぞ」


「それは私も重々認識しています。しかしあくまで、我われの活動は霊的なものであって、財源確保などの存在基盤にかかわるものは致し方ないとして、できる限り世俗の政治的な事柄にはかかわらない方が賢明です」


「しかし、我われの安全な立ち位置の確保ということも、あなたの言う存在基盤にかかわることではないのですか」


「ですから、ナガサキの要塞化はそういうことです。それによって教会とナガサキの信徒を守るということで、決してこの国の他の異教徒の領主たちと対峙するためのものではありません」


 そこまで黙って聞いていたコエリョ師が何か言いたそうに顔を挙げて口を開きかけたが、思い直したのか首を横に振って再び沈黙した。

 私も、この論争はいつまでたっても平行線だなという気がしていた。するとアルメイダ師が、そこへ口をはさんだ。そしてカブラル師に向かって言った。


「やはり、あなたは元軍人だからそのようにお考えになるのですね」 


 その言葉で、私はやはりそうだったのかと思った。

 カブラル師の挙動には、確かに元は軍人であったという印象が残っている。そのカブラル師は、たちまちアルメイダ師をにらみつけた。


「元軍人で何が悪い? 我が会の創始者のロヨラ師も元軍人でしたぞ。そもそもあなたは元商人だからでしょうかね、このアリマのトノのブロタシオがリューゾージに包囲されて窮地に陥った時も、あなたは食糧や経済的援助をなさった。それも同じことではないですか」


「ちょっと待ってください。その時は私はまだマカオにいましたよ」


 カブラル師は自分の勘違いを指摘されて、ばつが悪そうに、そして悔しそうに唇をかんだ。


「あれを指示したのは私です」


 ヴァリニャーノ師が話に入った。


「たしかにアルメイダ神父(パードレ・アルメイダ)はあのときは、ちょうどマカオに行っていて不在の時ですからね。あのときは私も日本に来たばかりで、これまでのあなたのやり方をとりあえずは踏襲して、ドン・ブロタシオに食料と武器弾薬を提供しました。結果、ドン・ブロタシオの受洗ということになりましたけれど、そのあとで私はそのやり方はまずいと考えたのです」


 もう反論するのも疲れたという様子で、カブラル師は黙りこくった。

 しばらく、沈黙の時が流れた。


 そこでまた休憩が宣せられ、再開後の話題は今後の日本での宣教方針についてであった。


「現在のこの国における信徒クリスタンは十万人に達していますが、この国全体の人口に比すればまだまだ少ないと思います。今後はさらに信徒数拡大を目指すのか、あるいは棄教や潜在化を防ぐために、信徒クリスタンの信仰を深め、キリスト者としてのお育てに重点を置くかの問題についてです」


「それは言うまでもないでしょう」


 カブラル師が即答だった。


「主のみ意は、一人でも多くのものに福音を述べ伝えよということなのですから、さらに信徒クリスタンの数を増やす。これに尽きるでしょう。異存のある方は?」


 誰もが首を横に振った。この点については珍しく全員一致のようだ。そして、ヴァリニャーノ師は言った。


「私もその点に関しては異存はありません。ただ、数を追えばいいというものではない。今日は何人受洗した。この地は何人信徒が増えたなんて、商売人の売上高の勘定ではないのです。受洗後の信徒クリスタン、これはトノであろうが一般大衆であろうが同じです。洗礼の受けっぱなしの人の数を増やしても、『悪い茂みでも荒野よりまし』という考え方では困るのです。例えは悪いですが、釣った魚には餌を与えなくてよいというのとは違います。信徒クリスタンは魚ではありません。ペトロは魚ではなく『人間をすなどるものとならしめん』と言われて召命されました。魚ではなく人間である以上、十分な信仰の糧を与えるべきでしょう」


 カブラル師はまた顔を挙げ、眼鏡のずれを直した。


「だからと言って、先ほどの話ですが、日本人の聖職者を養成するということにまでなると」


「まあまあまあまあ」


 割って入ったのはメシア師だ。


「また同じ話を蒸し返さなくても」


 カブラル師はまだ何か言いたそうだったが、しぶしぶと口をつぐんだ。そして、最後の議題として、日本の教会にいる日本人の若者の同宿という存在についてのことに及んだ。


「最後に日本人同宿への接し方について、厳しく指導すべきか、優しく温和に指導するかについてです」


 ヴァリニャーノ師はあえて穏便な言い方をしたが、この話題がここで出た背景も私は察しがついていた。カブラル師の厳格すぎる指導により、日本人の同宿や修道者から非難の声が上がっていたのを私は知っている。それを暗にヴァリニャーノ師は牽制したかったのだろう。

 さっそくカブラル師が口を開いた。


「もちろん愛情をもって接するのは大前提ですけれどね、まずは厳しくしつけなければ、彼らは持って生まれたというものがない。異教徒の中に生まれ、異教徒の中で育ってきているのです。厳しくしつけないと、魂にこびりついたものはとれない」


 しばらくは、誰もが口をつぐんでいた。やがてヴァリニャーノ師がゆっくり口を開いた。


「このことは私の『日本布教長内規』にも記しておきましたけれど、日本人はとても霊性が高く、たとえ異教徒であってもその信仰には純粋な崇高さがあります。そして何よりも礼儀を重んじ、不平不満や人の悪口を慎む美徳もあります。そのような日本人の、とりわけ若者に対しては愛情をもって、叱ることなく導くことですよ。だから決して彼らを蔑視したり、差別したりしてはならない。場所が違えば文化が違うのは当たり前です。でも、違うというのは、劣っているというのとは違います。ですからいたずらに我われの文明を彼らに押し付けるのではなく、我われの方が彼らの文化に浸り、吸収し、適応しなければなりません。そうすることによって我われと彼らの心の融合ができ、互いの信頼関係も育まれて、キリストの教えも容易に彼らに浸透するはずです」


「それは理想論だ」


 カブラル師は叫んだ。


「私とて日本人が憎いわけではない。愛情を持ってすべて等しく『天主デウス』の被造物として接してきた。精魂込めて信仰を培い、立派な信徒に育て上げてきた。だが、育て上げてきたつもりだった日本人に裏切られたことも何度もあります。ひどい時には、命を失いかけた。まあ、信徒ではありませんが、私はこの国でこの国の人々に何度も追われ、寸でのところで命を失うところだったこともしばしばです。それでも、私は自分なりの愛情を以て、特にブンゴにおいてはそこにキリストの御国を打ち建てんくらいの想いで邁進し、福音宣教に心血を注いできた。しかし、そのたびに私は裏切りに打ちひしがれたのです。ここにいるアルメイダ神父(パードレ・アルメイダ)、あなただってそうでしょう?」


 突然ふられたアルメイダ師は、微笑しながら言った。


「まあ、確かに私もひどい目に遭いましたよ。盗賊に襲われて身ぐるみはがされて、冬の湖の上で櫓もない小舟で一晩漂流して、凍死寸前になったこともありますけれどね。でも、私は、日本人に裏切られたなどとは考えていませんよ。イエズス様も故郷の人に受け入れられず、異教徒ではなく同胞からも迫害を受けたことは『福音書』に書いてある通りですよね。でもイエズス様は裏切られたなどとはひとことも言っておられない」


「それはそうだが」


 アルメイダ師の発言が期待通りの言葉ではなかったからか、カブラル師はため息をついた。それでもまだ頑なに続けた。


「とにかく、日本人には厳しく接するべきです。この国に順応してなんていう生ぬるいやり方ではだめなのです。そんなやり方でいけば、近い将来この国における福音宣教はズタズタになりますよ。もう、さんざん申し上げてきましたよね」


 だがそれに対しては誰も言葉を発せず、その状況がしばらく続いた。

 やがてヴァリニャーノ師が場の沈黙の中で、ゆっくりと立ち上がった。


「朝から始めたこの会議も、もうすでに夕暮れです。いろいろ皆さんのご意見を拝聴しましたが、懸案事項はどれもがこの国の今後の福音宣教のあり方を左右する重要なものばかりですので、ここでのこの少人数の意見で動かせるものではありません。だから私は巡察師権限で、この日本の国に在住するすべての司祭を集めての協議会を招集することにしたのです」


 そもそもがその協議会のための予備会議が今日のこの場だと私は聞いている。


「ただし、この国にいる司祭が一堂に会することは不可能なので、三つの布教区ごとに同じ内容の協議会を開催し、そこで多くの意見を拝聴したいと思います。まずは来月、早速ブンゴにて、次にミヤコもしくはアヅチにて、最後にまた戻ってきてこのシモで協議会を開きます。そういうわけで、カブラル神父(パードレ・カブラル)、総布教長としてブンゴまでご同行願います」


 その時、腹に何か一物ありそうな表情で、カブラル師は目を挙げた。



                  3


 こうして、長い会議は終わった。

 私はこうも現実的な、世俗的な会議になるとは思わなかった。キリストがいしずえを築いた教会も、今やこの世の組織なのだなという実感があった。

 何よりも、カブラル師がやたら武力をちらつかせ、ポルトガル国王の威信がどうのこうのと言っていたのが気になる。コエリョ師も言葉数こそ少なかったが、どうもそれに同調しているような雰囲気を感じた。

 もはやヴァリニャーノ師とカブラル師の間の溝は、埋めようがないくらい深いものになっているらしい。


 司祭となってまだ一年もたっていない私だが、神学生の頃とは教会に対する見方も違ってきたような気もする。しかもそれは、あまりいい意味ではなく、だ。


 ただ、それは私自身の霊性の低下によるものかもしれない。考えてみれば、日本に来てからというもの何もかもが慌ただしくて、聖務日課で読む「詩編」と、毎日のミサで朗読される箇所以外にほとんど聖書にも接していないというのが現状だった。

 これではいけないと反省したが、今の私の課題は全力での日本語の習得にあったから、反省を生かす心の余裕とてあまりなかった。

 

 そして八月も終わろうとしていた時、司祭館の司祭たちがざわめいている朝があった。何ごとかとメシア師に聞いてみると、なんとカブラル師が日本総布教長を辞任する辞表を提出したのだそうだ。

 辞表は二通、巡察師であるヴァリニャーノ師宛てと、イエズス会総長宛てだった。そしてその総長宛ての辞表に、了承した旨の署名をすでにヴァリニャーノ師はしたということであった。


 だが、その後の日常生活において、少なくとも表面的にはカブラル師とヴァリニャーノ師の間はほとんどこれまで通りという印象を私は受けていた。

 数日間雨が続いた後のある日、私はヴァリニャーノ師と共に再びクチノツへ行くことになった。かねてより準備していたアリマのトノ、ドン・プロタジオの従弟いとこの洗礼が行われるということで、これはかねてより決まっていたことらしい。しかも、ヴァリニャーノ師が授洗司祭になるということだ。

 受洗式のミサにはトノのドン・プロタジオも参列するとのことで、トノは警護の兵士に前後を守られながら馬でクチノツへ向かい、私たちは同じ行列にやはり馬で加わっていた。


 私が初めて自分が乗る馬を神学校の庭で見たとき、思わず言ってしまったものだ。


「これはポーネイ((ポニー))ではないですか」


 それを聞いて、ヴァリニャーノ師はまた笑っていた。


「これが日本の馬だよ。たしかに我われの目から見るとそう見えるかもしれないけれど、これで立派な大人の馬なのだ」


 それを聞いて、日本の馬はずいぶんと小さいものだなと私は思った。


 残暑厳しい中ではあったが海沿いの道は潮風も強く、それがいくぶん涼しくもあった。

 海峡の対岸のアマクサの島も、よく見える。


 行列では私とヴァリニャーノ師が馬を並べて歩く形なので、十分に話ができた。ドン・プロタジオにとっては自分の領内へ行くだけだから、警護の兵士といってもそう仰々しいものではなく、数えられるくらいの人数だった。

 その日本人の兵士たちは、ヴァリニャーノ師の話では半分くらいが信徒クリスティアーニだという。

 兵士とはいっても、本職は皆農民なのだそうだ。信徒クリスティアーノだからといってポルトガル語が分かるわけではないし、ましてや久しぶりに二人きりになったので、この日は思いきりイタリア語で会話をしていた。だから、だれにも遠慮はなく大きな声で話はできた。


 すぐ目の前を、馬上のドン・プロタジオの背中が見える。

 本当に小さな背中だ。


「日本では、このような少年が領主ということは、よくあることですか?」


 私はヴァリニャーノ師に聞いてみた。


「わたしの知る限りでは、このトノだけだけれどね。ただ、彼ももう十三歳。日本ではすでに元服ゲンプクという成人の式を済ませている以上もはや少年ではなく、一人前の大人として扱われるのだよ」


 たしかに、十三歳とはいっても実に堂々とした態度で、それはまさしく大人としての振る舞いが身についていた。自分の故国の十三歳と比較して言えば、故国では十三歳といえばまだまだ子供扱いで、実際にこのように堂々と領主を務める十三歳などいないだろう。

 やはり国民性の違いかあるいは社会背景の違いでそうなるのか、私が首をかしげていると、ヴァリニャーノ師がさらに驚くべき言葉を言った。


「彼は十三歳といっても、実は我われの国でいうところの十一歳か十二歳だよ。我われとこの国では年齢の数え方が違う。この国では生まれた時点で一歳で、誕生日ではなく正月で皆が一斉に年をとるのだ」


 私はしばらく、唖然としてただ馬を歩ませていた。


「今回の洗礼志願者は、年は?」


 やっと話題をみつけて言った。


「十一歳だよ。我われの国での九歳か十歳だ」


「親御さんは?」


「親のチヂワのトノではジュリアンという信徒だったけれどね、戦争で死んだ。そのあと母親とともに伯父であるオームラのトノのドン・バルトロメウに引きととられて養育されていたんだ。今回の受洗は本人の志願もあるけれど、その父親の遺志と、伯父のドン・バルトロメウのたっての希望で前から話は進んでいた」


「ちょ、ちょっと待ってください。受洗志願者は確かアリマのトノの従弟だったのでは?」


「そうだよ。アリマのトノのドン・プロタジオもオームラのトノのドン・バルトロメウの甥だからね。ドン・プロタジオの亡き父君のドン・アンドレスとオームラのドン・バルトロメウ、そして今回の受洗志願者の亡き父君のジュリアンは三兄弟だ」


 ナガサキ付近を領有しているというオームラのトノとアリマのヨノが叔父・甥の関係だということは初耳だった。そうなるとたしかにアリマのトノと今日の受洗者は従兄弟になる。

 

 それからしばらくは周りの景色で目を楽しませながら進み、時折なされた会話と言えば、その風景についてのみだった。

 だが私は、どうしてもヴァリニャーノ師に聞きたいことがあったし、今ほどちょうどよい機会はないと思ったので、道が岬を回って口之津の町が湾の対岸に見え始めた頃に思い切って横から師の名を読んだ。


「ちょっと小耳にはさんだのですが、カブラル神父様(パードレ・カブラル)が布教長を辞任なさったということは本当ですか?」


 ヴァリニャーノ師は馬上前を向いたまま少し間をおいてから言った。


「そうなんだよ」


 そして、そのまま話続けた。


「年が上の先輩にこのようなことを言うのはおこがましいが、彼は布教長として、また宣教師としても実に優秀な司祭だ。それに、確かにかなりの功績を挙げている。今、この国で十万の信徒がいるというのも、彼の熱意が大きく寄与してきたといっても過言ではない。だが困ったことがあってね。君もこの間の会議で聞いていたと思うが」


神父様パードレのご意見に賛成してくれないことですね」


「そうだよ。やはり福音宣教というものはこの国に限らずどこの国でも、まずその国の風俗習慣や文化を身につけて、我われの方でそれに順応して、精神的にその国に入り込んでいかなくては成功するものではない。それなのにあの神父は、我われの文化をこの国に押し付けて、この国をまずは文化的に我われの文化と同じように染め上げて、それからでないと本当の意味での福音宣教はできないという考え方なんだね」


 もう再三聞かされていたことなので今さら説明されなくても分かっていたが、一応私はうなずいておいた。


「彼がそのような考え方を捨てて私の考え方どおりにしてくれるのなら、彼ほど統率者としてふさわしい人はいないんだけれどね。残念だ」


「そうですか」


「まあ、辞任したからとて布教長が空席になるわけにもいかないから、後任者が決まるまではそのまま彼に布教長をやってもらうしかないけれど、そうすぐには決まらないだろう。一応考えている人はいるけどね。その人は今はアヅチにいる」


 そして少し間をおいてから、また師は話し始めた。


カプラル神父(パードレ・カブラル)に関してはもう一つ気になることがあってね。彼は元軍人なだけに、軍事的なことには敏感だ。ま、長くこの国にいた彼がどれほど他国の現状を把握しているかは分からないけれど、今フィリピーネのマニラにいるスパーニャ((イスパニア))総督は、しきりにチーナへの武力侵攻をスパーニャ((イスパニア))国王陛下に進言しているらしい。もっとも、国王陛下にそのようなお考えはないようで、さらにはあの国には今はそんなことを考えている余裕はないようなのだけど、でも総督も頑固で自説を曲げないということだ。そんな総督の目が、もしこの日本に向いたら」


「それはまずいですね」


「だが、かの神父はそれを歓迎しかねない。元軍人だからね。骨の髄までしみ込んでいる。そうなると、この国にもいろいろ不都合なことが起こる。ま、スパーニャ((イスパニア))の艦隊が攻めて来ても、この国はそう簡単には落ちないだろうけれどね。それにサラゴッツァ条約による航海領域の問題があるから、スパーニャ((イスパニア))は日本へは手を出せない」


 それを聞いて少し安心した。今から約八十年前にイスパニアとポルトガルの間で結ばれた条約によると、イスパニアとポルトガルとの間で世界を二分してそれぞれの航海領域を取り決め、領土問題における両国の摩擦の緩和が図られた。

 その際の例外がフィリピーネ――ポルトガル語でフィリピナス――だったが、日本の大部分はポルトガルの航海領域となる。


 だが、もう一つ、懸念が生じた。カブラル師はポルトガル人だということだ。しかし、ポルトガル国として日本に来ているのはマカオのカピタン・モールである。フィリピーナの総督と違ってカピタン・モールはあくまで航海長であり、カピタン・モールはじめポルトガル商人に領土的野心はないだろう。

 そもそも今のポルトガル国王は前国王と違って、やはり領土的野心はない聖職者の枢機卿なのだから。


 そんなことを考えているうちに、行列はクチノツにどんどん近付いていった。本当に美しい国だ。そこに清潔で礼儀正しい文化水準の高い国民がいる。この国をイスパニア艦隊が攻めるなどという悪夢はあってはならないと、私は緑美しい山と夏の終わりの日差しを浴びてどこまでも青く明るく輝く湾内の海を見ながらそう感じていた。

 ふと、そんな感慨を、ヴァリニャーノ師の言葉が遮った。


「カブラル神父の辞任の件は、あの時の会議の席にいた人以外にはまだ口外しないでほしい。もちろん本人にも、聞いたということは言わないでくれ」


「わかりました」


 そう答えてから私は、また景色に目を戻した。

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