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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 11 La decisione di un Padre(とある司祭の決断)
89/96

Episodio 5 Fusta(フスタ船)

                  1


 翌日の火曜日、ドン・シメオンやジュストの言葉通り二万の軍勢はまたおびただしい数の船に乗って、下関を出港して行った。

 この船はドン・アゴスティーノ小西殿の艦隊だ。

 これまで陸路で来た関白殿下の軍勢も、さすがにここからはいくら狭い海峡だからといっても船に乗らなければ渡ることはできない。なにしろ二万の軍勢が分散して乗りこむのだから、出港までかなりの時間がかかった。

 その中に自ら総大将となっている関白殿下もいたはずだけど、司祭館の窓からはわからなかった。

 そして出港した軍船たちは海峡の対岸へ軍勢を運ぶのではなく、そのまま右手の外海の方へと進んで行った。恐らく次の目的地まで海路で行くのだろう。


 そしてその二日後の夕刻になって、一層の小型船が港に接岸した。

 司祭館の中は沸きだった。


「やっと来られたか」


 フロイス師はため息をついていた。

 皆があたふたとしている。言われなくても準管区長のコエリョ師が到着したのだということは分かった。

 私は何気に縁側から外を見ていた。そして着岸したばかりの船を見て驚いた。

 それは日本の船ではなかった。明らかにポルトガルの船だ。だが、ナウ船ではない。そのような大型の船ではない小型船だが、それでも他の日本の軍船などに比べたらはるかに大きい。


 あれはフスタ船だと、私はすぐ分かった。ナウ船より小型で、帆船であってを漕ぐこともできる。その点が日本の船と同じだ。

 小回りが利くしかなり速度も出るので、実際は戦争で使われることも多いいわば軍船なのだ。

 あのような船でマカオから定期便がくるとは考えにくい。遠距離の航海には向かない。あのような船がなぜ日本にあるのか。

 購入したのか、あるいは日本で建造したのか……、そしてどうしてあのような軍船でコエリョ師はここに来たのか……。


 あれこれ考えているうちに、玄関からコエリョ師と何人かの修道士が入ってきた。

 

 フロイス師が早速コエリョ師を出迎えた。そして言いにくそうに、


「実は」


 そこまで言っただけで、コエリョ師はそれを手で制した。


「聞いている。間に合わなかったんだね。出港に手間取って、それで平戸に寄ったらまたそこで長居してしまって。で、この近くの小倉コクラという港の近くを通ったときにものすごい数の軍船が停泊しているから寄港してみたら、そこであの堺で会ったジョアキムの息子に会った」


「ああ、堺奉行のジョアキムだね。彼なら私は昔からよく知っているけれど、息子はよく知らない」


 フロイス師が言った。聞いていた私はドン・アゴスティーノがここ二、三年の間に洗礼を受けたことを言おうかと思ったが、二人の会話に入るのは虫が好かないから黙っていた。


「それで、そのドン・アゴスティーノから、関白殿下がすでに筑前という所に出陣したと聞いてね。無駄足だったよ。関白殿下はわざわざ私をここまで呼び付けておいて、さっさと行ってしまうとはな」


 おかしなことを言うなと、私は思った。

 別に関白殿下はコエリョ師を呼び付けてはいない。それにこの間のジュストの言葉ではないが、関白殿下は戦をしに来たのであってコエリョ師に会いに来たわけではない。

 だが、もちろんそんなことを私は口に出して言ったりはしないし、言えるわけもない。


「ドン・アゴスティーノが言うには、関白殿下は肥後という所を通るからそこで自分を待っていてほしいとのことだ」


「たしかにジュストも同じようなことを言っていた」


「それで小倉から引き返そうかとも思ったけれど、フロイス神父(パードレ・フロイス)を迎えに来なければと思って、ここまで来たよ」


「置き去りにされて帰られたら、たまったものではない」


 少しだけ苦笑をフロイス師は漏らした。


ディアス神父(パードレ・ディアス)マリン神父(パードレ・マリン)も連れて帰ろう」


 そしてコエリョ師は、初めて私を見た。


「おや? コニージョ神父(パードレ・コニージョ)、なぜあなたもここにいるのですか?」


 私はずっとさっきからここに同席している。今さら白々しいと思ったけれど、一通りのあいさつはした。


「なんでも、関白殿下の奥方からの返礼の品をわざわざ届けに来てくれたのですよ」


 フロイス師がそう説明した。コニージョ師はにこりともせず、じろりと私を見た。


「そうですか。それはご苦労だったね。いつ、大坂に帰るのですか?」


 たしかに、私の用向きは終わったのだから、これで大坂に帰るのが自然だろう。だが、それは表向きの用件で、ここまで来た真の目的は別にある。私はここで大坂に帰ったらここまで来た意味はない。


「いえ、この戦争が終わるまで長崎にいよとの、布教区長オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノの指示です」


「そうですか」


 私は息をのんだ。もしここでコエリョ師が、「いや、不要だ。大坂に戻れ」と言ったら、私はそれに従わなくてはならない。私の直接の上長はオルガンティーノ師だが、準管区長のコエリョ師はさらにその上の立場である。だったらここで待つよりも、直接長崎へ行ってしまったらよかったのではないかという気もした。

 だが、コエリョ師は言った。


「分かりました。いっしょに長崎へ来るといいでしょう」


 私は心の中でため息をついた。複雑な心境だった。

 

 翌日の5月7日の木曜日は主の昇天の祭日だった。

 だから、長崎へ向けて出発する日だけれも、祭日のミサが挙げられた。一般信徒のいないこの司祭館でのミサは、祭日のミサとはいえ平日のミサと変わらなかった。

 復活したイエズス様は四十日間使徒たちとともにいて、使徒たちの目の前で天に挙げられた。私はこれからまた長崎へ行こうとしている。


 イエズス様は使徒たちとともにおられた時、使徒たちがつまずけば助け、疑問を尋ねたら答えてくれた。だが、天に挙げられて雲の間に姿が見えなくなってからは、もうイエズス様のみ声も聞けないしお姿も見えない。肉の目には見えなくなったのである。

 教会はもう、自らを頼るしかなくなった。今の我われ聖職者もそうである。イエズス様の時代の使徒たちのようにはいかない。

 この日のミサは、私にとっても転機かもしれなかった。

 いい意味で、独り立ちしないといけないのである。


 そんな決意とともに、翌日の朝、コエリョ師についてフロイス師、ディアス師、マリン師、そしてロケ兄とともに、私もコエリョ師が乗ってきたフスタ船に乗り込んだ。

 日本の船と違うのは、日本の船が艪で進むときは帆も帆柱も降ろしてしまうが、この船は併用できる。

 私は一歩船内に入ったとき、そこはナウ船同様エウローパの空気が満ちていて、胸が熱くなった。忘れかけていた望郷の思いが再燃した。

 だがそんな感傷も束の間、私の目に入ったのは船に装備された大砲だった。まさしく戦争のための軍船だ。

 なぜこのような軍船を修道会が所持しているのか……いや、まさかとは思うがコエリョ師個人の所有なのか……しかしコエリョ師が準管区長である以上、その境界線はあいまいだ。

 私はあまり話したくはないが、思い切ってコエリョ師に聞いた。


「この船は長崎で造ったのですか? ポルトガルの商館の人たちに頼んで?」


 ポルトガル商館には大工も、船大工も日本に来ている。

 だが、コエリョ師はひと言った。


「買った」


「え?」


 それ以上私が何か聞こうとするのを、フロイス師が間に入って止めた。そしてフロイスしが代わりに言った。


「準管区長が平戸のイスパニアの商館を通して、フィリピーナスのイスパニア人から買ったのです。あくまで移動の便宜を図るために」


 そしてコエリョ師もフロイス師も、船の中へと行ってしまった。

 平戸のイスパニア商館?……そのような存在は初耳だったので、私はただ首をかしげていた。

 今やポルトガルとスパーニャは実質上一つの国で、昔と違って自由に交易ができる。かつては日本やマカオからスパーニャの勢力範囲であるフィリピーネに行くことはできなかったけれど、今は自由だ。

 でも、そんな理屈以上に、コエリョ師がやはりフィリピーネのスパーニャ人勢力とつながりがあるということがなんだかまずい状況なのではないかと、あらためてひしひしと感じるようになった。



                  2


 すぐに船は出港した。

 帆いっぱいに風を受け、そして櫓を漕ぐ人たちの声も響いた。漕いでいるのは全部日本人だ。だがどうもそれは、信徒クリスティアーノの日本人が我われのために奉仕しているというような姿には見えなかった。彼らを監視するひとりのポルトガル人の男がいて、手に鞭を持ってそれが船の床に音を響かせて脅しながら漕がせているのである。

 狭い海峡を抜け、外海に出た。海峡の入り口まで続いていた瀬戸内の海の穏やかさに比べ、海峡の出口の向こうは玄界灘で、かなり波が荒れている様子だった。それでもこの船は日本の船ほどは揺れずに、驚くべき速さで進んでいた。


 夕暮れまでにはある入江の港に入っていった。日本の船と同様に、夜は停泊するようだ。だが、上陸はせず、船の中に寝室もあるので我われは船で寝た。

 そして翌日はまたかなり進んで、緑の島のような陸地の小さな港に着いた。今度は上陸だ。そこに司祭館レジデンツァがあるという。しかもその港には、ポルトガルのナウ船が停泊していた。


「ここはどこです?」


 私はフロイス師に聞いた。


「平戸だよ」


「ああ」


 何度となくその地名は聞いている。司祭館レジデンツァもあって信徒クリスティアーニも多いはずだ。

 司祭館レジデンツァに着くと、出迎えてくれたのはバルテサール・ロペス師とアイレス・サンチェス師だった。

 ロペス師は口之津に同姓同名の司祭がいたのでそちらが大ロペス師、この平戸のロペス師は小ロペス師と呼んで皆は区別していた。

 大ロペス師は口之津で会ったことがあるが、この小ロペス師はあのヴァリニャーノ師の長崎での協議会の時に顔を見た程度であまり話したことはなかった。


 それよりも、サンチェス師とは十分に再会を喜んだ。なにしろマカオでともに叙階を受けて同じ船で日本に来た同期である。以前は長崎の教会にいた。私よりもかなり年長で、フロイス師と同じくらいだろう。あの同期の中では、アルメイダ師の次に年長だった。

 何かと話題に上ったフィリピーネのマニラにいるというサンチェス師とは同じ姓だが、おそらく何の関係もないだろう。


カリオン神父(パードレ・カリオン)は元気ですか?」


 サンチェス師は私が都布教区にいることを知っているから、しきりにそう尋ねていた。無理もない。私にとっても日本にいる同期は都のカリオン師、このサンチェス師、そして臼杵のラグーナ師の三人しかいない。ミゲル・ヴァス師とアルメイダ師はすでに帰天している。二人も欠けたのだから、サンチェス師もその同期の安否が気になるのだろう。

 そんな平戸にも一晩泊まっただけで、翌日には出港だった。


 翌朝、出港前に結構活気のある港の周りを見回してみると、驚いたことに平戸にはスパーニャの商館があった。街には歩いているスパーニャ人の姿も多い。スパーニャとポルトガルの同君連合の知らせが来る前には、考えられない光景だった。


「昔はここに最初のポルトガル商館があったのだけどね、この地の松浦殿や仏教徒たちともめごとがあってね、それで長崎に移ったんだよ。その後に来たイスパニアがポルトガルの商館だった建物を使っている」


 聞きもしないのにフロイス師が得意そうにそう教えてくれた。

 さらに聞くと、去年の定期便でマカオから来たポルトガルのカピタン・モールも、ずっと平戸にいるという。

 そうなのだ。今や実質上はポルトガルとスパーニャは一つの国だから、そういった現象が起きてもおかしくない。道理で、ポルトガルのナウ船がこの港に停泊していたわけだ。

 ただ、他に気になることもあった。スパーニャはすでに日本に商館を持っており、しかもコエリョ師は今回この平戸で足を止めていて関白殿下の出陣に間に合わなかったというのだ。

 どうもコエリョ師はポルトガル商人だけでなく盛んにスパーニャの商人と接触しているようで、現にフスタ船をスパーニャから購入している。交流しているのが商人だけならいいが、マニラのスパーニャ総督と直でつながっている可能性大だ。彼は以前にも総督と交信していた事実がある。

 どうもよくない方向に、日本のイエズス会は向かいつつあるようだが、まだ私の憶測の域を出ないからはっきりとはいえない。


 ほかにもチーナの商人の姿も多く、国際交易が盛んな港のようだった。

 そしてその日のうちに長崎の港に入る湾を船は走行していた。

 下関から長崎までたった三日だった。

 前に豊後から長崎まで一カ月近くもかかったこともある。あの一ヵ月は何だったのかと思う。

 ナウ船ならもっと早いだろうが、なにしろナウ船はかなり水深が深い港でないと停泊できない。そのためには事前の調査も必要だ。座礁でもしたら、もうその船は廃棄になってしまう。


 夕日を浴びながら船は北上して湾の奥へ進む。やがて右手に長く海に突き出した岬の先端の丘の上の、緑に囲まれた教会の十字架が見えてきた。



                  3


 下関から長崎までたった三日だった。

 前に豊後から長崎まで一カ月近くもかかったこともある。あの一ヵ月は何だったのかと思う。

 ナウ船ならもっと早いだろうが、なにしろナウ船はかなり水深が深い港でないと停泊できない。そのためには事前の調査も必要だ。座礁でもしたら、もうその船は廃棄になってしまう。


 夕日を浴びながら船は北上して湾の奥へ進む。やがて右手に長く海に突き出した岬の先端の丘の上の、緑に囲まれた教会の十字架が見えてきた。

 教会がある岬を回って、船は港へと向かう。

 港にはナウ船はいなかった。去年入港したナウ船は、平戸にいたからだ。


 五年ぶりの長崎は、ほとんど景色は変わっていなかった。

 港には長崎教会の主任司祭であるアントニオ・ロペス師が、他の修道士たちと出迎えに来ていた。ロペスという名の司祭がやたら多くて紛らわしいが、ここの主任司祭は大ロペス師や小ロペス師とはノーメ・コンプレート((フルネーム))が違う。

 ほかには長崎の教会には準管区長のコエリョ師とフロイス師、そして今回ともに下関から来たディアス師がいるだけだ。もう一人のマリン師は本来有馬の神学校セミナリヨの所属なので、もう少しして落ち着いたら有馬に戻るという。

 ほかに修道士は西洋人、日本人合わせて相当の数がいた。


 教会から見る長崎の町の景色も、五年前と何ら変わっていなかった。

 海に突き出た岬の先端の、石垣に囲まれて要塞化した教会とポルトガル商館のある高台は松の緑に覆われ、その林の合間から見える湾になっている長崎の海と、その湾の向こうにそびえる稲佐の山も昔のままだ。

 今は新緑の季節で、一年でいちばん緑が美しい時期だ。

 私にとって長崎は日本に来て初めて上陸した町、いわば私の日本の原点ともいえる。

 だが状況はあの頃とは違う。あの時は懐かしいヴァリニャーノ師とローマ以来ここで再会し、まだ慣れない日本での生活ではあったが、充実した日々を過ごしていた。慣れないだけにかえって何もかもが新鮮だった。

 今はこの教会にはコエリョ師がいるし、フロイス師がいる。この二人は昔もいたけれどさらにその上のヴァリニャーノ師が今はいない。それだけ重苦しい空気なのだ。

 こうして、私はここでまた日々を過ごすことになった。

 大坂にいるよりは景色はいい。しかも、町全体がイエズス会の知行地だから住民もすべて信徒クリスティアーニであるし、また商館のポルトガル人たちも自由に町を往来している。大坂ではあり得ない光景だ。

 ここにいて何事もなく日々が過ぎて、やがて関白殿下と薩摩との戦争も終わったという知らせが来て、関白殿下が大坂に帰るというので結局何もせずに私も大坂に戻る……それが今の私にとってはいちばん理想的な近い未来に思えた。


 ただ、そういった世の中の動きの知らせは、直接にはこの教会には来ない。地理的にもこの長崎が戦場となることはないだろう。ただ、関白殿下はもし長崎の近くを通るようなことがあったら、コエリョ師を迎えに来るみたいなことも言っていたという。そうなったら気が重いなと、私は思っていた。

 いずれにせよ世の動きはこの教会にではなく、殿である大村のドン・バルトロメウか、その甥で有馬の殿のドン・プロタジオのところに届くであろう。だからいろいろな情報が、すぐにこの長崎にもたらされるは思いがたい。


 そんなことを考えてい暮らしているうちに、ほぼ毎日教会に祈りに来るポルトガル人がいるのに気がついた。商館員の中でも信仰厚い人はよく御聖堂おみどうに祈りに来るし、それ自体は珍しいことではない。

 だが彼は、いつも日本人の少年をつれていた。十歳くらいだろうか、首から十字架をかけているからこの少年も信徒クリスティアーノなのだろう。

 ある日、祈りが終わった後、商館員は御聖堂おみどうで行きあったフロイス師となにやら話し込んでいたので、この少年だけが先に出てきた。その時ちょうど私は庭にいた、


「君は洗礼を受けたのかい?」


 私は思わず話しかけた。大坂の神学校セミナリヨでも,いちばん小さな学生はこの子くらいだ。だから、子供を見るとつい話しかけてしまう。


「はい。べレスさんが手配してくれて、この教会で洗礼を受けました」


 驚いた。私が話しかけたのは日本語でである。それなのにこの少年はポルトガル語で答えた。たどたどしくはあるが、会話を成立させるには不足がない。神学校セミナリヨでもポルトガル語に堪能な生徒もいるが、もう少し年長になってからだ。

 その少年の話によると、あの商館員はべレスというらしい。


「君はあのべレスさんといっしょに暮らしているの?」


「そうです。働いているのです」


「名前は?」


「ガスパル」


 恐らく霊名だろう。


「え? 君、家は?」


「豊後です」


 豊後といえば今戦乱のさなかにある府内や臼杵のあるあの豊後か…。


「どうしてべレスさんの所へ?」


「二年前に戦争で家が焼けて、おとうは人買いに僕を売ったのです。そうしないと生きていけなかった。そしてべレスさんが僕を買ってくれた」


「お金で買われた?」


 人身売買? つまり、奴隷なのか…この子は――。

 その時、その彼を呼ぶ声がした。


「ガスパル!」


 御聖堂おみどうから出てきた商人のべレスはガスパルを呼び、商館の方へと連れて行ってしまった。

 ちょうどそこに、上長のアントニオ・ロペス師が庭を歩いてきて司祭館に入ろうとしたので、私は呼びとめた。


神父様パードレ、ここの商館員は奴隷の売買もしているのですか?」


「え?」


 という顔をして、ロペス師は一瞬目をそらした。何か大失敗をしたのが親に見つかった時の子供のような目だ。


「今さら言いますか?」


 たしかに、モサンビーケでは大量の住民が奴隷として船に乗せられ、ゴアに運ばれていた。もともとあのヤスフェでさえ、奴隷としてヴァリニャーノ師に買われて、それで日本まで連れて来られたのではないか。


「あの、ガスパルという少年」


「あ、あの子」


 ロペス師は安心したような顔になり、笑いだした。


「あのこは日本語でいう年季奉公ネンキボーコー、つまり三年の契約で働いているだけですよ」


 私はその日本語の意味がよくわからなかった。でも、お金で買われた以上は奴隷だろう。

 なんだか腑に落ちなかったが、その話はとりあえずそのままになった。

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