Episodio 4 Guerra dei Bungo(豊後の戦乱)
1
そうして私は、従来通り神学校で学生たちとともに過ごして一週間が過ぎた。
次の日曜は復活節第四主日だがその翌日、つまり20日の月曜日に私とロケ兄はいよいよ九州に向け出発することになった。関白殿下の出陣の十二日後となる。
長崎は織田殿の死を伝える任務で遣わされた時以来だから、長崎もまた私にとって五年ぶりだ。
五年の間に、世の中は全く変わってしまった。あの頃の安土城は跡形もなく、大きさではそれをはるかにしのぐ大坂城が、かつては織田家の一大敵勢力であった一向宗の本願寺の跡地にそびえている。
本願寺の小さな門前町にすぎなかった大坂も、今では都に匹敵するくらいの大都市だ。そして、織田家の一武将にすぎなかった羽柴筑前殿が、今や天下に君臨する関白豊臣秀吉となった。それもわずか五年の間の出来事である。
地球の裏側でも、あれほど拮抗して世界で覇を競っていたスパーニャとポルトガルが今や実質上は一つの国になっている。
さて長崎は、この五年でどのように変わっているか……私はあまりいい予感はしていなかった。
五年前は情報伝達の役目を終えればすぐ戻ってよかったが、今回は関白殿下が大坂に戻るまで、すなわち九州での戦争が終わるまで向こうにいなければいけないのだから長引きそうだ。
嫌な予感は、この時も続いた。復活祭の前からもうひと月以上も、あまりにも頻繁に地震が起こるのである。ほぼ毎日といっても過言ではない。地震自体はそれほど大きくなく、立っていたら気付かない程度の時も多い。
それでもこう続けばあまりいい感じはしない。
そんな中を我われは出発した。
すでに関白殿下の大軍とは別に海路で海軍の艦隊とともに出陣していたドン・アゴスティーノ小西殿の計らいで、我われは堺から小舟で瀬戸内の海を旅することになっていた。
関白殿下の軍は陸路を行軍していると聞く。風向きにもよるが、船で行けばもしかしたら我われの方が関白殿下の軍を追い抜いていく可能性もある。
出発の当日、四月も下旬だというのに朝に木の実くらいの大きさの雹が降った。前日の日曜日の朝などは、まるで雪かと思うくらい、教会の庭には一面に霜が降りていた。
なんだか季節もおかしくなり始めている。
出発の間際に、オルガンティーノ師がそっと私に耳打ちするようにイタリア語で言った。
「もし準管区長やフロイス師の動きで牽制すべきことがあったら、あなたの判断でそれをなんとしてでも食い止めてください。急を要する場合は、いちいち私に報告して指示を仰がなくてもいいです」
この言葉は、胸に深く刻み込まれた。
まるで私がオルガンティーノ師から全権を付与されたようなものだ。それほど信頼してくれているのかと、胸が熱くなった。
しかし布教区長であるオルガンティーノ師よりも上長である準管区長を相手にするこの発言だから、もうそれ自体で事態は急を要しているのかもしれない。
そんなオルガンティーノ師とセスペデス師、そして多くの修道士や神学校の学生たちに見送られて、我われはまず堺へと出発した。堺へ行くには天満橋は渡らず、お城の脇を南下する。
久々に近くで見る大坂城の天守閣は、今は主が不在だとはいえ相変わらずの狂気を感じさせていた。
堺では教会が間借りしている日比屋で一泊した。
翌日の朝早く、今が風がいちばんいい時だということで、私とロケ兄は船に乗り込んだ。日比屋の主人のディアゴは娘婿のルカスが昨年あんなことになってから一気に老けたようだが、そのディアゴと息子のビセンテ、そして娘たちもパシオ師とともに皆で我われを見送ってくれた。
「あのコエリョ神父には私もいろいろ言いたいことはある。私もいっしょに行きたいところだけど、私には堺の教会がありますからね。それに尾張にも行かねばならない」
別れ際にパシオ師はそんなことを言っていた。リスボンを船出してゴアまでの船旅を共にした数人のうち、今一緒に日本にいるのはこのパシオ師だけなので私にとっても心強い相手だ。
そのパシオ師の尾張行きも、間近に迫っているとのことだった。
船は春の東風を帆にいっぱい受けて、穏やかな瀬戸内の海を心地よく滑った。
もはや海賊もドン・アゴスティーノによって一掃されている。船は淡路島、小豆島と停泊し、かつてヴァリニャーノ師らとともに初めてこの瀬戸内の海を航行した時には、恐ろしい水軍の本拠地として生きた心地もせずにやっとの思いで通過した塩飽も、今では関白殿下の御用水軍としてドン・アゴスティーノの配下となり、この九州での戦争に参加することになっている。
だから昔と違って、今は我われの船を護衛してくれる存在に百八十度変わっていた。
ほかにかつて我われが恐れた村上水軍も、三つの家のうち一つの家の頭目は関白殿下に臣従しており、あとの二つの家は従来通りに毛利家の家臣だが、昔は毛利家が織田家の敵だったから恐れたのであって、今は毛利家も関白殿下の配下の武将であり、いわば味方であるから何ら恐れることはなくなっている。
それから何泊か泊まり、風待ちに滞在することもなく翌日には出港して、一週間もかからず25日の土曜日、聖マルコの祝日には毛利家の領地である下関に着いた。
今はここに司祭館もあり、関白殿下も同じくこの地を目指して進軍しているとのことなので、オルガンティーノ師もまず下関に行くようにとの指示を下していた。
船はずっと左右に陸地を見ながら巨大な川かあるいは湖のような瀬戸内の海を進んでいたが、やがて船は陸地に向かっていくようになった。
「もうすぐ下関や」
船べりに出て景色を見ていた私とロケ兄に、船頭が言う。私はこのまま船が前方の陸地にぶつかり、そこが下関の港だと考えていた。
ところが進む行く手の陸地には太い川が注いでいるようで、船はその川へと入っていく。
ただ、どうも普通の河口という感じではなく、大きな湾が段々と狭まって内陸へと続いているという感じだ。ちょうど、長崎に着く間近の湾のようだ。
だが、長崎の湾はこんなに狭くはない。やはり湾ではなく川なのかとも思う。
「下関は、この川の上流にあるのですか?」
私は船頭に尋ねてみた。船頭は笑った。
「これ、川とちゃいまっせ。海です」
「では湾になっている?」
「いやいや、陸と陸に挟まれた海峡でっせ。左岸が九州の豊前、右が毛利様の長門。このままこの海峡を進んだらまた外海に出て、そこは九州の北の玄界灘ですがな」
なんだか私にはピンとこなかった。本土と九州は、なんとこんな狭い海峡で隔てられただけだったのだ。
海峡の左右とも山がちの土地だが、山はさほど高くはない。
やがてまるで川としか思えないその海峡の右側に、港が見えてきた。行く手を見ても海峡は湾曲しているので、その向こうの外海は見えない。
港の周辺だけ少し平らな土地があり、そこに町があった。町の向こうには山がないので、そのままそこが外海なのだろう。
その町に港がある。そこにはおびただしい数の軍船が停泊していた。ドン・アゴスティーノの海軍の艦のようだ。
いよいよ下関に着いたらしい。
船がゆっくりと港に入ると、すぐに十字架のある建物が見えた。あれが司祭館のようだ。本当に港ぎりぎりの海沿いに建っている。
私とロケ兄は上陸後数秒で、司祭館の扉を叩くことができた。
扉が開いて出た顔を見て、私は身を固くした。
私にとっては苦手なフロイス師の姿がそこにあった。
「ずいぶん早かったですね。昨日知らせをもらったばかりです」
我われが来るという知らせはもう半月も前に、オルガンティーノ師はドン・アゴスティーノに託していたはずだ。我われが早かったのではなく、手紙が着くのが遅かったのだ。
とにかく私とロケ兄は、荷物を運びながら中へ入った。
司祭館といっても建物は日本式の小さな屋敷だ。
この司祭館は最近設けられた新しいものであるはずだが、建物自体は新築ではなく、前からあった古い屋敷を手に入れて司祭館にしたようだ。
その小さな屋敷に結構人はたくさんいた。修道士や司祭もいる。床は板張りだった。椅子もない。
その木の床に、我われは日本式に座った。
私たちを出迎えるかのように、司祭たちを我われを囲んで座った。一通り名前を聞くと、ゴンサルヴェス師、モンテ師、ラモン師、プレネスティーノ師、そして前にコエリョ師とともに大坂に来たディアス師、マリン師などだった。
中には初対面の人もいたが、そうではない人は皆豊後の府内か臼杵のどちらかで会ったことのある司祭たちばかりだ。
「長旅ご苦労でしたね」
ラモン師が最初に声をかけてくれた。この人は会ったことがある気がするが、会ったとしてもなにしろ五年も前である。はっきりと記憶にない。
「すでにドン・シメオンの働きで、山口とこの下関には教会を造る準備も進んでいる。土地も手に入れてます」
ラモン師がそう説明してくれる。
「ドン・シメオン、つまり黒田殿ですね」
「そうです。教会の予定地はもっと見晴らしのいい高台ですよ、起伏が二つもあったのですけれど、ドン・シメオンの兵たちが人海戦術であっという間に平らにしてくれたそうです。その兵たちもほとんど信徒だったということですよ」
ドン・シメオン黒田官兵衛殿は、まだ洗礼を受けていないころから私はよく知っている。関白殿下の軍事顧問だ。関白殿下よりもずっと前から、この下関に来ているのは知っていた。
それにしても、この狭い司祭館に司祭が多すぎる。私がそう思ったのが顔に出たのか、表情も変えずにフロイス師は言った。
「みんな、豊後から避難してきた人たちだよ」
「避難?」
私は何も知らないので、軽く言ってしまった。戦争はこれから起こるのだろうくらいにしか、私は考えていなかったのだ。
「コニージョ神父、豊後はもうおしまいだ」
そういうラモン師は泣きだしそうだが、ゴンサルヴェス師が遮った。
「そのような言葉を口にするものではない。『天主』に委ねようではないか」
「その話はあとで詳しく」
フロイス師が、また無表情で言った。
私は気づいたように、荷物の中から大きな包みを二つ取り出した。北政所様から賜った着物である。
「マリン神父、ディアス神父。あなた方がわざわざ大坂まで来られて関白殿下に準管区長の進物を届けられたその返礼だそうですよ」
これを届けに行くというのが今回の私とロケ兄の長崎への派遣の表向きの理由だ。まさか、準管区長と関白殿下の接触がおかしな方に行かないように見守り牽制するなどというオルガンティーノ師の真意を言うわけにはいかない。だから、表向きの理由が必要なのだ。
「お二方ともお忙しかったようで、大坂の教会には来られなかったようですが」
二人ともばつが悪そうにうすら笑いを浮かべた。もちろんこの二人に悪意や落ち度があったわけではないことは私は知っている。ただ、フロイス師だけが冷たい顔をしていた。
「何もこのいちばん大変な時に、このような使いで来なくても」
吐き捨てるように言うフロイス師の言葉に、やはりこちらは何か大変なことになっているという気がした。
2
その日の夕食後、聖務日課の終課の後で、フロイス師が私とロケ兄のために状況を説明してくれた。
「私と準管区長が去年関白殿下に対面し、その帰りに山口に行った。知ってのとおり山口はかつてザビエル神父が布教した場所だけれど、織田殿の敵国の毛利殿の領地となって教会もなく司祭もいない状態で、信徒たちは置き去りになっている状態だった。でも今、毛利殿も関白殿下の味方となり、ドン・シメオン黒田殿の尽力で布教もできるようになったから、その山口にも司祭館ができた。そして準管区長が山口を巡回している時に豊後は大変なことになったのだ」
聞いている誰もが、悲痛な顔だった。コエリョ師が下から連れてきたこのフロイス師やマリン師、ディアス師のほかは、皆豊後にいた司祭たちなのである。
「今、豊後は大いなる試練の時を迎えている。とりわけ豊後布教区にとっては、これまで体験したことのないような厳しい状況になっている。そんなわけで準管区長も私もすぐには長崎に帰らずに、しばらく山口に、そして豊後により近いこの下関に滞在してきた」
「詳しくは、私から話しましょう」
その「厳しい状況」を実際に体験したであろうゴンサルヴェス師が話を受け継いだ。
「昨年から薩摩の島津殿が激しく豊後を襲うようになったのです。豊後の殿のドン・フランシスコの大友軍にドン・シメオンと毛利殿の軍、それに長宗我部殿の軍も加わって島津と戦ったのですが、苦戦していたようです。すでに臼杵で隠居されていたドン・フランシスコが大坂まで出向いて関白殿下に援軍を請うたのはご存じですよね」
私はうなずいた。うなずいたが、あの時は直接ドン・フランシスコとは話はしていない。ドン・フランシスコは堺に滞在していて、関白殿下との対面後はそのまま帰ってしまった。だから、詳しい状況を大坂にいる我われは分からずにいた。
ただ、わざわざ老齢のドン・フランシスコが自ら大坂くんだりまで来るということは、よほど事態が切迫しているのだろうくらいにしか思っていなかった。
「去年の秋ごろから薩摩の軍は豊後の府内を包囲して攻撃を加えてくるので、我われは生きた心地がしませんでした。そして今年になってから大きな戦争があり、それに勝った薩摩の軍はついに府内を占領しました。もちろん穏やかに入ってきたわけではありません。略奪と放火など、薩摩の軍は乱暴の限りを尽くして町の大半は焼かれました。府内にいた大友の殿、つまりドン・フランシスコの長男は府内から逃げて、府内の城には島津の殿の弟が入りました」
「あのう、府内の教会や学院は?」
私は思わず口をはさんだ。ゴンサルヴェス師は悲壮な顔で、黙って首を横に振った。私もロケ兄も、息をのんだ。そして、もう一つ私は聞いた。
「ドン・フランシスコは?」
「ドン・フランシスコは臼杵の城にいます。あの城は持ちこたえています」
たしかに、私は実際に臼杵の丹生城というあの城に行ったことがあるが、海に突き出た巨大な岩山の上に築かれた城だ。塀に囲まれただけの平地の屋敷にすぎない府内の城と違って、ちょっとやそっとでは陥落しないだろう。
そこに、臼杵にいたラモン師が話に入った。
「臼杵では司祭も修道士もドン・フランシスコがその城の中に入れて保護してくださいました。彼はそれだけではなく、臼杵の一般の住民たちをもできる限り城の中に避難させたのです」
「教会は?」
同じようにラモン師も、黙って首を横に振った。
「ドン・フランシスコは住民が城に入ると、市街地に敵が潜むのを恐れて街を全部焼き払ったのです。でもその時は、教会や修道院は無事でした」
「それがいつごろですか?」
「ゴメス神父が臼杵のお城に入ったのが、待降節の最初の金曜日でした。12月の5日くらいでしたか」
つまり、三河の徳川殿と関白殿下が和解の会見をし、我われも徳川殿と面会していたちょうどあの頃だ。まさかこの豊後がその頃そんなことになっていようとは、その時は全く知らなかった。
「そして次の日曜日、待降節第二主日で聖アンブロジオ司教の祝日に教会の財宝は全部お城に運びましたよ。いや、全部じゃない。有馬にいるニコラオ兄が描いた昇天の聖母マリアの絵は大きすぎて運べなくて、残念ながら残してきました」
「ニコラオ兄……」
私にとっては安土でともに過ごした懐かしい名前だ。
「で、今では教会は?」
ラモン師は言う。
「古い教会や修道院はすべて焼かれましたけれど、新しい教会は建物自体は焼かれていません。でも内部は破壊されて、今では豊臣方の兵士の宿舎になっています。もう教会ではない」
私は胸が割かれる思いだった。あの臼杵の新しい教会の献堂式には、私も立ち会っていたのだ。
「豊臣の兵がもう臼杵にいるんですか?」
「順を追って説明しますね」
私の問いに、またゴンサルヴェス師が答えた。
「準管区長のコエリョ神父が所用があって長崎に帰られたのが、今ラモン神父が言われた教会の財宝の搬出から一週間後の待降節第三主日の頃だったと聞いています。そうですよね、フロイス神父」
「ああ」
フロイス師はうなずいた。するとさっきから姿が見えないと思っていたけれど、コエリョ師は今はこの下関にはいないのだ。
コエリョ師は自分の代行者として、フロイス師をここにおいていったのだろう。
「その三日後くらいに、府内も臼杵も完全に敵の薩摩軍に包囲されました。府内や臼杵の司祭や修道士は、ドン・シメオン黒田殿が手配してくれた船で豊後を脱出してこの下関と山口に分散しています」
「布教区長は?」
「ゴメス神父はそれからずっと山口におられました。ただ、昨日中津に行きました。信徒が多い場所です」
私は実は豊後の布教区長のゴメス師とは会ったことはないが、その名前はよく聞き知っている。私が以前府内や臼杵にほんの少し滞在した時には、ゴメス師はまだ日本に来ておられなかった。もう五十歳を過ぎておられる方だそうだ。
以前私がゴアにいた時になんとなくそのような名前を聞いたことがあるような気がしたけれど、記憶に定かではない。もしかしたら、ゴアで顔は会わせているかもしれない。
「では、今は府内にも臼杵にも司祭はいないのですか?」
ラモン師が答えた。
「臼杵にのお城の中にはラグーナ師が一人で残っています」
ゴンサルヴェス師が言う。
ラグーナ師……また懐かしい名前だ。マカオでともに叙階を受けともに日本に来た、いわば私の同期である。
「府内にはもう誰もいません。ただ、つい先ほど届いたばかりの知らせなのですが、三日ほど前に関白殿下の弟の美濃守殿が小倉に到着し、その後の戦争で豊臣方が府内も臼杵も奪還たそうです。もはや島津の軍は豊後から撤退したということです」
「それで臼杵に豊臣の兵士がいるのですね」
私は納得した。
「臼杵から敵の軍が撤退した後にお城の門が開いて、避難していた人たちが一斉に外に出た様子はすごかったらしいです。でも、古い教会と修道院はその時に豊臣の兵によって焼かれたということです」
私はため息をひとつついた。
「そういえばフィゲイレド神父は?」
かつて病気療養のために都に来た府内の学院の院長で、あのベルシオール曲直瀬道三先生の受洗のきっかけともなった人だ。
「あの方はもう日本にはいない」
フロイス師が口をはさんだ。
「すでに昨年の定期船でマカオに渡った」
なにしろ老人だし、やはり病気も完治というわけにはいかなかったようだ。
「では、府内の学院長は?」
ゴンサルヴェス師が私を見た。
「一昨年日本に来られたカルデロン神父という方です。今はゴメス神父とともに山口にいます」
「前に都にいたモレイラ神父は?」
「あも方も山口です」
「皆さん、大変な思いをされていたのですね」
あまりに私が悲痛な顔をしているので、ゴンサルヴェス師が少し笑って私の肩を叩いた。
「こんな試練の時だから、心を合わせて祈りましょう。教会とは決して建物ではない。建物がなくなっても、ともに祈る共同体があればそこが教会です。私たち兄弟は離れ離れになっても信仰で結ばれていれば、それでキリストの体を形づくれるのです」
まるで私の方が逆に私を元気づけられた感じだった。
「さて、神父はこれからどうするかだが」
フロイス師がまたもや無表情のまま、私を見た。
とりあえず今準管区長のコエリョ師はここにはいない。正直ほっとしたのも束の間、しかしながらコエリョ師の監視というとおこがましいが見張り役のような感じでオルガンティーノ師から派遣されたのだから、不本意でもコエリョ師のそばにはいないといけない私である。
もちろんそのようなことは今ここで、特にフロイス師に向かっては口が裂けても言えないのだが。
「準管区長が長崎なら、私も長崎に」
「いや、それは必要ない」
フロイス師の言葉に、一瞬だけ体が硬直した。もしかしてフロイス師は私が来た真意に気付いたのだろうか。
「間もなく準管区長はこの下関に来る。もうすぐ関白殿下の大軍が来て、必ずこの下関は通過する。その時に関白殿下はここで準管区長を会いたいと言っていた。そうですな、マリン神父」
「あ、はい。大坂でそのように言われてきました」
この人たちはもうこそこそと、関白殿下とそのような約束までしている。油断もできない。
もしかしたらこんなこともオルガンティーノ師には想定内のことで、だからこそ私を遣わしたのだろうか。
「間もなく関白殿下は下関に来る。だから間もなく準管区長も下関に来る。だから、神父はここで準管区長を待っていればいい」
「狭いですけれど、なんとか譲り合ってみんなで生活していますから、神父もどうぞ」
そう言って、ゴンサルヴェス師も笑顔で迎えてくれた。
ただ、ここでの滞在がどれくらいになるのかは私にはわからない。とにかく、関白殿下とコエリョ師がここで会う以上、私もここにいないとまずい。
「わかりました」
私はフロイス師に、それだけ言っておいた。
3
翌日は復活節第三主日だったが、この狭い司祭館の祭壇の前にひしめき合う形でミサは執り行われた。ひしめき合うといっても一般の信徒はおらず、聖職者のみが参列するミサだから毎日の平日のミサと状況は変わらなかった。
そのまま、一週間ほど何の知らせもないままに時は流れた。
知らせといえば豊後の一つ北にある豊前の方から、ゴメス師の手紙がフロイス師の元へ同宿の少年の手で届けられた。
私はよく知らないが、そこに中津という町があって城があるという。
その手紙についてはフロイス師はあまり話してくれないのでゴンサルヴェス師に聞くと、中津にはドン・シメオン黒田殿がいるという。今年の聖週間と復活祭にはゴメス師によって、その中津では初めてのミサが執り行われ、ドン・シメオンの長男の吉兵衛殿も洗礼を受けてダミアンという霊名を授かったという。
ついでにゴンサルヴェス師がぽろっと話してくれたことによると、そのゴメス師が中津での復活祭のために留守にしていた山口では、復活祭のミサの後に法華宗の僧や門徒が司祭館に押し寄せて論争を挑み、ほとんど暴力的にさえなってきたので今回の戦争のために広島から山口に来ていた領主の毛利殿に仲裁に入ってもらったというそんな事件もあったそうだ。
さてゴンサルヴェス師が話をゴメス師の手紙に戻して語ったとことによると、ドン・シメオンの長男の受洗とは別の話だが、ドン・フランシスコの長男の五郎殿のことを手紙は告げてきたそうだ。
府内にいた大友家の当主である五郎殿は城を薩摩軍に攻撃されて脱出し、その後は豊前のいくつかの城を転々としたけれど、最終的に落ち着いた妙見岳城という城はその中津城のほぼ隣だということだった。
そこでドン・シメオンから強い勧めを受けて五郎殿は洗礼を受けてコンスタンティーノという霊名をもらったというのがゴメス師の手紙の内容だった。
ゴメス師が今また山口から海を渡って豊前へ行っているのはドン・シメオンからの要請で、この五郎殿ドン・コンスタンティーノへ洗礼を授けるためだったのである。
ドン・シメオン殿の長男のドン・ダミアンは私は会ったこともなくよく知らないが、大友五郎殿ドン・コンスタンティーノはよく知っている。
私が豊後に行った時に何度かお会いしたが、父のドン・フランシスコがあんなにも熱心な信徒であるのに、五郎殿はどうしても納得がいかないことがあるとかたくなに入門を拒んでいたのを覚えている。
あの五郎殿が洗礼を受けたという報を聞き、やはり時期というものがあって『天主』のご都合もあるのだなと私はぼんやりと考えていた。キリストの教えを嫌っているからといってあきらめるのではなく、ましてや裁いたりはせずに、人間の考え入れずにみ旨に任せるべきだなと思った。
その週はそんな知らせを聞いただけで時間が過ぎていたが、土曜日になって下関の町は慌ただしくなった。むしろ大騒ぎだ。
すでに5月になっている。
私の出発よりも早くに大坂を出陣して行ったあの何万というおびただしい数の関白殿下の軍勢が、ようやく下関に到着するらしい。
昼前頃から町はさらに騒がしくなった。もしその軍勢が海路を来るのならこの司祭館の脇を通ることになるが、陸路なので司祭館にいては直接その行軍を見ることはできなかった。
だが、司祭館ではフロイス師が頭を抱えている。
「困った、困った」
あの冷静沈着なフロイス師が、そんな言葉を連発しているほどだ。。
「コエリョ神父はまだかね」
いくら司祭たちにそう聞いても、ここにコエリョ師自身が顔を出さない限りまだ到着していないということは明らかだ。
関白殿下が大坂を出陣するという情報を大坂に行ったディアス師やマリン師から得た時点でフロイス師は、その旨を知らせる手紙を一ヵ月以上も前に長崎に送っているという。
「手紙は着いていないのだろうか」
終始ぶつぶつと愚痴を言っているフロイス師だ。
「関白殿下はいつまでこの下関にいるのだろう。その滞在している間にコエリョ神父は着くのだろうか」
誰に言っているというわけでもなく、ほとんどひとり言だ。
たしかに状況は分かる。関白殿下とこの下関でコエリョ師は会見する約束をしていることは聞いている。だから、コエリョ師がここにいないというのはまずい。
果たして翌日の日曜日、ちょうどミサが終わった頃の時間に、鎧を着た武士が二、三人、司祭館を訪れてきた。応対には日本人のロケ兄が出たが、ロケ兄が中に戻って言うには、やはり関白殿下がコエリョ師と会いたいのでその迎えに来たということだった。
もはやフロイス師が直接出るしかない。フロイス師は日本式に頭を下げて、コエリョ師の到着がまだであることを詫びていた。まさかコエリョ師の指示もないのに、フロイス師がコエリョ師の代わりに関白殿下に会いに行くわけにもいかない。
「分かり申した。ただ、殿下もご予定がありますゆえ、バテレン様が到着せずとも予定の期日になれば下関を出発致す。それはお含みおき下され」
司祭館の中にいても聞こえるくらいの声で武士は言うと、帰っていった。その、関白殿下の予定の期日については、何も言わなかった。
やがて、下関の町がまた騒がしくなった。今度は対岸からおびただしい船が海峡をこちらに渡ってくるので、司祭館からもよく見えた。どうも関白殿下の別働隊、すなわち弟君の美濃守殿が率いる軍勢のようだ。ただ、数は少ないから、軍勢すべてではなく指揮官の美濃守殿とその護衛の船だけだろう。
多分ここで、美濃守殿と関白殿下の作戦会議でも開かれるのかもしれない。
それが月曜日で、その日の夜に司祭館を二人の武将が訪ねてきた。
私にとっては懐かしい顔だ。一人はすでに前からこの地に来ていて他の司祭たちの話題の中に何度も名前が出ていたドン・シメオン黒田殿だ。
豊前の中津という所にいると聞いていたが、美濃守殿とともに海峡を渡ってここに来たのだろう。関白殿下の軍事顧問なのだから、作戦会議となると彼がいないと始まらないと思われる。
そしてもう一人は、関白殿下とともに来たジュストだった。二人とも私がいるのを見て「おや?」というような顔をした。
「コニージョ様も来られていたのですか」
「ええ。バテレン・オルガンティーノの命ですから」
私は、詳しいきさつは話さなかった。
「ところで、」
二人は対座したフロイス師に聞いた。
「コエリョ様はまだ長崎からいらしていないとのことなのですが」
「そのことですが」
また、フロイス師はばつが悪そうにしていた。
「もうこちらに向かっているとは思うのですが」
ジュストもドン・シメオンも、少し曇らせた顔を見合わせた。
「申し訳ないのですが、明日関白殿下も美濃守様もこの地を離れて出陣です」
今度はフロイス師の方が顔を曇らせた。
「関白殿下の殿お約束を反故にしてしまい、本当に申し訳なく思っております」
「いえいえ」
気さくにジュストは笑った。
「我われは戦をしに参ったのですから。このあと、どうなるかは分かりません。しかし、長崎に行くのは無理かもしれませんが、その近くを通るようなことがあればこちらから迎えに参りますので、長崎でお待ちいただきたいと、そうコエリョ様にはお伝えください」
話はそのようについたようで、二人はその後三十分ほどあれこれと司祭たちと話していた。特にジュストにとっては初対面の司祭も多く、紹介されるままに互いの身の上などを話していた。
私はドン・シメオンに、その息子さんの受洗のお祝いの言葉を言った。
「まあ、やつはまだ頼りないところがありますが、なんとでもなります。それよりも、大友殿の五郎殿の洗礼は、本当に喜ばしいことですな。私もさんざん説得しましたから」
「たしかに」
「お父上の宗麟殿は去年大坂に来られた時に私は初めてお会いしましたが、さぞお喜びでしょう」
「はい。ただ、母上が難しい方で神社の神主さんの娘で、どうしてもキリシタンを受け入れません。頑なに反対しております」
「宗麟殿の奥方ですか? あの方、亡くなりましたよ。今年になってから豊後では感染症が大流行りまして、それに感染されたようです」
「え?」
これには驚いた。
「それで五郎殿もその母上に気兼ねがなくなったというのもあったようです」
「そうですか。実はあまりにもキリシタンを迫害するので、ドン・フランシスコは城から追い出しました。我われはその人を、遠い昔のイスラエルの王妃なのに異教徒だったジェザベルという女になぞらえて、その名前で彼女を呼んでいたのですが」
ドン・シメオンはよく話が分からないようだったが、さすがにジュストはジェザベルと聞いてうなずいていた。
それから二人は長居はできないということで、早々に陣営へ帰っていった。




