Episodio 1 Natale e capodanno(クリスマスそして新しい年)
1
大坂の、大淀を見下ろす天満の河岸の丘の上にある我らの教会の鐘が鳴った。
私が日本に来てからもう七度目のナターレを迎えようとしている。
あの織田信長殿が明智に討たれたあの年ほどではないにしろ、今年は激動の一年だった。
オルガンティーノ師をはじめとするこの都布教区の中心地大坂に、長崎から準管区長のコエリョ師が通訳のフロイス師とともにやってきた。もちろん都布教区の巡回もあるが、今や完全に天下人としてその地位を確立した関白殿下に対面するという大仕事があった。そして、関白殿下からの布教許可証をとりつけたのもコエリョ師だ。
傍から見ればコエリョ師とフロイス師は日本におけるイエズス会布教のため、大きな功績を挙げた年といえるだろう。
だけど私は何か釈然としない。理屈では喜ばしいことだ。でも、私がこの国に来て以来、私はコエリョ師やフロイス師、そしてもう日本にはいないがかつての日本布教区長だったカカブラル師、この三人にはどうにも心を開けなかった。いや、その腹のうちがどうしても読めないのである。
こういった人たちに日本でのイエズス会の布教を任せていいのか……別に根拠があって彼らを非難しているわけではない。ただ、感覚的にどうにも心が騒ぐのである。
かつて私の師であり、イエズス会の総長の代行者たる巡察師として日本を訪れ、今はマカオにおられるヴァリニャーノ師にとっても不本意な人事であったようだが致し方なかった。
この同じイエズス会の共同体であるにもかかわらず、大坂と長崎の温度差は私だけではなくオルガンティーノ師はじめ都布教区の司祭の誰もが感じているようだった。だが、誰もあえてそれを口にしない。
そしていよいよ、ナターレの準備を始める時になった。
今年のヴィジリア・ディ・ナターレは水曜日だ。前日の23日に少し雨が降ったが、24日はよく晴れていた。夕方になればこの丘の上の教会に、大坂の町の方から信徒がどんどん登ってくるはずである。
「今年こそは、この大いなる祭儀に関白殿下をお招きしたかったな」
祈りのうちに夕刻からのナターレのミサに備えている合間に、オルガンティーノ師がぽつんと言った。
「いやあ、それは難しい」
私が言うまでもなく、状況はオルガンティーノ師もよく心得ているはずだ。
まずこれまでの帝が皇太子に譲位して新しい帝が都では即位した。その一連の儀式がどのようなものか我われには分からないが、関白殿下がそれに携わらないはずはない。
関白とは帝の補佐役だと聞いている。それだけでなく、最高位の大臣でもある。しかし、この国では帝は権威であって、実際の政治的権力はない。それを持つのは大臣でもある関白なのだ。いわば関白こそ、実質上のこの国の皇帝であるといっても差し支えない。
その「皇帝」に大坂の教会のナターレのミサに招くのはやはり至難のわざだろう。
それに加え、昨年から続いている懸案で、関白殿下は近々九州へ出陣することになっている。豊後の大友殿と薩摩の島津との抗争に決着をつけさせるためだと聞く。その準備で、関白殿下は大忙しのようであった。
やがて、夕闇が教会のある丘を包み始めた。
関白殿下自身は教会に来られなかったが、関白殿下に仕える多くの家来、中には重臣の何人かかなりの数の人が信徒になっていて、この日ばかりは全員が関白殿下の許可を得て次々に教会の押しかけた。
関白殿下も今日が我われキリスト者にとっていかに重要な日かということは分かっているようで、ミサに参列するという理由で城での勤務から下がらせてほしい旨を意思表示したものには全員それを認めたのである。
その中には当然、ジュスト高山右近殿やドン・アゴスティーノ小西弥九郎殿、ドン・シメオン黒田官兵衛殿の姿もあった。ドン・アゴスティーノの父のジョアキムは今居住している堺のディオゴの日比屋の屋敷の中の教会でパシオ師の司式のミサに参列しているであろう。
こうして大坂ではオルガンティーノ師とセスペデス師、そして私ジョバンニ・コニージョが、高槻ではフルラネッティ師やフランシスコ師、都ではカリオン師がそれぞれ同時に主のご降誕を祝う祭儀を執り行うはずである。
前夜のミサの鐘の音は、私は例年になく厳かに聞こえた。
喜びの祭儀の鐘の音のはずなのに、そこにはなぜか哀愁を感じた。
オルガンティーノ師とともにミサを司式しながら、私はどうもいやな感覚に襲われていたのだ。
まさかとは思う。そんなことを考えるだけで不吉だとは分かっている。
だが、どうしても心の中で声が響く。
――これが日本に響く最後のナターレの鐘……
すでに何十万、何百万の信徒が暮らすこの国でそんなことになるはずもないと分かってはいるが、どうにも気になるのであった。
こうして前夜ミサはオルガンティーノ師と私との共同司式であったが、なんとオルガンティーノ師は夜半ミサの司式を私がするように命じた。
夜半ミサはナターレのいちばん中心であるから、当然この教会の主任司祭でもありまた都布教区の布教区長であるオルガンティーノ師が司式するのが本当である。
それを私にと、オルガンティーノ師は言う。だが、上長の命は絶対である。
すべては『天主』のみ意と、私はおびただしいろうそくの光に照らされた祭壇に立った。
御聖堂には深夜にもかかわらずあふれんばかりの人がひしめき合い、入りきれない人々が教会の外でかすかに聞こえる私の声を頼りにミサに与っている。
祭壇の脇には、今年もイエズス様ご生誕の様子をかたどった馬小屋の模型のプレゼピオが設けられている。かつて高槻でも主任司祭のフルラネッティ師はじめフランシスコ師と私の三司祭ともにイタリア人であったのでナターレにはプレゼピオが設けられていたし、大坂でもオルガンティーノ師がイタリア人なので同じくプレゼピオが作られた。
まだ日本語で聖書を読むことのできない日本の信徒にとって、このプレゼピオは彼らの視覚に訴えるとてもよい教材だと思う。
本来イエズス会は本部がローマだし、国境を越えた超国家的存在である。だが、この日本準管区ではポルトガル人が圧倒的に多く、長崎の本部は準管区長のコエリョ師はじめ、その右腕のフロイス師などほとんどがポルトガル人である。長崎の教会はその敷地内にポルトガル商館もある。
また町全体がイエズス会の知行地、つまり私有地となっているが、まるで長崎がポルトガル領になったという誤解を与えかねないし、またそう勘違いしている人も多いようだ。
実際にインディアのゴアなどはポルトガル領である。マカオも明の国からポルトガルの支配権をある程度認められ、いずれポルトガル領になるのも時間の問題だと思う。
それに対して日本の長崎は、日本の多くの国土がそれぞれの殿の領有地であり多くの寺社が知行地を持っているのと同等の話だ。だが、コエリョ師やフロイス師はどう解釈しているのか…。
かつてポルトガルはスパーニャほど海外の領土的野心はなかった。イエズス会も教皇様と元聖職者の枢機卿であったポルトガル王の意向を受けて、全世界を福音化すべく派遣されたのである。
だが今や事情は変わった。ポルトガルの国王のエンリケ一世陛下が亡くなってから、スパーニャの国王がポルトガル王を兼ねる同君連合が成立した。
だがそれは実質上、スパーニャのポルトガル併合にほかならなかった。スパーニャとポルトガルの均衡が崩れ、スパーニャが野心むき出しにかつては条約によってポルトガルの貿易範囲だったこの日本にまで牙をむこうとしている。
こともあろうに、コエリョ師はそのスパーニャのフィリピーノ総督府と連絡をとっているようなのだ。
だから私は長崎の方にはあまりいい印象を持ってはいない。私はそのようなことに関心はなく、ただ純粋にこの最果ての地の人々にも救いの良き知らせを伝えたかっただけである。
そして、今夜は何といってもナターレである。
「天のいと高きところには『天主』に栄光、地には善意の人に平和」とみ使いの祝ぎ歌が空に響いた夜。平和の君たるイエズス様がこの世にお生まれになった。つまり、この世に派遣されておいでになったのである。
今日くらいは長崎にも同じくナターレの鐘が鳴り響いているであろうことに思いを馳せようと、私はミサが進行する中で思っていた。
やがて言葉の典礼が終わり、ミサに与る会衆たちに私が話をする時間になった。ミサの間中はほとんど司式司祭の私は彼らに背中を向けたままであるが、福音書の朗読とこの時だけは向かい合って立つことになる。
見わたすと、当然のことながらそこにひしめき合っているのは日本人の信徒だ。だが、それが必ずしも当たり前ではないことを私はかみしめた。
インディアのゴアでもマカオでも、現地の人々の信徒はほとんどいないといっても過言ではなかった。ミサでいつも教会は満員になりはするが、会衆の総てが居住するポルトガル人だった。現地の人にこんなにもキリストの教えが広がったのは日本だけで、日本のみが唯一の福音宣教の成功した国ではないかと思う。
「皆さん、私は日本に来て初めてナタルを迎えたのは豊後の臼杵という街の南蛮寺においてです」
私は日本語で彼らに呼び掛けた。この時以外は、ミサはすべてラテン語で行われるから、彼らが司式試合の私の日本語を聞くのもこの時だけだ。
「それから大村という九州の町で次のナタルを迎えました。その後は都や高槻、そしてこの大坂で何度かナタルを祝いました。そしてどこでも日本のキリシタンの皆さんで南蛮寺はいっぱいです。これは大変喜ばしいことです。今日本は多くの国に分かれて争う乱世でありましたが、ようやく天下は太平を迎えようとしています」
私はそこで、人々の顔を見渡した。薄暗いろうそくの光に照らされた彼らは、息をのんで静まりかえって、彼らの言葉でいえば一人の「バテレンサマ」である私の話に耳を傾けている。
「今から千五百年も前に、イエズス様はこの世に遣わされました。そのことを祝い、告げ知らせるために私たちは今ここに集っています。それは長崎も大村も豊後も都も、そして遠いローマという地でも同じことなのです。この世に希望の光がともされた、それは赤子というこの世で一番弱い形として、この世に降りてきました。決して天の軍勢として下ってきたのではありません。それこそ『天主』様の私たち人類に対する御大切の現れではないでしょうか。豊後の人も都の人もそして南蛮人も関係のない、みんな『天主』様の前では兄弟なのです。『天主』様は一致をいちばん望まれておられます。平和と一致が今こそ必要な時はないでしょう」
私は少し目を伏せた、そして目をあげた。
「今、こうして私たちはナタルを祝っています。でも、先のことは分かりません。去年もこうして祝いました。今年も祝っています。だから来年も同じようにここでみんなでナタルを祝っているはず……いえ、それだけは誰にもわかりません。そこには『天主』様の深いお考えがあるのかもしれません。だから、私たちが自分の頭で何を考えてもだめなのです。ただただ己を無にして主のみ声に耳を傾けましょう。わたしたちにできるのはそれだけです」
話していて、私自身がはっとしていた。これまでもミサの説教は何を話そうか考えもしないその場に臨み、それでも自然と口が開いて言うべきことは言っている、いや、言わされている、そんな経験を何度もした。こういうのがつまり聖霊に満たされているということなのかと思う、使徒たちのような威厳を話すというような大げさなことではないが、そうなのではないかと思う。
これまで、司祭に叙階する直前のマカオでの霊操の時もそうだったが、祈りの中で私は『天主』に語りかけ、そのみ言葉を聞こうとした。だが、『天主』もキリストも常に沈黙を保たれていた。耳に聞こえる声では何も語ってはくださらなかった。
でも実際は実に多弁に語りかけてくれているのかもしれない。聖霊を通して、そして心中のひらめきという形で、実に多くのメッサージョを下さっていたのかもしれない、要はそれを聞くことができたか、その力と姿勢があったかどうか、それを自分に問うことが大切なのではないか。
私は会衆に話しながらもそのようなことを考えていたけれど、さすがにそれを目の前に人々に語るには難しいのではないかと思ってやめた。
だけど、ナターレの賜物としてしっかりと私の魂に刻み込まれたのであった。
2
そして、準管区長のコエリョ師一行が長崎に帰還したと思われる年の瀬も押し迫り、天候だけは穏やかにこの大坂の教会でも新しい年、1587年をを迎えた。
関白殿下が天下をとったとはいえまだ日本全土を平和裏に統一したわけではなく、豊後や長崎を含む下の地方では豊後と薩摩の戦争が長引いていて、新しい年には関白殿下が大軍を引き連れて九州に出陣することになっている。
だが、その渦の中に巻き込まれる長崎の教会、すなわちイエズス会本部では準管区長がどうもフィリピーノのスパーニャ総督とひそかにつながっているようで、何を考えているのか油断も何もあったものではない。
いずれにせよ我われは新しい年の第一日目に、「『天主』の御母聖マリア」の祝日のミサを捧げていた。主の御生誕のナターレからちょうど八日目である。
この国の人々にとってはただの平日で、正月を迎える準備に走り回っているだろう。この国では一年最後の月を、寺の僧侶が忙しくて走りまわる月というふうに表現している。そんな平日の一日だが、「『天主』の御母聖マリア」の祝日のミサがあるということで、多くの信徒が教会に集まってきた。
その中でもジュスト高山右近殿は我われの文化やカレンダリオに精通しているので、腰を折って頭を下げるというこの国に風習で、毎年のことだが我われに新年のあいさつを述べてくれた。
そして都の教会の信徒であり、帝の宮殿に医師として出入りが許されているるベルシオール道三先生からの情報で、我われのカレンダリオの新年3日の日に、都の宮殿で新しい帝の即位の礼が厳粛に行われたとのことだった。
我われはそれとは別に、主の御公現、主の洗礼、パウロの回心などの祝日を一つ一つ祝いながらもその意義をかみしめて日々を送った。
おととしの地震を思い出させるような少し大きめの地震がまたあったのは、主の洗礼のミサのあった日の夜だった。
私はそんな新しい年の日々をも、神学校で学生たちと接しつつ時を過ごしていたが、やがて学生たちも親元へ一時帰国させることになる。
我われが新しい年を迎えてから一ヵ月と七日後にこの国の正月となり、それに合わせて学生たちは親元へ一時帰すのである。
こうして2月の立春も過ぎてから、その7日の土曜日にこの国の正月を迎えることになった。この国では天正十五年という呼び名で、新しい年を称するということである。
新しい帝になって最初の正月だが、この国の一般市民にとっては、帝という存在はあまり大きな意味を持っていないようであった。
今度は逆に我われにとっては平日でしかも土曜日なのだが、夕方になって関白殿下の家来で信徒となっている殿たちが次々に教会に訪れた。
そこで我われは彼らに合わせて、この国の暦による新年のあいさつを受けることとした。
こういったことも、かつて私が師事し、今はイエズス会総長の代行者である巡察使としてマカオに滞在しているヴァリニャーノ師が力を込めて提唱していた現地適応主義の一環となろう。
主だった殿はジュスト高山右近殿、ドン・アゴスティーノ小西弥九郎殿、ドン・シメオン黒田官兵衛殿、それにドン・レオン蒲生忠三郎殿である。
皆かなりきちんとしたフォルマーレな服装だった。
彼らは御聖堂の畳の上に整列して座り、オルガンティーノ師とセスペデス師、そして私が彼らの前に祭壇を背にすあると、彼らは一斉に平伏した。
そしてジュストが代表して、新年の賀辞を述べた。
それが一通り終わってから、まずオルガンティーノ師が一同を見渡した。
「皆さん、私どもにはそのような方苦しい挨拶は無用ですよ。それにしても、見たこともないようなきちんとした様相ですね」
「実は」
ジュストは顔を挙げた。
「今、お城に行ってきたのです。そして関白殿下から直々にも、次の九州での戦のための段取りが申し渡されました。詳しいことは申し上げられませんが、ここにいるほとんどのものが九州に出陣することになります。
「まだ、戦争は終わらないのですか?」
オルガンティーノ師の言葉は単に九州での豊後と島津の戦争のことだけを指しているのではないようだ。この国にまだまだ戦争はなくならない。
「これからが本腰です」
きりりとジュストは言った。やはり彼は武人である。
「それで今日は、我われはバテレン様方にお暇乞いをするということもあって参上したのです」
この立派な殿たちが甲冑を着て、これから戦場に赴こうとしているのだ。
「実は我が父がひと月前ほどから関白殿下の命を受け、兵糧などを調達してすでに尼崎に運んであります」
関白殿下の海軍を任せられているドン・アゴスティーノが言った。彼の父、ジョアキムは堺の奉行もしているので、こういった命令が下っていたのだろう。
「水軍を率いる小西殿以外、我われは関白殿下あるいは弟君の美濃守様の率いる軍のどちらかに配属され、それが今日発表れました。黒田殿は軍師ですからずっと関白殿下といっしょです」
ジュストの隣のドン・シメオンが軽く頭を下げた。
「それで、いつごろご出発ですか?」
オルガンティーノ師が聞くと、ジュストはしばらく考えていた。そして言った。
「はっきりとは申し上げられませんが、あとひと月かふた月の間にはと思います」
「そうですか。ご武運をお祈りいたします」
今の我われには、それくらいしか言えない。
オルガンティーノ師は立って、頭を下げるとのたちの頭上から聖水を降り注ぎ、手で十字を切って祝福の言葉をラテン語で唱えた。
こうして彼らにとっての元日早々に、物騒な話とともに殿たちは帰っていった。
日本の正月は八日ほどかけて祝うが、なかでも盛大なのは最初の三日間である。
この年も大坂の町の方では正月のにぎわいでごった返しているようだが、マカオのような町中に爆竹が鳴り響くようなこともないので、日本の正月は静かである。
そんな正月の三日目、その日は月曜日で、明後日が灰の水曜日になるから、いよいよ我われは四旬節を迎えることになる。
そんな折、お城の方から大きな荷物の運搬を含む武士たちの行列が教会に来た。
そして教会の入り口でオルガンティーノ師を訪ねてきた旨を語って案内を請うたのは、関白殿下の奥方の北政所様の秘書長ともいうべき女性で、信徒でもあるマリア・マグダレナであった。あの今は堺奉行をやっている小西殿ドン・アゴスティーノの妻である。
オルガンティーノ師やセスペデス師がまだ都にいた頃、都の教会の主日のミサには夫妻で毎週必ず与っていたから、我われとも旧知の仲である。
私も時々接したことがあった。昨年も、お城の使いでこの教会には顔を出している。
「新年、明けましておめでとうございます」
司祭館の広間で彼女と対座したオルガンティーノ師と私に、彼女はまず恭しく新年のあいさつをした。
荷物は北政所様から教会への贈答品だということだ。
「これはわざわざ政所様からの新年の贈り物ですか? たしかお年賀といいましたね」
オルガンティーノ師が気さくに笑うと、マグダレナは首を横に振った。
「いいえ。昨日の返礼でございます」
「え?」
オルガンティーノ師と私は、顔を見合わせた。昨日は日曜日だったので主日のミサを挙げた後は、我われ二人はそのまま教会にいた。
「昨日……と言いますと?」
「あれ? 私は直接は知らないのですけど、バテレン様方がお二人、夕刻にお城にいらっしゃって関白殿下に新年の御進物を献上されて、殿下とともに夕食を召しあがったと聞いておりますが」
「え? え? え?」
私とオルガンティーノ師は、ますます顔を見合わせるばかりだった。
「イルマンではなくバテレンですか?」
「はい。そう聞いておりますが」
この大坂には修道士はたくさんいるけれど、司祭はオルガンティーノ師とセスペデス師、そして私の三人しかいない。もちろん、その誰も昨日はお城に行ってはいない。
だから、昨日お城に関白殿下を訪ねたという司祭はそもそも何ものかということになる。
考えられるのは都のカリオン師、高槻のフルラネッティ師、堺のパシオ師だが、彼らが布教区長のオルガンティーノ師を通さずに直接関白殿下を訪問するなどあり得ない。
「そのバテレン様のお名前は、聞いていますか?」
マグダレナはしばらく考えて、思い出そうとしていた。
「パシオ?」
なかなか思い出せずにいるようなので、オルガンティーノ師の方から問いかけてみた。
「いやあ、違いますね」
「フルラネッティ?」
「いえ、そのようなお名では…」
カリオン師やフランシスコ師はマグダレナも都で親しく接していたはずだから、名前を忘れるはずはない。そうなるともう、都布教区の司祭ではあり得ないということになってしまう。
もうこれ以上マグダレナに聞いても、彼女は直接その司祭に会ったわけでもないので名前も覚えていないであろう。そう判断して、オルガンティーノ師は詮索を取りやめた。
北政所様からの返礼品は、二着の高価そうな日本の着物であった。金の糸で刺しゅうをされたきらびやかものと、赤い高級な布で折られたものがあった。
それにしても、昨日わざわざ大坂まで来て関白殿下に会い、正月の進物をしたという司祭は誰なのかということが、我われの差し迫った話題だった。
なにしろ都布教区長のオルガンティーノ師が知らないところで、言い方は悪いが司祭が勝手に関白殿下に会って進物をしたなど、これはゆゆしき一大事である。しかも、この大坂の教会には顔も出していない。
「堺のパシオ神父に聞いてみよう」
オルガンティーノ師は、何かひらめくものがあったようだ。もしその司祭が海路を来たのなら、まずは堺に上陸するであろう。海路を来たというのなら……果たしてオルガンティーノ師のひらめきは正解だった。
オルガンティーノ師は直ちに手紙を同宿に持たせて堺に走らせ、折り返しパシオ師からの返事を持って同宿はその日のうちに戻ってきた。
「思った通りだよ」
オルガンティーノ師はうなった。おととい、下関から一層の船が堺に到着し、日比屋を間借りしている堺の教会に顔を出した司祭は、ポルトガル人のアルヴァロ・ディアス師とスパーニャ人のダミアン・マリン師だった。
たしかにその二人は、コエリョ師が大坂に来て関白殿下を面会した際に、下から連れてきていた司祭だ。
二人はコエリョ準管区長から関白殿下への進物を携えて、下関から到着したという。そして慌ただしく大坂に向かい、今日の昼にはもう下関へ向かって帰還したということだ。
一度は豊後の臼杵に着いたコエリョ師も、豊後全体が戦争に向かっている様子なので、難を避けて今は下関にいるのだという。今回の進物は、前に大坂城でコエリョ師が関白殿下に会った時に献上すると約束した品々なのだそうだ。
パシオ師がそこのことについてオルガンティーノ師に何も知らせなかったのは、もうとっくにその一件はオルガンティーノ師も承知のことで、さらにはまさか彼らが大坂の教会を素通りするとは思っていなかったからだということだった。
オルガンティーノ師を素通りして勝手に関白殿下に面会したとはいっても、それがさらに上長である準管区長の命とあればオルガンティーノ師は文句は言えない。文句は言えないけれど、やはり苦々しい顔をしていた。
準管区長のすることに布教区長は何も言えないのだけれど、やはり感情的にはおもしろくない。なんだか無視されたような気にもなる。
「コニージョ神父、このあと関白殿下が豊後や下の地方に行かれて、直接コエリョ師と会うようなことがあれば、なんだか不安を禁じ得ないですね」
「たしかに」
それには、私も賛成だった。
今回のこともある。コエリョ師がまた何をしでかすか分かったものではない。
それに、あのフィリピーナのスパーニャ総督に軍船の派遣を要求したほどのコエリョ師だ。関白殿下によからぬことを吹き込んだり、それだけならいいけれど何かしら政治的な動きをされたらコエリョ師個人の問題ではなく、イエズス会全体の問題となる。
コエリョ師が大坂に来た時は、オルガンティーノ師がずっとそばで目を光らせていた。それでも、関白殿下の前でちょっとまずい発言とかもあったのである。
さらにはコエリョ師のそばには、あのフロイス師という要注意人物がいる。
「本当なら私が九州まで出向いていって牽制をしたいところだけど」
たしかにオルガンティーノ師は布教区長だから、勝手に都や大坂を離れることはできない。だから……という感じで、オルガンティーノ師は私を見た。
「え?」
私は思わず顔をしかめてしまった。本来なら上長の命は絶対である。でも、私は感情が先走ってしまった。だが、オルガンティーノ師は咎めるでもなく、かえって申し訳なさそうな顔を私に見せた。
「でも私は神学校がありますし」
「それは修道士たちでなんとかします」
残念ながらたしかにそれで学生たちはなんとかなる。
「今すぐでなくてもいい。関白殿下が九州に向かわれたら、別の道で豊後や下へ行ってくれませんか。ずっとじゃなく、関白殿下が大坂に戻られるまでの間だけでも」
私には承諾する以外の選択肢は与えられていなかった。




