Episodio 9 La croce di un certo commerciante(とある商人の十字架)
1
小豆島での悪魔払いの話を聞いた我われだが、その年のうちに我われは悪魔の働きを目の当たりにすることになる。
それが悪魔なのかオルガンティーノ師のいうような「物の怪」(人霊)なのかは分からない。
9月に入ってジョアキムがミサの後に話があるということで司祭館を訪ねてきた。
「実は私は、このたび堺に行くことになりました」
堺はもともとジョアキムが商人であった時の店があり、今では長男のベントがその店を継いでいる。ずっと都に住んでいたジョアキムだが、堺は彼の生まれ故郷でもある。
オルガンティーノ師は驚いた顔をしていた。
「関白殿下の家来も辞めて、武士も辞めて、商人に戻るんですか?」
「いえいえいえいえ」
ジョアキムは笑っていた。
「今度関白殿下より、堺政所の代官を拝命いたしました。前の代官が関白殿下の怒りを買って、罷免されたさかいいうことですわ」
「そうですか。でも、あなたにとっては故郷だし、ご長男もおられるし、日比屋さんもいる」
「そうです。ただ、もう一人の代官が」
「代官は一人ではないのですか?」
「はい。なんでもうちのせがれと同じ歳くらいの若い人で、石田佐吉様といわれる方どして、関白殿下が長浜時代から側近として側においていた、いわば関白殿下の右腕ともいえる頭の切れる人みたいどす。元は長浜の寺の茶坊主やったいうそうですけど、仲ようやれるかどうか…」
「そうでうすか」
「あまりご家来衆の中でもよう言われておりません。このたびも関白殿下から、堺では絶対に騒動が起こらないようにといわれたさかい些細なことにでもすべて目を光らすと、堺へ出発前に当たって大坂城中で会った時にきりりといわれましてな」
ジョアキムの重い気持ちがこちらにもひしひし伝わってきた。だが、我われとしては旧知のジョアキムが堺の奉行になるということは、堺にとっても喜ばしいことだと思っていた。
そして10月に、関白殿下がこれまでの羽柴という名字に加えて、帝よりあらためて豊臣という姓をもらったという情報が、ミサの折にお城の中の信徒たちによって伝えられた頃、オルガンティーノ師はジュストの領地である明石を巡回しに行った。
ジュストが明石に赴任して、どんどん信徒を増やしていった時、明石にもともとあった寺の僧侶が反発して、我われの布教を止めるように関白殿下に直訴したこともあったが、逆に関白殿下に一喝されてその僧侶たちは追放となったことは前にジュストから聞いている。
その残された寺が改築されて教会になっており、長崎から来た新しい司祭がそこで司牧していた。
あまりよく知らない司祭なので、オルガンティーノ師は顔をつなぐために出かけて行った。さらには明石の城も、ジュストがほぼ大坂にいるのでその父のダリオが城主代行となっていて、そのダリオにあいさつも兼ねてということだった。
だがすでに11月も間近でかなり冷えるようになってきており、そんな時節に長く潮風に当たっていたせいか、戻ってきた時はオルガンティーノ師は高熱を発していた。
大坂の教会では医療の設備もないため、ここは堺の教会が間借りしている日比屋の屋敷で静養した方がいいのではないかというジョアキムからの手紙にもあったので、オルガンティーノ師を輿に乗せて堺まで運んでいった。
私が同行したが、堺に入ってまず驚いたのはあの東洋のベネツィアという感があった堺の町を囲むあの堀割がすべて埋められていたことだった。
駆けつけてきたジョアキムにそのこと聞くと、ジョアキムは困り果てたような顔をした。
「石田佐吉殿が命じて、掘割をすべて埋め立てさせたのどす。私が何を言おうと聞く耳を持つような人ちゃいますわ、こりゃもうあかんて」
本来は長崎と同様に会合衆という人々の協議で治められていた、高度な自治権を持つ都市だった。だが今や、関白殿下が直々に治める直轄都市である。その関白殿下の代理人である代官が石田佐吉殿でありジョアキムなのだが、ほとんど石田殿の専制であるようだ。
掘割が埋め立てられる当日は、なんと関白殿下が大坂より堺にやって来て、関白自らが実際に工事の指揮を執ったのだという。
「関白殿下にあないなことお願いでけるんは、石田殿のほかにはいてはりまへんわ。とにかく石田殿は今も、この堺でことが起こらんようにと、鋭い眼を光らせておます。どんな些細な騒動でも起こしたもんは一族全員死刑、財産はすべて没収やということです」
「それはひどい」」
私も思わず目をむいてしまった。
「関白殿下からの直々のお達しどすが、どうせ石田殿が耳打ちしてそういうことにするよう入れ知恵したに決まっとりますわ」
ジョアキムは悲しそうに眼を伏せた。
オルガンティーノ師のことは、パシオ師に託して私はとんぼ返りで大坂に戻った。大坂ではセスペデス師しかいないからだ。なにしろジョアキムの実家が薬屋であり、また名医も多い。しかもオルガンティーノ師は重い病気というよりも、熱は高いが単なる風邪のようであった。
私が大坂に戻って11月になり、万聖節も万霊節を迎えてもオルガンティーノ師は戻ってこなかった。仕方がないのですべての聖人の祝日である万聖節はセスペデス師が司式し、死者のためのミサを捧げる万霊節は私が司式した。この年は万霊節が日曜日だったが、万霊節と日曜が重なった場合は主日のミサではなく万霊節のミサが行われる。
そして数日が過ぎた頃、ようやくオルガンティーノ師は大坂に戻るという知らせがあった。風邪の方はもうとっくに回復していたそうだが、その知らせによると、大坂への帰還が遅れたのはオルガンティーノ師が堺である事件に巻き込まれていたためだったという。
事件の内容はパシオ師と堺の代官のジョアキムの両方から手紙が届いていた。パシオ師はポルトガル語の手紙だったので読みやすかったが、ジョアキムの日本語の手紙の方が事件の当事者に近い立場にいるだけに詳しかった。
要は、堺の教会が間借りしている日比屋の屋敷の主のディオゴの娘婿であるルカスが参加していたある茶会で、なんと殺人事件が起こってしまったらしい。
しかも殺されたのはディオゴの弟二人で、犯人はルカスの実の弟だという。しかもその犯人もその場で自害して果てたというから何とも奇妙な話だ。
知らせを聞いた時、私とセスペデス師はどちらかがすぐに堺に駆けつけた方がいいのではないかとも話したが、パシオ師もいるし、オルガンティーノ師もまた今は堺にいるのだから、とにかく次の情報を待とうということになった。その矢先にオルガンティーノ師は大坂に戻ってくるという。
「なぜ?」
私セスペデス師も首をかしげた。事件はもうすっかり片づいたというのか……?
だが、こんな短期間ですべての処理が終わるような小さな事件ではないとも思われる。
とにかく知らせがあった翌日の昼には、もうオルガンティーノ師は大坂に戻ってきた。しかもオルガンティーノ師と修道士一人のみではなかった。ともに日比屋のディオゴと三十代のその息子ヴィセンテが同行してきたのである。ディオゴは事件の真っただ中にいる当事者のはずだ。
すぐにディオゴの口から詳しい説明が始まったが、その直前にオルガンティーノ師は席を立った。
「風邪はもう完全に治ったと思っていたのだけれど、今日の道中でまたぶり返したようです。少し休ませてください」
そう言ってオルガンティーノ師は、重い足取りで自室へと入って行った。
私とセスペデス師がディオゴから聞いた事件の詳しいきさつは、次のとおりである。
――ある雨の夜、ディオゴの弟のガスパルの屋敷で茶会が開かれていた。私も何度か茶会に招かれたことはあったので、その雰囲気はよく分かっている。実はディオゴも招かれていたけれど、来客があって欠席していたそうだ。
その席上で惨事は起こった。茶会にはルカスとその弟の了勘も招かれて参加していたが、茶会が終わって皆が茶室を退出しようとした時に了勘が小刀で突然ガスパルを斬りつけ、止めに入ったガスパルの弟、つまりディオゴの下の弟で未信者の藤庵の胸をも小刀はひと突きして、そこは血の海となったという。ガスパルと藤庵はほとんど即死だったらしい――。
「私も来客ものうてそこに行ってたら、今頃はここにおらんかったかもしれんな」
ディオゴはため息交じりにつぶやいた。顔も青くなって少し震えているように見える。
そして事件はルカスがさらに了勘を止めようとしてもみ合いになっていたさなか、了勘はルカスの腕の中で突然絶命したという。
「自害したのですか?」
セスペデス師の問いに、ディオゴは浮かない顔をして首をかしげていた。
「まあ、たしかに普通やったら人を殺しておいてそんで自らも命を絶ったいうことになるでしょうな。そうなると、なぜ突然了勘がこのような犯行に及んだのか、その動機は全く闇の中に葬られる。計画的なのか衝動的なのか、了勘は我われ日比屋に何か恨みを持っておったんか…、せやけど、思い当たる節は全くあらへん」
本来は日比屋という大きな店の主人としてそれなりの貫録をも持っていたディオゴだが、今日ばかりはまだ震えていた。
「結局生き残ったんは宋札と、一緒に招かれて参加していた近所の小島屋さんのご主人だけや」
宋札とはすなわちルカスである。
「だがその宋札の話やと、おかしな点もようけありましてな。了勘は完全に正気を失って半狂乱になって私の弟たちを刺した。その後自害した。でも、何かを叫び続けて、その言葉の途中で絶命したいうことですわ。しかも、自刃したいうしぐさもなく、本当に突然ふっと死んだ。さらに、その体にはどこにも刀傷一つなかったいうことです」
確かにおかしな話だ。
「舌をかんだ形跡も?」
「ありまえへん」
私の問いに、きっぱりとディオゴは言った。
「そやけど今は、そないな謎解きをしている暇はないんです。もっと一大事なんです。実は宋札が政所に捕らえられて……」
「え?」
私もセスペデス師も思わず顔を見合わせていた。
2
ルカスが逮捕されたということは、ドン・ジョアキムからの手紙にもパシオ師からの手紙にも書かれてはいなかった。
「なぜですか? ルカスが人を殺した犯人だと思われているのですか?」
「そないなわけやないです。ただ、関白殿下から、今堺でほんの少しでも騒動を起こした者は死刑というお達しがありましてな。ましてや刃傷沙汰で殺人ともなると、当事者は家族全員が死刑、財産は没収ということなのです」
「そんな、犯人でもないのに?」
「加害者、被害者関係あらしまへん。宋札も、そしてその妻である私の娘も、四人の私の孫たちも全員が死刑です。日比屋の財産も没収。これで代々続いた私の店も終わりです。小島屋さんとこの店の財産も没収やそうで、殺された立谷と藤庵の内儀まで拘束されております」
立谷とはガズパルのことらしい。
「そんなばかな話があるのですか」
私もセスペデス師もディオゴに詰め寄る形となった。被害者やその家族までもが罰せられるなどという話は、世界のどの国においても聞いたことがない。
その時、ディオゴの少し後ろに座っていてこれまで沈黙していた息子のヴィセンテが、顔を挙げた。
「日本には古来、喧嘩両成敗という思想がおます。関白殿下は堺を貿易港として、ことのほか重要視していて、そのためこんな厳格なお達しをしてきたのでしょうけど」
「そやけど、それにしても……宋札は加害者でも被害者でもあらしまへん。ただそこに居合わせたいうだけです。娘の倫や孫たちに至っては、その場にいもしなかった。それが全員死罪やなんて、こんな理不尽な話ありますやろか」
ディオゴの目が潤み始めた。やがて、嗚咽を始めた。
ディオゴの様子が少し落ち着くのを待って、私は聞いてみた。
倫とはルカスの今の妻のサビーナのことのようだ。サビーナはルカスの前の妻のモニカの実の妹で、モニカが病気で亡くなった後に、ルカスはその妹のサビーナと再婚したと聞いている。
「そのお達しとは、誰から告げられたのです?」
「堺の政所のお代官の石田様からです」
「ジョアキム、つまり小西殿もお代官でしたよね」
「今回のことは、石田様から小西様へは全く何も知らされていないらしく、小西様は何もご存じなかったのです」
つまり、ジョアキムは全く話の外に置かれてしまったことになる。ジョアキムも同じ信徒だし、ましてやその長男の嫁はディオゴの娘である。だから、ジョアキムの手紙にはルカスのことは何も書かれていなかったのだ。
そして、政所の代官であるジョアキムさえも知らなかった事情を、外国人であるパシオ師が知る由もなかったようだ。
つまりはなぜオルガンティーノ師とともにディオゴが大坂に来たのか……。その理由は自分の娘とその婿、そして孫たちの命を救うためになんとか策を講じねばという思いが募ったからなのだった。
堺にいて代官の石田殿を相手にしていてもらちが明かないので、お達しの大元である関白殿下との掛け合いも辞さぬ覚悟でディオゴは大坂に来たようだ。
この日はまだ日は高かったがこのごろは暗くなるのがかなり早くなっているし、オルガンティーノ師もまた寝込んでしまったし、ディオゴ親子も疲れているだろうからということで、とりあえず客間で休んでもらうことにした。
動きだすとしたら明日からだ。
ディオゴ親子が客間に移ってから、私とセスペデス師はその場に残った。
「まさしく悪魔の仕業ですね」
実際に小豆島で悪魔に憑依された人を目撃し、それを祓った経験もあるセスペデス師はすぐにそう言った。彼が小豆島から戻って来たばかりの頃には、オルガンティーノ師とも悪魔談議をしたものだ。
「半狂乱で正気ではなかったというのは、まさしく悪魔が憑依し、浮き出た形ですね」
でも今回の場合、それが悪魔なのか日本でいう人霊なのか、判断はつかない。しかも憑依されていた了勘はすでに亡くなっているのだから、今回の事件では相手は悪魔ではなく関白殿下なのだ。
そういえばコエリョ師やフロイス師を見送るために堺に行った時にディオゴが設けてくれた送別の宴で、了勘は腐った魚のような目をして一人でぶつぶつ呟きながら座っていた。どうも危な人だなと思ったのを覚えている。
その時初めて思い出したが、実はその了勘についてオルガンティーノ師からある話を聞いていたのを思い出した。了勘はもう二十年も前に一度洗礼を志願し、その時に堺にいたフロイス師から公教要理も一通り習った。
だが、いざ洗礼という当日になって突然髪を振り乱し、目を剥きだして大声で叫びながら屋敷の中を転げ回り、手もつけられないくらいに暴れたので、結局洗礼は中止になったという。だから彼は今も信徒にはなっていない。こうなるともう完全に、悪魔にとり憑かれた男だったのだ。
私はそのことを、セスペデス師に話した。セスペデス師も驚いていた。だが今はそれよりも、つまり悪魔の仕業云々を論じているよりも、ルカスやその妻、子らを救うのが先決であった。
翌日から教会へ、次々と多くの人が訪ねてきた。ディオゴが来ていることを知り、また事件のことを案じて来てくれた親類縁者やほかの地方の信徒たちで、それぞれ援助の申し出や励ましの言葉をディオゴにもたらした。
また、その後の情勢を知らせるための、堺のジョアキムの使者も来た。あらためてガスパルと藤庵の妻がことごとく政所に捕らえられ、両家とも一切の私財は没収となったということをあらためて告げてきた。
すでに知っていたこととはいえ、報告を聞いていてディオゴ悲痛な顔つきのまま無言でいた。隣では息子のヴィセンテが、ただ唇をかみしめていた。
「結局は、石田殿は我われ一族の財産や茶器などが目当てやったにちゃうか」
教会内は一種の治外法権だったので、ヴィセンテもはばかることなく大きな声で話している。ディオゴはそれを聞いても黙ってうなずくだけで、何も言わなかった。
さらにその翌日、ジュストが教会にディオゴを訪ねてきた。
「このたびの事件を耳にしまして、とにかくお力になれればと参上しました」
ジュストは殿の身でありながら、一商人であるディオゴを下にも置かない恭しさで頭を下げた。
「かつてザビエル様がこの国にキリシタンの教えを伝えた時も、日比屋様のお世話あってこそザビエル様も福音宣教ができたことを思えば、このたびは何とでもお力にならせていただきたい」
「かたじけなくも頼もしいお申し出ですな。よろしう頼みます」
ディオゴも頭を下げた。
「まずは関白殿下に直接、宗札殿とそのご家族の助命嘆願に出るしかないでしょう」
「そやけど、どないふうにすればよろしゅうおますか? 堺商人の我われには、そのような雲をつかむような話はどうも実感がわきまへんな」
ディオゴは頭を横に振った。
そこへ、大坂へ戻ってから再び寝込んでいたオルガンティーノ師も起きてきた。
「バテレン様、もう大丈夫なんですか」
ディオゴが心配そうにオルガンティーノ師を見た。
「このようなときに、私だけが寝ているわけにもいかないでしょう。教会も全面的に協力しますから。まずは、関白殿下に仕える女たちに頼んで、関白様への贈り物をしてみてはどうでしょう」
ディオゴはうなった。
「そういえば小西隆佐殿のお内儀が、関白殿下にお仕えしておりますな」
「いえ」
ジュストが口をはさんだ。
「小西殿のお内儀は関白殿下ではなく、お仕えしているのはあくまで北政所様にです。しかも小西殿は古い友人でキリシタンとはいえ、今の堺代官というお立場は関白殿の名代ということになります、あまり表立っては動けないでしょう」
オルガンティーノ師の案は、どうも実現が困難なようだった。しばらくは、話し合いは堂々巡りだったが、そこでジュストが落ち着いてうなずいた。
「実は明後日、我が屋敷で千宗易殿を迎えての茶会が催されることになっています。関白殿下にもおいでくださる。これをいい機会として、宗易殿からも頼んでいただくというのはどうでしょう。宗易殿は関白殿下に対してでも、歯に衣着せずにすぱすぱといろんなことを進言する方で、時には苦言をも呈しますゆえ」
ディオゴもうなずいた。
千宗易もやはり堺出身で、ディオゴとも旧知の仲だ。そしてジュストの茶の湯の師匠でもある。前の年には朝廷から「利休《リキュ-》」という居士号も勅賜されていた。
前にコエリョ師が大坂に来て初めて大坂城で関白殿下と会見した時も、宗易殿は関白殿下のすぐそばにお仕えしていたので、私もなんとなく顔は覚えている。もしかしたら今、関白殿下といちばん近い立場にいる茶人かもしれない。
まずはその機会に賭けることにして、翌日はディオゴは御聖堂でずっと祈りを捧げていた。
3
そしてさらにその次の日、教会を訪れたジュストは浮かない顔だった。
茶の湯の席でジュストから依頼されたとおりに宗易殿は関白殿下にルカスの一族の助命嘆願を願い出てくれたそうだ。
「なにとぞ、私に免じてあの一族のお命を」
だが、宗易殿がそこまで言ったとき、関白殿下はその言葉を手のひらを向けて遮ったという、
「それ以上は言うな。この話はもうするな」
その関白殿下の言葉で、この案は失敗に終わったということだった。
それを聞いた時の、ディオゴの落ち込み方は激しかった。
今は来客も一段落している。そこでオルガンティーノ師と私は、ディオゴが居住する部屋を訪ねた。
「あれ、バテレン様はご病気はもうようならはったのですか?」
「はい。あなたが大変な時に、私ばかり寝込んでいるわけにもいきません」
「せやけど、いたずらに日数だけが過ぎていきますな」
ディオゴはため息交じりに、オルガンティーノ師に言った。
「堺から知らせはいろいろと来ておりますがな。このたびははっきりと関白殿下からの下命によって宗札の家族六人の処刑が決まったとかあるいは処刑は延期になったとか、いろいろな知らせが飛び交ってます。ま、弟たちの嫁や小島屋さんは釈放されたようですが、財産は没収ですわ。我が家にも三万両もの金を納めろといってきたと、家内よりも知らせが届きました。もう破産しかありまへんわな」
「希望を持ち続けることは大切です。あなたの苦しみは『天主』様はすべてご存じです」
「はい。希望は捨ててはおりません。小西様も動いてくれはっているようです」
「あなたは今、大きな試練の時ですね。聖パウロの手紙にはこう書いてあります。“『天主』は真なれば、汝らを耐え忍ぶこと能わぬほどの試練に遭わせ給わず。汝らが試練を耐え忍ぶことを得んためにこれと共に遁るべき道を備えたまわん”、そして“我が兄弟よ。汝らさまざまの試練に遭う時、ただひたすらこれを喜びとせよ。そは汝らの信仰の験は、忍耐を生ずるを知ればなり。忍耐をして全き働きをなさしめよ“、さらに“試練に耐うる者は幸いなり。これを善しとせらるる時は、主の己を御大切にする者に、約束し給いし命の冠を受くべければなり”と。どんな試練でもそれを感謝で乗り越えれば、必ずキリストの栄光に与ることができます。しかし、不平不満で、ただ苦しい、つらいということばかり考えていては、それはただの不幸な出来事にしかなりません」
ディオゴの目に、一筋の涙がこぼれた。オルガンティーノ師も泣いていた。
「わかりました。家内に文をしたためまひょ」
そうしてディオゴは、筆を走らせた。だいたい次のような内容の手紙だった。
「何日も徒に過ごしてしまったので、あなたも心細い思いをしているのではないかと、それを心配している。しかし、何も心配することはない。私たちは娘とも、その夫とも、孫たちともすべて、キリストの御名によって一つに結ばれている。一切が『天主』様の御手内にある。もし娘やその夫、そして孫が無実の罪で殺されようとも、取り乱してはならない。一切を『天主』様にお任せし、そのみ摂理に従いましょう。また、堺政所が我われの財産を没収しにくることに備えて、蔵を整頓して清潔にし、彼らが不都合のないようにしてあげなさい。“汝を訴えて下衣を取らんとする者には、上衣をも取らせよ。人もし汝に一里ゆくことを強いなば、共に二里ゆけ”とキリストは言われたことを忘れないように」
この手紙をことづけた教会の同宿が戻ってきたときに、同宿は言った。
「手紙はお渡ししまして、奥様はお読みになって涙を流さはって感動してはりました。そやけど、なんだか大騒ぎにもなっておりまして、なんでも三河の殿様のお使者がまいらはったとかです」
「三河の殿様……、徳川殿か」
ディオゴはその後すぐに、司祭館の我われ聖職者が常にともにいる部屋を訪ねてきた。
彼はその同宿からの返事のことを我われに告げ、すぐに堺に戻ると言った。
ちょうどその場に居合わせたジュストも、徳川という名を聞いてディオゴに同行して堺に行くと言い出した。
ディオゴと息子のヴィセンテはすぐに支度をして、オルガンティーノ師や私、セスペデス師にこれまでの尽力に感謝し、別れを告げた。
オルガンティーノ師は言った。
「こんな話があります。イエズス様がある村をお通りになったとき、マルタという娘はありとあらゆる手を尽くして忙しくイエズス様をもてなす支度をしました。でもその妹のマリアは手伝いもしないで、イエズス様の話を聞くのに夢中でした。それでマルタはイエズス様に、マリアが自分の手伝いをしないことに対する愚痴を言ったのです。イエズス様はおっしゃいました。“あなたはいろいろとしてくれてはいるが、するべきことは多くない。いや、一つだ。マリアは今、その一つのことをしている”と。大事なのは己を無にしてイエズス様のみ声に耳を傾けることです。自分のすべてを、イエズス様に明け渡すことです。あなた方はまだ、マルタのように非常に熱心に忙しく動いていますね」
ディオゴもヴィセンテも、うなだれてそれを聞いていた。
4
その後、しばらく堺から音沙汰はなかった。
我われが直接このことについて、関白殿下に談判をしに行くことはできない。それはかつてヴァリニャーノ師が禁じた内政干渉になってしまう。修道会の規則として、我われはこの国の政治向きのことに口を出してはいけないのだ。
だが、当事者が古い信徒とあっては我われとも無関係ではなく、関心を持たないわけにはいかない。
秋はどんどん深まっていき、朝晩などだんだん肌寒さをも感じるようになってきた。
そしてジュストが教会に顔を出したのは、11月も半ばを過ぎた16日の日曜日だった。彼がディオゴとともに堺に行って以来初めて与る大坂の教会のミサなので、前の週のいつかにジュストは大坂に戻ってきたのだろう。
ミサが終わると、当然のことジュストは司祭館に顔を出した。
オルガンティーノ師だけではなく、私もセスペデス師も顔を並べている。
「ジュスト。堺の様子はどのようになりましたか」
ジュストの方から話し始める前に、オルガンティーノ師の方から待ち切れずに、たたみかけるように尋ねた。
「まずは三河殿の使者の件ですが、」
その三河の徳川殿の使者の用向きに関しても、我われはまだ何も聞いていなかった。
「使者とは榊原小平太殿という方で、どうも関白殿下に対する何かの密命を帯びて都に来ていたようです。そして今回のこの事件のことが、その人の耳にも入ったようです」
「都にまで噂は広まっているのですか」
オルガンティーノ師は驚きの声を挙げた。
「はい。世間でもかなり話題になっています。で、榊原殿の申し出は、理不尽にも処刑される人々を救いたいので、皆を三河につれて行き、徳川家で匿いたいとのこと」
「おお」
私もセスペデス師も一瞬希望の光を見いだしたような顔をしたが、オルガンティーノ師だけは浮かない顔だった。
「そのようなことが可能なのですか?」
「いや、無理でしょう。日比屋の了珪殿も、無理だとそう申し上げたようです。宋札殿もお内儀もお子たちも皆、堺政所にて捕らえられたままです。そんな囚われの身の人たちを助けだして三河へなど、現実的ではありません」
確かにそうなので、私の希望の光は瞬時に消えた。
「ただ、ご長男の宋節殿だけは日比屋のお屋敷預かりになっていました」
「おお」
私は思わず声を挙げた。ルカスの長男の宋節は十五歳くらいになるが、彼だけがルカスの先妻のモニカの子なのであった。弟妹たちとは腹違いということで、別扱いだったようだ。あのジョアキムの次男のドン・アゴスティーノと同じアゴスティーノという霊名だった。だが彼とて、今回の処刑対象であることには変わりはない。
「そこで、せめて宋節殿だけでも三河へということになったのです」
「それは何より」
セスペデス師が私と同様の気持ちを口にした。だが、それでもオルガンティーノ師は難しい顔をしていた。
「で、アゴスティーノは三河へ送ったのですか?」
「いいえ。私が止めました」
ジュストは首を横に振った。少なくとも私とセスペデス師は驚きの表情をした。
「かつての尾張での戦いで関白殿下と三河殿はとりあえず和睦となりましたが、三河殿はまだ関白殿下に臣従しておりません。殿下からの再三の大坂への伺候の督促にも、関白殿下の妹御を妻に迎えた今でさえまだ応ぜずにいるのです。そんな時に堺の者が三河殿を頼ったりしてそれが関白殿下のお耳に入ったりしたら、関白殿下がお怒りになるであろうことは火を見るより明らかです。堺の町全体にとっても、大変なことになりかねない」
たしかに、関白殿下と三河殿との対立はまだ終わってはいないのだ。
「それにあの榊原殿という人は、かつて尾張長久手での戦の時、“筑前は野人の子”という関白殿下を誹謗する立て看板を多数あちこちに建てて歩いたような男です。信用はできません。それで、日比屋さんは榊原殿の申し出は丁重にお断りしました」
「それが賢明でしょう」
オルガンティーノ師は、やっと安堵の笑みを見せた。そしてさらにせかすように身を乗り出した。
「それでその後は?」
「なんと政所が、処刑用の十字架を六基すでに作成したと、小西殿からの話もありました。もう、処刑を待つばかりの状況です。でも、私は思い出したのです」
我われ三司祭は全意識をジュストに集中した。
「皆様方が例のキリシタン布教許可証を、いかにして関白殿下から賜ったか」
我われは皆、はっと気がついた。
「北政所様…」
「そうです。関白殿下の最大の弱点です」
少し笑って、ジュストはそう言った。だが、それがあながち見当外れではないことは、関白殿下の奥方である北政所を通せばあっという間に我われの教会の宣教の許可証が関白殿下から下った実績によって裏付けられている。
「バテレン様がおっしゃった関白殿下への御進物よりも、この方が効き目はあるでしょう」
「でも、どうやって北政所様に?」
オルガンティーノ師は一応そう聞いたが、我われ教会と北政所との接点はジョアキムの妻で北政所に仕えているマリア・マグダレナ以外にはない。
「さすがに堺代官の小西殿が直接大坂に来て城に上がり、奥方のわくさ様に頼むのは無理でしょう。でも、小西殿のご次男の弥九郎殿なら自由に大坂の城に上がってその母君であるわくさ様にお会いすることはたやすいこと」
確かにドン・アゴスティーノなら豊臣の海軍の司令官だし、大坂城内で自分の母親のマリア・マグダレナと会っていてもおかしくはない。
「それにさらに強力な助っ人が…」
「お?」
我われはまた身を乗り出した。
「あの宇喜多の八郎殿の乳母殿は北政所様とかねてよりご昵懇の仲」
宇喜多八郎殿といえば、まだ洗礼を受けていないながら熱心に公教要理を学んでおり、自分の領地である岡山の城下での布教許可証を書いてくれた若い殿である。
「しかもあの八郎殿は今は奥方を娶られた。その奥方は加賀の前田様の娘御ですが、関白殿下と北政所様のご養女ということで宇喜多家にお輿入れなされた。だから今や八郎殿は関白殿下のお身内。その御乳母となればこれ以上強いお味方はおりますまい」
「それはそれは」
ふと見ると、オルガンティーノ師の目は潤んでいた。
「明日にでも弥九郎殿が堺から大坂に参りますので、私とともに登城してわくさ殿、そして八郎殿の乳母殿にお会いする手はずです」
「これはありがたい。ありがたい」
オルガンティーノ師は何度もつぶやいては、手を合わせて『天主』への感謝の祈りを捧げていた。
5
その週の土曜日はまだキリスト教が迫害されていた頃のローマ帝国時代の聖セシリアが、ローマ皇帝によって処刑されて殉教した記念の日であった。まるでその日に合わせるかのように、処刑の十字架は結局堺から大坂へ運ばれた。しかも、教会から至近距離の大淀沿いの高台の上の広場に、その十字架は立てられた。
だが、堺政所で六基作成されていた十字架だが、大坂に運ばれたのは一基だけだった。
ジュストの言葉通りにマリア・マグダレナと八郎殿の乳母殿が北政所に事情を説明したところ、やはり目論見通り北政所はルカスたちの関白殿下への助命嘆願を快く引き受けてくれたという。
それが功を奏して、関白殿下はルカスの妻、つまりディオゴの娘のサビーナとその四人の子らの赦免、釈放を許した。
だが、やはりそれでもルカスだけはどうしても赦免できないということで、22日の土曜日、聖セシリア殉教の日にルカスは処刑されることになった。
ルカスの場合は信仰が理由で処刑されるわけではないので殉教とはいえないが、信徒がこの国で処刑されるのは初めてだと思う。
当日、ルカスの処刑の様子を自分の目で見たいと、ディオゴは堺から大坂にやってきた。
オルガンティーノ師はセスペデス師をルカスの告解を聞くためルカスが拘留されている処刑城近くの牢へ行かせ、ルカスが聖体拝領をできるようにした。
そして処刑の場には、今年イエズス会に入会したばかりのジョアン兄という若い日本人の修道士をディオゴにつけて立ち合わせた。
私とオルガンティーノ師は、処刑が行われているであろう時刻には、ずっと御聖堂で、ルカスのために祈りを捧げていた。
夕刻、セスペデス師とジョアン兄がディオゴとともに戻ってきて、ことのあらましを私たちに話してくれた。
セスペデス師とジョアン兄が監獄に着くと、監視の獄卒たちは愛想よく二人を牢へと招き入れてくれたという。
牢内のルカスはかなりみすぼらしい姿になってはいたが、セスペデス師たちの顔を見るや否やその顔にまぶしいくらいの喜びの笑みを見せた。そして、彼の妻や子らは処刑されることなく釈放された旨を聞き、ますます感涙にむせんで、ルカスは何度も感謝の言葉を述べていたそうだ。
「これで、思い残すことは何もありゃしまへん。すべて『天主』様のみ摂理と、そしてキリシタンの皆さん、親戚の皆さんのご努力と温かい励ましのお言葉のお蔭です。それだけたくさんの兄弟の皆さんが私たちのために力を尽くしてくださらはって、ほんにもう感謝しかあらしまへん」
これがその時のルカスの言葉だったそうだ。もうルカスもセスペデス師も号泣だったという。
それからセスペデス師はルカスの告解を聞いた。告解でルカスが告白した罪の内容は、我われの戒律によってセスペデス師は私たちにも話すことは禁じられているから知ることはできないが、ルカスの心の中にあったわだかまりは前妻のモニカとの結婚を反対され、モニカを一時監禁していたこと、そして洗礼を受けたのも日比屋の方からそれが結婚の条件だということだったからで、不純な動機だと悔いていたようだ。さらには、義妹である今の妻のサビーナとはモニカ在世中から特殊な感情をお互いに持ち始め、モニカの帰天後すぐに結ばれたことも引け目を感じていたようだ。
もちろんセスペデス師は何も話してはくれないが、ディオゴから聞いていた状況によって察しはついていた。
オルガンティーノ師も同じであるようだ。
「結婚の条件であったとはいえ、それがきっかけでルカスはキリストと出会い、受洗の恵みまで頂いたのです。すべてがみ旨ですね。それでルカスは堅い信仰を持つ立派なキリシタンとなった。それだけで十分です」
だから、そんなふうに言った。セスペデス師は話を続けた。
「だから私もルカスに言いました。“世の中に偶然というものはありません。すべてが『天主』の偉大なるみ仕組みの中で生かされているのです。あるがままを受け入れましょう”と。そしてこれから死に立ち向かうという苦難の中にあるルカスなので、“それは、あなたに永遠の命と『天主』の栄光に与らせるための『天主』の御大切によるみ仕組みだ。煉獄における苦しみをこの世で与えることによって、あなたは間違いなく天国に導こうというみ旨なのだ”と、そう話しておきました」
オルガンティーノ師は、何度もうなずいていた。
そしていよいよルカスの処刑が始まったそうだが、なんとルカスは堺の牢からずっとついてきた獄卒に、牢の中からもキリシタンの教えを毎日毎日わかりやすく説いてきたのだという。
その場にいた獄卒がセスペデス師にそう告げたそうだ。獄卒は今やイエズス様の大いなる御大切の心も、すべてその魂に沁み込んでいるのだという。
そしてルカスは監獄から、丘の上に建てられた十字架まで裸足で一歩一歩歩んで行き、多くの見物人が柵の外からそれを見守っていた。その中には、当然ディオゴの姿もあった。
連日の拷問と監禁でほとんど足腰も立たなくなっていたルカスなので、獄卒は駕籠で処刑場まで連れて行こうとしたけれど、ルカス自らが歩いていくことを希望したのだという。
「キリストはわれらの罪をあがなうためにエルサレムで残酷な苦しみに遭い、恥辱を受け、十字架を担ってカルワリオに登りなさった。私はイエズス様と同じように血に染まった道を歩めれば、この鈍い心でも主の御大切の深さを覚って至上の喜びとなりましょう」
それがその時のルカスの言葉で、その後はジョアン兄がルカスに付き添って歩いたが、まるでそれは本当にキリストの御受難の道行を見ているようだったとセスペデス師は言った。
「ルカス宗札様はこの国の掟に照らしても、また『天主』の掟に照らしても、何ら罪もなく処刑されはるんですから、キリストの功徳はまちがいないです」
実際にルカスとともに歩いたジョアン兄も、ここで言葉を発した。
「そのことを宋札殿にも言いましたけれど、宋札殿は“処刑されることを、もはや何の苦しみとも思うてはおらぬ”と。聖書の『身を殺して霊魂を殺し得ぬ者どもを懼るな。身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得るものを懼れよ』と言う聖句を引用して語っていました」
「ルカスを励まし、慰めに行った私どもが、この打ちのめされるような悲しみから逆にルカスに慰めてもらったようでした」
セスペデス師が、そうジョアン兄の言葉を受け継いだ。
そうして刑場までルカスは、「イエズス、マリア、ヨゼフ」という祈りを繰り返し繰り返し唱えた。そしてこれから自分が掛けられる十字架を見ると、感激のあまりまた涙を流しながら深く祈りを捧げていた。
「柵の外で見物していた人たちが“こんなときにも感謝、感謝って、こんな目に遭ってもありがたがるキリシタンはやはりみな頭がおかしい”などと言っているのが聞こえました。さらにはルカスに“泣いて許しを請え! 助けてくれと騒げ! 死にとうないと言って暴れろ!“などと言う人もいましたね。もちろんルカスは一切無視でした」
まだまだこの国の一般の民衆の考えはこんなもののようだ。
「そして私は宋札殿からコンタツを預かって来ました。息子さんの宋節殿へ渡してほしいということです」
ジョアン兄はその時、ルカスから預かったコンタツをオルガンティーノ師に渡し話を続けた。
「宋札殿はこう言いました。“イエズス様はなぜ十字架の道を歩まれたのか、同じように受難の道をたどって初めて分かった気がする。罪びとを招き、その罪の許しとなる主の御大切を身にしみて感じた”と。そして自分は幸せ者だったというのです」
ジョアン兄はそこで言葉を切って、目を伏せた。
引き継いでセスペデス師が話を続けた。
「彼は言いました。イエズス様が三日後に復活されたように、私たちも世の終わりには皆復活する。私もその時に復活して、雲に乗って再び来られる主イエズス・キリストを見るでしょう。私は主が再び来られるのを待ち望み、今は復活の希望をもって眠りにつきます」
そうしてルカスを縛った十字架は立てられた。十字架の上でも、ルカスは祈りを続けていた。
見物人の中にもルカスの知り合いの信徒はいて、そのものに向かってルカスは“今天国が見えている。美しい国だ”などと言っており、やがてその脇腹に槍が突き刺さった。
「イエズス様と同じように祈る。この者たちをお許しください。私を処刑するように命じた人をお許しください。彼らは自分が何をしている分からないのです」
日本語の『聖書』もまだ完成していなのに、ルカスはよくもここまで主のみ言葉を日本語で暗唱していたので驚いたとセスペデス師は言っていた。
そして最後は「アーメン」と言って、ルカスはこと切れたそうだ。
話しているセスペデス師やジョアン兄はもちろん、聞いたいてオルガンティーノ師も私も、とにかく嗚咽が止まらなかった
しばらくしてからディオゴが息子のヴィセント、そしてサビーナやその子らを連れて教会に辿り着いた。
サビーナや子らはルカスの処刑には間に合わなかったそうだ。オルガンティーノ師は、ただただ涙にくれている彼らを優しく慰めていた。
聖セシリアの殉教の日に、日本の信徒が初めて処刑された。
こうして、この事件は終わった。
6
やがて季節は待降節へと入って行った。
主のご降誕というこの上ない喜びを祝わなくてはならないのだが、11月の事件が尾を引いて心から喜べないのは、大坂教会の司祭団は皆同じだった。だが、思いは切り替えなくてはならない。
折しも、大坂の町には大きな動きがあった。
かつて関白殿下が長く戦争をしていた相手であり、ルカスの事件の時に使者を遣わして援助を申し出た三河の領主の徳川殿が自身で大坂まで来るという。
これまで関白殿下は自分の妹を徳川殿の妻にし、また実の母を人質として三河まで送っていたが、徳川殿は一向に関白殿下に臣従しようとはしなかった。それがついに徳川殿が大坂に来て、関白殿下を会見するということらしい。
「三河の殿には会いたいものだ」
オルガンティーノ師が何気なくつぶやき、それが一気に実現することになった。ジュストの口利きで、関白殿下の許しも得られた。
オルガンティーノ師は私だけをつれて、12月7日の日曜日、待降節第二主日のミサがあった日の午後に、大坂城内で徳川殿が滞在している関白殿下の弟の美濃守殿の屋敷に出向いた。
徳川殿はすぐに会ってくれた。小柄で小太りの徳川殿は愛想よく我われと話をしてくれたが、私はこの殿が将来我われの教会とどのような関係になるのだろうかと、首をかしげながら、その殿とオルガンティーノ師のやりとりを聞いていた。
徳川殿と関白殿下との会見はもうこの日の午前中に終わったらしい。
これで長く戦争状態にあった関白殿下と徳川殿は、講和が成立したと見ていいのではないかと私は思っていた。
「バテレン様方はだいぶあちこちで布教をされているようですが、我が領内に来られたという話はあまり聞きませんな」
徳川殿はそんなことを言って笑っていた。これまで関白殿下とは敵対していた殿の領地での布教はなかなか難しい状況だったからだが、もちろんオルガンティーノ師はそんなことは口にしない。
「これからはぜひ、我が領内にも大いにいらしてください」
徳川殿からそう言ってもらえたので、オルガンティーノ師はうれしそうに頭を下げた。
「ぜひ、そうさせていただきます。かたじけのうございます」
関白殿下と徳川殿の講和が成ったということは、今後はそれも可能なはずである。
徳川殿はもう明日には三河へ帰るというので、我われはそんな長い時間でなく切り上げた。
そんなことがあった後、都では年老いた帝が12月半ばに、その地位を孫である皇太子に譲った。帝の皇子であった皇太子はこの年の9月に三十四歳で亡くなっており、それでさらにその子、つまり帝から見れば孫が皇太子になっていたのだ。
その皇太子が即位して、帝となった。まだ十五歳の若い帝の誕生だった。
だが、日本の多くの民衆は、そのようなことは知らされていないようだった。




