Episodio 7 Cristiani a Yamaguchi(山口の信徒)
1
関白殿下から布教許可証が降りたという知らせは、とりあえず大坂の教会に戻った準管区長から日本国内のすべての教会へ書状にて発せられた。
そして翌日、準管区長コエリョ師とフロイス師は都布教区内の教会を巡回すべく、馬で出発した。
まずは高槻、そして都の教会へと至るはずだ。
フロイス師にとって都はオルガンティーノ師よりももっと長い時間慣れ親しんだ土地であり、それだけに来日より初めて都の地を踏むコエリョ師に都という土地とその教会を紹介したかったのだろう。
こうして私はこれまで通り神学校で、若い学生たちとともに過ごす日常を取り戻した。
コエリョ師たちが都に発ってすぐに、大坂城から長い行列で関白殿下も都に向かったという情報が舞い込んできた。
今、関白殿下は都に自らの邸宅を造営中であることは、私も前から知っていた。聞くとかなりの規模の邸宅で、もはやそれは城といってもいいくらいのものになりそうだということである。
都の教会のカリオン師がかつて書状で知らせてくれたところによると、その場所は教会から北へ三十分ほど歩いた所にあるようで、あの巨大な帝の宮殿のすぐ西隣に、ほぼ同じ規模の邸宅を関白殿下は造ろうとしているようだ。
大坂の城はもともと一向宗の本願寺という寺があった跡地だが、都の場合は多くの住民が住む普通の町に、関白殿下は住民を強制的に立ち退かせて邸宅を築こうとしているのだろうか。
いずれにせよ今関白殿下が都に向かったということは、都でまたコエリョ師と関白殿下が接触する可能性は十分にありそうだった。
「オルガンティーノ神父も、都に行かなくて大丈夫ですか?」
彼らだけで関白殿下に接しさせるのはどうも心配だ。だから、関白殿下が都に向かったと聞いた時に、私はオルガンティーノ師にそう聞いた。
「そうだね。たしかに危ない。誰か釘をさせるような人を共に行かせられたらいいのだが」
そう言ってオルガンティーノ師は、私の顔を覗き込むようにして見た。私は思わず身震いをした。オルガンティーン師はそれを見て、声をあげて笑った。
「そうでしょう? 身の毛がよだちますよね」
「その通りです」
その話はそれまでとなった。本当に私がコエリョ師に同行せよなどといわれた日には、私はおそらく壊れてしまう。オルガンティーノ師もそれを十分すぎるほどに理解していて、だから笑い続けていた。
やがて7月に入っても、はっきりしない天気が続いた。なかなか晴れ間を見ることはなかった。雨は6月の末に三日ほど続けて降っただけであとはどんよりとした曇り空であり、まだ梅雨は明けたとはいえなかった。
そんな大坂の夜に雷鳴が轟いたのは、7月も半ばになってからだった。
「雷が鳴れば、梅雨も終わりです」
ロレンソ兄が、そのようなことをも言っていた。
まるでその言葉を裏付けるかのように雷の翌日から空はからりと晴れ、その代わり暑さはどんどん増して、じっとしていても汗が噴き出るような陽気になっていった。
ちょうどその頃、コエリョ師とフロイス師が都から大坂へと戻ってきた。もうひと月近くも都にいたことになる。正確には二十五日目だ。
都では関白殿下が直接指揮をしてその新しい邸宅の造営が盛んに行われていたというが、やはりコエリョ師とフロイス師は都でもその関白殿下を訪ねて行ったらしい。しかも、その日、関白殿下は病気で横になって休んでいたそうだが、両師の訪問にわざわざ起きて、大坂の城でと同じように歓待してくれたという。
そして二人は大坂に戻ったばかりだが、明日にでも堺に戻り、すぐに長崎に帰還するとのことだった。
翌日は日曜日だったので、大坂城内の殿たちも多数ミサに与り、ミサ後司祭館で準管区長を送別するために何人かの殿たちが司祭館の一室に集まり、準管区長を中心に我われ司祭団とも同席した。
「豊後まではせがれが責任を持ってお送りしますさかい、ご安心なさっておくれやす」
ジョアキムがそう申し出ていた。そうは言っても、息子のドン・アゴスティーノは今や関白殿下直属の海軍の司令官である。いくら親であろうと、ジョアキムの一存で動かせる存在ではない。この言葉の背景には、関白殿下の配慮があることは明白だ。
実はコエリョ師らとともに、そのドン・アゴスティーノの船団には、セスペデス師も同行することはすでに話が付いている。オルガンティーノ師の命で、セスペデス師は小豆島という瀬戸内の海に浮かぶ小さな島に行く。
そこはドン・アゴスティーノの本拠地であり、ドン・アゴスティーノはこの地で司祭たちが福音宣教をしてくれることを切に望んでいた。
いずれ小豆島にも教会をと思っているオルガンティーノ師は、とりあえずセスペデス師およびジアン兄という日本人でまだ十代の若い修道士に小豆島での福音宣教を命じたのである。
「その後だが、我われはさらに古い信徒のもとを訪れたいと思っている」
コエリョ師がそう切り出して、フロイス師が通訳して殿たちに告げた。
「その地は、山口です」
私もハッとした。山口はかつてザビエル師とトーレス師が福音宣教をした土地である。山口にも教会があり、多くの信徒が誕生した。
その当時の山口は大内殿という殿の領地で、大内殿は教会を庇護してくれた。だが内乱によって領主が大内殿から毛利殿に移ると毛利殿は教会を破壊し、また我われが庇護を受けていた織田殿と毛利殿は敵対していたので、司祭を同地に送ることもままならなかった。
つまり、山口の信徒たちは三十年もの長い間、教会もなく、司祭もおらず、よってミサに与ることも罪を告白して許しを得ることもできず、そんな状態で信仰を保ってきたのである。
三十年と一口に言うが、山口でザビエル師が福音宣教に従事していた頃に私はまだローマにいて、しっかりと五歳くらいの幼児をやっていたのだ。もっとも、フロイス師が初めて日本に来た時でさえ、私はまだローマの十三歳の少年だった。
いずれにせよ、三十年の年月を経て今準管区長が山口の信徒たちのもとを訪れたら、彼らはどれだけ喜ぶであろう。
「山口ですか。懐かしいです」
話を聞いていたロレンソ兄も、見えない目を細めた。ロレンソ兄は山口でザビエル師から洗礼を受けたのだと、そんな思い出話をしていたのを聞いたことがある。
「それで、山口にはとりあえず司祭館を設けたい」
「しかし、どないでっしゃろ」
ジョアキムがそこで口をはさんだ。
「毛利様はかつて織田様とは敵対していたいうても、今ではたしかに関白殿下の幕下に入っております。それはいいのですが、聞くところによるとかなりキリシタンを迫害したようで、そこへバテレン様がお入りにならはるのを許しますやろか」
「それならば、大丈夫です」
めったに笑わないフロイス師がにっこりと笑い、同宿の一人を呼んだ。
「あれを持ってきてお見せなさい」
同宿が持ってきたのは、黄金の文様で装飾された小さな箱だった。赤くて太い紐で結ばれている。フロイス師はその紐をほどいた。ふたを開けると中には書状が二通入っていた。
2
誰もが顔色を変え、殿たちは一斉にその書状に対してひれ伏した。
「これは、関白殿下のご朱印」
殿たちは口々にそう言って驚いていた。事情を知っているドン・ジョアキムとジュストだけが、にこりと笑っていた。
「これは、もしやキリシタン布教安堵のご朱印状」
一番驚いた顔をしていたのは、ドン・シメオン黒田殿であった。関白殿下の軍事顧問で、受洗してからまだ二年ほどしかたっていないが熱心な信徒である。
「これがあれば天下無敵ですな」
そう呟いてから、ドン・シメオンはコエリョ師やフロイス師の方に向き直って座り直した。初めて会った時からびっこを引いていたが、足が悪いようでほかの人のようにきちんとあぐらをかいては座れず、足を投げ出していた。我われは皆彼が足を悪くしているのは知っていたので、誰もそれを失礼だとは思わなった。
「実はそれがし、関白殿下のご命令で明日にでも安芸吉田の毛利少輔太郎殿の元へ参上することになっております。此度の関白殿下の九州ご出征の段取りの打ち合わせでござるが、その際にバテレン様方が領内にお入りになることを許可するよう説得致しましょう」
「しかし私たちも、あさってには堺を出発します。間に合うでしょうか」
フロイス師が少し首をかしげると、ドン・シメオンはにっこりとほほ笑んだ。
「この関白殿下のご朱印状があれば、あっという間に話はつきます。バテレン様、この写しはございますか?」
フロイス師はすぐにヴィセンテ兄を呼んだ。
「ヴィセンテ兄、写しはまだありますか?」
「はい、すぐにお持ちします」
この朱印状は日本の総ての教会に送り届けるために、その内容をヴィセンテ兄が書き写していたのだが、まだその余分があった。フロイス師がそれを黒田殿ドン・シメオンに託した。
「それは本物ではなくて内容を移しただけですけれど、大丈夫ですか? 関白殿下の朱印もない」
オルガンティーノ師が心配そうに、ドン・シメオンに言った。ドン・シメオンは笑っていた。
「本物は私がこの目で見ました。それを伝えれば十分です。なにしろ毛利殿とはまだ毛利殿が織田家と敵対していた頃から、和平の交渉役が私だったのです。いわば毛利殿とはもう古い付き合いなのです」
それを聞いて、オルガンティーノ師もうなずいた。すると、また別の殿から声が上がった。
「いや、いつの間にこのようなご朱印状を」
あらためて驚いていたのは、明石親子だった。明石飛騨とその息子の十七歳くらいの若者である明石掃部の親子だが、二人はまだ洗礼を受けていはいない。
ドン・シメオン黒田殿の縁者ということでこの教会に通って説教を聞き、いずれはと洗礼を志願している。それがなかなか実現しないことについてフロイス師は、悪魔のお邪魔によるものだと主張していた。
私だけでなくオルガンティーノ師もそうだが、このフロイス師のうまくいかないことを何でもかんでも悪魔のせいにする考え方には首をかしげてしまう。
いや、フロイス師がというよりも、エウローパの人々は往々にしてそうなのだ。なんでもかんでも善と悪の二元論でとらえてしまう。絶対善である『天主』と絶対悪の悪魔の対局で物事を考える。
だが、この日本の人たちはそうではない。善も悪もすべて呑み込んだ調和、それを日本語では「和」という。その「和」の精神で物事をとらえようとする。
日本通のオルガンティーノ師よりも遥かに長く日本にいるはずのフロイス師でさえまだエウローパ式の善悪二元論から脱することができず、日本の「和」の精神はあまり理解していないような気がする。
それはさておき、この明石親子は実はもう一人の殿の家来であって、その殿の護衛という感じでこの教会には来ていた。実は関白殿下の朱印状に驚きの声を発していたのは、明石親子だけではなくその主君であるこの殿だった。
若い明石の息子よりも、この殿はさらに若い。まだ少年といってもいいくらいだ。だが、この国ではもう立派な一人前の大人扱いだ。それに恥じずに聡明で堂々とした振る舞いは、若くてもさすがに殿だった。あの有馬の殿のドン・プロタジオとてそうだった。
この宇喜多八郎という若い殿もまだ洗礼は受けていないが、キリストの教えに興味を持って教会に通っていた。彼を導いたのは明石親子だけではなかった。
実はこの宇喜多八郎殿の父親こそ、アゴスティーノ小西殿が以前に仕えていた主君なのだ。そういう関係で、宇喜多殿はいつも明石親子とともに教会に来ていた。
「関白殿下からこのようなご朱印状がくだされ以上、我が領国にも同じようにキリシタン布教を認める書状を私は書くべきですね」
若いながらもそう呟いて明石親子と顔を見合わせていた宇喜多殿の姿に、私も、そこに居合わせたどの司祭も皆胸を熱くしていた。
その言葉はコエリョ師にも、フロイス師の通訳によって伝えられた。
「あなたの治める国はどこですか?」
この宇喜多主従と初対面のコエリョ師は、フロイス師を通じてそう聞いた。
「備前、備中、美作の三国を治めております。城は備前の岡山にございます」
岡山といえば今の関白殿下と柴田殿との戦いで亡くなった結城ジョアン殿の城も岡山城で、それは河内にあった。その岡山城の城下の教会を移築したのが今のこの大坂の教会である。
その同じ名前の岡山という街で布教の許可を城主の殿が下さるという。日本人はよくそれを「何かの因縁」という言葉で表す。目には見えない世界での何かつながりがあって、仕組みが働いているということらしい。
「いずれはその備前の岡山にも教会ができて、司祭を派遣できる日が来ることを祈りましょう」
オルガンティーノ師が陽気に、しかし厳かに言った。
翌月曜日、ドン・シメオン黒田殿の行列は、かなりの人数で西に向かって行った。
我われもコエリョ師とフロイス師を送って堺まで行くことになっている。大坂の教会は修道士たちに任せて、我われ全司祭はコエリョ師らとと主に堺に向かった。セスペデス師とジアン兄はこのまま堺からコエリョ師らとともに小豆島まで出発する。
その日の夜は堺の日比屋の大広間で、コエリョ師らの送別の宴が開かれた。四月の末に堺に到着していら、コエリョ師とフロイス師は大坂から都に向かうまで、約二カ月近くもこの堺の日比屋の屋敷に滞在していた。
宴には我われ聖職者のほかにはドン・ジョアキム、そしてその息子でコエリョ師らを小豆島経由で山口まで送る船団を指揮するドン・アゴスティーノの姿もあった。
私とドン・アゴスティーノはあの室の港で初めて会ったときしかゆっくりと話をしたことはなかった。その後は大坂の教会ではいつもすれ違いで、私が高槻から大坂に異動になったあとは彼はほとんど大坂にはいないかったからだ。
私は宴が進むと、ドン・アゴスティーノとも久しぶりに親しく話をした。日本の宴会は一人ひとりが小さな膳なので、席の移動が非常に簡単である。
そしてこの日は日比屋の主人のディオゴをはじめ、その一族もすべて顔をそろえていた。私も五年前にヴァリニャーノ師とともに初めてこの堺に到着した時、日比屋の一族については簡単な紹介を聞いたが、その時のことはもう忘却の彼方で、またあらためて紹介を受けるといった感じだった。
席が乱れて行くうちに、私はジョアキムに促されて日比屋の一族と対座し、杯を交わした。さすがにディオゴ老人とはもう顔見知りだ。そしてその息子のヴィセンテは、ほぼ私と同世代である。
そして娘婿のルカスだ。この時初めて聞いたのだが、ルカスはディオゴの娘婿というだけでなく、ディオゴの妻のイネスの弟なのだそうだ。つまり、ディオゴの義理の弟でもある。
その妻のサビーナはディオゴの娘である。そしれルカスの弟の未信者の了勘がどうもいやな目つきでそばに座って酒を手酌で飲んでいた。
他には少し遠い座だったからジョアキムからその名前を聞いただけだったが、ディオゴの弟で未信者の藤庵、同じくディオゴの弟で信徒のガスパルらの名前が、ジョアキムによってそっと私に告げられた。
さらにジョアキムに紹介された商人風体の男は、ジョアキムの長男、すなわちドン・アゴスティーノの兄であるベントであるということだった。フロイス師やオルガンティーノ師などとは顔見知りのようだったが、私は初対面だった。今はこの堺で、父の本来の家業であった薬屋の小西屋を継いでいるという。そしてその妻のアガタが、ディオゴの娘だという。
とにかく関係が複雑すぎて、一度説明を聞いただけでは理解できそうもなかった。
やがてルカスが私の前に来て、酒を注ぎ、堺の町の良さについていろいろと話を始めた。
この男についてはいろいろと聞かされている。
もともとはディオゴの次女で自分の姪でもあるのモニカにそうとう執心で、かなり強引に結婚したのだということだ。だが、モニカもすでに亡くなり、今度はその妹でディオゴの三女の今の妻のサビーナと結ばれた。
本来は義理の妹である。私がそのようなことを知っていることは伏せていろいろとルカスとは語ったが、どうも今一つ何を考えているか分からない男だった。
そして二日後の水曜日、つまり7月23日にドン・アゴスティーノが指揮する大船団に守られて、よく晴れた空のもと穏やかな海に向かってコエリョ師、フロイス師、ディアス師、マリン師、そしてセスペデス師、ジアン兄を乗せた船は見る見る遠ざかって行った。
準管区長が都布教区に滞在中も、最初の二カ月は堺に、最後のひと月は都にいたわけで、大坂で顔を突き合わせていた時間はほとんどなかった。
それでも都布教区にいるというだけでかなりの重圧を感じていたが、やっとそれから解き放たれて肩が軽くなった気がした。おそらく、オルガンティーノ師もそうではないかと思う。
とにかく、本当の意味で我われの日常が取り戻せた。




