Episodio 2 Un feudatario cristiano(キリシタン大名)
1
船は日本へ来るまでは商人たちも乗っていたので船内がひしめき合っていたが、今は我われ聖職者七人とあとはカピタン・モールおよび乗組員たちだけなので、何かがらんとした感じを受けた。それでも一歩船内に入るやそこは紛れもなくポルトガルで、思わず郷愁を感じてしまった。
さほど風を待つ必要もなく、朝方に船はレオン師や同宿の日本人青年らに見送られながら長崎の港を出港した。
八日前に来た時とは逆のルートで湾の出口に向かって陸地の間を航行し、すぐに外海に出ると今度は陸地に沿って南下し始める。陸の上はずっと丘陵地帯で、鮮やかな緑が目に痛いほどだ。それはどぎつく青く、そんな景色を甲板で楽しんでいた我われに日差しは強かったが、心地よい風が当たっていた。
一時間もしないうちに山の向こうの岬を船は大きく左側へと舵を切った。岬を回りこんだが今度は陸地を離れてどんどん東へと向かう。だが行く手は水平線ではなく、遠くに島なのか半島なのかは分からないが陸地が横たわっており、どの陸も平らな土地というものは見当たらなかった。
まだはるか遠くだが、かなり高そうな山も丘陵の向こうから顔をのぞかせている。珍しく緑には覆われていない山だ。
遠くに見えていた陸地が、みるみる近づいてきた。やがてちょっとした丘のある岬を左へと回り込むと、海は陸地と陸地の間の狭い海峡になっていた。
緑のない高い山は左手の陸地の向こうにだいぶ近づいて顔をのぞかせているが、まだかなり距離はありそうだった。
そのまま船は丘と丘の間にある港へと吸い込まれていった。ナガサキを出てからほんの二時間半ほどで到着だ。船で海を渡ってきたという感覚はあるが、実はここもナガサキからは陸続きで、もし歩いたならばまる二日かかったという。船を出してくれたカピタン・モールには、感謝しかなかった。
港の対岸にも陸地はあり、とにかく日本という国は海岸線が複雑な国だなというのが私の実感だった。
到着したクチノツの港はそれほど大きな町ではなく、民家もまばらだった。ちょっとした平らな土地の向こうは、どの方角も丘陵が視界を遮っていた。船の上から見た緑のない高い山は、ここからは見えなかった。
クチノツの教会は、港のすぐそばのちょっとした高台の上にあった。私がマカオで出会って、マカオで共に司祭に叙階され、ともにナガサキまで来た人々は、マカオに来る前は五人ともが皆このクチノツの教会にいたのだという。
「帰ってきたなあ」
アルメイダ師は教会の十字架を見ながら、感慨深げに言っていた。船の上でもクチノツのことなどアルメイダ師からいろいろ聞いたりしたが、私はこの後ヴァリニャーノ師と共にアリマという所まで行くことになっているから、アルメイダ師をはじめとする五人の神父様方とはここでお別れとなる。
まずは教会に隣接する司祭館で、この教会に住む四十代くらいのバルタザール・ロペス師、ジュリオ・ピアーニ師らとともに、遅い朝食をとった。
食堂の窓からは港が一望でき、入江はさらに奥へと続いている。入り江の対岸はそれほど高くはない山が点在し、とてものどかないい眺めだった。我われとこの教会の二人の司祭のほかには修道士が数名同席していたが、中には日本人の説教士もいた。
私とほぼ同世代のそのジョアンと名乗った説教士は頭髪をすべて剃っていたが、驚いたことに非常に流暢にポルトガル語を話すのである。
食事の時間はそう長くはなかった。この司祭館は、このシモ地方にそれぞれ宣教の旅に出る司祭たちがいつでも泊まれるような宿泊施設を兼ねているのだという。
私以外の五人の司祭はこの教会の二人の司祭と、涙を流さんばかりにして再会を喜んでいた。日本にいたけれどしばらく離れていたというのではなく、マカオまで行って帰ってきたのだからその途中の航海の危険性を考えてもその再会の喜び方は決して大げさではないと思う。
初対面なのは私だけなので、昼食の席でヴァリニャーノ師が私を二人に紹介してくれた。
だが、その私の名を聞いた瞬間にピアーニ師が目を輝かせた。それは私がピアーニ師の名前を聞いた時も同様だった。名前を聞けば、同国人だということはすぐに分かる。
正確には、今のイタリア半島には統一国家はないから国までは分からないが、少なくともイタリア語を話す言語圏であることは間違いない。
それから聞きだしたところによると、ヴァリニャーノ師と同じナポリ王国の出身だった。年も全く私と同じだった。そこで二人で意気投合し、イタリア語で盛り上がっていたらヴァリニャーノ師が目配せをする。そこで我われは慌ててポルトガル語に切り替えた。
新しい出会いも束の間、私のヴァリニャーノ師はこの日のうちにアリマの城下まで行くことになっていた。有馬までは徒歩でも二時間半くらいだという。
「まあ、アリマはこことは目と鼻の先。会おうと思えばいつでも会えますよ」
ピアーニ師はそう言って笑っていた。
私はアルメイダ師、カリオン師、ラグーナ師、ミゲル・ヴァス師、サンチェス師らにマカオからの同行のよしみを謝し、ヴァリニャーノ師と二人で教会のある丘の上から港の方へと降りた。教会を見上げると、教会の窓からここまで同行してきた司祭たちが手を振ってくれている。
さらに港を通ると、我われをここまで送ってくれた停泊中のポルトガル船の甲板からカピタン・モールのミゲル・ダ・ガマが笑顔で我われに手を振ってくれた。
そのまま海岸線に沿って湾曲する入り江のいちばん奥まで歩くと、道は二手に分かれていた。このままいけば道はさらに入江伝いに先ほどいた教会とは反対側に回り込み、さらに海沿いに続いていく。左へ曲がれば山間部を抜けてのアリマまでの道だという。こちらの方がアリマへは距離的には近いのだが山中は山賊もいて危険だし、この暑さで山道というのも応えるということで、海沿いの街道を行くことになった。
ここはナガサキとは地続きだが海峡の対岸は島で、アマクサというのだとヴァリニャーノ師は歩きながら教えてくれた。
「あのアマクサにも教会があって、司祭館もあるのだよ」
その説明を聞いて、私はやはり日本は特殊だと思った。
「ゴアもマカオも教会はたくさんありましたけれど、城壁に囲まれた狭い地域の中に密集していましたよね。日本は城壁で囲まれた地域こそありませんけれど、日本全体に教会は点在しているんですね」
「そうだね。これも『天主様』のみ摂理と、ザビエル神父以来の多くの先輩たちの御苦労のたまものだよ」
ヴァリニャーの師はにこやかに言った。
道中いろいろな話をしたが、その中で私はアリマのトノについて尋ねてみた。
「アリマのトノはアリマ・ドノだよ」
私が不思議そうな顔をすると、師は高らかに笑った。
「日本人の姓は、たいてい地名に由来するんだ。アリマに住んでいるから姓はアリマ。バルトロメウ・オームラドノもナガサキに近いオームラというところに住んでおられるからだよ」
不思議な話だ。エウローパではこのようなことはない。
「では、日本人の姓は皆地名なのですか?」
「みんながみんなそうだというわけではなさそうだけれどね。それに日本ではサムライ、つまり我われのいう騎士に当たる人びとしか姓はない。農民は姓を持たないし、商人は店の名前で呼ばれる。もっともサムライと農民の間の区別はあいまいで、普段は農民で戦争の時だけサムライになるという人も多いみたいだな」
本当にヴァリニャーノ師はこの国についてよく知っておられる。師もまだこの国に来て一年ちょっとしかたっていないはずなのに、だ。まだまだ私にとってこの国については知らないことが多すぎる。
「アリマ・ドノも信徒なのでしょうか?」
「亡くなったお父様が熱心な信徒だったそうだけどね、今の殿は最初は教会に背いてずいぶん教会にひどいことをしたらしいね。先ほどのクチノツでも、サムライに命じて教会を破壊して焼いたりしたそうだよ。でも、キリストの教えに出会ってすっかり悔い改められて、今年のご復活の前に受洗の恵みを頂いた。そのいきさつもいろいろと大変で、平坦な道ではなかったよ。でも今は、トノはドン・プロタジオといわれる」
今年のご復活といえば、私が司祭に叙階された時だ。それとほぼ同じ時期に洗礼を受けられたことになる。
「さっそく、着いたらお城に行って、トノにお会いしよう」
私にとって初めての「トノ」との面会だ。そのひと言で急に私は緊張してきた。
だが、もっと大きい緊張が、アリマに着くや否や私を待っていたのである。
2
アリマの町はややちょっとした川の河口近くにあった。ここもこれまで同様平らな土地は狭く、そこに寄り添うように民家が並んで町を形成している。
そのほぼ町の北側の小高い緑の丘の麓に司祭館はあり、それに隣接して二階建ての大きな建物があった。
ここの司祭館も日本式の建築様式で建てられ、十字架だけが司祭館であること示しているが、隣接する建物には大きな運動用の庭もあり建物自体もがっしりしていて、建築様式こそ違うけれどもこれが学校だなとすぐに分かった。
話には聞いていたが、これが今年になってできたばかりの神学校だろう。
聞くところによるとここには司祭館と神学校あるだけで、教会はないという。
我われは神学校を横目に司祭館に入った。すぐに出迎えに出たのは一人の年配の司祭と若い修道士だった。
司祭はヴァリニャーノ師とポルトガルからずっと行動を共にしてきたというロレンソ・メシア師で、もう一人の修道士はヴァリニャーノ師の巡察師としての秘書であるオリヴェリオ・トスカネロ兄であった。トスカネロ兄はヴァリニャーノ師と同じナポリ王国の出身で、私とも同胞といえた。
どこにいても、ポルトガル人やイスパニア人が多い中で、イタリア語を話す人びとは出身国がイタリア半島のどこであれ私にとっては同胞なのである。
まずは部屋に通され、トスカネロ兄からは旅の疲れをいやしてくつろぐよう親切に言われた。私はそのまま、夕方まで床の上に横になってうとうとしていた。
夕食ということでトスカネロ兄がイタリア語で呼びにきた。
廊下を歩きながら兄はそっと、私だけに聞こえる声で耳打ちしてきた。イタリア語でならおそらくわかる人は少ないだろうから小声で話さなくてもと一瞬思った。だが話の内容が内容だった。
「この司祭館や特に隣の神学校では、ラテン語のほかはスパーニャ語、ポルトガル語以外は使用が禁止されていますので、他の人がいる所では気をつけてください」
そういうことだから、小声でも仕方がなかった。
たしかに、ヴァリニャーノ師も二人きりの時以外はポルトガル語だったし、ふとイタリア語を使おうとすると目配せをして制してきた。
しかしこのようにはっきりと言葉で示されたのは初めてだ。なるほど、あの目配せはそういうことだったのかと思う。
それにしても、なぜ?という感じだ。
「日本人の神学生の、語学習得のためだそうです」
それならばわかる。だが、それなら日本語だけを禁止すればよさそうなものなのに、ポルトガル語とスパーニャ語だけが許されるというのもあまり愉快ではない話であった。
食堂はやはりテーブルと椅子だった。上座にはヴァリニャーノ師のほかに、それを挟むように二人の年配の司祭がすでに座っていた。私が入ると、ヴァリニャーノ師はすぐに私を手招きした。そして二人の年配の司祭に私を紹介した。
「今度ゴアからマカオ経由で初めて日本に来たコニージョ神父です」
まず一人は体格はいいが少し細めで背が低い司祭を、ヴァリニャーノ師は私に紹介した。
「このシモ布教区の布教区長、コエリョ神父だ」
コエリョ師は立ち上がって私と握手をした。
「ガスパル・コエリョです。あなたと私は同姓ですな。コエリョとコニージョ、言葉による言い方が違うだけですからね」
にこりともせず真顔のままだった。
もう一人は眼鏡をかけていた。がっちりとした強健そうな体格だった。
「で、こちらは、日本全土の総布教長のカブラル神父」
眼鏡のカブラル師はさっと立ち上がり、すっと手を出して握手をした。
「フランシスコ・カブラルです。よろしく。おはげみください」
それだけを愛想笑いとともに言ってから、こちらもすぐに真顔に戻った。実にきびきびとした動作だった。
私は緊張でこちこちだった。特にカブラル師の方は、笑顔ではあっても眼鏡の下からの鋭い眼光が私を見透かしているようだった。だがその時は、こういう気難しい性格の人なのだなくらいにしか思っていなかった。
三人の中ではヴァリニャーノ師がイエズス会総長代行の巡察師なのだから一番地位は上だが、四十代になったばかりくらいのヴァリニャーノ師よりも両脇の二人は十歳ほど年長のようで、どう見ても五十代だった。
食事が始まった。私は近くのメシア師やトスカネロ兄と談笑しつつ食事をしながら、時々上座の三人の様子をうかがっていた。三人ともほとんど会話もせず、黙々と食事をしているように見えた。食卓には他にも五人ほど司祭や修道士がいて、彼らにはメシア師が私のことを紹介してくれた。
ここは結構大きな司祭館なので、司祭以上だと一人一部屋与えられた。部屋に戻ってからも、あのカブラル師の鋭い眼光が気になっていた。自分がなぜあのように緊張していたのかも不思議だった。
その夜更け、一度は就寝した後にふと目が覚めて、私はバーニョに行こうと廊下を歩いていた。すると暗い廊下の先から話し声が聞こえた。それもかなり興奮した言い争いのような感じだ。
日本の家屋はエウローパのそれと違ってしっかりとした壁で仕切られているわけではなく、ほとんど紙でできたドアで仕切られているので声も筒抜けだ。しかも声の主の一人はヴァリニャーノ師のようだから、私は思わず足を止めてしまった。
まる聞こえといってもまだ廊下の先の方の部屋からなので話の内容はよく聞こえないが、あの普段は温厚なヴァリニャーノ師とは思えないような口調でのほとんど怒鳴り合いだった。もちろん夜中ということもあって、声は抑えての怒鳴り合いだ。
「そのようなやり方では……数を追えばいいというものではない……」
そんな言葉が断片的に聞こえる。そしてところどころに「ゴアは…」とか、「日本のこの惨状」などという語もあって、相手も負けずに言い返しているようだ。
「それならばあなたはゴアに……あなたのやり方は生ぬるい」
そんな断片的な声はどうもカブラル師のような気もしたが、確証はない。だが、いつまでも立ち聞きしているのバツが悪く、私はバーニョへと向かった。
その時、まだマカオにいた時アルメイダ師が、ヴァリニャーノ師とカブラル師がうまくいっていないようなことを言っていたことをふと思い出した。
翌日、トスカネロ兄の案内で、神学校の方を見せてもらうことになった。いかにも新築という建物で、まだ木の香りがぷんぷんしているようだ。この国の建物は彩色しない素地の木材で建てられているので古くなると茶色となるが、新しいうちは全体的に白い建物という感じである。
「今はだいたい三十人ほどの学生が宿泊できます。今の学生は二十人ほどですが、やがては五十人くらいは収容できる施設に拡張する予定です」
ここでは兄も完全にポルトガル語しか話さなかった。
「朝の四時半には起床して祈り、ミサがあってそれからすぐに授業が始まります。九時からが食事です。ここの生徒の食事は日本の古い習慣通り、一日二食です」
室内は、驚くほど清潔だった。ローマの修練院よりもはるかに清潔感がみなぎっていて、塵一つ落ちていない。まあ、建築されてからまだ数カ月しかたっていないからだろうと、その時私は思っていた。
「ここはポルトガル人の神学生、修道士、日本人の神学生と混ざって在籍していますけれど、分け隔てはありません。ここで彼らはラテン語、ポルトガル人は日本語、そして道徳を学びます。ほかに楽器演奏や唱歌の時間もあります。一日の時間割は、結構余裕がありますよ、自由時間もあります。もちろん、勝手な外出はできませんけどね」
私はただ感心して、うなずいて聞いていた。
「水曜日と土曜日の午後、日曜日は休みですから、学生は自由に活動します。ここから離れた所に余暇を過ごす施設もありますから、そこへ行って過ごすことも自由です。夏は夏休みもあります」
ゴアやマカオにも修練院はあったが、こういった神学校を見学する機会は私には与えられなかった。だから、現地の少年がこのような所で学んでいる姿を、私は彼の地では見てはいない。
私はそっと、授業中の風景をのぞいた。教室は板張りの部屋だったが、生徒たちは椅子に座っての授業だった。机はなかった。
3
そんな神学校見学を終えてから、私はヴァリニャーノ師に呼ばれた。
今日の午後、お城に上がってこの地のトノに会う機会を作ってくれたのだということだ。
まずは身支度を整えてから、ヴァリニャーノ師は私に床の上に座るように言った。それも膝を折って組み、お尻を床につけて座る日本式の座り方だ。
「我われの国での作法通りにしたら、この国では失礼になることが多いからね。立ったまま握手しようとしたりしたら、下手すれば斬り殺されるぞ。この国のサムライは常に腰に人を斬ることができるスウォールドゥ、それはカタナというのだけれどね、それを身につけているから」
私が真剣に顔をひきつらせていると、それを見てヴァリニャーノ師は声を挙げて笑った。
「まあ、そう簡単に斬り殺されたりはしないけどね。相手に不快な思いをさせないように、失礼にならないようにするには、相手の礼儀作法を身につけてしまうことだよ」
それからお辞儀の仕方、受け答えの時の注意事項などを伝授してくれた。しかしどうにも足の感覚が亡くなってきていて、終わって立ち上がった時はしばらく一歩も歩けなかった。それを見てヴァリニャーノ師は、ただ笑っていた。
表へ出ると、あたりを見回してみた。領主ともなれば結構大きな屋敷が御殿に住んでいるはずだから、それはどこにあるのだろうと思ったからだ。ところが、ここから海までの間の町並みのどの方角にも、領主の屋敷と思われるような建物は見えなかった。
「神父様、トノのお屋敷は?」
「この上だよ」
師が指さしたのは司祭館や神学校の裏手の小高い丘だった。
「え?」
私は怪訝な顔を見せた。
「丘の上って?」
私は屋敷を探すために、反対側ばかり見ていたことになる。ないはずだ。
それにしても丘の上とは意外だった。そんなに高い丘ではなく、緑に覆われているだけでここからは特に建造物があるようには見えない。しかし、高くはないとはいってもその上に登るとなると結構この暑さの中ではきついかなという感じだった。
しかし、師がそう言われるならば、その丘の上に登らないとトノには会えないということになる。早く行かないと明るいうちには帰って来られないので、とにかく私とヴァリニャーノ師、そして神学校の教師である修道士のアンブロシオ・デ・バリオス兄の三人で道を急いだ。バリオス兄は通訳である。
我われは屋敷があるという丘の南側を東に向かった。司祭館や神学校がある場所が丘の南西の麓で、屋敷の正門は東側だそうから、丘の下の縁に沿って歩いている。
「もうすぐだよ」
ヴァリニャーノ師は言った。
「え? 近い!」
私は驚いていた。どうもヴァリニャーノ師は私が驚く顔を見て楽しんでいるのではないかという気もするが、確かに今回もまた笑っていた。
左側の丘が終わって、小さな川にぶつかると、丘に沿って我われは左に曲がった。川の向こうは水の中から作物が生えている不思議な畑が広がっている。青々としたその作物は風になびき、海のようですらあった。
ちょっと見だと、その足元が水面であるとは分からないくらいだ。種類は麦と同じような作物だが、水面に生えているだけに土の畑で栽培される小麦とは本質が違うようだ。
するとヴァリニャーノ師が説明してくれた。
「あれが、この国の人が毎日食べるご飯になるんだ。あの作物の穂になる実、ちょうど小麦のような実を水と共に炊くとご飯になる」
そして師は引き続き言った。
「着いたよ」
司祭館を出てから十分くらいしかたっていない。
道と別れて、丘への上り坂があり、ゆっくりとそれを上ると木でできた門があった。門の前には我われの国の甲冑とよく似たものをつけた騎士のような兵士が二人、槍を持って番をしていた。あれも「サムライ」なのだろう。
我われが近づくと左右で一旦槍を交差させて止めたが、我われの顔を見ると、
「オオ、バテレンサマ。ドウゾ、オトオリアレ」
とすぐに門を開けてくれた。もう顔だけで通行証になっているらしい。
「そういえば前から気になっていたのですが」
また私は、歩きながらヴァリニャーノ師に訪ねてみた。
「この国の人びとが私どもを見るとよくバテレン・サマと言うのですが、それってどういう意味なのですか」
「我われ司祭のことだよ。ポルトガル語の“パードレ”が、この国の人々の耳には“バテレン”と聞こえるんだろうね。ポルトガル語の信徒を“キリシタン”というのと同様、基本中の基本だよ」
基本といわれても、そのようなことまではマカオでは学ぶことはできなかった。日本語は一音ごとに母音がついていて、それをはっきりと発音する。「cristão」なら二音節だが、「キリシタン」となると五音節なのだ。
やがて門をくぐると実に幅の広い石の階段があった。長さはそう長くはなかった。それよりも私の目を引いたのは、その左右に自然石がきれいに積み上げられて造られた石の城壁だった。実はこの丘を登り始めた頃から、その石垣で囲まれた屋敷が、一つまた一つと点在するのを私の目は見ていた。
それがここにもある。エウローパだとこんな自然の石ではなく、四角く切った石を重ねて壁を作ることはよくある。しかしここでは自然の石なのに、一枚の岩の壁のようにきれいに石は積まれていた。
石段はまだまだ続く。周囲は木々が鬱蒼と茂り、蝉たちの鳴き声がやかましいくらいだ。
「ヴァリニャーノ神父様」
私は額の汗を袖で拭ってから聞いた。
「どうしてこの国のトノスは、こんな山の上に屋敷を設けるんです? これでは人々を治めるのに不便ではないですか?」
「この国は、今がどういう状況になっているのか忘れたかね?」
師は笑った。私ははっとした。そのまま師は言葉を続けた。
「かつてこの国も平和だった頃は、町を城壁で囲むことすらしなかった。島国だから、敵の攻撃は想定外だったんだ。でも今は違う。戦乱に明け暮れる世の中だから、領主は自分の身を守るためにこういった警備を固め、その中に住むようになったのだよ。戦争になれば、ここがそのまま軍事要塞となる。だからここは“屋敷”というよりも“城”なんだね。日本語でも『ヤシキ』ではなく『シロ』というからね」
本当に、師は博識である。すると、石段の終点に、前よりも大きな門があった。その左右に並んでいた甲冑の武士たちは、我われが通ると左右から一斉に頭を下げた。
まるで何かの機械仕掛けのようにピタッと息の合った寸分乱れぬ動きだ。実に礼儀正しく丁寧で、見事に統制がとれている。私はもう驚きを隠せなかった。「サムライ」とは、騎士というよりはある意味「軍人」のことなのだなと私は理解した。
門を入ると池のあるきれいな庭があって、その向こうに堂々とした、それでいて平屋の建物があった。
その玄関で中に向かって師は日本語で大声で叫んだ。
「オタノミ モウス!」
すぐに取り次ぎのサムライが出てきたが、我われの顔を見ると表情一つ変えずに、日本語で何か言った。そのまま中へ入るようにという意味合いの言葉のようだ。
城の中にいる人々は皆サムライばかりで、頭の上が一様に剃られているのが不思議な光景でもあった。他の修道会の司祭が頭の上を剃るトンスラとは違い、額とつながって頭の上部だけ剃られ、左右の髪は長く伸ばして後ろで束ねてポーネイのしっぽのようにしている。
ここで靴を脱いで中に入った私は、あまりじろじろと見まわしてもいけないとは思いながらもつい観察しながら歩いてしまう。もはや驚きなどという言葉では表せない、呼吸さえ困難になりそうな感情だった。
とにかく清潔である。建物は廊下も壁も柱もすべてが清らかなのだ。これまでは教会や神学校だからきれいなのだと思っていたらそうではなかった。この国は何から何までがことごとく清潔で整然としていて美しい。
そして広間に着くと、左右に並んで膝を折って床に座っていたサムライたちが、一斉に手を床について頭を下げた。洗練されたその礼儀正しい動作を見ていると、こちらまで身が引き締まる思いだ。
東の果ての、ローマからこんない離れた土地にも、こんな貴重な文化がある。チーナの文化水準の高さにも驚いたが、ここは違う意味での文化の香りが高い。
我われ三人は広間の中央に、やはり膝を折って足を開いて組み、尻を床につけて座った。広間は木の板の床だった。
そのまま話もせず、また微動だにせずに「トノ」のお出ましを待たねばならないと、教会を出る前にヴァリニャーノ師から教わったばかりだ。
正面は一段高くなっていて、トノがお座りになるであろうあたりだけ畳が敷いてあって座布団があり、その背後にはかなり高度な芸術的技術でもって高い完成度に達している見事な虎の壁画が描かれていた。
4
おそらく十五分は待たされたであろう。
突然紙のドア――日本語で「フスマ」という――が開いて、「トノ」がお出ましになった。私はヴァリニャーノ師から教わった通り、「トノ」の気配を感じたらその姿を見ることなく、手を突いて額を畳にこすりつけ、「オモテヲアゲヨ」の言葉を待った。
すぐに頭の上で声がした。
「バテレン様がた、どうぞ頭ば挙げてください」
細い、女のような声であった。
え? という感じで私はさっと頭を挙げたくなったのをかろうじて自制した。だが、そのか細い声が言ったのは「オモテヲアゲヨ」と言葉付きは違うが同じ意味の日本語だということは私も聞き取れたので、これも教えられた通りゆっくりと頭を挙げ、完全に頭が上がりきってからそっと正面の遠くに座っている「トノ」を見た。
またもや私は、思わず「あっ」と声をあげそうになってしまった。
そこに座っていたのは一人の少年。いや、まだ子供だといってもいいかもしれない。だが、凛々しく堂々と座っているその姿に、子供っぽく見えるだけだろうかとも思ったが。
だが、やはりどう見ても本物の少年だ。ヴァリニャーノ師はそのような事実はひと言も教えてくれてはいなかった。おそらくそれは私を驚かせるためにわざとだったのだろうと思う。
「今日は一人の新しい司祭を紹介するために連れてまいりました」
ヴァリニャーノ師はそのままポルトガル語で話し、バリオス兄が日本語に通訳する。バリオス兄の日本語も私には聞きとりやすかった。
「そうですか。遠か所をご苦労様です」
殿の言葉は専制君主にありがちな居丈高という感じではなく、あくまで端正に礼儀正しく、しかも腰が低いものの言いようだった。すぐにバリオス兄がポルトガル語に訳してくれたが、町の庶民の女たちの言葉よりかは私が聞き取れる単語も多かった。
ヴァリニャーノ師が目で合図するので、私は両手を前について少し身をかがめた。
「ジョバンニ・バプテスタ・コニージョと申すものでござる」
そして、それだけなんとか日本語で言った。もちろん、通じた。トノはあまり表情は変えず、ほんの少しだけ笑みを浮かべてうなずいている。
よく見ると、トノの胸には首から下げた大きめの木製の十字架があった。それを見た私は、そのあとはさすがに限界だったのでポルトガル語に切り替えた。
「このたびは、受洗、おめでとうございます」
そう、バリオス兄を通じて伝えてもらった。
「恥ずかしか話です。父は熱心なキリシタンでしたばってん、父が死に、兄も死んで私が家督を継ぐや、まだ幼かった私が何も分からないことをいいことに悪魔に心を奪われた家臣たちが私をそそのかし、私は領内のキリシタンをことごとく弾圧してきたとです。口之津でもキリシタン屋敷ば焼き、十字架ば斬り倒し、多くのキリシタンに改宗ば迫り、受け入れんものは追放しました」
そこまでの話をバリオス兄が通訳した時点で、ヴァリニャーノ師が話の腰を折った。
「そのことはもう殿は何度も罪を告白し、告解の秘跡によってその罪は許されました。ですから、もうおっしゃらないでください」
通訳からその言葉を聞くと、トノは首を横に振った。
「でも、私は目が覚めました。今は『天主様』と御子耶蘇の教えを広めるための道具となりたいと思っております」
「『聖書』の中には使徒パウロの書簡がおびただしい量で載っております。それらは実は福音書よりも古い時代に書かれたものです。使徒ペトロと共に初代教会の礎を築いたその使徒パウロも、はじめはキリストの教えや信徒を激しく迫害していたのです。誰もその人の過去でその人を裁くことはできません」
「ちょうど私もそのパウロのように『目から鱗』が落ちたとです。竜造寺に通じる家臣が離反し、竜造寺によってこの城が包囲された時も、『天主様』のご恩寵はこの城と共にありました。竜造寺は薩摩の島津の侵攻によってこの城にかまっとる場合ではなくなり、和平が成立したとです」
トノは、そのあたりの事情を知らない私のために語ってくれているようだ。
「あのときは司祭館も私も一時天草へ避難するしかありませんでしたな」
ヴァリニャーノ師はそう言って、笑顔でうなずいていた。
「今は和平となっておりますばってん、私は心底から竜造寺とよしみを通じるつもりはなかとです。だから、いつまた戦争になるかもしれんとです。この城が包囲されている時は、バテレン様からの食糧の支援などを賜り、お蔭で生き延びられました。本当に、本当に感謝しています」
「感謝は一切をお仕組みくださったデウス様に申し上げましょう」
「もちろんです」
トノはうなずいていた。そして言った。
「本当に、今後もどうなるかわかりません。耶蘇会の皆さんのご協力ご支援なくは、この身もどぎゃんなっとか。今後とも一つ、よろしくお願い致します」
なぜかこのトノは、我われに物的支援を求めているようだ。そのためにわが宣教会はあるのではないのだけれどと、私は内心思っていた。するとヴァリニャーノ師は、私に向かって小声のポルトガル語で言った。
「こちらの殿は受洗以来領民たちも皆受洗するよう指示を出し、ここの司祭たちは公教要理《カ テ キ ズ モ》の勉強会で大忙しです。もはや今年になってから五百人以上が洗礼を受けてキリストと出会った」
トノが不快にならにようにと、その言葉までもをバリオス兄は日本語に通訳していた。
それからしばらく会談は続いた後、トノは立ち上がった。
「この城の頂上までご案内しましょう」
トノが出ていかれてから、私は緊張が解けてため息をついた。そしてとりあえず玄関を出た所でトノと再び落ち合うことになっていた。
玄関先で二、三人の従者を連れたトノと落ち合い、導かれるままゴテン、すなわちパラッツォの裏手へと我われは歩いた。
石垣に囲まれて一段高くなっている上にも、やや小さいゴテンがあった。その脇の石の細い階段を登るのだが、先に登っている殿が振り返って我われを見た。
「足元にお気を付けください」
さらに石垣に囲まれた上へと階段は続き、やがて木々に囲まれたちょっとした広場に出た。
「ここがこの城のある丘の頂上です」
トノは言った。蝉の声がけたたましい。
たしかにここは見晴らしがよく、アリマの町も、海峡も、その向こうのアマクサの島もよく見えた。
向こうが島だという知識がなければ、海峡は川だと勘違いするかもしれない。
非常に巨大な島のようで、海峡が見えるだけで右も左もここからは外海は見えなかった。
ほかの方角は山、また山で、どの山も深い緑の中にある。その山と山の谷間に集落があるという形だ。
この広場はもともともと広場ではなく、何か建物があったらしい形跡がある。
「ここは昔、エンノギョウジャを祀るホコラがありましたばってん、私が全部破壊させました」
殿のその言葉はバリオス兄にとっても通訳が難しいようだ。
「かつては悪魔崇拝の建物がここにあったのを殿が破壊したとのことです」
だからそういう形で我われには告げられた。
さらに見渡すと、あの船の上で見えていた緑のない山が、丘陵の向こうにちょこんと頭を出しているのが見えた。見えたとはいっても、船の上で見たという予備知識があったからこそ分かったので、そうでないと気づかないくらい本当にちょこんと頭だけ出している。
「トノ、あの全く緑に覆われていない高い山は何でしょうか。なぜあの山だけ緑がないのですか」
私はそうトノに尋ねてみた。
「ああ、あれは雲仙でござる。緑がなかとは火山だからですね」
その言葉の通訳に続けてヴァリニャーノ師も私に言った。
「この国は実に火山が多い。今でも煙を吐いて、時には噴火する恐れもある山だよ」
そしてヴァリニャーノ師は笑っていた。
城を辞して、再びあの幅広い石の階段を下りる頃には、空は少し薄暗くなり始めていた。
「どうだったかね。この国のトノは?」
ヴァリニャーノ師はおどけて聞くが、私はそれなりに緊張していた。
「いい体験だったと思う。まずはこの国の礼法を学んで、それに従うべきだね。たしかに我われの習慣とは大いに違うところがあるけれど、違うというのと劣っているというのとは違う」
「はい、たしかに」
「『ローマではローマ人のするようにせよ』というではないか。司祭団の中には日本人の習慣を悪しざまに言う人もいるけれど、それに同調してはだめだ」
「私自身がローマ人ですが」
「そうだったな」
師は笑った。
前に入ってきた城門を出て、城の外の道にまで戻ってきた。
「決して日本人を野蛮人、文化水準が低いなどと考えてはいけないと、これはもう聞いたよね」
「はい。しかし今日のトノの様子や立派なゴテンなどに接しました以上、そのように思うことの方が不可能です」
ヴァリニャーノ師は満足そうににこやかにうなずいた。
「でも、それだけではだめだ。我われの方が日本人から野蛮人、無礼者と思われないようにもしないといけないのだよ。お互いがお互いの習慣を尊重することによって心が開いてくる。そうなると、そこにキリストの教えがどっと入り込む余地ができる」
もうかなり、あたりはうす暗くなりつつあった。
「日本人というのは、その文化を理解したならばとても楽しくつきあえる人たちだよ。日本人を理解し、日本人を満足させること、そうすることにとって彼らはキリストの教えを受け入れる。それが、この国での福音宣教の第一歩だ。それなのに」
師はぽつんとつぶやいた。
「どうもこのあたりをご理解いただけない司祭の方もおいでになる」
そしてため息をついた。具体的に誰とは言われなかったが、この時の師の顔は少しだけ曇っていた。
その時ふと私の頭の中に、昨夜の深夜の怒鳴り合いのことが浮かんだ。昨日の怒鳴り合いも、このように日本の特殊事情に対する意見の相違だったのかという気がした。
5
その夜は、暑くて寝苦しかった。
私は庭を散歩してみることにした。司祭館の建物の中をうろうろしていると、またどなたかの怒声とかが聞こえたりしたらいやなので、あえて外にしたのである。
司祭館のすぐそばにまでタンボ――今日昼間に見た水面から生える稲の畑、すなわち水田――となっており、そちらの方からうるさいくらいの蛙の合唱だった。
かなり遅い時間にならないと月が出ない頃なので、私は手にチョーチンというこの国独特の照明器具を持っていた。紙でできた囲いの中に、ろうそくが入っているものだ。
しばらく司祭館の庭を歩き、私は空を見上げた。まだ月が昇っていないだけに満点の星だ。星座の形は、エウローパと同じだ。夏の星座であるさそり座や、中天にははくちょう座、そして夏の大三角形も見える。
そんな星をしばらく見つめ、そろそろ帰ろうかと思った時である。
私の耳に、かすかな歌声が聞こえたような気がした。恐る恐る声のする方に近づいていくと、それはポルトガル語の歌詞の歌であることが分かった。男の声だ。どこかで聞いたような旋律だが、はっきりと思い出せない。歌詞こそポルトガル語だが、エウローパの音楽とは違うような旋律だ。
私は提灯の灯りを頼りに、さらに歌声の方にそっと近づいていった。すると、司祭館の庭に小屋があって、歌声はそちらの方から聞こえてくる。私はかなり足音を忍ばせて歩いたつもりだが、それでも聞こえてしまったのか歌声はピタリとやんだ。私は好奇心にかられ、さらに小屋に近づいていった。
何かが動いた気がした。
私が提灯の明かりをそれにあてようとしたが、もう何もいなかった。しばらく沈黙の時が流れ、聞こえるのは蛙の合唱だけだったので、私は意を決して小屋をのぞいてみることにした。
その時、背後に気配があった。
振り向くと、瞬間それはチョーチンの明かりの中に浮かび上がった。
見たこともない巨大な人影だ。
まさしく巨人ともいえる黒い影がそこにあった。
だが、チョーチンの明かりがそれを照らしたのは一瞬だった。私は恐怖のあまりに後ろに腰をついて倒れ、チョーチンを落としてしまった。
悪魔だ! と、私はとっさに思った。ふつうは目に見えない悪魔が、ついに形を現して我われの宣教活動の邪魔をしに来たのだと思った。
そうなると、もう恐怖はなくなっていた。私には『天主様』がついておられる。イエズス様が常にともにいてくださる。聖霊に満たされている。そして守護の天使が守ってくださる。
そう思うと今度は妙に落ち着いて、私は胸にかけた十字架を悪魔の方にかざし、一心に「天使祝詞」をラテン語で唱え始めた。
「Ave Maria, gratia plena. Dominus tecum~」
すると驚いたことに、悪魔の方も身をかがめ、私の「アヴェ・マリア」とラテン語で唱和を始めたのだ。
「Benedicta tu in muliéribus、et benedictus fructus ventris tui Iesus.~」
私は目を見開いた。その時になって私が落とした提灯の中のろうそくの火が周りの紙に引火して燃え上がり、あたりを煌々と照らしはじめた。
それは巨人でも悪魔でもなく、体格は大きくてがっしりとしていたが、あくまで人であった。ただ、顔も上半身裸である体も墨を塗ったようにまっ黒だった。
「神父様、なぜこんな時刻にこんな所へ?」
黒い人はポルトガル語で身を屈めたまま、聞いてくる。しかも、笑顔だった。顔が黒いだけに白い歯がまるで宙に浮いているように見えた。
「い、いや、暑くて眠れなかったので」
「そうですか。たしかに、暑いので、私も小屋の外へ出ていたのですよ」
場の状況と雰囲気にそぐわないような笑顔で黒い人は言ってから、明るく笑い声を挙げた。
私はいくぶん心が和んだが、やはり先ほどの興奮がまだ残っていて、この場は立ち去った方がいいのではないかという気がしていた。
「神父様。チョーチンが燃えてしまいましたね。ちょっと待って。私のを貸しましょう。明日の朝、返してください」
そう言ってから黒い人は一度小屋に入り、自分のと思われるチョーチンを持ってきて、石で火をつけてくれた。
「ありがとう」
私は礼だけ言うと、私は小屋を離れた。
自分の部屋に戻り、床に入ってからも、私はしばらく眠れず、先ほどの黒い人のことを考えていた。
あの黒い顔をしているような人びとには、見覚えがあった。そしてあの歌もだ。日本に来るまでにいろいろな国を回ってきた私だが、その一つ一つの記憶をひも解いてみた。
ゴアの現地の人も黒い顔をしていたが、あそこまで真っ黒ではなかった。そして、真っ黒ということで思い出したのは、リスボンを出てからの初めての寄港地、モサンビーキ島の人びとが全くあの色と同じ真っ黒な肌をしていた。
そういえばモサンビーキに寄港した夜、ある女がポルトガル語で歌を歌っていたのを聞いたことを思い出した。記憶が断片的でしかないが、たしかあの島で多くの男たちが奴隷として連れ去られたことを嘆くという、そんな歌詞の歌だったような気がする。
はっきりと旋律を覚えているわけではないが、今日のあの黒い人が歌っていた歌はあの時の女の歌と似ているといえば似ているような気がした。
翌朝、私はヴァリニャーノ師に昨夜見たことをすべて話した。するとヴァリニャーノ師は突然笑いだした。
「ああ、あの小屋に? 夜中に行けば怖かっただろうね」
師は笑い続けている。
そして朝食前に、私をその小屋へと連れて行ってくれた。
「ヤスフェ!」
そう呼ぶと、昨夜見た真っ黒な顔と肌の大男がぬっと顔を出した。
「こりゃ、神父様、おはようございます」
今日もこの男は、白い歯を目立たせて笑っている。
「昨夜は世話になりました」
そこで私も割って入った。そして、昨夜借りたチョーチンを返した。明るい中で見ると、昨日感じていた巨大感はあまりない。でも、やはり大きな体格で真っ黒なのだ。
「ヤスフェ。紹介しておこう。新しく来られた神父だ」
私は故国のやり方どおり、一応手をさし出してみた。ところが男はちゃんとその手を握り返してきて、握手は成立した。
「この男はヤスフェといって、モサンビーキの出身だ。ずっとゴアでもマカオでも、私のそばにいて私の身の周りの世話をしてくれた」
この生身の男を悪魔だと思い、必死で「アヴェ・マリア」を唱え続けていたなんて、いつか必ず笑い話になるだろう。
それからは、私とヤスフェは結構仲が良くなった。彼本人は自分のことを奴隷として連れて来られたと言っているが、ヴァリニャーノ師にとっては奴隷などではなく友人そのもので、接し方も友人という感じであった。
そうこうしているうちに数日が過ぎ、八月も半ばとなった。
私はその間、教会の司祭館から毎日神学校に通い、日本語の習得に力を入れていた。ちょうどこの時期、寄宿している学生たちは夏休みで、学校を出て帰宅する者はおらずそのまま学校の宿舎に寝泊まりはしているものの、授業はない状態だった。その間を利用して、私はバリオス兄より日本語を学んでいたのだった。
かつてヴァリニャーノ師は、師の日本にける宣教方針に関して「どうもご理解いただけない司祭の方もおいでになる」と嘆くように言っていたが、その時は誰と名を挙げて指摘はなかった。
だが、もう隠し立てするまでもなく、その「ご理解いただけない司祭」というのが誰なのか、ほとんど周知の明るみに出ていた。
ヴァリニャーノ師と日本総布教長であるカブラル師との論争はもはや深夜に小声でこそこそという段階ではなく、白昼堂々と皆の前でというところまできていたからだ。
ことの発端は、ある昼下がり、司祭館の一室でヴァリニャーノ師は私とロレンソ・メシア師、そしてトスカネロ兄と共にいた。メシア師がいるので、ポルトガル語だ。四人は木の床の上に足を投げ出して座っていた。
「今日、諸君を呼んだのはほかでもない。ゴアのことなんだ」
それから師は、私を見た。
「コニージョ神父も、ゴアでの福音宣教にはいろいろと問題があるようなことを言っていたね」
「はあ、まあ」
私は見たままを言っただけで、そのように問題視していったつもりではなかったが、師の難しそうな顔を見るとそれ以上は言えなかった。
「コニージョ神父の乗ってきた船でもたらされた報告書や書簡などを見る限り、ゴアにおけるイエズス会は今やぼろぼろだ」
そして師は、年配のメシア師を見た。
「我われがゴアにいた頃はまだ何とかなっていたけれど、今は本当にひどいらしい」
「ヴァリニャーノ神父。ここ数日お元気がないようでしたが、まさか」
「ああ、ずっと悩んでいたよ」
メシア師の問いにヴァリニャーノ師は目を伏せてうなずいた。メシア師は困ったような顔で、トスカネロ兄を見た。
「まさかとは思っていたのですが、やはりゴアに?」
恐る恐る尋ねるトスカネロ兄に、ヴァリニャーノ師はうつろな目を向けた。
「まだ決めかねているのだよ。祈っても祈っても主はお答えをくださらない」
その時、激しい勢いで木でできた扉が横に開けられた。そこには眼鏡の奥の眼光鋭いカブラル師の姿があった。カブラル師は立ったまま、四人を見下ろしている。
「お話中お邪魔しますが、もうお答えは出ているのでは?」
にこりともしない表情だ。
「あなたが来られてから、私のやり方にことごとくケチをつけられ、それだけならまだしもだいぶ私の批判をイエズス会本部に書き送っておられるご様子」
「まあ、カブラル神父、落ち着いてください」
自分の方が巡察師なのだから地位ははるかに上だが、それでもヴァリニャーノ師は自分より年配であるカブラル師を一応は立てていた。それをいいことに、カブラル師はイエズス会総長代行に向かってでさえ居丈高だ。
「あなたはこれまで長年にわたって私がこの国で培ってきた宣教方針を根底から覆そうとなさっている。だが、あなたが独自の現地に順応するなどという生ぬるいやり方を押し通そうとしても、あなたは巡察師だ。いずれ任務を終えられたらこの国を離れるのでしょう? 我われのように長くこの国での福音宣教に従事するために派遣されたものとは違う。だからあなたが何をどう主張されようとも、あなたが任務を終えてこの国を離れたら、あなたの考え方などはあなたの船と共にこの国を出て行って何も残らない。いずれそうなるのであればここであなたが頑張ってもみんな徒労です。だから、無駄な時間を労力を費やさずに一刻も早く、ここは私たちに任せてあなたはゴアに帰られるとよい。ゴアが気になるのでしょう?」
「だが、私は巡察師としての任務を終えてはいない」
「そのようなことはどうにでもなる。適当な理由をつけて報告すればよい」
カブラル師を見上げるヴァリニャーノ師を見下ろしたまま座ろうともせず、すごい勢いで彼はそう言いきった。そこでヴァリニャーノ師はつぶやくように言った。
「あなたならやりそうなことだ」
だが、カブラル師にはよく聞こえなかったようだ。
「今、何かおっしゃいましたか?」
「いや、別に」
「とにかく、ミヤコへの巡回も必要ありません。もし必要とあらば私が代わりにミヤコへもアヅチへもまいりましょう。これは私だけではない。コエリョ神父も同意見です」
それだけ言うと音を建てて扉を閉め、カブラル師は行ってしまった。
ヴァリニャーノ師は苦笑めいた顔で言った。
「どうしようもないお方だ」
足音が聞こえたからもう行ってしまってはいるだろうが、万が一立ち聞きなどしていると困るので、ヴァリニャーノ師は我われ三人をそばに寄せて声を落とした。
「あの方の報告書を調べたのだけれど、粉飾報告もいいところだったよ。この国での福音宣教の成果は、ゼロを一つ多くくっつけていると言っても過言ではない。あ、いや、そこまで言うと大げさか。いずれにせよ、私はこの国に来る前にはあの方からの報告によってこの国での福音宣教は実に順調に発展していると思っていたけれど、ここまで『聞くと見るとは大違い』だとは思わなかった。ゴアもひどいけれど、この国の福音宣教も負けずにひどい」
そしてヴァリニャーノ師は、そっと立ち上がった。
「主は答えをくださらないと言ったけれど、今はっきりお答えを下さいましたな。あのような方にこの国の福音宣教を任せることはできません。ゴアも気になるけれど、やはり私の巡察師としても使命を全うしましょう」
「私もそれに賛成です」
メシア師もうれしそうにうなずいていた。
「あなたがここで日本を離れたら、日本のイエズス会は壊滅ですよ」
私は何も口をはさむことすらできずにいたが、ヴァリニャーノ師が今すぐに日本を離れるという事態はとりあえずなくなったということで、内心ほっとしていたというのが正直なところだ。
だがこの国の宣教は、この国の状況やこの国の人びとがどうのこうのという以前に、我われイエズス会の側にもまだまだ問題が山積みされているということを実感した出来事であった。