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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 10 Il sogno di Naniwa(難波の夢)
78/96

Episodio 2 Pattuglia del capo di vice distretto(準管区長巡回)

                  1


 3月になれば桜の開花も気になるが、我われは四旬節クアレージマの最中なので、復活祭バスクアが終わる前に花が咲いてしまったら、日本の多くの民が行うところの花見ハナミ(桜の花を観賞しつつ開く宴)などはとてもできない。今年の復活祭バスクアは4月6日だから、微妙だ。


 だが、桜のつぼみもほころびかけた頃には、桜どころではなくなった。とにかく気が重く、そして嫌な予感しかしない出来事が迫ってきている事実を3月も中旬を過ぎてから我われは知った。

 まだまだ寒い日が続いていたが、それでもほんの少し春の兆しが感じられるようになっていた頃だった。


 大坂の教会に、一人の青年が訪ねてきた。

 長い旅をしてきたように思われるその服装は、なんと我われの国のマントをはおり、その下は日本の僧衣だった。だが、日本人である。この姿は、我われイエズス会の修道士の格好にほかならない。


「長崎から来たとです」


 応対に出たオルガンティーノ師に、青年は九州の訛りで告げた。私もオルガンティーノ師の背後からその青年の姿を見たが、すぐに思い当たった。


「おお、長崎の教会におられましたね」


 そう言う私を見て、青年の顔はぱっと輝いた。


「いつぞや、都から来られたバテレン様」


 私はすぐにイタリア語でオルガンティーノ師に、この若者は長崎の教会にいた修道士だと告げた。


「そうですか。遠い所をご苦労様です」


「私は洗礼名をダミアンと申します」


「お一人で?」


「はい」


 司祭や修道士は修道会の規則で、旅どころか近所への外出でさえ一人で行ってはいけないことになっている。だが、修道士でも日本人の場合は話は別だ。


「準管区長のコエリョ様の命令できました」


 この名前を聞いた途端に、私は最初の嫌な予感を感じたのである。

 とにかく中へと、オルガンティーノ師は笑顔でダミアン兄を司祭館の方へといざなった。

 

 しばらく休んでもらってから、オルガンティーノ師と私、そしてセスペデス師はダミアン兄の休んでいる部屋へと向かった。ロレンソ兄にも同席してもらった。


「実は準管区長様は、すでにこの都に向かって出発しておられると思います。そのことを知らせに参りました」


「え?」


 私とオルガンティーノ師は、思わず顔を見合わせていた。これが次の嫌な予感であった。

 確かに、かつてヴァリニャーノ師が定めた日本におけるイエズス会の規則では、準管区長は定期的に日本準管区全体を巡回しなければいけないことになっている。

 だが、ヴァリニャーノ師が日本を離れてから三年以上がたっているが、コエリョ準管区長は今まで一度も都布教区を巡回に来たことはなかった。だから、今コエリョ師が都に来るのは当然のことで、むしろ遅すぎたくらいだがなにか気が重い。


「準管区長様は都布教区への巡回が延び延びになってしまったことを気に病んでおられました。なにしろ、三年前から計画していたそうです」


 三年前といえば、あの本能寺事件の翌年、私が最後に長崎に行った次の年である。


「その時は、出発直前に船が盗まれたのです」


 私もオルガンティーノ師も、一瞬ぽかんとした。そんなことが実際にあるのだろうかと思う。


「次の年は例の有馬殿と薩摩との戦いが起こりそうだったので、中止にしました。そして去年はやはり出発間際に薩摩からの使者が来て、長崎のバテレン様は豊後にも都にも行くことは許さぬ。年内に出発すればどこまでも追いかけて、場合によっては殺すとまで脅しをかけてきたのです。殺されてはたまらないとコエリョ師はまたもや断念しましたけれど、日本には『三度目の正直』という言葉がありますように、今度こそはと準備を進めてきました。そして、薩摩からの書状には年内には許さぬとありましたので、日本の暦で年が明けてから、コエリョ様は長崎をようやく出発されました。そしてそのことを都のバテレン様方にお伝えするようにと、私が派遣されたのです。私は山陰道は陸路で参りましたので、正月明けてからの真冬のうちに長崎を出て、すっかり暖かくなったこのごろにやっとたどり着きました」


 今年の日本の正月は我われの2月の半ばごろだった。約ひと月かかって、この修道士は大坂までたどり着いたことになる。


「それはご苦労様です。で、準管区長はいつごろこちらに?」


 ゆっくりと、オルガンティーノ師が聞く。その顔には、どうもいつもの笑顔がなかった。


「一月中旬ごろには出発しているはずです。で、ぜひとも都で復活祭バスクアを迎えたいので、それまでに着くようにしたいとのことでした」


 一月とは日本のカレンダリオであろうからいつになるのかと、セスペデス師がさっと計算して3月上旬であることをポルトガル語で告げた。それで復活祭バスクアに到着となると、あと半月後である。


「準管区長様は三度も悪魔にお邪魔されましたけれど、今度はそれに打ち勝つことができるようにと、都のバテレン様にもお祈りいただきたいとのことでございます」


「悪魔の妨害かな?」


 オルガンティーノ師は、イタリア語の小声でつぶやいた。そして私を見た。私もうなずいた。

 オルガンティーノ師の真意は分かる。三年前に来られていたら、まだ誰が次の天下人か定まらず混沌としていた時である。二年前もしかり。

 今、ようやく関白殿下が天下人としての基盤を形作りつつある。こんな時にこそ、我らが修道会の日本での最高責任者が関白殿に面会するのは好ましいことだと、そう考えているようだ。

 たしかにそれはその通りである。去年までだったらどうにも中途半端だった。


「悪魔の妨害どころか『天主様ディオ』のお仕組みでは?」


 私のその言葉に、オルガンティーノ師はにっこりとうなずいた。

 だが、たとえそうだとしても、やはり嫌な予感はする。あの危険思想の持ち主のコエリョ師を、天下人になったばかりの関白殿下に会わせても大丈夫なのか……

 そしてそれよりも何よりも、私自身があの顔を見るのが何となく嫌だったのである。

 カブラル師はもう日本にいないが、その一派であるコエリョ師とフロイス師はどうも苦手だ。いや、はっきりいって無理だ。だがそのことは、今は心の奥にしまっておいた。


「ご苦労でした。あなたはこのままここで準管区長を待つのですね? どうかゆっくりと休んで、旅の疲れを取ってください」


 明るい微笑みとともにオルガンティーノ師にそう言われたダミアンけいだったが、彼は首を横に振った。


「いえ、一度戻って、どこか途中で準管区長様と合流し、ともにまたこちらに参ります。そういうお言いつけですので」


「そうですか」


 そういうふうに言うダミアン兄を無理に引き留めるわけにはいかない。


「では、せめて二、三日はゆっくりと休んで」


 そう言ってからオルガンティーノ師はまたにっこりと笑い、それにはダミアン兄も従うようだった。



                  2


 はたしてきっちり三日後に、ダミアン兄はまた西へと向かって旅立っていった。

 そうして3月も終わろうとして、その最後の日曜が枝の主日となった。つまり、一週間後は復活祭バスクアなのである。そんな聖週間に入っても、まだコエリョ師が大坂にも堺にも到着した様子はなかった。


 聖週間の火曜日には、ついに4月となった。

 その日である。

 コエリョ師ではない、もっと大それた方が大坂の教会を訪ねてきた。もちろん突然ではなく、その祐筆ユーヒツ、すなわち秘書であって信徒クリスティアーノであるドン・シモン安威アイ殿から直前に知らせは来たが、あまりにも直前過ぎていわゆる突然と変わりなかった。

 慌てて掃除をして準備をするも、まだその途中で坂を登ってくるわずかな人数の行列が見えた。


 関白殿下は人が担ぐきらびやかな輿に乗っており、そのあとに何人かの殿が馬で従っていた。警護の武士サムライたちの人数は、そう多くはなかった。

 いつもなら私は神学校にいる時間だが、この時は聖週間でもあるので学生たちに主の受難と復活についての直接の講義をするためにオルガンティーノ師が神学校セミナリヨの方に行っていた。セスペデス師は、いつ準管区長のコエリョ師が到着してもすぐに迎えられるようにと堺に出向いていた。

 だから私が一人で司祭館にいた時の、突然の関白殿下の来訪だった。


 とにかく慌てて同宿にオルガンティーノ師を呼びに行かせている間も、関白殿下は輿から降りてどんどんと司祭館の玄関の中に入ってきた。

 私がその前にひざまずくと、関白殿下はこれ以上にないと思われるような笑顔で私を見下ろしていた。


「おお、確かコニージョ殿でしたな」


 名前を覚えていてくれた。関白殿下に会うのはこれで三度目だ。最初はまだ織田殿の武将であった頃に姫路で、そして二度目は大坂城建築中のことであった。


「突然で申し訳にゃあ」


「なんのおもてなしの準備もできておりませんが」


「いやいや、突然まいった我われの方が悪い、しかも今日はお忍びだで、気を使わんでくれ」


 私はとりあえず司祭館の応接間の方にお通ししようかと思ったが、関白殿下は勝手に入ってきて言った。


「この南蛮寺の本堂はどこかな?」


 私は関白殿下を御聖堂おみどうへと案内した。すぐそばに付き添っている十代の若者が一人、ほかに五人ほどの殿がそれにつき従っていた。ドン・シモン安威殿の姿もあった。

 御聖堂では祭壇の近くの畳の上に関白殿下が座り、その後ろに同行した殿たちが座ることになった。


「まず、紹介しておこう。こちらは三吉郎殿。実は上様のお子だ」


「え?」


 私は驚いて、気品あるその若者を見た。まだ十代の半ばくらいだろう。織田殿の子といえば織田殿と同じ日に亡くなった勘九郎信忠殿、一度は洗礼を受けることを志しておきながら心変わりし、柴田殿との戦争で亡くなった三七信孝殿、そして三河の領主の徳川殿とともに関白殿下と戦争をした御本所信雄(ノブカツ)殿、この三人しか私は知らなかった。


「他にも私が養子に頂戴したけれど、昨年暮れに亡くなった於次殿、そしてこの三吉郎殿の下に後まだ五人ほどお子はおられる」


 それは初耳だった。だが、この目の前の三吉郎殿よりも下は、まだ成人していないとのことだ。


「そしてその隣の若者が、上様の妹御のお子で熊之丞くまのすけ殿だ」


「織田殿の妹といえば、柴田殿の…」


「いやいや、お市様ではなくほかの妹御だ」


 なんだか織田殿に関しても、知っているようで知らなかったことがたくさんあったようだ。


「いやいやお待たせして申し訳ありません」


 ちょうどその時、オルガンティーノ師が入ってきた。


「おお、これはこれはウルガン殿、ご息災で」


 こうしてみると、オルガンティーノ師と関白殿下はほぼ同世代のようだ。

 関白殿下はあの姫路で初めて会った時となんら変わらず、天下人になった今でも気さくなままだった。寄る年波には勝てず少し老けたように感じるが、かつての織田殿のような威厳はあまり感じない。織田殿とは全く違う方の天下人のようだ。


「時にウルガン殿」


 関白殿下は祭壇の上の十字架像を見上げて言った。


「このはりつけになっている像が、この南蛮寺の御本尊か」


「はい、この天地の総てをお造りになった『天主デウス様』の御ひとり子で、御父とご一体のキリストでございます」


「なぜ裸で磔になっておる? 何か罪を犯したのか? しかもそのような像を、なぜそなたたちは祭っているのだ?」


「キリストは何の罪も犯してはおりません。罪人である我ら人類の総ての罪を一身に背負われまして、十字架に架けられたのです。そしてキリストは死に打ち勝ち、三日後に甦りました。そのことを記念し、祝う年に一度の祭りがあと五日後にせまっております」


「なるほど」


 関白殿下はうなずいて聞いており、同行してきた織田殿のお子と甥御もまた熱心に耳を傾けていた。

 そして驚いたことに関白殿下はすくっと立ち上がり、祭壇の前に座り直すとキリスト像に向かって深々と頭を挙げて礼拝を始めたのである。

 それから、同行してきた殿たちの方を向いて立った。


「そなたたちも聞いたであろう。なぜ、予がこのお像を拝む気になったのか、それはこの南蛮寺のバテレン様方の生活が清く正しく、気品高く、礼節を重んじることを知っているからだ。あの本願寺の坊主どもとは比べ物にならん。坊主どもはどこまでも堕落し、腐敗している」


 それだけ言うと、関白殿下は今度はオルガンティーノ師の方を向いて座った。


「予も今すぐにでもキリシタンになっていいと思っておる。ただ、一つだけ障害があるのは、キリシタンではたくさんの側室を持つことを禁じているということで、それだけは困る。そこをなんとかして頂けたらすぐにでも入信するのだが」


 実は関白殿下は、私が初めて姫路で会った時も同じことを言っていた。よほどそれがひっかっているのだろう。


「いや、決して好色で言っているのではない。たくさんの側室を持って子をなさねば、羽柴の家が危ないのだ。予の最初の子も死に、そして上様から頂戴した養子の於次も昨年(やまい)で亡くした。今、予には子がにゃあで。羽柴の家にとってはゆゆしき事態なのだ。だから側室はたくさん必要なのだ」


 先祖から子孫へという家の縦のつながりを大事にするこの国の考え方は、私もかなり分かってきた。


「故に、その掟をなんとかしてくださらんか。そうすれば、すぐにでも予はキリシタンになる」


 オルガンティーノ師は苦笑していた。またこの話かという感じだ。オルガンティーノ師も、同じことを何度も言われたようだ。


「いや、そればかりは……私が勝手に掟を変えることはできませんので」


 そこへ、同宿が簡単な菓子を持ってきた。


「今はこのようなものしかございませんが」


 オルガンティーノ師が恐縮して言うと、関白殿下は笑っていた。


「いやいやいや、どうぞお心遣い御無用」


 関白殿下は菓子を一つ二つつまみ、先ほどの話を続けた。


「そなたたちの掟を変えることができるのは誰だ?」


「いえ、この掟は昔、モーセという聖者が『天主デウス様』から直接賜った掟です。たとえこの日本のイエズス会のいちばん上の準管区長でも、またローマの教皇パーパ様でも無理でございます」


「なんだか話がよく分からないが、掟を変えられないのなら、残念ではあるがキリシタンにはなれにゃあで」


「あ、そういえばその長崎の準管区長が、間もなくこの大坂にやってまいります。私の上司でございます」


「この日の本のキリシタンの最高地位のバテレンか? いわば大僧正のような方かな?」


「ま、さようで」


「いつ?」


「五日後のキリストの復活の祭りには来ると申しておりましたが、どうもまだ到着しそうな気配がありません」


「途中、難儀をしておるのかの。小西弥九郎に命じて迎えに行かせよう。弥九郎もそなたたちのキリシタンだからちょうどいい」


 関白殿下の海軍の指揮官であるドン・アゴスティーノのことだ。


「それと了佐、その大僧正殿を大坂の城に迎え入れる手はずを整えておけ。そなたもキリシタンだからちょうどいい」


 そのように秘書のドン・シモンにも、関白殿下は命じていた。我われにとってこれは実にありがたい配慮であった。


「その大僧正殿にお会いするのも楽しみだな」


 関白殿下は声を挙げて笑った。


 こうして、約一時間ほど滞在して、関白殿下は帰る腰を挙げた。その間際に、二人の若者、あの信長殿のお子と甥御が関白殿下を引きとめた。


「あのう、殿下。我われ二人、この南蛮寺に残ってはいけませんか?」


「ん?」


「もっとキリシタンのことを学びたいのです」


「そうか。よかろう。そなたら、予の代わりにキリシタンになるといい。まだ若いから、側室を持つなといわても、これからのことになるから問題はないであろう」


 また、関白殿下は大笑いした。

 三吉郎殿はオルガンティーノ師を見た。


「よろしいございますか?」


「もちろん、大喜びです。今度の復活祭に洗礼を受けるためにはもう時間があまりありませんので、今日から早速ここに住みこんで、みっちりと公教要理カテキズモを学んでください」


 彼らは神学校セミナリヨの学生たちとも年齢が近いので、そのまま宿舎に入ってもらうことになった。

 関白殿下は思いがけない置き土産をくれて、上機嫌のまま帰って行った。


 その日の夜から、三吉郎殿と熊之丞殿に神学校セミナリヨにて公教要理カテキズモを私が教えることになった。なにしろ五日の強行軍だ。二人とも実にス直に、そして熱心に教えを学んだ。

 あっという間に木曜日の夜、聖木曜日のミサとなった。だが、コエリョ師が到着する気配はまだ全くなかった。


 そんな時、木曜の午後に大坂に着いた一艘の軍船から降りてきた兵士は、すぐに教会に来た。ドン・アゴスティーノの使いということだった。

 それによると、ドン・アゴスティーノは瀬戸内の海を捜したが、コエリョ師を乗せていると思われる船団は見当たらなかったという。


「海は凪いでおりまして、むしろ東風でした。瀬戸内に入る前にどこかの港で、風待ちされているのではないでしょうか」


 そんなことを、使者は言っていた。あのダミアン兄が割と早く大坂に着いたのは、彼が陸路で来たからだろう。

 コエリョ師が来なくても、まさか待っているわけにもいかず、聖週間の行事は進んでいく。

 次の聖金曜日の典礼、聖土曜日の復活徹夜祭と、コエリョ師が到着しないまま進み、その復活徹夜祭で三吉郎殿と熊之丞殿に、オルガンティーノ師より洗礼が授けられた。

 代父は二人ともジュストに頼んだ。

 霊名は三吉郎殿がペトロ、熊之丞殿が使徒ヨハネとなった。


 翌日の復活祭バスクアでは、二人は白い衣を着て参列した。これかは八日間は毎日、この二人はこの白い衣の姿でミサにあずかる。


「ペトロは、キリストの証人あかしびとです。キリストが洗者ヨハネより洗礼を受け、十字架にかかって亡くなり、そして復活して使徒たちと食事をしたこと、それを力強く証言したという内容が今日読まれた『使徒言行録アクトゥ』の一節です。また、キリストが復活したことを使徒ヨハネが書きしるした『福音書エヴァンジェリウム』が、先ほど読まれました。今日、私たちはキリストの死と復活、そして過越の神秘を祝います。しかし祝うだけではなく、ぜひその証人あかしびととなっていただきたい。お二人の霊名には、そのような意味が込められています。『天主デウス』は上にあるお方、常に上に目をやって『天主デウス』を求め、己を無にしてみ声を聴きましょう」


 オルガンティーノ師は、ミサの中でそのような話をした。

 こうして復活祭バスクアも終わった。

 だが、まだコエリョ師は到着しない。

 そしてジュストの今の領地である明石に新たにできた教会に巡回に出ていた高槻のフォルラネッティ師から、間もなく準管区長の一行が明石に到着するという知らせを受けたのは、もう4月も下旬近くになってからだった。



                  3


 まずはオルガンティーノ師が、修道士を一人連れて明石まで迎えに行くことになった。明石ではフォルラネッティ師が応対してくれているだろう。最近ではフルラネッティ師は高槻をフランシスコ師にまかせ、自身は明石にいることが多い。


「恐らく準管区長は海路なので堺に着くだろう。コニージョ神父(パードレ・コニージョ)も堺に行って、そこで待っていてほしい」


 私はオルガンティーノ師から、そう言いつかった。たしかに私がかつてヴァリニャーノ師とともに初めて都布教区に来た時も、瀬戸内海を航行してきた船は自然と堺に着いた。


「堺ではそのまま、日比屋ディオゴの屋敷に入っていただこう」


 オルガンティーノ師のいう日比屋ディオゴとは、堺の豪商の信徒クリスティアーノだ。城の天守閣や我われの神学校セミナリヨ以外ではこの国では珍しい三階建ての屋敷を持ち、その中に教会もある。さらには常駐のパシオ師の住む司祭館も、ディオゴの屋敷の中に間借りしている形だ。


「なにしろ準管区長は司祭パードレ修道士イルマン、それに学生を多数引き連れ、総勢三十人ほどです。そのような人数を収容できるのは堺の日比屋さんのところくらいしかないでしょう」


 なるほどそうだ。私もかつてヴァリニャーノ師とともに堺に赴いた時に見た、あの日比屋の巨大な屋敷は今でも覚えている。オルガンティーノ師も堺についてはよくご存じのようで、しきりにうなずいていた。


「そてにしても三十人という大人数で来なくてもよさそうなものなのに」


 オルガンティーノ師は苦笑していた。

 私が堺でコエリョ師に会うのはどうも気が進まないが、オルガンティーノ師に逆らうわけにはいかない。シモと都という二つの別世界で別々に暮らしていた相手が、準管区長のコエリョ師である。

 オルガンティーノ師は馬を飛ばして明石に向かった。普通に歩いていけば二日はかかってしまうからだ。すぐに私も修道士とともに堺に向かい、セスペデス師が入れ代わりに大坂の教会の留守番として大坂に来ることになった。


 境までは南に向かってほぼ一本道で、普通に歩いても三時間ほどで着く。馬ならば、もう少し早く着くはずだ。

 やがて、すぐに堀割に区画された港に面した堺の町が見えてきた。その堺の町の中でもひときわ目を引くのが巨大な日比屋の屋敷と、さらにその上に陽光を受けて黄金に輝く巨大な十字架だ。この十字架は、最近になってつけたものだという。


 堺では1月の地震の時は死者が出るほどの被害を被ったと聞いていたが、この日比屋の三階建てはびくともしていなさそうだった。

 その日比屋に一歩足を踏み入れたら、中はかなり賑わしかった。すぐに老人である主人の了珪ディオゴはにこにこして出迎えてくれた。

 商人が愛想がいいのは、どこの国でも同じようだ。そのディオゴとともに、パシオ師も我われを出迎えてくれた。


 一日おいて二日後の昼に、準管区長の船は小西殿ドン・アゴスティーノの船団に守られる形で堺に到着した。

 日比屋の中は準管区長が連れてきた神学生であふれた。そのまま準管区長をはじめとする司祭団は二階の部屋に入ってもらった。

 私もあいさつのため、木の急な階段を上った。

 部屋には、オルガンティーノ師のほかには三人の司祭がいた。中央にいるのはフロイス師、あとの二人は知らない顔だった。

 ほかに修道士も何人かいて、その中の一人の日本人は、かつて大坂までコエリョ師の来訪を告げるために来たあのダミアン兄だ。するとそこへパシオ師が、与えられた個室からコエリョ師を呼びに行って来て、我われが中に入るとすぐにコエリョ師も登場した。

 同時に、何だから紫色の靄がいっしょに入ってきたような気がして、私は胸が締め付けられる思いだった。その紫の靄は、すでにフロイス師からも出ていたのではあるが……。


オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノにはわざわざ明石までお越しいただき、コニージョ神父(パードレ・コニージョ)も大坂から来てくれて光栄です」


 まずは握手をし、それから座りながらコエリョ師は慇懃に言ったが、その顔はにこりともしていなかった。


「予想以上に到着が遅くなった。その話をする前に紹介しておきましょう」


 コエリョ師は我われが初めて見る顔である二人の司祭を示した。


「どちらも三年前、ゴメス神父(パードレ・ゴメス)が来られた同じ船でマカオから来られたディアス神父(パードレ・ディアス)マリン神父(パードレ・マリン)です」


 二人とも三十歳くらいだろうか。にっこりと笑って我われ二人と握手を交わした。


「我われが長崎を出たのが3月6日、それが今日は4月24日。なんでこんなに遅くなってしまったか、フロイス神父(パードレ・・フロイス)から話してもらいます」


 話を振られたフロイス師も、やはりにこりともしない。だが、この人も苦手は苦手だけれど、かつて長崎から都への往復の長旅を共にしたこともあるので。ほんの少しだけは親近感もあったりもした。


「長崎を出てから我われは平戸に着いたのですが、そこも信者クリスタンの多いところでして、準管区長にぜひ復活祭バスクアまで滞在してほしいと懇願されました。でもそれもかなわないので、一週間ほど滞在して平戸を後にし、玄界灘という波の荒い海を東へと進んだのですがずっと向かい風で、なかなか進みませんでした。そして博多を経て、下関シモノセキという海峡の港町に上陸しました」


 フロイス師は昔となんら変わらない様子で、この時も淡々と話していた。


「我われはとにかく復活祭バスクアまでには都に着きたかったのですが、とにかく船は遅々として進まず、御守護で海賊には遭遇しませんでしたけれど、その下関に着いた時は出発してからすでに一カ月近くが過ぎていました。もう4月で聖週間に入っていましたのでそのまま下関に滞在し、泊めてくれた異教徒の民家の一室に祭壇をこしらえて聖週間や復活祭バスクアのミサを執り行ったのです。その地元に一人だけ信者クリスタンがおりまして、そのイネスという女性は二十五年前にトルレス神父(パードレ・トルレス)から洗礼を受けたというのです」


「ほう」


 オルガンティーノ師は目を細めていた。


「そんな古い信者クリスタンの方が教会もなく司祭もいないところで信仰を保っていたのですね」


「驚くのはまだ早いですよ」


 フロイス師は、初めて、そしてうっすらとであったが笑みを浮かべた。


「下関から瀬戸内の海をかなり進んだ岬の先にあった上関カミノセキという港で、我われが停泊する船の中で眠っていると、一層の小舟が夜中に訪ねて来まして、そこには身分の高そうな八十歳くらいと思われる老婆が二人、侍女が二人、そして老人が乗っていました。皆一様に胸からは十字架を下げていましてね、聞くとなんと三十七年前にあのザビエル神父(パードレ・ザビエル)から洗礼を受けた山口の信者クリスタンだというのですよ」


 これにはオルガンティーノ師も私も驚いていた。山口は教会を庇護してくれていた大内殿が倒されて毛利殿の領地となってからは教会もなくなり、司祭も引き上げ、信者たち(クリスティアーニ)も孤立した状態でいたと聞いている。


「だいぶ苦労をなされたようで、あちらこちらを放浪された揚句に異教徒の中での生活で、あちこちで迫害を受け、ようやくあの上関の港町の小領主のもとで生活できるようになったとのことでした。我われの姿を見るとそれはもう、大泣きに泣いて、我われも皆感動してともに泣きましたよ」


 かつて毛利殿は織田殿と敵対していたので我われの会が立ち入ることはできなかったけれど、今や毛利殿は関白殿下の支配下に入っている。関白殿下のお許しが頂けたらすぐにでも山口の信徒の状況を調べに行くことができるだろう。

 ただ、そこのところを準管区長はどう考えているのか……。フロイス師が一人でしゃべっている間も、コエリョ師はただ沈黙している。


「そのあとは塩飽でジョアキムの息子が海軍の長となっていて、我われを迎えに来てくれました」


「ドン・アゴスティーノですね。大坂で洗礼を受けましたよ」


 オルガンティーノ師はにっこりと笑った。


「そうですか。ま、確かに報告は受けていましたね。あのジョアキムの息子が海軍司令官というのも驚きましたけれど、また立派な信徒クリスタンになっていたのもうれしかったです。その彼の本拠地である室津の港に行き、そこで数日滞在して多くの人に洗礼を授け、次に明石でドン・ダリオに会いました」


 フロイス師も懐かしそうにしていた。


「高槻にいたジュストの領地が、今はその明石なのですよね。ジュストはそこにはおらず、大坂だということでしたが」


「はい、毎週大坂の教会のミサに与っています」


「そうですか。それはお会いしたい」


 フロイス師とオルガンティーノ師の会話に準管区長は入れずにいて、少し不機嫌な顔をしていた。

 コエリョ師は都布教区は初めてだ。ただ、彼の場合、不機嫌そうな顔はいつものことである。

 そんな彼が、ようやく口を開いた。


「早速ですがオルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノ、関白殿下とは会見は可能ですかね?」


「ええ、もちろん」


 即答だった。


「ひと月ほど前に関白殿下は、お忍びで突然教会に来られました。復活祭バスクアのちょっと前でした。で、今度準菅区長がこちらに来ると申しましたら、関白殿下をも会うのを楽しみにしているとのことでした」


「おお、それはよかった。関白殿下は高慢で気難しい人だと聞いている。この日本の殿が関白殿下に会うのも難しいともいうが、ましてや外国の司祭などにあってくれるのかどうか心配だった」


「いえ、関白殿下は気さくな方です。私は三度も会っていますよ」


 私は思わず口をはさんでしまった。


「ええ、ふらりと教会を訪ねて来られるような方です」


 だが、オルガンティーノ師がすぐに助けてくれた。


「関白殿下の秘書セクレターリオのドン・シモンが信者クリスタンですので、すべて取りはからってくれることになっています。それまでは大阪の教会で」


「いや」


話の途中で、コエリョ師はオルガンティーノ師の言葉を遮った。


「実は私はこの堺という港が気に入りました。この日比屋もここがそのまま教会になっていて、とても広い。手筈が整うまでここで待ちます」


 オルガンティーノ師が私を見て、小声のイタリア語で言った。


「それはありがたいな」


 私も黙ってほほ笑んでうなずいた。同宿や神学生まで連れて、こんな大人数で来るとは思っていなかったので、大坂の教会に泊まってもらうのにはあまりにも手狭すぎた。オルガンティーノ師もそのへんを心配していたようだ。


「私にとってもここは都合がいい」


 フロイス師が口をはさんだ。


「この日比屋のディオゴとは旧知の仲だし、娘と娘婿に洗礼を授けたのは私だからね」


 少し得意げな言い方がやはり嫌味を感じ、私はどうしてもこの男は好きにはなれないと思った。

 その後オルガンティーノ師とともに私は階下に降りた。階下ではオルガンティーノ師が、ディオゴ、息子のヴィセンテ、そして先ほど話題に出た娘婿のルカスに準管区長一行がお世話になる旨を頼み、礼を申し述べた。


 大阪に戻った我われ二人は、セスペデス師にことの次第を報告した。大坂城にいるドン・シモンにはすぐに同宿から連絡をし、その日は木曜日であったので次の日曜日にミサに与りに来るドン・シモンとミサの後で相談することになった。

 さらにはジュストやドン・シメオン黒田殿も相談に加わってくれたので、話は簡単に進み、一週間後の日曜日、すなわち月も変わって5月の4日の午後に準管区長は大坂城に登場して関白殿下に拝謁するということで、関白殿下にお願いしてもらうよう話はまとまった。

 それまでの一週間、コエリョ師一行は目と鼻の先の堺に滞在していた。大坂にはいないのだが、それでも私には何となく重圧を感じていた。


 そして当日の5月4日、その日は聖モニカの祝日が復活節第四主日と重なっていたが、我われは大坂でミサをあげ、準管区長は堺でそれぞれミサを挙げてから、大坂まで列をなして進んでくることになっていた。


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 この日、空は曇ってはいたが、雨は降っていなかった。

 準管区長の一行は大坂の教会ではなく、まっすぐジュストの屋敷に行くことになっている。そこでまず待機し、案内があって初めて城に入ることになる。


 オルガンティーノ師と私、セスペデス師、ならびにロレンソけいはミサの後の朝食を取った後、コエリョ師一行が到着する時間を見計らって、主日のミサにあずかっていたジュストに案内されてジュストの屋敷に行った。


 実は、高槻ではしょっちゅう高槻の城のジュストの住む屋敷に出入りしていたものだが、彼の大坂屋敷に行くのは初めてであった。だが、ジュストの屋敷は教会から歩いても数分のすぐそばだったのである。

 5月に入って気候は急に暖かくなったがまだ汗ばむほどではなく、この国では一年でいちばんさわやかな季節を迎えていた。

 もはや初夏であった。風が心地よい。折しも我われの進む目の前を、一匹の蝶が横切って飛んだ。


 我われがジュストの屋敷に着いた時には、コエリョ師の一行はまだ到着していなかった。

 だが、先に関白殿下に送るための多くの進物が、大坂城へ運び込まれる前にこのジュストの屋敷には届いていた。本人が行く前に、まず進物を先に贈るのが日本の習慣なのだ。

 進物は何であるのかは分からないが、多くのきらびやかな箱に詰められていた。恐らくは昔都の本能寺屋敷で信長殿に贈ったような、日本人にとっては珍しいエウローパの品々だろう。

 我われがジュストを交えて話をしているうちに、コエリョ師一行は到着した。すぐに、進物が大坂城中へと運びこまれていった。そこで我われは、城内からの案内をひたすら待つだけであった。


 日差しこそなかったが、初夏のさわやかな風の中をここまで来た我われだったが、コエリョ師やフロイス師の顔を見るとなんだか一気に気が重くなった私だった。

 その気が重いまま、我われはジュストの屋敷で小一時間ほど時間をつぶさねばならない。

 やがて案内の武士サムライが玄関に訪れ、我われはやっと立ち上がることができた。すでに時刻は昼近くなっていたと思う。


 そのまま、我われは歩いてジュストの屋敷を後にし、大坂城へと向かった。

 いつも教会の窓から眺めていた巨大な天守閣が、だんだん近くになってくる。

 まずは、幅の広い堀沿いに進み、教会からいちばん近い堀に架かる橋を渡って門をくぐる。案内の武士サムライがいるし、ジュストも同行しているので門番に全く止められることもなく、自由に門に入れた。

 門の中はまだ工事中の部分が多く、多くの人足が小さい石や木材を運んだり、巨大な石を転がしたりしていた。人足とはいっても、そのすべてがこの工事のために駆り出されてきた農民なのだ。

 そのわずかな地域の向こうにまたかなりの幅の広い堀があり、堀の向こうには石垣がそびえている。堀のこちら側よりも、全体的に土地は高い。その高くなっている土地を見るとさらに高い石垣の壁が横たわり、その上に大きな屋根の建物がいくつも並んでいるのが下から見上げられた。その石垣の壁の左端にさらに巨大な姿を天にそびえさせているのが天守閣だ。


 近くで見ると、天守閣はますます威容を誇っていた。各階の壁は上半分が白で下半分が黒だが、その黒い部分に黄金で巨大な文様が入っていた。

 屋根の三角の部分、日本語で「破風ハフ」というが、そこにもふんだんに黄金が使われている。最上階は赤い手すりが付いていて、その下にやはり黄金で何か動物の絵が二頭描かれていた。最上階の壁は安土城と同様に黄金だ。


 やはりこの城は狂気の城だと思う。

 内側の堀の外からそんな天守閣を眺めつつ、堀に沿って天守閣の方へ歩くと堀の内側に行ける橋があった。

 これには驚いた。真っ赤な橋で、屋根付きだ。屋根の中央には三角屋根の楼閣が一つ乗っている。屋根は茶色い木の皮で葺かれ、橋と屋根までは赤い柱に白い壁で、緑の枠の窓がいくつもあった。橋というよりも渡り廊下だ。私は都の東福寺という寺でこのような橋を見たが、東福寺のそれは屋根は柱で支えられているだけで、壁はなかった。

 この橋は極楽橋ゴクラクバシというそうで、「天国パラディーゾの橋」というような意味だ。内部もまた天国のようで、床の橋板は赤く塗られ、渡る人の影が映るほどに光沢を出して磨かれている。柱と柱の間の壁には、窓の他のところには極彩色の絵が描かれ、また天井もきらびやかな装飾がされていた。

 その橋を渡った堀の内側が天守閣のそびえる石垣に囲まれた地域よりは下になるが、そこにもまた巨大な屋根がいくつもあった。

 橋を渡った所の左側に門があって、それをくぐるとちょっとした前庭をはさんで建物の玄関があり、そこに我われは通された。

 案内された部屋までも幅広い廊下で、すべての紙の扉には色彩鮮やかな絵が描かれていた。それは風景であったり人物であったりした。

 見上げると、天井にまで絵が描かれている。天井に絵とはさながらエウローパの宮殿のようでもあったが、ここはそのすべてが木で造られている。

 やがて、一面に畳が敷かれた広い部屋に通された。

 我われはほとんど言葉を失い、思い思いに座りながらも、ほとんど会話はなさずにいた。

 だいぶ時間が経過してから、関白殿下の秘書であるドン・シモンが現れた。


「バテレン様方、今日はご苦労様です」


 そう言いながらも彼は、我われ一人ひとりの名前を確認した。まずは常に彼に接しているオルガンティーノ師やセスペデス師、そして私はいいにして、主にコエリョ師、フロイス師、ディアス師、マリン師、パシオ師の名前を確認し、顔を確かめてから何か紙に筆で記録していた。

 ドン・シモンと入れ替わりに、身分の高そうな殿トノが二人、入ってきた。我われと同行して、ともに座して話をしていたジュストは、すぐに威儀を正した。


「加賀の前田又左衛門と申します」


「丹後の領主、長岡与一郎と申します」


 二人の殿は座ってからそう名乗ったが、私はこの二人ともその名前だけは知っていた。


「実は私ども、ちょうど関白殿下の御前で殿下とお話をしておりましたところ、皆様方がおいでとのことで、皆様方の御進物が届けられました。そして、皆様をただ待たせても申し訳ないと、我われ二人が関白殿下より皆様方の話相手をするよう仰せつかりまして、まかり越した次第でございます」


 そう言って頭を下げた前田又左衛門殿という殿は四十代後半であろうか、長くあの今の関白殿下との戦争で亡くなった柴田殿とともに北の地方を治めていた殿で、織田殿の頃は織田の家の中でも重鎮に近かったはずだ。

 もちろん、実際に会うのは初めてである。オルガンティーノ師やフロイス師でさえ初対面の様子だった。今では能登という国の他に加賀という国も治めているらしい。


 そしてもう一人、まだ二十代と思われる長岡という若い殿は、はっきりいってすぐには思い出せなかった。だが、どうしてもどこかで聞いたことのある名のような気がしていた。

 はっと思いだしたのは、前田殿が主にフロイス師と織田殿の思い出話をしている時だった。

 その織田殿を倒した明智日向の何番目かの娘で、かつて安土の地でオルガンティーノ師に我われのキリストの教えについていろいろ知りたいと言ってきた若い女性がいた。名前はすぐに思い出せなかったが、たしかタマとか言っていたとようやく思い出した。

 その珠が、自分は長岡与一郎の妻と名乗っていた。

 すると、この殿があの珠という女性の夫であるということになる。あれ以来、珠とは会っていない。あのあとすぐに例の本能寺屋敷の事件が起こってしまったのだ。

 本当ならば奥方と会って話したいことがあるし、その奥方は今もお元気かなどと話題に出したいところだ。だが、そのようなことを話題に出せる状況ではないことは明らかだ。

 なにしろ今のこの国では。明智日向という男は主君殺しの反逆者ということになっており、いわばその珠は反逆者の娘なのだ。

 あの事件のために、今もこの長岡殿の奥方でいるのかどうかは分からない。微妙な問題だけにここで話題に出すべきではないことは分かっていた。


 オルガンティーノ師があの時の明智の娘の夫がこの殿だと気が付いているかどうかは分からないが、主に前田殿がフロイス師と話しているので、オルガンティーノ師も長岡殿も黙ってそれを聞いているという形だった。


「こちらの長岡殿は、今でこそ長岡姓を名乗っておられますが、実は公方であった足利家の重臣の家柄、細川家の血を引く方なのです」


 前田殿は、長岡殿をそのように我われに紹介してくれた。もちろん、その妻については触れられることもなかった。


 やがて小一時間ほどそこで雑談をいているうちに、案内の武士サムライが我われを呼びに来た。


「関白殿下がお出ましでございます。どうぞこちらへ」


 関白殿下との会見は、どうも別の場所のようだった。我われは立って、その案内の武士に従う形でまた広い廊下を歩いた。

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