Episodio 1 Terremoto(大地震)
1
「バテレン様、雪ですよ」
私はそんな同宿の声で起こされた。
「雪ですよ、雪!」
さらに興奮した声が部屋の外で聞こえるので、私は布団から跳ね起きた。布団といっても、厚手の着物をかけて寝るのがこの国の寝具だ。もちろん一枚では寒いので、何枚か重ねている。
布団から出ると、確かに部屋の中はひんやりとしていて、いつも以上に冷え込んでいた。
窓を開けてみると、確かに灰いろの空から無数の白い粒が激しく降ってきている。それが地上に積もって大地を白く染めている。私の部屋の窓からは眼下に淀川の流れが広がっているが、その対岸の大地は真っ白になっていた。
川といってもここから見るそれは湖ともいえるくらいの広さだが、その流れは普段と変わらない。この国ではどんな真冬でも、川が凍ったりはしない。湖でも、少なくとも都の地方以南では凍らない。
年が明けてもう半月以上たっていたが、この冬初めての雪だった。
私は寒さにひと震えすると、部屋の中に戻った。急がないとミサが始まってしまう。
ミサの後の朝食でも、当然話題は雪だった。
「今年も雪の季節だな」
日本が長いオルガンティーノ師は、もう雪に慣れているようだ。
「日本のいちばん古い詩集である『万葉集』という本のいちばん最後には、正月の雪のめでたさを歌っている短歌が載っていたはずだ」
なんとオルガンティーノ師は、そんなことまで知っている。
「さすがに布教区長は日本通ですね」
私はそう言ってから、少しつっこみを入れた。
「でも、正月からもう半月以上たっていますし、日本の暦の正月は一カ月後ですけれど」
その時、セスペデス師が苦笑してぽつんと言った。
「雪はもういいですよ」
なぜかと問いかけるまでもなく、誰もがその理由を納得していた。
日本では冬の間中雪に閉ざされる地方もあると聞く。セスペデス師がかつて行っていた越前という土地も、そんな雪国だったのだ。
それに対して私がこれまで滞在したことのある下の地方や豊後、そして都は日本の中でも雪はそう多くはない地方のようで、私は数えるほどしか積雪には遭遇したことがない。
「お国では雪は降ったのですか?」
私は、オルガンティーノ師に尋ねてみた。
「まあ時々は降るけどね。積もることもあるよ」
ローマは全く降らないということはないし積もる時もあるが、そう頻繁ではない。同じイタリアでもオルガンティーノ師は北部のベネツィア共和国の生まれで、アルプスも近い山間の地域だ。ローマよりは降るのだろう。南のナポリ王国では全く降らないと、かつてヴァリニャーノ師からは聞いたことがある。
「雪は降るけれど、地震は少ない」
オルガンティーノ師は、そう言って苦笑した。
「そういえば、昨日の夜、また地震がありましたね」
セスペデス師が話をはさんだ。
「まあ、昨日の地震は小さな地震ですぐに終わりましたけれど、大みそかにも地震があったばかりですし、たとえ小さな地震でもこう頻繁にあるとあまり気持ちのいいものではありませんね」
そんな話をしているうちに雪はもうやんでおり、大地を覆っていた白い絨毯はすぐに溶けてしまった。
オルガンティーノ師の口調も昔のような砕けた感じになっていた。なんだか最近では、私に対しても改まった口調で話をすることが多くなっていた。イタリア語で会話する時も、昔は私を「君(tu)」と呼んでいたのに、今では「あなた(Lei)」だ。
これは決してオルガンティーノ師が私と距離を置こうとしているわけではなく、私を一人前の先輩司祭として接してくれているということだ。
そんな感じで話をしていた翌日、つまり1956年1月18日の土曜日、翌日曜の主日のミサの司式が私だったので、終課が終わると私はすぐに自室に戻って寝床に入った。
異変が起こったのは、うとうととしてようやく眠りに陥りかけた頃だった。
なんだかゴーっという低いうなるような音が聞こえてきたかと思うと、寝ている体の下からどんと突き上げられたような気がした。そして、部屋全体がまずは小刻みに、そして次の瞬間には大きな振動となって揺れだした。
その揺れそのものよりも壁や天井が最初はカタカタと、すぐにガタガタガタと大きく軋む音を出し続けたことで目が覚めたともいえる。
とにかく真っ暗である。暗闇の中で何が起こっているのか、布団をはね上げて畳の上に状態を起こした私にもすぐには分からなかった。
立ち上がろうにも揺れが激しくて立ち上がることもできない。窓枠が激しく音をたて、室内の机や棚などの家具も動きまわったり倒れたりする音が闇の中に響く。
とにかく何が起こっているのか全く見えないということほど、恐怖のどん底に叩きこまれることはない。
「『天主様』!」
私は叫んでから、まずは落ち着くことだと自分に言い聞かせた。立つにも立てないのだし、上から何が落ちてくるかもわからないので、私はもう一度頭から布団をかぶってうずくまった。
部屋は大揺れに揺れている。日本に来る前に乗ってきたあのポルトガル船が、海が荒れていた時に大揺れに揺れていた時のようだ。だがあのような大幅な揺れではなく、小刻みな振動が巨大化したという感じだ。
かなり長い時間に感じられたが、揺れは次第に収まっていった。私の目も、暗闇に少しは慣れていった。慣れたとはいっても光源が全くないことには変わりない。
完全に揺れが止まってから私は、布団から起き出した。床の上にはものが散乱しているようで、闇の中ではいろいろなものを踏んでしまってまともに歩けない。だから発火するための石や、燭台すらどこにあるか分からない。
なんとか手探りで廊下に出た。廊下とて闇の中だ。だが、ほかの部屋からも、皆出てきているようだ。
「オルガンティーノ神父!」
私は叫んでみた。
「おお!」
すぐに返事はあった。その声はすぐそばからのようではあったが、なかなかそちらの方へ歩けない。向こうも歩いている足音は聞こえる。
「大丈夫かい?」
問いかけらたので、すぐに返事をした。
「コニージョです。大丈夫です!」
「私も大丈夫です!」
セスペデス師の声もした。声同士がなんとか歩み寄って、闇の中で互いの体の感触にぶつかったときは、なんとか安堵の息をつくことができた。
「皆さん、こちらへ!」
日本語の叫び声もあった。ロレンソ兄だ。その声の方へ行くと、ロレンソ兄はいつもの白い杖をついているようだ。
「私についてきてください」
離れると見えなくなるので、互いにその服の一部に触れながらつながって、ほかの修道士たちも合流し、司祭館の階段を下って外へと向かった。
「学生たちは?!」
私はそれが気になっていたけれど、この状態では外に出るほか何も出来そうもなかった。
「早く外に出ないと、次の揺れが来ます」
ロレンソ兄はすいすいと歩く。彼は目が不自由であるだけに、明るくても暗闇であっても彼には関係ないのだ。どんなに真っ暗闇でも、普段と同じ感覚で歩いていることになる。
いつもなら自分の部屋から司祭館の外へはすぐに出ることができる、しかしこの時は、なんと長い時間がかかったことか。もちろん履物を捜す暇もなく、皆裸足だった。
外に出ると、これまで感じなかった寒気が一斉に我われを襲ってきた。
しかも、こういう時に限って月のない夜で、外も真っ暗闇だった。ただ、満天の星だけが空いっぱいにちりばめられていたが、星の光などでは闇は照らされるはずもない。
教会のある丘の下には大淀の流れとその向こうの大地が見渡せるはずだが、今はただの闇の渕がそこには広がっているだけで何も見えない。
オルガンティーノ師が司祭と修道士の全員の名前を一人ずつ呼んで返事を確かめ、その安否を確認した。その時、棟続きの神学校の方から、無数の光がざわめきとともに見えてきた。
学生たちも外に出たようだ。
彼らはどうやったのかこの状況の中で火を起こし、提灯という日本の照明器具を持って出てきていた。私はその方へ駆けて行った。
「みんな無事ですか?」
「はい。バテレン様方も?」
「はい」
年長のパウロ三木とのやりとりだった。彼らは何十人もいるが互いに提灯で顔を照らし合って、全員の無事を確認したようだ。
やがて、司祭館の方からも同宿の少年たちが提灯を持って出てきた。
「まずはもう一度中へ入ろう」
オルガンティーノ師がそう言った時である。
また次の揺れが始まった。
全員がその場にうずくまった。暗闇の中であることは同じだが。やはり狭い部屋の中でというよりは、どんなに揺れても少しは安心感があった。
幸い揺れは、建物が崩壊してしまうような大きなものではなかった。
よく地震には火災がつきものというが、なにしろま夜中でもあって、町の方を見てもそこには夜の闇があるだけだ。火災が起こっている様子はない。
我われはもうしばらく外にいたが、とにかく寒い。
「まだまだ揺れは続きますけれど、最初の揺れよりも大きな揺れは、もう来ません。だんだんと小さくなっていきます」
ロレンソ兄がそう言うので、オルガンティーノ師は再度人々に建物の中へ入るよう指示した。
そして自身は私やセスペデス師とともに、同宿から提灯を一つもらって聖堂に行った。中を照らすと祭壇の上のものは散乱していたが、祭壇も十字架も問題はなく、ご聖櫃も無事だった。
その後我われはオルガンティーノ師の部屋でともに過ごした。
「祈りましょう」
互いに布団を肩からかけた状態ではあったが、祈りを捧げた。
日本の布団はこういう時に便利で、本来は着物なのだから袖がついていて、座ったらその袖に腕を通して着ることもできる。
それからも約数十分おきくらいに小さな揺れは続いた。こうなると、眠れるどころの騒ぎではない。互いに口数少なく、布団をかぶって座ったまま、それぞれに祈りを唱えながら時を過ごした。
そのまま三時間ほど経っただろうか、夜半をかなり過ぎたと思える頃に、またかなり大きめの余震が来た。今度は互いに声を掛け合って、頭から布団をかぶって揺れをやり過ごした。
その後しばらくまたそれぞれ祈ったり、話をしていたが、座ったままうとうととしているうちにようやく外は明るくなってきた。
2
明るくなってからもう一度教会と神学校を三人の司祭で回ったが、建物の損傷は全くないようだった。
この日は日曜日で、間もなく主日のミサの時間である。まずは御聖堂をかたずけて、なんとかミサが挙げられるくらいにはなった。
だが、時間になっても城の方からはほとんど人は来なかった。修道士の中には、今はなんとか建物も持ちこたえてはいるが、またいつ余震で倒壊するかもしれないから屋内にいるのは危険だという声もあったが、ミサは外せない。
あの、織田殿が明智に襲われていた本能寺屋敷での戦争の真っ最中にも、至近距離の教会では聞こえてくる銃声は砲弾の音の中でミサは捧げられていた。
予定通り司式は私である。
ミサの準備中にも小さな揺れがあったが、なんだかもう感覚が麻痺してしまっている。
ミサが終わって朝食をとってから、何人かの同宿に大坂の町を見に行かせた。ここから見る限り関白殿下の大坂城はびくともせずといった感じで昨日までと同様にそびえている。火災が起こっている様子もない。
やがて戻ってきた同宿の話によると、大坂の町中はやはり建物のなかにいるのが怖くて多くの人々は路上に出て時を過ごしているというが、目立った建物の倒壊や損傷は見当たらず、けが人も少なくて死者もいないようだとのことだった。
だが昼過ぎには、報告第一号という感じで堺のパシオ師から手紙が届いた。
それによると、堺ではいくつかの商家の倉庫が倒壊し、何人かの死傷者が出たようだとのことであった。
続く高槻のフルラネッティ師からの知らせは、特に異状なしとのこと。そして夕刻には都の教会のカリオン師の手紙も届いた。
都ではいくつかの寺院で建物の損傷があり、おびただしい数の仏の像を並べて祀ってある三十三間堂という寺では、その並んでいる観音の像はことごとく倒れたという。倒壊した民家が若干あるようだが、教会は無事だとのことだった。
大阪よりも都の方が若干被害が大きいことを考えると、地震の震源は北か東の方であるようだ。
また、夜が来た。夏であればもっと多くの人々が路上で過ごすであろうが、なにしろ寒風吹きすさぶ冬の夜だ。建物の中にいるのは怖いし、だけども外は寒いという葛藤に、多くの人々がさらされているようだった。
案の定、まだ宵の口ではあったが比較的大きな揺れが再び大地を揺るがした。昨夜の本震に比べたら小さいが、それでもその本震以来最大級の余震だった。いや、余震と判断する根拠はどこにもない。また別の大きな地震なのかもしれなかった。
二日後、ようやくジュストとジョアキムが教会に来た。
「すぐにでも駆けつけたかったのですが、申し訳ない」
そう言ってオルガンティーノ師はじめ我われ司祭の前で頭を下げるジュストに、かえってオルガンティーノ師は恐縮した。
「お城の方も大変でしょうに、こちらこそ申し訳ない」
「私は実は関白殿下のお供で、近江の坂本におりました」
坂本といえばかつてはあの明智の城で、オルガンティーノ師も私も数日滞在たことがある。本能寺の事件の後、今目の前にいるジュストが明智軍を追い詰めて焼き落としたはずの城だ。今は関白殿下の城としてすでに復興されているらしい。
「関白殿下はとにかく大坂に戻るというので、我われも供をして、昨日やっと大坂に帰り着きました」
ジュストの話では、大坂には各地から次々と被害の報告が寄せられているという。それによると、地震の被害は都より東で甚大だったようだ。
例えば関白殿下がまだ織田殿の一将校だった時に住んでいた城がある長濱は琵琶湖の東岸の安土よりはずっと北だが、城下町ともども城も大損傷だったとのことである。
美濃の大垣もかなりひどかったようだ。セスペデス師にとってはなじみの土地なので、セスペデス師は身を乗り出して悲痛な顔つきでい聞いていた。
なんと一夜にして城がある山全体が崩れて、城は崩壊、城の中にいた殿も家来もその家族も全員が亡くなってしまったという場所もあったという。
さらには日曜日の夜の地震はやはり尾張の地方で起こった別の地震のようで、誘発されて起こったのかもしれない。
話を総合すると、最初の地震の震源は美濃の北の飛騨という地方らしい。
その付近の被害は、都や大坂の比ではないらしい。
想像を絶する大地震だったのだ。
なんと、越前に近い若狭という海辺では巨大な波が押し寄せてはるか内陸部まで及び、あっという間にすべての町も村も押し流して、人々をも呑み込んでいまったというから恐ろしい地獄絵図である。
話を聞いたオルガンティーノ師も、ため息をついていた。
「祈りましょう」
オルガンティーノ師は読みかけ、我われみんな手を合わて目を閉じた。
まずは教会のある都や大坂の被害を最小限に抑えていただいたことを『天主』に感謝し、いまだ苦しんでいる被害に遭った人々の救済と、亡くなった方々の魂の救われを祈った。
その後も地震は毎日続き、翌2月の10日ごろまで地震がない日はなかったほどだった。だが、だんだんと地震の間隔も開き、規模も小さくなっていき、その月の19日に灰の水曜日を迎えて四旬節に入る頃には、ようやくほとんど収まっていた。
その間も多くの人々を動員しての工事は延々と続いて大坂の城もほとんど完成に近くなってきており、それと同時に大坂の町もますます巨大な都市へと発展を続けていた。
さすがに都にはかなわないが、かつての安土などは物の数ではないと言えるほどで、規模の面ではその比ではなかった。
こうなると、関白殿下を直接感じ取ることはできない。今どこにいるのか、大坂にいるのかいないのか全く分からない。ただ、日用のミサにジュストやドン・アゴスティーノ、ドン・シメオンが顔を出せば、関白殿下も大坂にいるということになる。もし大坂を離れるときは、この三人は必ず身近に置いて連れて行くからだ。
不思議なもので、都にいる時と同様にここでもさまざまな情報をくれるのはドン・アゴスティーノの父のジョアキムだった。
それによると、実は関白殿下は今は都にいて、都にこの大坂城とは別に自らの巨大な屋敷を建築するため、その計画の下見に行っているのだという。
「また仰山な人々が普請のために駆り出されますやろな。まあ、関白殿下も花見の頃には大坂に戻って気はりまっしゃろ」
ジョアキムはそう言って笑っていた。なにしろ関白殿下は、ひとところにじっとしていられない性格のようだった。




