Episodio 2 Inaccettabile tentativo di sottodistretto superiore(準管区長の暴挙)
1
こうして御昇天の祝日、そして6月に入ってからの聖体の主日も無事に終え、今年もまた盛大な行進が行われた。
その後で梅雨の時期に入った。昨年は梅雨とはいってもほとんど雨はなく、また年間通して極端に雨が少なかったが、今年は通常通り順調に雨の日は続いた。農作物、とりわけこの国では米にとってまさしく恵みの雨であったに違いない。
そして6月も中旬を過ぎると、ダリオによってまた情報がもたらされた。
ついに羽柴殿は四国の長宗我部殿を討つべく、軍隊を動かし始めたという。
ただ、詳しいことは分からない。ジュストも戦争に関する機密事項を、たとえ親であろうともダリオにそう簡単に事前に何もかも語るはずはない。
ただ、やはりこの国に完全な平和が訪れるのはもう少し先だろうと、我われは日常の祈りの中でさらにこの国の平和と福音宣教について祈っていた。
そんな時、我われはまた大坂のオルガンティーノ師から招集がかかった。下地方からの重要な知らせが入ったようである。
我われは後のことを修道士たちに任せ、フルラネッティ師、フランチェスコ師、そして私のイタリア三司祭は淀川を船で大坂へと向かった。
大坂に着いてまず驚いたのは、まだ淀川の船の上にいる時から行く手に巨大な建造物が見えてきたことだ。あの安土の城の天主閣よりも大きな建物を、私はこの国で久々に見た。
まだ足場に包まれて建築中なのでどのような建物かは分からなかったが位置的に大坂城の中だし、あれほど巨大な建物なので、間違いなくあれが大坂城の天守閣になるのだろうと思われた。
教会ではフィゲイレド師を送って豊前に行っていたパシオ師が戻ってきていた。モレイラ師は豊後の布教区長のゴメス師の命で府内に留め置かれ、府内の学院に配属になっていた。すでにオルガンティーノ師の承諾は手紙によって得ていた。
去年もこうししてオルガンティーノ師の招集があったが、堺を別とすればやはりいちばん近い高槻の我われ三司祭が最初に到着する。
教会の広間でその私を含めた三司祭とオルガンティーノ師、セスペデス師、そしてパシオ師は円座になって座っていた。
「パシオ神父はいつこちらへ戻られたのです?」
パシオ師とは旧知の仲である私が、まずそう聞いてみた。セスペデス師もいるので、ポルトガル語でだ。
「二、三日前に堺に着いて、昨日大坂に来ましたよ。豊後の佐賀関を出港したのが七月6日の土曜日でした」
「え? ちょっと待ってください。今日って7月7日ですよね。しかも、今日は水曜日ですよ」
傍で聞いていたオルガンティーノ師は、なんだか含み笑いをしている。
「まあ、その日付の話は、あとで全員がそろった時にすることにしよう」
オルガンティーノ師は何か知っているようだったが、私は不思議でならなかった。いくらなんでも一日で豊後から大坂に着くわけがない。少なくとも6月の下旬には、パシオ師は豊後を出発しているはずである。
私は隣にいたフランチェスコ師の顔を見たが。彼も黙って首をかしげていた。フルラネッティ師も知らないようだった。
「とにかく、私は12日には塩飽に着きました。なにしろ風が全くないので、船は帆をおろしてずっと漕ぎ手が櫓を漕いでの航行でした」
「ちょっと待ってください。12日って、7月12日?」
「はい」
いぶかしげな私の問いに、パシオ師は涼しい顔で答える。12日といったら六日後だ。
未来である。それなのにパシオ師は、過去形で話した。
そのことについては後で話があるようなので、私は塩飽という地名を記憶の中から蘇らせていた。
瀬戸内海に浮かぶ島だけれど海運の要所で、かつてはそこに警固衆がいて取り調べられたものだ。
「でもそこにはドン・アゴスティーノが手紙を送っていて、私どもはむしろ歓迎されました」
初めて塩飽を通過した時はヴァリニャーノ師とともに、ただただ恐れていた警固衆だが、今はすべて羽柴殿の配下になっているということなのだろう。実質上、海域を支配しているのは、都のジョアキムの息子で水軍の総督であるドン・アゴスティーノ小西殿なのだ。
「たしかその島には、ジュアンという信徒がいたはずですが」
「はい。でもそれだけでなく、ドン・アゴスティーノの家来の信徒もいました。なんでも羽柴様がいよいよ四国を攻めるので、そのための船を集めていたそうです」
羽柴殿と四国の長宗我部殿との戦争も、いよいよ話が具体化してきてしまっている。かつて明智殿がなんとか回避させたいと願っていた戦争である。それが、ついに起こってしまうようだ。
「その家来の方は、ドン・アゴスティーノに会いたいならば船で送るというので、私はその言葉に甘えました。ドン・アゴスティーノは塩飽から十里の日比という場所に艦隊を集める予定だというのです。日比は島である塩飽より北の、本土の播磨の国でした。着いた翌朝・ドン・アゴスティーノはおびただしい数の船を引き連れ、鎧を着た武士たちとともにやってきました。私が彼に会うのは初めてでしたけれど、お若いので驚きました。そしてすべての船には十字架の旗が高らかに掲げられていました。ドン・アゴスティーノは私と修道士に手厚く礼をして、彼らの船で夕食もごちそうになり、翌日はその艦隊で牛窓というところに行きました」
息もつかず、パシオ師は一気にしゃべった。日比や牛窓は私は行ったことがないが、瀬戸内の海の様子はよく知っているので容易に想像できた。
「牛窓はきれいな港でした。何となくローマのような感じがして、海はまるでエーゲ海のようでしたよ」
パシオ師は少し笑った。私は瀬戸内はよく知っているが、逆にエーゲ海は知らない。
「そこからドン・アゴスティーノの本拠地の室津に行って、室津からは足の速い船を提供してくれたので一気に堺に着きました」
「やはり、羽柴様は四国と戦争を?」
フランチェスコ師が聞いた。
「はい。すでに羽柴様はその軍勢とともに、先週の金曜日に堺を通過して南に向かったと、堺の日比屋ディオゴも言っていました。でも、羽柴様はどうも実際には自分で四国へは行かず、岸和田の城で指揮するだけで、総大将として四国に渡るのは羽柴殿の弟の羽柴美濃守様だそうです」
ちょうどその時、都のカリオン師が到着した。
2
皆がそろった所で、早速フランチェスコ師がオルガンティーノ師に詰め寄るように聞いた。
「先ほど話に出た、日付の件ですが」
オルガンティーノ師はゆっくりうなずいて、パシオ師を見た。
パシオ師は言った。
「私も豊後に着いて驚いたのです。私とともにマカオから来た府内のゴメス神父が長崎の準管区長から、ようやく通達を受けたとのことでした。その情報は、もう去年の夏のマカオから長崎に至ったポルトガルの定期船によってもたらされていたようですけれど、なにしろ去年は誰も司祭が来なかったので、話はポルトガル商館の中で止まってしまっていたようです」
まだ、いったい何の話なのか、皆目見当がつかない。ただ、こと日付に関する話ではあるはずだ。
パシオ師は話を続けた。
「去年のナタルの日付が違うということで、商館員と長崎の司祭の間で少しもめごとがあったとか。ナタルの当日に、商館員たちがナタルは十日前に終わっているはずだ言いだして、それでひと悶着あったそうです」
「その先は、布教区長として私が話しましょう。詳しくはすでにパシオ神父から聞いています。いいですか、皆さん、驚かないでください」
オルガンティーノ師は、円座している一同を見渡した。
「実はもう三年も前に、エウローパ本国ではローマを中心に日用のカレンダーが変わっていたのです。そして、ようやくその情報が地球の裏側のこの日本にももたらされたというのが実情です」
司祭たちはざわめきはじめた。
「ご説明します」
オルガンティーノ師のひと言で、ようやくざわめきはおさまった。
「我われはこれまでローマ帝国の時代にまでさかのぼるカレンダーリオを用いていましたけれど、古代ローマ皇帝ジュリオ・セザールがその暦を制定してからすでに千六百年近くたっています。その千六百年のうちには、カレンダーリオにずれが生じてきていたということらしいのです。そこで、今の教皇グレゴリオ十三世がそのずれを修正した新しい暦を制定されて、今から三年前の1582年10月にエウローパでは一斉に暦を切り替えたとのことです」
「ずれとは、どれくらいなのですか?」
フランチェスコ師の質問に、オルガンティーノ師はすぐに答えた。
「十日です」
「それでナタルが十日ずれていたということになったのですね。私はこの日本の暦との差異くらい大きくずれていたのかと思いましたよ。」
フランチェスコ師が笑うと、フルラネッティ師がたしなめた。
「いやいやフランチェスコ神父、笑いごとではありませんよ。約三年近く、我われはエウローパ本国とは十日もずれたカレンダーリオを使っていた。つまり、一昨年と去年は、実際とは十日も遅く我われはナタルを祝っていたことになる。他の聖人の祭日もまたすべて然りだ」
「でも、なんだか変ですよねえ」
思わず、私は口をはさんでいた。
「パシオ神父のお話だと、昨年のナタルは我われは古いカレンダーで祝い、ポルトガルの商館員たちはすでに新しいカレンダーを知っていたからもめたんでしたよね」
「それは」
オルガンティーノ師が話に入った。
「先ほども言いましたように、昨年の定期船ではどなたも新しい司祭は来なかったようです。だから、それを教会に伝える人はいなかったのではないですか。」
「カピタン・モールは?」
フランチェスコ師が聞いた。パシオ師が顔をあげた。
「実は私やゴメス神父が日本に来た時のカピタン・モールがミランダという人でしたけど、去年の二月に一度マカオに戻って、とんぼ返りで七月にまた日本に来ています。同じ人が二回もカピタンとして日本に来るなどこれまでになかった異例のことですけれど、その人の便が改暦の情報を伝えたのだと思います。でも、教会にまでは気が回らなかった。なにしろマカオは例のポルトガルとイスパニアの同君連合で、私がマカオにいた時も大混乱でしたから」
「それでナタルの日付が以前のカレンダー通りだったので、初めて商館員もその改暦の事実を教会に告げたというのが実際のところですね」
念を押すように、オルガンティーノ師がパシオ師に問いかけた。パシオ師はうなずいた。
「今のマカオのカピタン・モールは、ポルトガル人であっても名目上はイスパニアのカピタンですからねえ。まあそういうことでして、我われ日本準管区も急いでカレンダーを改めるようにとの準管区長のお達しが豊前には届いていました。そしてこの都布教区にもそれを伝えるための使者を出そうとして矢先に私がフィゲイレド神父を送って豊前に行ったので、私が都に帰るときに都には伝えるようにと、私がゴメス神父から託されて来たのです」
「すると、我われは諸聖人の祝日もエウローパ本国と三年にわたってずれて祝っていただけでなく、同じ日本の国内でも下とこの都とではずれたカレンダーリオを使っていたということですね」
フルラネッティ師がもう一度、つぶやくように言った。
「でも、フルラネッティ神父様」
セスペデス師が顔をあげた。
「復活祭は月の満ち欠けで決まるから、それだけはずれてなかったのでは?」
「いや、それが」
オルガンティーノ師が話に割って入った。
「今年は問題がなかったのです。日付は違っていましたけれど、日としては同じ日に復活祭を祝いました。ところが復活祭は春分の日を基準にその次の満月というふうな感じで決まりますけれど、その春分の日自体がカレンダーリオとずれ始めたので、今度の改暦になったようです。しかも、従来は厳密に春分の日を起点に数えていましたけれど、ここ最近は春分がいつなのかというよりもあまりにもずれてきたので、三月二十日を春分と固定して復活祭の日付も計算していたのです。さらにそこに月の満ち欠けの要素が入りますからずれは十日で収まらず、去年はなんと一ヵ月近くも遅く我われは復活祭を祝ってしまったのです。復活祭がずれていればそれを起点とする聖霊降臨や聖体の祝日などもことごとく一ヵ月近く後に祝ってしまったことになります」
「ああ」
誰もが頭を抱え込んだ。フルラネッティ師はすぐに祈りを始めた。カレンダーリオがずれていたことを主に詫びているのだろう。
「マカオでは?」
フランチェスコ師が、パシオ師に聞いた。
「私が一昨年にマカオを離れる時点では、まだマカオにもその知らせは届いていませんでした。でも、その後すぐにゴアからの船が来ていれば、マカオのカレンダーリオは変わっていたと思いますから、昨年の復活祭もマカオでは正しい日付だったかもしれません」
オルガンティーノ師が言葉を継いだ。
「マカオもカルネイロ司教様が亡くなってから今は司教座が空席になっています。いろいろ混乱もあるでしょう。つきましてはこの都布教区では明日から、新しいカレンダーリオに移行します」
「すると、どうなりますか?」
私が尋ねた。
「要は、十日早めるだけです。今日は7月の7日ですから、明日は8日となるところですけれど、明日は7月18日になります。曜日は変わりません。明日はそのまま木曜日です」
あまりの急なことに、人々はまだとまどいを隠せずざわついていた。
「皆さん、ご静粛に。実はまだパシオ神父から報告があったのです。それを皆さんに伝えますが、やはりパシオ神父に直接に話してもらいましょう」
オルガンティーノ師はもったいぶっているように言ったが、それだけによほど言いにくい話のようであった。
3
パシオ師はやたらを間を置いてから口を開いた。
「実はもっと重大な、そして困ったことになったという情報があるのです」
パシオ師の顔が急に真顔になったのと、その前置きに誰もが緊張して息をのみ、パシオ師の次の言葉を待っていた。
「実は……ゴメス神父が極秘に入手した情報ということなのですが、都布教区の上長のオルガンティーノ神父はじめ各神父様がたにもお知らせしておくようにと託って来ました」
オルガンティーノ師の眉が動いた。パシオ師は続けた。
「今年の三月に準管区長のコエリョ神父が……」
言いにくそうにパシオ師は言い淀んでいた。それだけに余計に緊張が走り、居合わせた司祭たちのつばを飲み込む音までもが聞こえそうなほどだった。
「去年、ちょうどこの場所で皆さんにお伝えしたことがありましたよね」
「イスパニアのサンチェス神父からの手紙のことですね」
最初に顔をあげてそう言ったのは、フランチェスコ師だった。パシオ師はゆっくりうなずいた。
「あのときは、その手紙を見た準管区長がどのような反応を示したかまでは分かりませんでした。でも、今年の3月……」
パシオ師は言葉を切った。果たしてこの先を言っていいものかどうかためらっているふうさえ見えた。
「あなたはそのことを我われに告げることを、ゴメス神父から託されて来たのでしょう?」
オルガンティーノ師が真顔で言った。
意を決したように、パシオ師は顔をあげた。
「実は今年の3月、コエリョ神父は昨年のサンチェス神父の手紙に応じてなのかどうか、とにかくフィリピーナスのマニラのイエズス会のアントニオ・セデーニョなる人物に手紙を書き送っていたといいます」
「アントニオ・セデーニョ?」
オルガンティーノ師が首をかしげた。
「知っていますか?」
オルガンティーノ師が尋ねたのは、スパーニャ人のカリオン師とセスペデス師だった。二人とも首を横に振った。パシオ師が続けた。
「その人も我らがイエズス会士であることは間違いありません。ただ、修道士なのか司祭なのかもわからない。マニラの布教区長だともいうし学院長だという話もありますが、よく分からない人物です。ただ、コエリョ神父がなぜその人物を知っていたのかも謎です。おそらくはサンチェス神父つながりでしょう」
「で、手紙の内容とは? その前に、ゴメス神父はどうしてその手紙のことをご存じだったのですか?」
オルガンティーノ師も、少し焦っているようだった。いつもの陽気なオルガンティーノ師ではない。
「私もよく分かりません。4月ごろにゴメス神父は一度長崎に行っていますので、その時になんとかその極秘の手紙の内容を知る機会があったようです。一つだけ言えるのは、ゴメス神父はマカオにいた時からイスパニアのシーナに対する武力侵攻には反対でしたから、コエリョ神父が自らその手紙の内容をゴメス神父にペラペラ話したのではないようです」
「そしてその手紙とは」
「はい。その前に、昨年のマニラのサンチェス神父からの手紙の内容を、もう一度反芻して頂けませんか?」
もう一年近く前のことなので、確かに再確認する必要がある。
「少し待っていてください」
オルガンティーノ師は司祭館の自分の部屋に行き、昨年コエリョ師から届いた手紙を持ってきた。その中でサンチェス師からの手紙の内容に触れていたのだ。
「いいですか、かいつまんで申しますよ」
オルガンティーノ師は時々その手紙に目を落としながら、自分の言葉で言った。
「シーナとの和平は期待できないので、イスパニアはシーナを武力で攻撃し、戦争をすることに決めた。シーナ人は説教で改宗させることは不可能だ。だから武力によって占領し、ノヴァイスパニアやインカの時と同じように占領下において宣教するのがいちばんの方法だ。こうして、戦争によってこそ真の平和と真の福音化が得られるので、これは正当な理由のある正戦である」
去年に一度聞いていた内容だが、今あらためて聞くとまた怒りがこみ上げてくる。
これがスパーニャという世俗の国家の方策であるとすればそれは聖職者たる我われが、たとえ怒りを覚えても口出しすべきことではない。
だが、フィリピーノではフランシスコ会だけではなく我がイエズス会までもがこのようなスパーニャの国策の片棒を担ごうとしているのだ。
その証拠に、イエズス会の一司祭がこうしてそのことを、わざわざ書面でこの日本準管区長宛てに告げてきているのである。全くもっておかしな話だ。
「去年は、この手紙を見てのコエリョ神父の反応は分からないとのことでしたが」
「そこなんですよ、コニージョ神父」
パシオ師がいつになく険しい表情で、私に言った。
「つまり、その反応こそ、先ほど私が言ったコエリョ神父からフィリピーナスのマニラにいるイエズス会のセデーニョに送った手紙なんです」
「そうだ、その内容を早くお聞かせください」
フランチェスコ師が焦っているのを隠しきれず、詰め寄るように言った。
「私はその文面を直接には読んでいませんし、コエリョ神父から聞いた内容を記憶をたどって、先ほどのオルガンティーノ神父のように自分の言葉でお話ししましょう」
パシオ師は緊張した面立ちで、一度咳払いをしてから始めた。
「まずコエリョ神父は今の日本のキリスト教界の悲惨さを訴えたようです。このままでは危機的な状況になったとか」
「それは、何を指してそう言っているのだろう」
フランチェスコ師がやはり最初に口をはさんだ。
「おそらく薩摩の島津殿が竜造寺殿との戦争に勝利したことでしょう。あの戦争の時は、私はまだ長崎にいましたから。去年、ここで今のように皆さんお集まりの時にお話ししましたよね」
もちろん覚えている。オルガンティーノ師も一度うなずいたが、それから首をかしげて言った。
「でも、あの戦争は、信徒である有馬のドン・プロタジオと薩摩の島津殿が連合して、竜造寺を降したのでは?」
そこで、私が手をあげた。
「薩摩は一筋縄ではいかないです。薩摩での福音宣教は何度も挫折している。殿が理解を示しても、その地域の風土というか仏教の勢力も強くて、思うようにいかないのです。私は実際に薩摩の地に行って、それを肌で感じました。その後に、亡くなったアルメイダ神父もまた薩摩に行かれたそうですけれども、はかばかしい成果はなかったようで」
「つまり、コエリョ神父は薩摩が教会にとって脅威だと感じているのですね」
オルガンティーノ師の言葉に私はうなずき、パシオ師もまたうなずいた。
「ものすごく危惧感を感じているようです」
「それに」
私が言葉を継いだ。
「これまでは織田殿のお蔭で九州のそれぞれの殿も均衡を保っていたのです。その織田殿がいなくなって、一気にその均衡が壊れて混沌としている様子も、私は一昨年に長崎で聞いてきました。その頃はまだ、次の天下人も決まっていなかった頃です。現に薩摩と竜造寺が衝突した」
「私がこの間までいた豊後でも、大友殿ドン・フランシスコも大変恐れていました。私が日本に来る前のことですから詳しくは知りませんが、かつて大友殿と薩摩も戦争をしたのでしょう?」
パシオ師の言葉に私はうなずいた。
「そうです。それも、織田殿が仲介してなんとか和平を保っていた」
「ですよね。ですから、織田殿亡き後、また薩摩との戦争になるんじゃないかと、ドン・フランシスコも大変恐れていました。いつまた島津が攻めてくるかと気が気でないと。コエリョ神父も同じなのでしょう」
「それで、コエリョ神父のフィリピーナスへの手紙の話は?」
オルガンティーノ師に言われて、パシオ師は少し首をすくめた。
「ごめんなさい。話がそれました。それで、コエリョ神父はそのような状況を訴えて、セデーニョなる人物に、次のような内容をマニラのイスパニア総督に伝えてくれるよう頼んだと言います。その頼んだ内容は……」
パシオ師は一度ため息をついた。
4
思い切ったように。パシオ師は言った。
「その手紙の内容とは……フィリピーナスのイスパニア総督府より日本へ、兵隊や弾薬、大砲、兵たちの食料を満載した三、四艘のフラガータ船を、大艦隊とともに派遣してほしいと」
「なんですと!」
声を挙げたのはオルガンティーノ師だけではなかった。フランチェスコ師も、フルラネッティ師も、そして私も、一様に目を吊り上げた。フラガータ船といえばかなり大型の帆船で、戦争にも使用される。しかも、その船を旗艦とする艦隊を派遣せよというのだ。
「それで、コエリョ神父は何をしようというのですか」
オルガンティーノ師の声も上ずっていた。
「その艦隊で日本の信徒の殿を支援して、異教徒の殿を威嚇し、一気に日本国中の殿の改宗を実現させ、こうして日本の福音宣教かを謀るつもりだということらしいのです」
「ばかな!」
誰もがしばらく言葉を失っていた。場に沈黙が流れた。オルガンティーノ師の顔が青ざめているのが、私にもはっきりと分かった。
「そ、その手紙はもう……」
「はい。日本の商人の船ですでにマニラへ」
「ああ」
オルガンティーノ師は頭を抱えた。
「手紙を送ったということはパシオ神父から先に聞いていましたけれど、まさかそんな内容だったとは……」
目を伏せて首を小刻みに横に振っているオルガンティーノ師のそばで、私の頭の中にはヴァリニャーノ師の顔が浮かんでいた。
今回のコエリョ師の行為は、ヴァリニャーノ師が厳に戒めていたことだ。もし、ヴァリニャーノ師の知るところとなったら、ヴァリニャーノ師は烈火のごとく怒るであろう。
武力でもって脅して改宗を迫るというやり方は、あのインカの地で行われたおぞましい地獄図を再現することになる。そう、ヴァリニャーノ師から頂いたあの本、「Brevísima relación de la destr ucción de las Indias(インディアスの破壊についての簡潔な報告)」の通りにだ。
私もまた激しく首を横に振った。
「いったいコエリョ神父は何を考えていいるのだ。そんなやり方で福音宣教をしても、『天主様』はお喜びにならない!」
そう言ったオルガンティーノ師も興奮していた。
「それで、その手紙の続きには、こうあったそうです。もし日本全土の殿が信徒となれば、イスパニアがシーナに対して戦争を始めた時、日本の殿たちはすべてイスパニアの味方をしてともにシーナに攻め入るでしょうと」
私は夏なのに、全身に寒気を感じ、震えが止まらなかった。今すぐにでも、ヴァリニャーノ師に戻ってきてほしいと思った。
セスペデス師が顔を挙げた。
「もしかしてコエリョ神父は、その軍事力で九州の信徒の殿たちを糾合して、一気に羽柴殿を討ち滅ぼそうとまで考えているのでは?」
「分からない。とにかく、あの人がやろうとしていることは分からない。しかし彼は、準管区長なのだ」
イエズス会の鉄の掟である、上長には絶対服従というのは。だから、本来ならばここで我われが準管区長の行動を非難することも許されないことなのだ。
だが今回のことは、もしイエズス会総長の代行者である巡察師のヴァリニャーノ師が知ったら、大いに叱責するところとなろう。準管区長の暴走を止められるのはヴァリニャーノ師しかいない。しかし、ヴァリニャーノ師は今、日本にいない。
「とにかく、成り行きを見守るしかないだろう」
そう言ってオルガンティーノ師は、悲壮な顔で一同を見渡した。
「マニラのイスバニア総督の方も、どう出るか分からないし」
「あのう」
セスペデス師がオルガンティーノ師を見た。
「イスパニア人の私が言うのもなんですが、おそらく今のマニラの総督府には、そんな要求に応じる余裕はないと思いますよ」
「そうであることを祈ろう」
「オルガンティーノ神父」
私は目を伏せたまま、ぼそっと言った。
「あのときあなたが準管区長を引き受けて下さったらよかった」
そう、確かにヴァリニャーノ師は、一同はオルガンティーノ師を準管区長に推したのだ。だが、オルガンティーノ師が頑なに辞退したので、仕方なくコエリョ師が準管区長になったのだ。
今さらこんなことを言っても仕方ないことは、私にも分かっている。オルガンティーノ師は何も答えず、ただ困った顔をしていた。でも、言わずにはいられなかった。だから、小声の早口のイタリア語で一気に言った。
「オルガンティーノ神父をはじめフルラネッティ神父、フランチェスコ神父、パシオ神父、そして私と、都布教区にはイタリア人の司祭ばかりで、長崎や下はポルトガル人で固めている。やはりイタリア人を幹部たちから遠ざけたかったのでしょうかね、準管区長は」
そんな私の言葉を、オルガンティーノ師は手で遮った。
「まあ、今はそれは言わないように」
オルガンティーノ師も、この時だけはイタリア語だった。
「今はどんどん羽柴殿の家来に信徒の殿が増えているからね。考え方によってはコエリョ神父やフロイス神父のような人をこそ、『天主様』は都から遠ざけなさったのかもしれない」
まあ、そういう考え方もできると、私は口をつぐんだ。
その場はそれで散会となった。
その後、私は衝撃を胸に秘めつつも高槻に帰り、神学校で学生たちとともに暮らす暮らしに戻った。
安土にいた頃はまだ少年だったような学生も、もういっぱしの青年になって後輩たちの面倒を見ている。もうそろそろこの何人かは卒業させて、修道士としてイエズス会に入会させるか、あるいは豊後府内の学院に進学させるかの時期に来ている。
だが、安土以来ずっと苦楽を共にしてきた彼らと別れるのも寂しくはあった。
もちろん、育ち盛りの男の子である。決して終始大人しく落ち着いているわけではない。悪意のないいたずらも多かったし、授業中も騒がしくなることもあった。だが、彼らの目は一途だった。純粋だった。何かを真剣に求めている。
それだけなら、喜ばしいことだ。日本の将来は彼らの肩にあるなどと、きれいごとを言って済ませることもできる。
「こうなってほしい」という型を彼らに押し付けるのではなく、一人ひとりの個性を尊重して伸ばしてあげたい。これがイエズス会の教育の在り方だ。
だが、事態はひっ迫している。世界が大きく動き出しており、その波が日本をも襲おうとしている。今やポルトガルとスパーニャの均衡という安定は崩れた。
きな臭いにおいが漂ってきているし、しかもそれが我がイエズス会の内部、というか日本のイエズス会の頂上からも来ているのだからやりきれない。
さらにつらいのは、彼ら学生がまだそうのようなことを全く知らないということだ。
私は、彼らにこの心の中の葛藤や焦りを悟られないようにと、努めて明るく振る舞って彼らと接した。だから、彼らといる時は楽しかった。
だが夜に自分の部屋に戻ると、また悲しさと寂しさがこみ上げてくる。だから私は、ひたすら『天主』に祈り、主キリストに祈り、聖母マリアに祈った。だが、部屋にある十字架上の主は、何も答えてはくれない。
とにかく私にできること、それはたとえどのような事態になろうとも学生たちを守ること、そしてこの日本を守ることだと思った。
それは私だけではなく、オルガンティーノ師をはじめ少なくともこの都布教区にいる司祭たちの共通の願いだと私は信じていた。
そんな毎日が続くうちに、すぐに神学校は夏休みになった。
郷里が近いものは一時帰郷も許され、遠いものはそのまま神学校に残った。
四国での戦争は、まだ続いているようだ。
ダリオが教会に来るたびに、その息子のジュストから得た情報を提供してくれる。だが、羽柴殿は結局四国には渡らず岸和田にいて、四国の軍を指揮する指示を飛ばしているだけのようだった。
私はある日、神学校の三階の窓から景色を見ていた。
遠くまでよく見える。遥か彼方にはうっすらと山並みが横たわっている。南の方には山はなく、大地の向こうは海だ。
だが海の向こうの四国では、長崎では、フィリピーノでは、そしてシーナ大陸では……いったいこれから何が起きようとして、そしてどのような人々の思惑が飛び交っているのか……。
それを考えるには、ここから見る景色はあまりにも変わらなさすぎる。いつもと同じのどかな風景がそこにはある。そんな景色を見ながら私には祈るほかは何もできない。
景色がのどかなだけに、余計にそれが歯がゆくもあった。
その頃、悲しい出来事があった。
私とともに安土から神学校の学生を連れてこの高槻へ来て、学生たちの世話をしていたシモン・アルメイダ兄が帰天した。
かねてから病弱で、寝込んでいることも多かったアルメイダ兄であるが、ある日容体が急変して天国へと召されてしまったのである。
アルメイダといえば、私とともにマカオから日本に来たあの老齢のアルメイダ師も天に召されたが、アルメイダ師よりもこのアルメイダ兄は遥かに若く、まだ二十八歳だ。
その衝撃と悲哀が癒えぬまま、去年と違ってある程度まとまった雨の降った梅雨も終わって本格的な夏となり、毎日が暑さでうだるようになった。




