Episodio 5 Dottor Belchior(ベルシオール先生)
1
教会に戻ると、我われは協議した。あさって、道三先生が教会に来た時にだれがどう対応するかだ。
乗りかけた船でフィゲイレド師が対応するか、あるいは主任司祭であるカリオン師か……。
「いや、ちょっと待ってください」
ことの次第はもっと重大だと思っていた私は、まず発言した。
「聞くところによると、道三先生はとてつもなく大物であるようですね。影響力もかなり大きいということです。もちろん、学院長のフェゲイレド神父様なら不足はないでしょうけれど、ただ単に道三先生に話をするということにとどまらず、ここはこのように影響力のある方に洗礼をというところまで考えるべきではないでしょうか」
「コニージョ神父、そう焦らなくても」
布団に横になったままの状態で話に参加していたフェゲイレド師も言った。
「いえ、焦っているわけではないのです。これまでこの国での福音宣教のやり方としては、領主クラッセの殿といった方々をまず信徒となすことによって、宣教の輪を一気に領民に広げていくというやり方をとっていました。でも道三先生は、殿と同等の影響力があると拝察します」
「でも、話をするだけなら私でもいいが洗礼となると無理だ。今の寝たきりの私では、まずはミサの司式ができない」
フェゲイレド師が申し訳なさそうに言った。私は、一同を見渡した。
「道三先生のような大物の方に洗礼を授けるのにふさわしい人は、都教区ではただ一人ではないですか」
言わなくてももうみんな分かっているようだったけれど、一応名前を出しておいた。
「布教区長のオルガンティーノ神父以外にはあり得ないですね」
「でも、もうすぐナタルですよ」
モレイラ師が、誰でも分かりきっていることを述べたが、誰もが驚いたような顔をした。
「そうなんですよ。最近、あまりにも月日が早く流れすぎるので、時間の方が追いついていかない」
カリオン師がそう言って、少し苦笑した。
「たしかに今オルガンティーノ神父がこちらに来られたら、大坂の教会でのミサをどうするのかということになってしまいます」
モレイラ師の言うとおりだ。大坂の教会には修道士はたくさんいるが、司祭はオルガンティーノ師だけなのである。そうなると毎日のミサはもちろん、主日のミサも挙げられなくなる。ましてや滞在が長引いてナターレになっても司祭がいないなどということになれば一大事だ。
「私が行きましょう」
セスペデス師が顔をあげた。
「まずはことの次第をオルガンティーノ神父に告げて、神父様に来ていただくことをお願いしないといけない。手紙を書いて同宿に持たせて走らせてもいいが、どっちみち誰かが代わりに大坂にいないと神父様は来られませんから、私がそのまま大坂に残ってナタルのミサも私にお任せ下さるよう頼んでみます」
「お願いできますか」
カリオン師が主任司祭という名目で、セスペデス師を大坂に派遣することになった。単独では行かれないので同行者としてもう一人司祭か、あるいは修道士を選ばないといけない。
「私が行きましょう」
最初はまだ都に来たばかりのパシオ師が名乗りを上げたが、カリオン師は首を横に振った。
「あなたはオルガンティーノ神父の命でこちらに来られたのですから、ここにいるべきでしょう」
そういうことで、結局修道士一人連れて、セスペデス師は馬で大坂に向かった。すでに昼を過ぎていたが、馬を走らせれば今日中には大坂に着く。
私はかつてあの安土までをも馬を全速力で走らせて、午前中に着いた経験がある。安土に比べたら大坂はほんの少しだが近い。もう暗くはなってしまうが、今日中には着けるだろう。
今は一年でいちばん日が短い頃であるが、それはよく晴れている上に昨夜が満月でだったから、少しぐらい遅くなって暗くなってからでも大丈夫だ。それに、馬は全くの暗闇の中でも走れると聞く。
そして翌日、火曜日の夕方にはもうオルガンティーノ師は都に着いた。
途中、高槻に寄って連れてきたということで、日本人修道士のヴィセント兄をつれていた。道三先生のような方に教えを説くには、やはり日本人がいた方がいいとオルガンティーノ師は判断されたようだ。
大坂教会には日本人のロレンソ兄もいるが、さすがに盲目のロレンソ兄を馬で急がせるわけにはいくまい。それに、日本人というのなら都の教会にはコスメ兄という日本人の修道士もいるがヴィセント兄はそれだけではなく、元医者なのである。しかも、やはり医者であり学者としても名高かった府内の学院の教授の養方軒パウロ兄の子息である。
養方軒パウロ兄といえば私が府内で日本語の特訓を受けたあの老人で、懐かしい名である。だから、ヴィセント兄は府内の学院長のフェゲイレド師とは、父の関係でつながりがあるので今回の役は適任だ。
我われはオルガンティーノ師に、昨日のいきさつを簡単に話した。
「では明日、その道三先生が教会に来られるかどうかということですね。まずはそれを祈りましょう。もし来られなかったら、そう遠くないようですからこちらから出向いても構わないのですけれど、それは考えないようにしましょう」
オルガンティーノ師は皆にそう言った。
「それと、ここに来る前に道中でヴィセント兄に話を聞いたのですが、やはり道三先生という方はすごい方のようですね」
オルガンティーノ師がちらりとヴィセント兄を見た。
「そうなんです」
あまりポルトガル語は上手ではないヴィセント兄は、日本語で言葉を続けた。
「もし私がまだ医者だったら、こんな機会はめったにないとそれはもう興奮していたでしょう。日本の医者にとって道三先生のお話を聞くことができるというだけで、これ以上の光栄なことはないのです」
「医者としての腕は?」
オルガンティーノ師のその質問には、別のものが答えた。
「私を見てください」
別室からしっかりと立って歩いて、フィゲイレド師が部屋に入ってきた。それを見て、オルガンティーノ師は目を丸くした。
「フィゲイレド神父! てっきりお休みだと思ったので、あとでごあいさつに伺おうと思っていたのですが」
「いえ、私こそお出迎えにも出ずに失礼しました。あとで私の寝ている部屋へいらっしゃったらごあいさつしようと思っていました。でも今起きてみたら、起きられたのですよ。もう、痛みもありません。さすが道三先生の処方してくれた薬です。腕は確かですよ。私がその証人です」
そう言いながらフィゲイレド師も、オルガンティーノ師を囲んで丸く座っている我われの輪に加わって座った。
「それは何よりです。すべてが『天主』の計り知れないみ仕組みです。そのことを感謝して祈りましょう」
そうして翌日の水曜日、朝のミサが終わり、朝食を食べ終わった頃には、もう教会の門の方が騒がしくなった。
「ご到着です」
同宿の少年が、道三先生の来訪を告げに来た。我われは教会堂とは別棟の集会室で、道三先生を迎えるべく待機していた。
大勢の供のものを連れ、貴人の乗る輿に乗って門を入ってきた道三先生は、まるで殿であった。
その輿が泊まって道三先生が庭で降りるところに、オルガンティーノ師はその場所まで庭を歩いていって出迎えた。
「私がこの都と大坂の総ての南蛮寺の責任者となっておりますウルガンと申します」
流暢な日本語で、しかも日本人の間での通称でオルガンティーノ師は名乗った。オルガンティーノという名前は、日本人にすぐ覚えてもらうのは困難なのだ。
道三先生はオルガンティーノ師に一通りのあいさつをし、集会所棟の広間で我われと対座した。
「まずは、つまらんもんですが」
そして道三先生は二つの箱を弟子に持って来させ、我われの目の前に置いた。日本では他人の家を訪問する際は、必ずこうして何か手土産を持っていくことになっている。
さらに、「つまらないもの」と道三先生は言うが、日本では進物をする際、どんない素晴らしいものでも謙譲の美徳からそのように言うことは、我われはすでによく知っている。「あなたのためにこんな素晴らしいものを持ってきた」と言う我われとは、やはり文化が違う。
二つの箱には、どちらも美しいひもが結ばれていた。その紐を、道三先生は結んでふたを開けた。中には都地方独特の、実に美しい色とりどりの日本の菓子が詰まっていた。
「おおお」
その美しさに、我われは一様に感嘆の声を漏らしていた。
「一つはこちらの南蛮寺の管長と申しますか、いちばんお偉いバテレン様に」
オルガンティーノ師とカリオン師は、互いに顔を見合わせていた。
「カリオン神父、あなたがこの教会の主任司祭なのだから」
「いえ、とんでもない。布教区長を差し置いて」
「いいから」
「いえいえ」
「では、あとでみんなでおいしく頂くことにしよう」
そんなポルトガル語でのやり取りのあと、オルガンティーノ師がその箱を受け取って道三先生に頭を下げた。
「ありがたく頂戴いたします」
「もうひとつは、私がこの間診て差し上げたあのバテレン様になのですが、今日もまずは診察をと思いますさかい、私が直接お渡しします。どちらでお休みになってはりまっか?」
道三先生は立ち上がろうとしたが、その時歩いて部屋に入ってきたフィゲイレド師を見て、道三先生はまた座った。
「おお、もう起きてはりまっか。どんな具合です?」
フィゲイレド師は道三先生のそばに座り、その耳に顔を近づけて大きな声で言った。
「はい。お蔭さまでもう痛みはありません。立って歩けます」
「そりゃあ、薬が効きましたな。やはり胃の臓でしたか。お脈を拝見」
早速という感じで、道三先生は診察を始めた。
脈を計った後、道三先生はフィゲイレド師の胸や腹部、背中などを触診していた。日本の着物と違って我われのスータンは簡単に胸をはだけることができず、たくさんあるボタンを一つ一つ外していかないといけないのでかなり手間取っていた。
「ほんまにもう、痛みはあらしまへんのどすな?」
道三先生は念を押したが、フィゲイレド師は微笑んでうなずいた。
「はい、ほんまです」
道三先生の口真似でフィゲイレド師は言うので、そこにいた我われもみんな笑った。
「それは良かった。薬はまだありますか?」
「はい」
「一応全部飲みきってくださいね」
「え?」
フィゲイレド師は口をゆがめた。
「苦いんですが」
「日本には、よう効く薬ほど苦いいう諺がおます。あとは、柔い食べやすいものを食べておくれやす」
今日の診察はこれくらいだった。
「時に、道三先生」
その様子を見ていたオルガンティーノ師が、声をかけた。
「診察のお代はいかほどでしょうか」
どうも聞こえていないようなので、同じことをフィゲイレド師が道三先生の耳元で繰り返した。
「いえいえ」
驚いたことに、道三先生は首を横に振ったのである。
「私は今日は診察のためというよりも、バテレン様方から正式にキリシタンの教えを戴きに参りました。あなた方は私を先生と呼ばはりますが、むしろあなた方の方が先生どす。そやさかい、診察代も薬代もけっこうでおます」
なんと、全く無料で診察してくれるのだという。
しかも、我われはそのつもりではいたがなんと道三先生の方から、正式に公教要理を学びたいと言うのだ。
オルガンティーノ師はすぐにうなずいた。そして自ら道三先生のそばに歩み寄って座り、その耳元に口を近づけた。
「ありがとうございます。あなたに『天主』のお恵みが深くあることを祈ります」
こうして道三先生からの申し出により、早速公教要理のお伝えが始まった。
2
お伝えの場所は集会棟の二階の小さな部屋で、寒くないように既に日本の暖房器具である火鉢を置いてある。
日本の家屋は暖炉がないので部屋の中に一抱えほどの器を置き、その中で炭を焼いて暖をとる。
主に講義をするのは日本人修道士のヴィセント兄とコスメ兄であった。
ヴィセント兄はこのためにわざわざオルガンティーノ師が高槻から連れてきたのであって、その父のパウロ兄ともども医師の経験があることから道三先生と話が合いそうだった。
だが、すでに四十代のヴィセンテ兄は実際には道三先生をあまりにも畏敬しきっているようで、かなりの遠慮が見られた。
その点、コスメ兄はまだ二十代で修道士になってから日も浅く、医師でも何でもないので、逆に遠慮なく道三先生に接することができると我われは考えた。
ただ、修道士二人に任せきりというのまずいので、その講義の部屋にはオルガンティーノ師も同席することになった。また、道三先生の弟子も三人ばかり同座していた。
修道士たちは道三先生が耳が遠いということはすでに知っているので工夫して、口頭で講義するだけでなく、書台に紙と筆を持ちこみ、ヴィセント兄が話した内容をその場でかいつまんでゴメス師が紙に文字で書いて示すという。
あとで聞くと、道三先生もその講義内容を自らも紙に筆で記録していたようである。
講義はまる一日に渡っていたが、夕刻になって道三が帰ると言うので、都の教会のカリオン師やモレイラ師、そして私とパシオ師も見送りに庭まで出た。
さほど遠くはないので一度道三先生の屋敷に戻っていた大勢のお付きの弟子たちも、輿とともに迎えに来ていた。
「この続きですが」
講義は、一日では普通は終わらない。もし洗礼を受けるとなれば三日ほどかかって公教要理を学ぶ必要がある。
「明日一日おいて、あさってでもよろしゅうおすか?」
道三先生からの申し出だ。
「明日は何かご用が終わりですか?」
オルガンティーノ師の問いに、道三先生は首を横に振った。
「いえ、そうではありません。今日教えていただいた内容を深く吟味し、よく理解するために明日一日我が屋敷にて学び直したいのでございます」
つまり、よく復習してから次の内容に進みたいということのようだ。
オルガンティーノ師はそれを快諾した。
そして二日後の金曜日、道三先生は約束通り朝のミサの後で朝食を食べ終えた頃、多くの供をつれてやってきた。
フィゲイレド師はもうほとんど回復しているので診察はあまりなく、すぐに一昨日と同じ形で講義に入った。
その前に、道三先生は我われに紙の束を差し出した。
「一昨日の講義の内容を自分なりにまとめてきましたさかい、お目をお通しになり、間違えて記録した所などないかどうか見てくれはりまっか?」
道三先生がそういうのでカリオン師が受け取り、二人の修道士とオルガンティーノ師によって別室で公教要理のお伝えが行われている間、残った我われでその記録を披見した。
道三先生はこれをまとめるために、昨日は講義を一日休んだのだろう。
この書類は自分のための記録をさらに写したもので、教会に提出するといういわば講義のラポルトであろう。
それによると道三先生は一日の講義で、この世はただおひと方の創造主によって創造され、現在も全世界のもろもろの事象を運行してくださっていること、また我われ人類の霊魂は不滅であることなどをことごとく理解したことが示されていた。それが日本語で、実に分かりやすくまとめられている。
「これは我われの福音宣教にも使えますな」
フィゲイレド師がそうつぶやいた。
「これは」
カリオン師が目を止めた個所には、こう書かれていた。
「異教徒は傲慢なれば耶蘇基督の御受難を嘲笑すべきも予は之を以て『でうす』の深く且高き御計らひ也と為す者也」
それは日本語でも文章を記す用語で書かれていた。日本語は話し言葉と文章語では全く別言語といっていいほど言葉が違う。
「異教徒は傲慢だからイエズス・キリストの御受難を嘲笑するに違いないが、私はその御受難をこそ『天主』の高くて深いみ意であると考える」
カリオン師がそれをポルトガル語に直して読んでくれた。そして感嘆のため息をついた。
「第一コリントですな」
私も、そしてその場にいた誰もがすぐにその該当箇所に思い当たった。使徒パウロのコリントの教会への第一の手紙の第一章にある。
――ユダヤ人は徴を請い、ギリシャ人は智慧を求む。されど我らは十字架に釘けられ給いしキリストを宣べ伝う。これはユダヤ人に躓物となり、異邦人には愚となれど、召されたるものにはユダヤ人にもギリシャ人にも『天主』の能力、また『天主』の智慧たるキリストなり――。
まさしくその個所と同じ内容のことが書かれていたのである。
そのうち、夕方になってその日の講義も終わった。そして階下の広間に降りて来るとすぐに、オルガンティーノ師がカリオン師に道三先生を御聖堂に案内するように言った。
「道三先生ご本人からのたっての希望で、御聖堂で祈りを捧げたいとのことだよ」
そういわれてカリオン師が、続いて降りてきた道三先生を別棟の三階建ての楼閣の一階にある御聖堂へと案内して行った。残った我われはオルガンティーノ師と二人の修道士に、道三先生のラポルトを見せた。
「ほう、これは」
オルガンティーノ師も目を丸くしていた。
私は例のカリオン師が見つけた個所を示し、修道士にその「第一コリント書」についての講義もしたのかと聞いてみた。彼らは首を横に振った。
すると道三先生は独自の見解で、聖パウロと同等の理解に達したということになる。
「これ、写させてください」
ヴィセント兄が、興奮して叫んだ。
「公教要理をこのように日本語で分かりやすくまとめたものって、まだこの国にはないのではないですか? 私の父でさえ、このような簡潔にまとめたものは日本語では記していないのでは? そうですよね、フィゲイレド神父」
「たしかに、お父君のパウロ兄も、聖人伝などを翻訳しておられるがここまで簡潔にはまとめておられない」
豊後で、ヴィセント兄の父である養方軒パウロ兄をよく知るフィゲイレド師もそう言う。
「私はぜひこれを高槻のキリシタンの皆さんに読んでもらいたい」
「私も一部ほしいです」
パシオ師もそう名乗り出た。
「堺ではまだ信徒になっていない未信者の方に見せて、ぜひ福音宣教につなげたいと思います」
「大坂にもほしいな」
オルガンティーノ師が笑いながら言った。
「まあ、大坂にはジュストという歩く公教要理がいますけどね」
「たしかに」
ジュストを知っているものは、ここで一斉に笑った。
道三先生が帰ってから、カリオン師が御聖堂での道三先生の様子を話してくれたが、なんと祭壇の前に恭しく畏まり、十字架のキリスト像に長く沈黙で祈りを捧げていたという。
「もう、ほとんど信徒だと言ってもいいくらいですね」
パシオ師が無邪気に言う。だが、彼は知らないのだが、ほとんど信徒同然と思っていた人物への苦い思い出が我われにはあるのだった。
3
翌日の土曜日は、また例によって道三先生は教会に来るのを休んだ。また、ラポルトを認めているのだろう。
だが、一日おいて来るとなれば主日となってしまう。待降節第三主日で、司式司祭はバラ色の祭服を着るいわばバラの主日だ。
待降節の主日では唯一オルガンが奏でていい日だが、残念ながら都の教会にはオルガンはない。高槻の教会では、高らかにオルガンが奏でられているであろう。
「オルガニがなくても私がいればいい。なぜなら私はオルガンティーノ」
オルガンティーノ師は高らかに笑う。それで皆も明るく笑ったが、私にとってはどうも前に聞いたことがあるような冗談だった。
だが、ポルトガル語ではオルガーノはオルガニになってしまうから少し苦しい。
「ただし、ペペロンチーノではない」
この冗談は逆にここでは私とパシオ師、つまりイタリア人しかわからない。だからオルガンティーノ師は、これだけはイタリア語で言った。
そんな陽気なやり取りで笑っていたが、道三先生にはその次の日の月曜日に来てもらうことになった。
そしてその前の、第三主日のミサの前、ある情報がミサに与るためにやってきたジョアキムを通して教会へももたらされた。
ジョアキムはミサが終わるとすぐに集会室棟へやってきた。
「やっと戦が終わりました」
我われの顔はぱっと輝いた。
「どちらが勝ったのですか?」
モレイラ師が、身を乗り出した。私もそれが気になっていた。この戦争の結果によって、次の天下人が誰になるか決まるのではないかという予想は十分にできたからである。
「羽柴様と御本所様は和議を結びました。羽柴殿が示された講和条件を御本所様は呑んで、和議が成立したいうことです」
つまり、どちらが勝ってどちらが負けたというわけではないようだ。しかし、亡き織田殿の次男である御本所殿はもはやその父を継いで天下人になる望みは断たれ、今後は一人の殿としてわずかな領国を治めていくことになろう。
「で、徳川殿は?」
カリオン師が聞いたが、実はこちらの方が気になる存在である。
「同盟者である御本所様が羽柴様と和議を結びはったさかい、もはや徳川殿に戦を続ける大義はありませんわ。そこで和議は結んでへん状態ですけど、とりあえずは軍勢を引き上げて本国の三河へと戻りました。そこで羽柴様も武装を解除し、大坂へ戻らはる途中で今この都にいてはるいうことでんな」
「戦争は終わったと思っていいのですね?」
私が念を押した。ジョアキムはうなずいた。
だが、羽柴殿と徳川殿はもう戦争はしていないにしろまだ講和はしていないのなら、敵対関係は解除されていないことになる。
そしてその羽柴殿がこの同じ都にいるというが、全くそんな気配は感じられない。それほど都は巨大だということになろう。
いずれにせよ、あと一週間後のナターレまでに一応世の中は平和を取り戻してくれたようだ。羽柴殿も徳川殿も未信者だからナターレのための休戦というのはあり得ないが、自然とそういうように世の中が動いたのも『天主』のみ摂理かもしれない。
キリストの誕生を羊飼いに告げた天使たちは、「天のいと高き所には『天主』に栄光」と歌った後、「地には善意の人に平和あれ」と歌った。だから、ナターレは平和なのである。
敵があるのなら和解しなければならない。被造物である以上、信徒かそうでないとかは関係ないのである。
その時である。ミサが始まるまでにはまだほんの少し時間があったが、驚いたことに戦場にいるはずのジュストが都の教会に現れた。
しかも私がちょうどジョアキムと話している最中に到着した形だった。
「おや? コニージョ様。今日は高槻ではなくこちらに?」
その声を聞いて顔を出したオルガンティーノ師の姿も見て、ジュストはさらに驚いていた。
「ウルガン様までこちらに」
「はい。少し事情がありまして」
オルガンティーノ師はそれだけ言って笑っていた。そしてカリオン師やモレイラ師も次々に出てきてジュストとあいさつを交わした。パシオ師も何ごとかと顔を出した。
私はすぐに、パシオ師にジュストを紹介した。
ずっとジュストと会いたがっていたパシオ師だが、突然にその願いがかなって感激し、パシオ師はジュストとしばらく話していた。
その合間を見て、私が気になっていたことを聞こうと口をはさんだ。
「そういえば、戦争はなんとか終結したと聞きましたが」
私は今、ジョアキムから聞いたばかりの情報をジュストに確認した。
「はい。ただ、徳川殿との講和はまだですが、御本所様が我われと講和した以上、徳川殿には戦を続ける名目がございませんので三河へと帰って行きました」
「羽柴殿はすぐに大坂に戻られなかったのですね」
「実は羽柴様は昨日朝廷より呼ばれまして、宮中に参内しました」
つまり、帝の宮殿に伺候したことになる。
「羽柴様は朝廷より正式に、権大納言の位を頂戴されました」
「へ? へえ?」
それを聞いて驚きの声をあげたのは、ジョアキムだった。私もその官職名には聞き覚えがある。
昔、私が初めて都に来た時に、柳原というそんな官職の貴族と会ったことがある。その時聞いた説明では、権大納言とは大臣に次ぐ高い地位で、我が国のグランデ・コンシリエーレに相当する。
織田殿は右大臣であったが、その一つ下の権大納言に任じられたということは、羽柴殿ももはや武士や殿ではなくなく貴族になったということだ。
つまり、御本所様や徳川様との戦争も終わったということで、織田殿にあと一歩のところまで追い付いたということになろう。
「こりゃもう、羽柴様が天下人になられることは明らかでおます」
ジョアキムは少々興奮していた。
それにしても、昨日も一日静かで穏やかな都だった。その一角で歴史的大きな事件が起こっていたのに、これまた全く普段着の顔をしていた都に、私は先ほどにも増してさらに巨大な町だということを痛感した。
「高山様、お蔭さまでうちのせがれも洗礼の恵みを頂きました。すべて高山様がお導き下さったおかげと聞いております。真にかたじけない」
「礼には及びませぬぞ、小西殿。ご子息は今や羽柴様の配下でも抜群のお働きで、羽柴様もお気に召しておられます」
それから三人で少し雑談をした後に、思い出したようにジョアキムが私に聞いた。
「ところで、腰を痛めてはりましたバテレンさんは?」
「ああ、すっかりよくなりましたよ」
カリオン師がうれしそうに報告した。
「さすが道三先生や。間違いおまへんどしたやろ」
「確かに。いい先生を紹介してくださいまして、ありがとうございます」
「時に、その先生はあれから二回もこちらに来られて、キリストの教えをまる一日中聞いていかれました」
「へ?」
モレイラ師の話に、ジョアキムは目を丸くした。
「あ、あ、あ、あの道三先生が?」
「はい」
「ちょっと待ってください。道三先生って、まさかあの曲直瀬道三先生ですか」
ジュストも驚きを隠せずにいたようだ。ジュストにとっても道三先生の名は既知のもので、やはりそれだけ偉大な方なのだろう。
私は手短に、今道三先生が公教要理を聞きに教会に通っていることをジュストに告げた。ジョアキムも驚いたままだ。
「いやあこれはえらいこっです。もし洗礼を受けはるなんてことになったら、こりゃすごいこっですぜ。あの羽柴様がキリシタンになったりするのと同じくらい、いやそれ以上の影響力がありますよってな」
「たしかに、千人の受洗よりも道三先生お一人の受洗の方が影響力は遥かに大きい」
ジュストもうれしそうだった。
そんなやりとりを傍で聞いていて、我われはすごい人に今教えを伝えているのだなと私は感じていた。
翌日、月曜日にはこれまで通り、オルガンティーノ師と二修道士で講義に入り、ほかの我われはまたもや道三先生が書いてきたレポルトを感嘆しつつ読んでいた。
夕方、講義が終わった。
またもや御聖堂で祈りを捧げた道三先生は、戻ってくるやまた突拍子もない頼みごとをした。
「三日間にわたってイルマンの方から教えをお聞きしましたが、できればそのようなキリシタンの教えを記した書物がありはしまへんやろか。それを拝見したい」
そういわれても困る。さすがにオルガンティーノ師も小首をかしげた。
「実は、申し訳ないのですが、一応そういった書物はあることにはあります。でもみんなポルトガル語か、あるいはラテン語で書かれています。まだまだ日本語で書かれたものはないのです」
オルガンティーノ師がそう話している間に、私はかつて今は高槻にいる神学生たちが時々使っていた図書室の本を二、三冊持ってきて、道三先生に見せた。
「今、オルガンティーノ神父が言われたように、こういった本しかないのですよ」
道三先生はそれを手に取ってめくっていたが、自分が全く知らない文字と言語で書かれているので、少しため息をついてそれを私に返した。
「今、豊後の国で大急ぎで日本語で書かれた本を作成中ですので、しばらく待ってください」
フィゲイレド師も申し訳なさそうに、道三先生の耳元で言った。
「いやいや、お気になさらずに。私も一刻も早く、日本語で書かれたキリシタンの教えの本を待ち望んでます。つきましては」
次の道三先生のひと言で、教会内に一段と『天主』のみ光がさした。
「私に洗礼を受けさせてくれませんやろか」
もちろん、オルガンティーノ師は二つ返事だった。日にちは追って知らせるということでとりあえず道三先生には帰って頂いたが、問題はそこからだ。
まず、いつを洗礼式とするかだ。
一般的な復活徹夜祭ではあまりにも先すぎる。となるとナターレの昼のミサが適当だが、それでも一週間も先で遠すぎると感じる。道三先生をもはや信徒同然と何も知らないパシオ師は言ったが、我われにはその言葉がトラウマとなっている。
かの織田殿の三男の三七信孝殿が、まさしくそれだった。ほとんど信徒同然と思われた彼は、洗礼を先延ばしにしている間に悪魔に入られ、洗礼を受けることもなく悲惨な最期を遂げた。
道三先生は殿ではないから同じようなことにはならないとは思うが、羽柴殿以上に影響力もあるとドン・ジョアキムが言っていたくらいの大物だから、なんとか入信を阻止しようとする悪魔の働きが入るかもしれない。だから、早いに越したことはない。
オルガンティーノ師も、そのように考えているようだ。
「今度の日曜日、第四主日に洗礼を授けよう」
今年はその週の木曜日がヴィジーリャ・ディ・ナターレだから、いわば今年のナターレの幕開けの日と言っても過言ではない。
待降節の主日に洗礼式というのはあまり聞かないが、しかし例がないわけではない。そもそも、洗礼は御復活で行い、その時以外の洗礼はしてはならないなどという決まりは一切ない。
すぐに同宿を走らせ、次の日曜日に洗礼を授ける旨を道三先生に伝えさせた。
そして当日、20日の日曜日、我われはミサの前に緊張して道三先生の到着を待った。
道三先生への洗礼はミサの司式をするオルガンティーノ師が授ける。そして代父はフィゲイレド師だった。
やがて道三先生も到着し、オルガンティーノ師の司式でミサが始まった。そのミサの中で、道三先生の洗礼式も無事行われた。道三先生は代父のベルシオール・フィゲイレド師の名前をもらい、その霊名はベルシオールとなった。
もちろん守護の聖人はあの東方三博士の一人のベリシオールだ。
以後、ベルシオール先生とお呼びすることになる。
その翌日の昼間、昨日洗礼を受けた道三ベルシオール先生の弟子が教会を訪れてきた。
ベルシオール先生が公教要理の講義を受けていた時に、常に同席していた先生の弟子の中の一人で、今日はベルシオール先生の使いだということだった。
ベルシオール先生はキリストの教えを三日に渡って伝授頂き、洗礼まで授けてくれたお礼にと、なんと銀塊をその弟子に託してきたのだった。
オルガンティーノ師は最初は固辞したがどうしてもということで、それは教会への献金としてありがたく頂戴することにした。そしてそのままその弟子は、未信徒ながらもナターレの前夜ミサに与って行った。あくまでベルシオール先生の名代なのだそうだ。
4
そうして、ヴィジーリャ・ディ・ナターレの夜を迎えた。
私にとっては、都の教会で迎える初めてのナターレだ。
もちろん、パシオ師にとっても言うまでもない。そのパシオ師は、モレイラ師が司式した最初の日没後の前夜ミサの後、どうも物足りなさを感じているようだった。
それはイタリア半島の教会ならナターレには必ず設けられるキリスト生誕の馬小屋のプレゼーピオがないということだけではない。パシオ師が感じている思いは、私にとってもも同じだった。
「都では、この教会の中だけがナターレなのですね」
確かに、鋭い意見だ。
私も日本に来て最初のナターレを迎えた豊後ではそこそこ信徒もいた。最初だからよく分からなかった。
だが翌年の大村は領民すべてが信徒とあって、町中挙げての盛大なナターレで、その次の年の高槻もそうだった。
だが去年の大坂、そして都はナターレのミサが行われている教会を一歩出れば、そこは全くの未信者たちの町なのだ。彼らにとってはただのいつもと変わらぬ日常が、ナターレとは全く関係なしに普通に営まれていた。
国中こぞってナターレを祝うエウローパとは全く違う。
そして長崎や高槻、大村とも違う。
大村では四回あるミサを年齢別に振り分けた。高槻では御聖堂に信徒は入りきれない状態で、教会の前の広場までが参列者でごった返した。
だが都ではそれほど大きくない聖堂に、ナターレといえども信徒は普通に入りきれていしまう。何だか毎週の主日のミサを、ただ夜にやっているというだけの感じですらあった。
「長崎ではローマやリスボンと同じで、みんな大騒ぎでしたけどね」
あまりにも静かなナターレの夜に、パシオ師ははつぶやくように言った。
たしかに大村でもそうだった。最初の日没後の前夜ミサと深夜ミサとの間の夜に、断食も明けたことから人びとは教会や開放された城内で宴を開き、日本人の信徒たちによる聖劇も大盛況だった。
「長崎では町も大騒ぎするわけではありませんが、どの家も深夜まで明かりがともって、そのまま夜半ミサには皆大勢の人が集まりました。フェスタで大騒ぎしていたのはポルトガルの商館員たちですが」
パシオ師は苦笑混じりに言った。本来はミサの時以外は家族で祝うナターレだが、商館員たちは我われ聖職者とは違って家族を残して遠いこの国まで来ているのである。ナターレくらい騒ぎたくなる気持ちは分かる。
だがそれと対照的に、都では教会の外の町は全く明かりが消えてあまりにも静かすぎるいつもの普通の夜だった。
私は複雑な気持ちだった。
カリオン師司式の夜半ミサに続き、ナターレ当日の早朝のミサは私の司式になった。
私は昨夜考えたことを説教の中で述べた。
「都では、教会の周りの町の人々にとっては全く何もない普通の夜を迎えていました。今、都は平和です。それはある意味では、ナタルの夜にふさわしい姿であったかもしれません。なぜなら、ナタルは平和だからです。でも、この平和は本当の意味での平和でしょうか」
私は一度言葉を切った。
「今、日本は戦乱が続いています。あまり政治的な話はここではしたくありませんけれど、そんな日本だからこそ平和というものについて考えてみるべきだと思うのです。私たちバレテンは、この日本に宣教師として派遣されてきました。そして洗礼の恵みを頂いた皆さんも、日本で生まれて日本で育ってはいても、日本というこの国に派遣されたと考えてもいいと思います。派遣とは何でしょう。誰かが何らかの目的を持って人をその場所に行かせることですね。我われを派遣したのは、我われの国の王ではありません。形の上ではローマの教皇様という方ですが、実際はあくまで『天主様』です。そして、皆さんも派遣された、誰が? 当然、『天主様』ですね。皆さんはもともと日本に生まれたのですから、そのこと自体が派遣です。日本に派遣されたというより、この世に派遣されたと考えてもいい。何のために? この世に平和をもたらすため、人々を救うためです。その人々を救うために最初に派遣されたのが、『天主様』の御ひとり子のイエズス様なのです」
一同は静まりかえっていた。いつものことながら、このミサの説教の時は、まるで私ではないものが私の中へ入って、私の口を使って勝手にしゃべっているという感覚がある。
「ナタルが平和を表すのは、初めてイエズス様の誕生を羊飼いたちに告げ知らせた天使たちが、こう歌ったということにあります。『天のいと高き所には『天主』に栄光、地には善意の人に平和あれ』と。つまり『いと高き所には栄光、『天主』にあれ。地には平和、主の悦びたまう人にあれ』ということです。イエズス様の誕生を告げ知らせるに当たって、それが地に住む人々にとっての平和であると、高らかに宣言されたのです。そうして『天主様』はどの天使に対しても、その御ひとり子を拝するように命じられたのです。天使の、羊飼いへのお告げはこうでした。『今日ダビデの町にて汝らのために救いの主生まれたまえリ。これ主キリストなり』と。こうしてイエズス様は派遣されました。そのことを記念して祝うのが、今日のナタルのミサです。そしてイエズス様は最後に我われを地の果てまで派遣したのです。救いの訪れを告げるため、そして救いの主として派遣されたイエズス様に倣って、多くの人々を救うためにに、です。具体的には、イエズス様は『汝らは世の光なり』と、また『汝らの光を人の前に輝かせ』と仰せになっています。つまり『これ人の汝らが善き行為を見て、天にいます汝らが父を崇めん為なり』ということです。あなた方が日々の生活の中でキリストの教えを実践する、その姿を見て人々は『あの人のやっていることなら間違いはないだろう』と思うのです。つまり、口数よりも後ろ姿で導けということです。そんなに素晴らしい教えを伝えたところで『じゃあ、あなたはどうなの?』と相手に思わせてしまったら元も子もないですね。こうして、私たちは派遣されるのです」
本当に私がしゃべっているのではないようだ。かといって、聖霊降臨の異言というような大げさなものでもない。だが、私がしゃべっているのに、その内容に私自身がはっとさせられたりするのだ。
「私たちは今、ミサに与っています。ミサという言葉は皆さんにとって、洗礼を受ける前には聞き慣れない言葉だったでしょう。ミサとはまさしく、派遣という意味なのです。ミサの最期に唱える言葉、「Ite,missa est」これは「行きましょう、主の平和のうちに」という派遣の言葉なのです。この言葉で締めくくられるので、この我われの感謝の祭儀をミサというのです。『天主様』がイエズス様を派遣されたように、イエズス様は私たちを派遣されました。それはすなわち、私たちが『天主様』に派遣されたことにほかなりません。行きましょう、主の平和のうちに。『天主』に感謝いたします」
私は話を終わった。ミサの中で、会衆に日本語で話せるのはここだけで、あとは会衆に背を向けてラテン語で祈りを捧げるだけになる。
そして、オルガンティーノ師が司式する日中のミサに、なんと道三ベルシオール先生も姿を見せた。ベルシオール先生にとっては、洗礼式の時を別とすれば初めて与るミサだ。
ミサの中の説教は、オルガンティーノ師は日本語でしたので通訳は必要ないのだが、ベルシオール先生は耳が遠いということで、そばにフィゲイレド師が付き添って耳元でその話の内容を伝えた。ベルシオール先生はいたく感動していた。
そして驚いたことに、この日中のミサには普段はこの都の教会に通ってはいないような人々、私にとって懐かしい顔ぼれもそこにあったが、そんな信徒の人々が押しかけて御聖堂はかなり満員になったのである。
都だけでなくこの布教区内の河内や、本当なら高槻や大坂の教会の方が近いであろうと思われる摂津や和泉の方の信徒までが押し寄せてきた。
すべてがベルシオール先生効果だ。ベルシオール先生が洗礼を受けたということを聞いて驚き、一目お会いしたく遠くの人が都に集まったというような状況だ。
これも、もしかしたら『天主様』からのナターレのレガーロかもしれなかった。
私が会衆の中に見つけた懐かしい顔は、あの三箇の殿であったドン・サンチョである。その顔を見た途端私はうれしくて思わず声をかけた。
「今まで、どうしておられたのです?」
すでに老人の域に達していたドン・サンチョは、かつての殿であった時の服装ではなく、ほとんど町の浮浪者のようないでたちだった。
「都大路を隠れ住む生活です。なにしろ、私の首には懸賞金がかかっている」
彼は本能寺の事件の後、明智光秀の側についたことによって、その城は焼かれ、領地は奪われ、逃亡の日々を送っていたようだ。
「今日はそのようなことはとりあえず忘れて、共に主のご降誕を祝いましょう。ナタルは恵み、光、希望です。イエズス様は『凡て労する者、重荷を負う者、われに来たれ、われ汝を休ません』と仰せになりました。今イエズス様は、あなたにこう言われていますよ。『よく帰って来たね。あなたを待っていたんだよ』って」
ドン・サンチョはその場で大声をあげて泣き崩れた。これも素敵なナターレの賜物だった。
こうして1584年のナターレも過ぎていった。




