Episodio 4 Visita del padre Figueiredo a Miyako(フィゲイレド師の上洛)
1
その待降節第一主日の翌日、つまり11月の最後の日、私は主任司祭であるフルラネッティ師に呼ばれた。二人きりの時はイタリア語で会話だ。
「大坂のオルガンティーノ神父から手紙が来た。あなたは都に行ってもらいたいとのことです」
「え? それは異動ということですか?」
私は焦った。それでは神学校の学生たちとの別れを意味する。上長の命とあれば致し方ないが、あまりにも急すぎる。
一瞬私の頭に、この日のミサの福音書の朗読箇所が甦った。
――全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣べ伝えよ――。
都は初めての土地ではないけれど、自分にはそこに派遣されるみ意なのか……。
「いえいえ、そういうことではないようですよ」
そんな思いは一瞬だけで、すぐにフルラネッティ師の言葉で打ち消された。、
「あなたは豊後の府内の教会のフィゲイレド神父様をご存じですね?」
「府内ですか」
たしかに府内で何人かの司祭に会ってはいるが、名前までは覚えていない。
「まあ、顔を見れば分かるかもしれませんが」
なにしろ私が府内に行ったのはヴァリニャーノ師とともにであるからもう四年も前だ。
「府内の教会の主任司祭であるとともに、府内の学院の院長もされていましたけれど」
「ああ、はいはいはい」
やっと記憶の糸を手繰って、顔が浮かんできた。たしかもう五十くらいの年配の司祭だった。
「そのフィゲイレド神父様がどうなされたのですか?」
「実は」
フルラネッティ師は、少し声を落とした。
「重い病気で、今は寝たきりになっておられます」
「え?」
一度は驚いた私だが、五十代になったばかりの大坂のオルガンティーノ師よりも年長で、もう五十代後半であることを思えば、あり得ることかもしれなかった。老人と呼ぶには少し早いが、そろそろいろいろと弱ってくる年代でもある。
「それで、豊後ではあまりいい医者がいないので、やはり都で治療を受けたいということで、もう二十日ほど前に豊後を出発されたそうです」
「そんな寝たきりなのに長旅を?」
「もちろん輿に乗って寝たまま運ばれているのでしょう。その輿を、同宿の若者が数人がかりで担いできているようですよ、もっとも行程の大部分、豊後から堺まで船旅ですけれど」
「はあ」
「それで、そろそろ、都に着くと思うので、都の教会の神父たちだけでは手薄だから、あなたに都に行ってフィゲイレド神父のお世話を頼みたいと、オルガンティーノ神父はお考えのようです」
「わかりました」
そういうことならば、オルガンティーノ師の意に従うしかない。
「それと、同行者ですが」
たしかに規約上、私が一人で都に行くわけにはいかない。
「堺に来られたパシオ神父があなたとは旧知の仲ということで、同行してもらうというオルガンティーノ神父のお計らいです」
「おお、それはありがたい」
大坂で会った時はほとんど会話もできなかった。都までなら道中ゆっくりと話もできる。
私はいい意味で胸騒ぎがしてきた。
都で私を待っているのがそのフィゲイレド師だけであろうか……。なにしろこの日はフランシスコ・ザビエル師の祝日、つまりチーナの聖ジョアン島でザビエル師が帰天された日だ。
ザビエル師の生涯と今日の福音朗読箇所を思う時、都で何か大きな福音宣教上の出来事が待っているような気がしてならなかった。
ただ、都布教区の中でいちばん宣教が伸びていない都の教会だけに、気を引き締める必要も感じていた。
その話があってからすぐその翌日、12月1日にはパシオ師はペレイラ兄に案内されて高槻へとやってきた。安土の修道士だったペレイラ兄はあの本能寺の事件のあと我われともに都まで逃げ、その後ずっと都の教会にいたが、昨年から大坂の教会に移っていた。
初めて高槻に来たパシオ師は、教会が城の中にあることにただ驚いていた。
「いやあ、これはエウローパの町みたいですな」
町の建物の外見はなんら日本のほかの町と変わらないが、住んでいる住民がほとんど信徒ということで、何かが違うと彼は機敏に察したようだ。
領主の一族も領民も信徒であるのは、イエズス会の知行地である長崎のほかにはあまりない。他は大村もそうだが、彼は大村には行ったことがないであろう。
領主が信徒である豊後の府内や臼杵、下の有馬なども領民に信徒は多いけれど率はここまでではない。また教会の聖堂の大きさも日本の教会の中ではこの高槻が一番だろう。
「いや、これでもまだ足りないのですよ」
御聖堂の大きさに感動していたパシオ師に、出迎えに出ていたフルラネッティ師は言った。
「主日のミサでさえ会衆は入りきりません。ましてやナターレや御復活ではもう完全に収容できません。ですから来年はさらに大きな、マカオにあるくらいの御聖堂を建築しようかと、オルガンティーノ神父とも話し合っているところです」
「可能なのですか?」
「はい。ここの殿であるジュストが全面的に協力してくれますから」
「うらやまし限りですな」
パシオ師はそう言って笑っていた。
「今のこの教会も、建材の材木はすべてジュストの計らいで新しい木材を使わせてもらっています」
「ほう。日本の教会は、仏教の寺を改築したものがほとんどだと聞きましたが」
「確かにそういう所が多いのですけれど、『天主』に献堂する聖堂を使い古しの木材で建てるなど『天主』に申し訳ないとジュストが言ってくれましてね」
「私も早くそのジュストという殿にお会いしたい」
考えてみればパシオ師は、まだジュストとは会っていないのである。今は、そのジュストは戦争に行っていて高槻にはいない。
翌水曜日には、ペレイラ兄を残して私とパシオ師で都に向かった。私が留守の間の神学校の授業はペレイラ兄に託した。私は担任業務のほかは授業はそれほど多く持っているわけではなく、多くはヴァス兄、バリオス兄、アルメイダ兄が担当しており、日常の世話は日本人修道士のヴィセンテ兄に任せきりであった。
我われ二人はこうして、寒風吹きすさぶ川沿いの道を馬で都へと向かった。
道中話し合ったのは二人の共通の思い出であるリスボンからゴアへの船旅、そしてゴアでのこと、さらにパシオ師がマカオまでともに旅してきた我が親友のマテオのことなどであった。今は私がマカオまでともに旅したルッジェーリ師が、マテオとともにチーナにいる。
そんな話をしているうちに、あっという間に都に着いた。
私にとって二年半ぶりの都だが、パシオ師には初めてなのである。我われは鴨川と桂川の二本の川の合流点からまっすぐ北上して、都に入った。
道の右側に広い敷地の塀越しに大きな寺の巨大な屋根がいくつも並んでいるのが見えたら、いよいよ都に入ったことになる。
この寺には昔、都でいちばんの高さを誇る塔があったけれど二十年ほど前に落雷によって焼失したままだという話もかつて聞いたことがある。
さらにはその寺にさしかかるあたりに、大昔は都の入り口であることを示す巨大な二階建ての門があったとも聞くが、今はもちろん跡形もない。
そんなことをパシオ師に説明しながら歩いていると、パシオ師も感心してあたりをきょろきょろ見回しながら進んだ。
「さすがに都、つまり日本のローマに当たるだけあって大きな町ですね。しかも道がどこまでもまっすぐで整然としている」
「そうですね。ローマはたしかに巨大だけれど、なんだかごちゃごちゃしてますからね。リスボンも」
「ただ、今の日本のほかの町は日本が乱世といういわば内戦状態になってから、城を中心に作られた町ばかりですから、敵に攻められたときに簡単に城にたどり着けないようにわざと入り組んで複雑に作られているんですよ。都だけです、こんなに道が縦横に整然としているのは」
私が初めて都に来た時は確か夜だったからよく見えなかった。昼間の光の下でこの都市の様子を見ながら初めて都に足を踏み入れるパシオ師がうらやましくもあった。
都に入ってからも教会に着くまでかなり歩くので、そのこともパシオ師は驚いていた。確かに都の入り口の巨大な門があったというあたりから教会まで一レグワ、歩いて一時間ほどかかる。
これだけ歩いても、まだ都の中なのである。どこまで行っても、都がなくならない。
そしてようやくたどり着いた教会の周辺は、なんら変わってはいなかった。
それ以前に、都の様子も激動の世の中とは何の関係もないように全く変わってはいなかった。名目上の皇帝である帝はこれまで通りこの都の宮殿の中におられるであろうけれど、今はこの国の実質上の権力者である天下人はまだ定まってはいない。
だいたい羽柴殿がそれになりつつあるけれど、まだ予断は許さない。羽柴殿は御本所殿や徳川殿と、にらみ合いとはいってもまだ戦争の真っ最中だ。
都の教会も、何も変わっていなかった。
ただ、私はここには短い滞在をしたことがあるだけで、そんなに長く住んだことはない。だがここでの滞在中にあの本能寺での事件が起こったので印象も深いのだ。
そうして、我われが都の教会に着いてから二日後に、多くの同宿に担がれた輿に乗ってフィゲイレド師が到着した。意識もしっかりしていて熱もないようだが、ただ腰が痛くて起き上がれないようだ。
かつてのヴァリニャーノ師も腰を痛めていて、輿で移動していたことがあったのを思い出す。
「ああ、あなたは一度府内にも来られましたね。たしかあのときは、巡察師とごいっしょに」
布団の中から私を見上げて、フィゲイレド師は目を細めて言った。覚えていてくれたようだ。
「あの時の全身が黒い大男はどうされました?」
「ああ、ヤスフェですね。あのあと洗礼を受けて信徒になりましたよ。織田殿に仕えて武士となり、、今では有馬にてドン・プロタジオに仕えています」
「そうですか」
フィゲイレド師はにっこりと笑う。たしかに気力だけはしっかりとしているようだった。
2
その日の夜、我われはフィゲイレド師から府内の学院の様子などを聞いた。私が高槻の神学校でで接している学生も、卒業したら府内の学院に進む者もかなりいるであろうと思われるので興味深く私は聞き、いくつかの質問もした。
そしてフィゲイレド師到着からすぐに待降節第二主日で、久々に私も都の教会で主日のミサに与った。もはやナターレまで、あと二十日を切っている。
その第二主日のミサで、当然と言える顔を私は見かけた。
あのジョアキム小西殿夫妻だ。ミサの後、わざわざつかまえなくても、二人はすぐに帰ったりはしない。かつても司祭館に必ず寄っていろいろと世間話をし、我われはそれで世間の動きをつぶさに知ることができたのだ。
ジョアキムは私がいるのを見て、かなり懐かしがってくれた。私はそこでパシオ師を紹介した。フィゲイレド師はミサも寝たままの参列だったので、すでに担架で司祭館の部屋の方に運ばれている。
「よく覚えていてくださいました」
私が礼を言うと、ドン・ジョアキムは声をあげて笑った。
「そない忘れろいわれたかてよう忘れません」
「時に息子さんが」
私はこのジョアキムの次男の弥九郎殿が、ドン・アゴスティーノとして洗礼を受けたことの祝いの言葉を告げた。もちろん、その知らせはすでにこの両親の元へは届いていた。
「いや、もう、ほんま、やっと、やっとでっせ。ありがたいこってす。なんでもせがれは小豆島に南蛮寺を建てるいうて意気ごんどります。でも、そうなるとどなたかバテレン様に行ってもらわないとあきまへんやろ、そやさかい息子にも頼まれて、わしはここのバテレン・セスペデス様にお願いしとるところですわ」
その場にちょうどセスペデス師もいたので、私は彼を見た。
「はい。私はかまいませんが、私が決めることではありませんので、バテレン・ウルガンにも伺いを立てているところです。そうそう、それよりもジョアキム」
セスペデスは日本語でそう言ってから、さらに重要案件へと話題を変えた。
「実は今都に豊後の国からフィゲイレドというバテレンが来られています。病気で寝たきりです。それを治せる医者が都ならいるのではないかとわざわざ豊後から来たのです。お心当たりはありませんか?」
「それなら啓迪院の道三先生がよろしゅうおす」
ジョアキムは即答だった。
「なんせすごい医者どす。お弟子が八百人ほどいてます。医者というよりむしろ学者でんな。ものすごい仰山勉強しはって、医学の奥義を極めてはるいうても過言ではありませんわ。多くの大名の病を見てはるし、なんと今では宮中に出入りして帝のおそば近くにも仕えてはります。そうそう、織田様も診ていただいたことがありましたな」
「ほう」
織田殿の名前が出ただけで、もう決まりという感じだった。
「その方には、いつでも診ていただけるのですか?」
セスペデス師が身を乗り出す。
「いやあ、難しいかもしれへんどすなあ。第一に、道三先生はかなりのご高齢でして」
「おいくつ?」
「七十八でしたかな」
「なんと」
皆、驚きの声をあげた。それでまだ現役の医者だというのである。
「ですから、来ていただくいうわけにはまいりません。診ていただきたい方を連れていかねばならん。そのバテレン様は寝たきりなんどっしゃろ?」
「その点は、なにせ豊後から寝たきりの状態で来たのですよ。同じ都の中なら何の問題もないでしょう。また治療費も、修道会は決して出し惜しみしません。どうか一つ、紹介してくれませんか?」
「ま、それはよろこんで」
それで話は決まった。まずはジョアキムといっしょにセスペデス師と私が、曲直瀬道三というその医師の元へ向かった。教会からまっすぐ北へ三十分ほどで、まさしく真北だった。
東に目をやると広大な敷地にある帝の宮殿の、その塀といくつかの建物の屋根が間近に見える。
「ここどす」
商家の豪邸ともいえる大きな屋敷の門の前に、我われは立った。
まずはジョアキムが中に声をかけ、出てきた医師の弟子という感じの若者に来意を告げた。
「ああ、あきまへん」
その弟子は、即答だった。
「うちの先生は畏れ多くも帝の奥医師でもあります。そないな先生が異国の僧などを診るはずもありません。どうぞお帰りになって、ほかの医者をお探しなされ」
ジョアキムからその旨を聞いて私は、すぐに輿の中のフィゲイレド師に伝えた。
「やはり、ほかの医者を捜した方がよろしいのでは?」
ここで押し問答して長居しては、いくら輿の中の布団の中だとはいえ、寒風吹きすさぶ外にフィゲイレド師をいさせるのは忍びなかった。
「いえいえ、どうも私はここの先生に診てもらわねばならない気がします」
フィゲイレド師はそう言う。もしかしたら、フィゲイレド師にそう啓示めいたものがあったのかもしれない。
「とにかく、先生はこれからお出かけですさかい、お引き取り下さい」
道三先生の弟子と思われるう若者が、もう一度中へ入って行ったジョアキムに大声で言っているのが聞こえた。
「なんの騒ぎどすか?」
玄関の中から、しわがれた声がした。弟子は慌てて頭を下げるので、私もセスペデス師も気になってのぞいてみた。
見ると、かなりの老人が草履をはいて、これから出かけるというふうに玄関から出てきた。それを護衛するかのように、ほかの何人もの弟子もついている。
最初に出てきた弟子が、ことの次第を告げているようだ。
「何?」
老人は慌てて門から出てきて、フィゲイレド師が寝ている腰のそばまで来た。顔かたちは老人なのに腰も伸びていて、足取りもしっかりしていた。
「私が曲直瀬道三どす。異国のバテレンとはあなたですか?」
輿の中に話しかける。
「そうです」
フィゲイレド師はしっかりとした日本語で返事をした。
道三先生はすぐに立ち上がり、弟子の方を向いて叫んだ。
「ご病人をこないなところで待たせるなんて、何を考えとるんや。すぐ中に入れて差し上げんかい!」
「先生、お出かけの方は?」
「はあ!?」
足腰はしっかりしていても、さすがに耳は遠いようだ。弟子は道三先生のすぐそばまで来て、その耳元に口を近づけた。
「お出かけなさるのでは?」
「中止や、中止!」
道三先生のその声も大きかった。そしてフィゲイレド師を中へと導き入れると、自分もまた玄関へ入って草履を脱いだ。
3
早速、道三によるフィゲイレド師の診察と治療が始まった。
なにしろ普通に話したのでは、道三先生には聞こえないようだ。かなり大声で話したとしてもだめで、その耳元で話すしかないようだ。だがフィゲイレド師は起きられない。自然、道三先生の方から寝ているフィゲイレド師の方に耳を近づけてもらうしかない。
いくつかの症状を質問し、そして実際にフィゲイレド師の体を触診てから道三先生は顔をあげ、フィゲイレド師と道三先生を囲むように座っていたジョアキムや私、そしてセスペデス師を見渡した。
「これは体の内部の胃の臓から来ておりまんな。無理に体を動かそうとはせず、まずは胃の薬と痛みをやわらげる薬を出しますさかい、それを飲んで様子を見なはれ」
診察は長い時間ではなかったが、丁寧に見てもらったという感じだ。それで即座にこのような診断を下すのだから、さすがにベテラーノだと思われた。
部屋の中には道三先生の弟子と思われる他の弟子たちもいて、しきりに冊子状に束ねた紙に筆で記録を取っている。
そのうちの一人に、道三先生はいろいろと指示をしていた。おそらくは薬の処方について指示を与えているのであろう。
「時にバテレン殿はおいくつかな?」
「もう、五十六になります」
フィゲイレド師は道三先生の耳元で話している形になるが、二人ともかなり大きな声で言っているので、二人の会話はこの部屋の中にいる人なら誰にでも筒抜けだった。
「私は七十八。そないな私から見れば、五十六のバテレン様はお若いお若い」
そう言って、道三先生は笑った。傍
《はた》から見ていると、申し訳ないけれど二人の老人が会話しているように思えてならない。だから、話も弾むのかとも思う。
「いえいえ、私から見れば、先生の方がはるかにお元気のように見える。病気を治すだけでなく、いつまでも元気を保つ薬というものもあるのですか」
「それは、ないことはない。そやけど、それだけに頼って不養生をしておれば、それは本末転倒いうことですな。バテレン殿は、お国はどちらで?」
「私が所属する国は、ポルトガルといいます。でも、生まれはゴア、この国の皆さんが印度もしくは天竺と呼んでいる国です」
「なぜ、そのような所で?」
「ゴアはポルトガルの……」
フィゲイレド師は言葉につまっているようだった。植民地という言葉を日本語でどう表現していいか、悩んでいるのだろう。
「領地でいいのでは?」
セスペデス師が助け船を出して、それでまた話が進んだ。
「天竺といえばお釈迦様の聖地という感覚ですがな、その天竺にキリシタンの国があるとは不思議な感覚やな」
「先生は、都でお生まれになったのですか?」
「いや、近江の国や」
「ああ、織田殿のお城のあった」
「安土よりは都に近い。ちょうど安土と都の中間くらいですか」
話を聞いていて、それなら私は何回か通ったことのある場所だなと思っていた。
「私はもの心ついた時はすでに両親ともなく、叔母に育てられました。そして若くして相国寺いう寺の坊主となったのです。それからは漢籍や書と親しみ、学問に打ち込む日々が続いて、関東の足利学校にも通いましたよ。その頃、医学に目覚めて、都に戻って坊主をやめて寺を出て、俗に戻って医者としての修行をして今に至っております。妻はおりましたが、もうここ十七年も疎遠になっております。娘が一人おります」
実によくしゃべる。耳はよく聞こえないようだが言葉ははっきりとしていて。それも弁舌さわやかによく通る声で、話をしやすい相手であった。
相国寺といえば、禅の寺である。かつて巡察師のヴァリニャーノ師も、仏教の中では禅がいちばん親しみを感じると言っていた。ただ、禅は霊魂を語らず、死ねばすべて無に帰すと教えている。
禅の修行の中心は、なんといっても座禅であり、座ったまま瞑想のうちに祈ることである。
私はそのことをかつて禅僧だったこともあるという道三先生に聞きたかったが、フィゲイレド師の枕もとに座る道三師の耳元でそのようなことを大きな声で尋ねるのは憚られた。
「キリシタンの方も、何か健康に気ぃつけはってることはあるんどすかえ?」
「まあ、特には」
そしてフィゲイレド師はセスペデス師と私を見た。それから、ポルトガル語で言った。
「いい機会だ。この先生にもキリストの教えを話してみたいと思う。もちろん、露骨にキリストがどうの『天主』がどうのとは言えないが」
私も同様にポルトガル語で、この道三先生が所属していた寺は禅宗で、禅宗は霊魂については語らない宗派である旨を告げた。
「先生。我われは健康を得るために、注意と努力が必要だと考えています。ただし、それはこの肉体の健康ではなく、霊魂の健康です。人びとは肉体の健康を維持するために莫大なお金をかけ、細心の注意を払いますね。でも肉体はいつかは滅びるものです。でも、霊魂は不滅です。肉体の健康は、先生、それはあなたのような医者の方の仕事です。でも我々の仕事は、霊魂の健康を保つことです」
「ほう」
耳元でフィゲイレド師の話を聞きながら、道三先生は目を細めた。
「これは不思議な話を聞きますなあ。そのような、肉体が滅んでも永遠に滅びない霊魂などというものが、ほんまに存在しますんやろか」
「存在します」
はっきりと、道三先生の耳にも聞こえるようにとフィゲイレド師は言った。
「天には、永遠の命と光の源である天地の創造主がいらっしゃいます。霊魂はその創造主の恵みによって生かされ、その慈しみによって救われていくのです。その創造主は全智全能であって、万生と人に命を与えているのです。これはあなた方がいう内面的な仏性とは違います。内面的な仏性には生命も智慧も慈悲もない。自らが持たざるものを、被造物に与えることはできないでしょう?」
さすがに府内の学院長だけあって、フィゲイレド師は奥が深いと私も感心してしまった。自分の、すなわちキリストの教えを一方的に相手に押しつけるのではなく、相手がこれまで培ってきたことをよく理解した上でそれに対する反論をしている。
それを聴いた道三先生もまた反論するかと思いきや、なんと道三先生は苦笑めいたように笑いだした。
「まあ、私が寺におった頃の坊主たちが聞けば、青筋立てて反論するでしょうな。でも、私は仏教のいろんな宗派を一通り見てまわって来ましたけれど、どれ一つ満足できるものはありゃしまへんどした。そやさかい、どのお教えにも完全に浸ったことはない。自分で考えるところがあってそれを頼りにしてまいりましたさかい、禅にもとりあえず加盟していただけいうことでございます。だから、さっさと坊主も辞めてしまいました」
「そうですか」
フィゲイレド師はなんだか肩透かしを食らったようで、少し考えていた。それから道三先生の耳元で言った。
「自分の考えだけを頼りに来られたとおっしゃいましたね。でも、今私は病気ですけれど、私が自分で薬のことを勝手に考えて自己流に処方して薬を飲んで病気は治りますか?」
「いや、そりゃあかんでしょ」
「ですよね。医者であって学者でもある先生のお言葉を頼りにし、その指図に従わなければだめですよね?」
「いかにも」
「それと同じです。霊魂の救いに関しては、先生もご自分で考えただけではだめで、我われキリシタンのバテレンを頼りにしていただらなければならないのです」
道三先生は、黙って聞いていた。
「我われは人々を救うため、遠い海の数千里の彼方からこの日の本に来たのですよ」
道三先生は、微かにほほ笑みさえ浮かべていた。
「でも私はもうこんな年ですわ。今さら新しい教えを聞いて、もう一度自分のことを考えたところでもうすぐ死ぬんです」
「だからこそです」
フィゲイレド師の声に力が入ってきた。
「人は死んだらそれで終わりではないのです。天国に行く時が近づいているからこそ、これまでよりもなお一層キリストの教えを聞き、もう一度自分を考えてみる必要があるのではないですか」
「パライソとは、一向宗門徒が言う極楽のような所ですかな?」
「そうです。極楽のような所ではなく、極楽のことです」
「ほう、パライソへ行くとは、極楽往生のことでっか。ほう、バテレン様が一向宗門徒と同じこと言わはるとは、こりゃおもろいでんな」
道三先生は少し笑って、それから何かを考えているようであった。ふぃげいれ年は続けた。
「しかしそれで終わりではありません。それが極楽往生とは違うところですが、世の終わりの時には我われは全員が墓から甦るのです」
「え?」
「そう教えられています。そして最後の審判が行われ、そこで善とされたものは『天主』の御もとで永遠の安息が与えられるのです」
一瞬、道三先生の目が輝いた。そしてフィゲイレド師に言った。
「これも禅寺の坊主やったら聞く耳もたんでしょうが、私は興味がおす。せやけど、バテレン様がこうして診察に通ってくださっている間はこの時間にお話を聞くこともできましょうが、もう年ですさかい南蛮寺へ出向いて教えを聞くなどということはようしません」
フィゲイレド師にとってこの道三先生の口実は、想定内のことだったようだ。
「我われはこうして我われの教えを広めるために、全身全霊を尽くしております。遥か遠くの国からはるばるこの日本へやって来て、そしてここ出た多額の金を使うことも惜しまず、それでいて日本の方からは一文たりとも頂いておりません。命がけなのですよ。まあ、私なんかはそういった多くの宣教師の末席を汚しておるにすぎませんけれど、年若くしてこの日本に来て今はご覧のとおりの白髪頭です。私は日本に来た時は若くて健康でしたけれど、全宇宙の創造主を御大切に思って奮闘するうち、年老いて病弱となってしまいました。我われの仲間の宣教師もこの教えを広めるために命を落としたものもおりますが、年をとって弱り果てても日本の各地で宣教に当たっているものも多数おります。これは一人でも多くの人の、霊魂を救うためなのです。もし先生が南蛮寺へいらっしゃることができないとあれば、我われは喜んでこちらからまいりましょう。そして、この家に滞在して先生に『天主』様の教えをお伝え申し上げましょう」
道三先生は黙っていた。だが、どうやらその目が潤んでいるのではないかと、傍で見ていた私には思えた。セスペデス師を見ると、同じように思っているようだった。
「この機会はまさしく、道三先生のため『天主』が我われにお与えくださった時間だ」
早口のポルトガル語で、セスペデス師はそう言った。私もうなずいた。
「たしかに」
たしかにそうとしかあり得ないことは、道三先生の涙からも明らかだと私も思った。
「しかしバテレン殿」
道三先生は、言葉をつづけた。
「やはり私はもう年老いとります。教えを聞いても、もはやあなた方の教えで定められた義務をよう果たさんやないかと、それが心配どして」
「いえいえい、ご心配には及びません。我われが説いております創造主は、正義と慈悲のお方です。その被造物に、その能力以上のことをお求めにはなりません。一人ひとりの能力は、『天主』様はすべてご存じなのです。むしろお年を重ねておられる方の方が、若い方よりも教えを正しく理解し、また戒律を守ることができると存じます」
「では今、簡単にあなた方の戒律の骨子だけでも教えてくださらぬか」
「はい」
フィゲイレド師はゆっくりと十戒の内容を話し始めた。
「第一、御一体の『天主』を敬い貴び奉るべし。第二、貴き御名にかけて虚しき誓いすべからず。第三、御祝日を勤め守るべし。第四、汝の父母に孝行すべし。第五、人を殺すべからず。第六、邪淫を犯すべからず。第七、偸盗すべからず。第八、人に讒言をかくべからず。第九、他の妻を恋すべからず。第十、他の宝を妄りに望むべかず」
道三は目を閉じて聞いていた。そして、何度もうなずいた。
「そう難しいことではありまへんな。第四は、私は生まれてすぐに両親を亡くしましたさかい、これだけは無理どすがな」
さらには、そう言って少し笑った。
「いや、あなた方の熱意には打たれた。負けた。それなら、もっともっとあなた方の教えの総てを聞きまひょ。まあ、私は呑みこみは早い方ですさかい、バテレン様方もその点は楽なんちゃいますやろか」
今度は声をあげて笑った。フィゲイレド師も満足げにうなずき、涙ぐんでいた。その思いはセスペデス師も私も同じだった。
「それに、一度やると決めたら、とことんまでやる性質どす」
その時ちょうど道三先生の弟子が、薬の調合ができたと言ってそれを紙の袋に入れて持ってきた。
「では、この薬をまずはすぐに飲んでください。お茶と同じように、お湯で煎じて飲めばよろしい。今日の診察は終わりです。明日は所用がありますさかい、あさって私の方から南蛮寺に参ります」
「おお、本当ですか」
布団の中でフィゲイレド師も顔を輝かせていた。




