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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 8 Filo nero con Filippine(フィリピーネとの黒い糸)
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Episodio 3 Padre Sanchez di Manila(マニラのサンチェス)

                  1


 そしてしばらく沈黙の時間が流れた。


「では、本題に入ります」


 オルガンティーノ師が、沈黙を破って目をあげた。私もいつまでも泣いてはいられなかった。

 いったいどこからが本当の「本題」なのかもわからない。


「実は、今回(シモ)より知らせてきたのは、フィリピーナスのイエズス会のサンチェス神父(パードレ・サンチェス)から、コエリョ準管区長宛てに手紙が届いたとのことなんです」


サンチェス神父(パードレ・サンチェス)とは、どういう方ですか?」


 フルラネッティ師がオルガンティーノ師に聞いた。オルガンティーノ師は首をかしげた。


「私もよく知らないのです」


 同じイエズス会といっても、マカオ管区とフィリピーネのマニラ管区とはほとんど没交渉である。

 それも仕方のないことで、昨年までマカオとフィリピーネとの間は自由に行き来することはできなかった。

 マニラ管区はスパーニャ人の司祭が多く、我われのように喜望峰を東に進んでゴア、マカオ経由で至ってはおらず、たいていの司祭が航路を西にとってヌオヴァ・スパーニャを経由してフィリピーネに至っている。

 一昨年のスパーニャによるポルトガルの事実上の併合によってサラゴッツァ条約が消滅し、フィリピーネからマカオまで自由に行き来できるようになったため、サンチェス師もマカオに渡ることができるようになったらしい。


 同じ修道会同士の行き来に本来なら何ら不都合はないはずだが、なにしろ航路がなかった。今でも十分にマニラとマカオの間に航路が開かれたわけではない。

 実際、スパーニャの商人がこの日本に来るのに今は支障はないはずだが、大挙してマニラから商人が来たという話は今のところまだ聞いていない。


「今回準管区長は先ほども言いましたように、そのサンチェス神父(パードレ・サンチェス)から手紙をもらった旨を知らせ、その内容の写しも添えて届けてきました。サンチェス神父(パードレ・サンチェス)からの手紙というのが、これがまたなんとも……。かなり衝撃的ですからその内容だけかいつまんで今お知らせします。皆さん、覚悟して聞いてください」


 いつになる緊張した声で、オルガンティーノ師は手紙を読み始めた。


「手紙は先月7月の5日付です。手紙によると、今フィリピーナスではマニラの司教様もイスパニア総督も、そしてイエズス会のマニラの上長も皆、シーナにおける福音宣教に熱を入れているとのこと、それはいいのですが、それについての極秘事項を日本準管区長にも知らせるという趣旨の手紙です」


 皆、無言で息をのんだ。


「手紙にはこうあります。今イエズス会でシーナにて福音宣教に当たっているルッジェーリ神父パードレ・ルッジェーリおよびリッチ神父(パードレ・リッチ)からマニラの方に手紙が来て、シーナの皇帝に手紙を送ったところ、どうやらシーナとの和平交渉は実現しそうだとのこと」


 私にとって懐かしい名前が出たので、ふと胸が熱くなった。だが、実はそんな感傷にふけっている場合ではなかった。オルガンティーノ師は、さらに手紙に目を落としたまま続けた。


「そのままの文面を読みます。『しかし我々は、そのようなことが実現するはずもないことは分かっている。それよりもむしろ、その和平交渉をきっかけにしてそれを逆手に取り、シーナを一気に武力占領してそこで初めて真の平和を築き、福音宣教を推し進めることも可能になるとと考えている。そこで、シーナに対して、イスパニアによる戦争を始めるつもりである。私自身がマニラでシーナ人と接してきた経験からも、シーナの人びとに対しては説教によって福音を広めることは不可能なのだ。シーナ本国やマニラで何十年も多くのシーナ人と接してきた人びとも、同じことを言っている。シーナに対する福音宣教はノヴァ・エスパーニャやインカに対して採ったのと同じやり方を『天主デウス』も望んでおられる。しかも、ノヴァ・エスパーニャやインカに対してイスパニアが臨んだ戦いはいささか正戦というにはことたりなかったけれど、シーナに対しては正戦と言えよう』。こんな内容の手紙だそうです」


 一気に読んで、オルガンティーノ師はため息をついた。だが、その時の私は、はらわたが煮えくりかえるのを必死で抑えていた。

 正戦とは聖トーマスの正戦論のことであろうが、チーナに対する戦争が正戦であるという根拠はどこにあるのか……それについては何の説明も手紙には書かれていないようだった。


 驚いているのは私だけではなく、この場に居合わせた人皆が茫然とした顔をしていたり、中には手を震わせている人もいた。

 やはり私にとっては、スパーニャのインカ侵攻の話を聞くと、前にヴァリニャーノ師から頂いて読んだ「Brevísima relación de la destrucción de las Indias(インディアスの破壊についての簡潔な報告)」という文章が頭の中で反芻されてしまう。それと同様にというのなら、あの書物に記されていた惨劇がチーナ大陸で再現されるということを意味するのではないか。

 違うのは、インカではスパーニャによる武力侵略の手段として福音宣教が使われたこと、チーナは福音宣教のために武力進攻をすると順序が逆だが、武力侵攻という点では変わりはない。いや、むしろ、チーナの福音宣教のための武力侵攻というのは、どう考えても詭弁としか思えない。


 そもそも、チーナ皇帝との和平というのは、マテオやルッジェーリ師が苦労の末に勝ち取ろうとしている成果ではないか。それをスパーニャは逆手に取るというのは、悪い意味で利用し、そしてチーナの皇帝や人びとを騙すことになるのではないか……。

 私がそんなことを考えていると、フランチェスコ師が沈黙を破った。


パシオ神父(パードレ・パシオ)


 オルガンティーノ師が何か言うよりも前に、フランチェスコ師がパシオ師に詰め寄るような口調で話しかけたのだ。


「そのサンチェスという司祭は、どういう人物なのですか? マカオにも来ているということですけれど、あなたは彼に会ったことがあるのですか?」


サンチェス神父(パードレ・サンチェス)が最初にマニラからマカオへ来たのは二年前で、その5月から7月の二か月ほどマカオに滞在していたようです。私がリッチ神父(パードレ・リッチ)とともにゴアからマカオに着いたのがその一カ月後の8月でしたから、私は彼に会っていません。そして二度目に彼がマカオに来たのは今年の5月だそうです。私はもう長崎にいましたから、直接お会いしたことはないのですが」


「あのう」


 私が軽く手をあげて話に入った。


「二年前のその夏の頃でしたら、ちょうど私が例の織田殿の本能寺の事件のことを報告するために、長崎に行ったときですね。その時に私は長崎のポルトガル商館員の口から、サンチェス神父(パードレ・サンチェス)の名前は聞いています。なんでも、イスパニアとポルトガルの事実上の併合の後、ポルトガル商館員も、ポルトガルにとって新国王となるイスパニア国王への忠誠を誓うようにというマニラのイスパニア総督からの指令を伝えるため、サンチェス神父(パードレ・サンチェス)はマカオに来たのだということでした」


「どうしてそのような総督の指令をイエズス会の司祭が伝えに来なければならないのだ?」


 フランチェスコ師は、ほとんど憤慨していた。私は続けた。


「どうもシーナ侵攻の主戦論者はマニラの当時のドン・ロンキーリョ・イスパニア総督で、その賛同者があの司祭のようですよ。私は長崎でそういう話を商館員から聞きました。そしてあの時、ヴァリニャーノ先生からもお手紙を頂き、それによるとサンチェス神父(パードレ・サンチェス)はマカオでポルトガルのカピタン・モールと会談し、おそらくそのサンチェス神父(パードレ・サンチェス)の影響かあるいは強制だかでカピタン・モールがイスパニア国王に、シーナ攻略を進める手紙を書いたとか書かされたとか」


「ああ、確かにそんな話をしていたね」


 オルガンティーノ師も、長崎から帰ったあとの私の報告を思い出してくれたようだ。


「あの時のヴァリニャーノ先生からの手紙を持ってくればよかった。こういう話になるとは思わなかったので、高槻に置いてきてしまいました」


 私はぼそっと言った。そのことが悔やまれてならないのだ。


「ただ、同じ手紙の中で、ヴァリニャーノ先生もサンチェス神父(パードレ・サンチェス)とマカオで会見されたとのこと。ただ、ヴァリニャーノ先生は、矛先をシーナに向けているうちはいいけれど、絶対に日本を武力侵略するなど考えないようにと釘をさしておいたとのことでした。ヴァリニャーノ先生は同じ内容を、マニラのイスパニア総督にも手紙に書いて送るともおっしゃっていました」


「布教区長」


 フルラネッティ師がオルガンティーノ師を呼んだ。


「そのサンチェス神父(パードレ・サンチェス)からの手紙に対して、準管区長はどう返事をしたと言っていますか?」


「いや、こういう手紙が来たということだけで、それにどう返事をしたかについては書いていません」


「いや、それは自ずと知れたことです」


 私がオルガンティーノ師に代わって答えた。


「実はサンチェス神父(パードレ・サンチェス)の主張と全く同じことを、すでに二年前にコエリョ準管区長が発言したのを、私は長崎でこの耳ではっきりと聞いています。シーナを武力攻撃するべきだと」


 思い出して、私はあの時のコエリョ師に対する怒りが、自分の中で再燃するのを覚えた。



                  2


 とにかくコエリョ師が今後どう出るか、かなりの懸念材料ではある。もちろん相手は準管区長だ。そんなことをあからさまに口に出しては言えない。

 私はパシオ師を見た。無言で、補足を求めた。

 去年までマカオにいて、つい一ヵ月前まで長崎でコエリョ師とともにいた人だ。


「今、巡察師ヴィジタドールヴァリニャーノ神父パードレ・ヴァリニャーノのお名前が出ましたが、実は昨年私とともに日本の来たゴメス神父(パードレ・ゴメス)もまだマカオにおられた時にイスパニア国王に手紙を書いて、決してシーナ侵攻などをお考えにならないようにと戒めていました。それにもかかわらず、ドン・ロンキーリョ総督はじめ、マニラのドミニコ会所属のサラサール司教までもが、シーナを侵攻するようイスパニア国王フェリペ二世陛下に手紙を送っています」


 たしかにドミニコ会は、スパーニャと南フランスが本拠地だ。

 パシオ師は話を続けた。


「さらに、私が先月、堺に来る直前に長崎に着いた今年のマカオからの定期船では司祭はどなたも来られなかったので、商館員から聞いた話ですが。今マカオにはかつて日本にいて日本全体の布教区長もしておられたカブラル神父(パードレ・カブラル)がおります。そのカブラル神父(パードレ・カブラル)も今年の六月付で、イスパニア国王陛下にシーナ侵攻を強く勧める手紙を送ったとのこと。ま、今年の六月付ですから、まだ陛下のお手元には届いていないでしょうが」


カブラル神父(パードレ・カブラル)!」


 私は声をあげた。オルガンティーノ師も顔をしかめていた。長く日本全体の布教区長を勤めていたけれど、巡察師のヴァリニャーノ師と正面から衝突して、日本が準管区になる時に当たって準管区長とはならずにヴァリニャーノ師によってその任を解かれ、昨年やっと日本を離れてマカオに渡ったと聞いている。


「あの人はどこまでああなんだ!」


 私はもう怒りを抑えきれなくなっていた。

 ここにいる人たちにとっても、多かれ少なかれカブラル師には接しているので、あの人ならやりそうなことだという思いと、なんということをしでかしたのだという怒りが半々のようだった。

 たしかに長きにわたって日本での福音宣教に努めてきたし、それなりの成果も挙げている。

 でも、負の面も多すぎた。日本と日本文化を見下し、エウローパの習慣を押しつけようとして多くの棄教者をも出した。そして、日本文化の中に溶け込んでの福音宣教というヴァリニャーノ師の方針と真っ向から対立したのである。

 そんなカブラル師の名前を聞いた時の一同の反応に、パシオ師は少し戸惑っているようだった。


「あのう……私が日本に来た時はあの方は豊後の府内におられたようで、私が乗ってきた船がマカオに戻る時にそれに乗って日本を離れたので、私は最後にちょこっと長崎でお顔を拝見しただけなのですが、そんなにそんなな方なのですか?」


「ヴァリニャーノ先生もこのカブラル神父(パードレ・カブラル)とコエリョ準管区長、そしてフロイス神父(パードレ・フロイス)の三人には気を許さないようにと、そうおっしゃっていました」


 私はそれだけ伝えておいた。


「そうですか。ただ一点、イスパニア総督ドン・ロンキーリョは手紙だけではなくサンチェス神父(パードレ・サンチェス)をイスパニアに遣わして直接国王陛下に謁見の上でシーナ侵攻と武力派遣を要請する段取りまでしていたようです。でもサンチェス神父(パードレ・サンチェス)はサラサール司教の方が適任だと辞退し、司教もまた今フィリピーナスを離れるわけにはいいかないと拒絶したので、この話はしばらく中断となっていました。ところが去年、ドン・ロンキーリョ総督は病気のため亡くなりました。今は弟だか甥だかが総督を継いでいますけれど、あくまで形だけの場繋ぎのようです」


「すると、とりあえずはイスパニアによるシーナ侵攻の動きは止まっているということですね」


 ほんの少し明るさを取り戻してオルガンティーノ師が聞いた。


「はい、あくまで暫定的にだとは思いますが」


 かつてはサラゴーツァ条約があるため、スパーニャはチーナには一切手だしはできなかった。そこはポルトガルの領域だったからである。だけれどもスパーニャ・ポルトガル併合によってサラゴーツァ条約が消滅したために、一気にスパーニャはチーナ侵攻を始められるいい機会となったわけである。


「あのう、よろしいですか?」


 セスペデス師が手をあげた。


「今のイスパニアにはシーナを攻撃してる暇はありませんよ。国王陛下もそれはよくご存じのはず。エウローパの中での覇権を確立することの方が急務でしょう」


 スパーニャ人のセスペデス師がそういうのだからそうなのであろう。チーナ侵攻に対して国王はあまり乗り気ではなく、マニラ総督が一人で突っ走っていたようだ。そのマニラ総督も今では帰天して、代が替わっている。


 ただ、私は今さらながら気付いたが、今ここに集まっているのは大半がイタリア人で、スパーニャ人は二人、ポルトガル人に至ってはモレイラ師一人のみである。シモ布教区や長崎の教会がほとんどポルトガル人の司祭で占められているのとは対照的だ。


「このことは、羽柴殿のお耳にも入れておいた方がいいでしょうか」


 フルラネッティ師が聞いた。オルガンティーノ師は首をかしげた。


「まだ、羽柴殿が織田殿に替わる天下人テンカビトになったと決まったわけではありません。現に今もまだ織田殿の次男と戦争をしている。その決着がつくまでは何とも言えませんからね」


「それよりも」


 初めて発言するカリオン師だった。


「今は余計なことは言わない方がいい。私もかつて織田殿の前で口を滑らせてイスパニアのコンキスタドールの話などをしてしまったものだから、織田殿が変な野望を抱いてしまったという反省すべき出来事がありました。織田殿はシーナ侵攻を企てた。その結果、それも一因となって織田殿は明智に殺された。まあ、四国の長宗我部のことなど他にも要因はあったのでしょうけれど、あんなに織田殿からかわいがられて、大切にされて、頼りにされていた明智がその織田殿を討ったのですから、かなりの覚悟ですね」


 カリオン師は一つため息をついてから続けた。


「ですから変なことを吹き込んで、羽柴殿に変な野望を起こさせるのも得策ではない。羽柴殿はフィリピーナスの総督と手を組んでシーナを討とうとするかもしれません」


「怖いのはむしろ……」


 そこまで言いかけて、オルガンティーノ師は口をつぐんだ。相手は準管区長である。その配下の都布教区長の立場としては、オルガンティーノ師はそれ以上は言えなかっただろう。

 だが、オルガンティーノ師だけではなく、その場の人々も皆同じことを思っていたに違いない。私も思っていた。

 コエリョ師はフィリピーネの総督府と力を合わせてチーナ武力侵攻を是としている。もしかして羽柴殿がそのような野望を持ったら全面協力するつもりか、あるいは自分たちのチーナ侵攻のために羽柴殿の力を利用するか。コエリョ師とは、そこまで考えるお方だ。

 そしてコエリョ師は言うだろうか……「今、世界も乱世ランセなのだ。下剋上ゲコクジョーなのだ」と。……コエリョ師なら言いそうなことだ。


 本当に何を考えているのか分からない、不気味な男だとあらためてコエリョ師のことを感じてきた。

 マニラのスパーニャ総督府とて安心はできない。総督の代が変わって今はとりあえずチーナ侵攻計画は中断しているとはいえ、サラサール司教やサンチェス神父(パードレ・サンチェス)がいる限り、もし羽柴殿がチーナに兵を出すなどということになればマニラのスパーニャ総督府は日本とシーナを戦わせ、双方が疲弊したところを狙ってチーナをわがものにしようとするかもしれない。そしてチーナをインカのごとく占領した後は、その矛先を日本に向けてくる可能性は十分にある。


 それを考えると、私は背筋が寒くなった。ただ、日本国内ではゴメス師、世界規模では巡察師のヴァリニャーノ師やアクアヴィーヴァ総長のお力でサンチェス神父(パードレ・サンチェス)を牽制してもらうしかない。


「とにかくこの件に関しては羽柴殿に対してはもちろん、日本のいかなる殿にたいしても口外無用」


 オルガンティーノ師ははっきりと宣言した。


「ジュストやジョアキムに対してもですか?」


 私が尋ねると、オルガンティーノ師ははっきりとうなずいた。


「私は、私の嫁・日本を守りたい」


 それからは、冗談を連発して高らかに笑ういつものオルガンティーノ師に戻った。

 

 例のスパーニャの動きは羽柴殿にもジュストにもその耳に入れないということになったが、その羽柴殿はジュストも引きつれてすぐに再び織田御本所殿・徳川殿連合軍との戦争のため出陣するようだった。

 その当日は私の保護の聖人である洗者ヨハネの殉教の記念の日であったが、そのミサにジュストも与った。そしてそのミサが終わるとすぐに大坂を離れて出陣の旨を、我われに告げた。


 その二日後の月曜日に、われわれもそれぞれ自分の教会に戻った。

 フルラネッティ師とフランチェスコ師、そして私も高槻へと戻ってきた。

 神学校セミナリヨの二階の窓から眺めると遠くに山がある程度で、そこまで広い平らな土地という風景が目に入る。その風景は、なんら変わりはなかった。

 そして今は夏休みだが、間もなく新しい年度が始まる。神学校セミナリヨの日程は日本の暦に基づいて決めている。間もなく坊主頭の純粋な目の学生たちを相手に笑の中で毎日を過ごす、そんなこれまでと変わらない日常が始まるだろう。

 だが、世の中は大きく変わりつつあることを私は感じた。この小さな島国の中でさえ急変している。さらには海の向こう、そして地球の反対側をも含めた全世界が激動期に入っているのではないかとさえ思う。


 目には何も見えない。

 見えるのは変わらない景色と変わらない学生たちであって、世の中が大きく変わろうとしているのは頭の中の世界だけのことで、本当は嘘なのではないかとさえ思う。

 事実、この高槻ではそれから数カ月、何事もない穏やかな毎日が過ぎていった。

 羽柴殿と御本所殿・徳川殿との戦争はずっと膠着状態が続き、ほんの小さな小競り合いがあったほかは特に大きな戦闘は行われていないようである。

 つまり、双方睨み合ったままで月日が流れたという感じだ。


 次にジュストが大坂への帰還の途中に高槻へ立ち寄ったのは、10月も終わりの頃だった。すっかり秋も深まり、城の堀の向こうの石垣の上の兵の中の木々もその刃をすっかり黄色く染めはじめていた。

 ジュストは大阪に半月ほどの滞在で、また戦場に向かう羽柴殿とともに出陣して行った。


 そうして秋も深まり、やがて冬を迎えた。この年は11月の最終日曜の29日から、教会は待降節アドベントへと入っていった。

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