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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 8 Filo nero con Filippine(フィリピーネとの黒い糸)
67/96

Episodio 1 La guerra di Owari e l'incendio di Ozaka(尾張の戦争と大坂炎上)

                  1


 新しい年、1584年を迎えた。


「新年、明けましておめでとうございます」


 その新しい年の第一日に、高槻の私たちの教会を訪ねて来てくれた領主ジュストは、ポルトガル語でそう言った。

 今日は『天主ディオ』の御母聖マリアの祭日だ。そして、六日後の主のご公現の祝日までナターレ((クリスマス))の期間は続く。

 だが、この国ではかなり盛大に正月を祝うことを我われは知っている。だからローマ帝国時代以来の伝統である聖マリアの祭日のミサを終え、場をあらためて司祭館の広間でフルラネッティ師、フランチェスコ師、そして私はジュストのあいさつを受け入れた。

 ジュストの方も我われに合わせて、新年を祝ってくれている。なぜなら今日は、この国ではまだ十一月二十九日でしかないからだ。

 我われは基本的に主日のミサを行う関係や、教会暦の祭日などの関係で我われの故国での暦を使ってはいるが、この国で暮らす以上この国の暦をも尊重しなければならないことも百も承知で、布教区長のオルガンティーノ師もそれを強調していた。


 ジュストと会うのは一週間ぶりだ。あの大坂の新しい教会の献堂式とナターレ((クリスマス))を大坂でともに過ごしている。だが、ジュストにしてみれば、久しぶりに自らの領地にある居城の高槻に戻ってきたのだ。

 今彼は、ほとんどを大坂の屋敷で暮らしている。


「大坂は、どうですか?」


 フルラネッティ師が聞いた。新しい教会ができてからわずか一週間、それで果たしてどのような動きがあったのか、私とても関心がある。


「確実に流れが変わってきたと、肌で実感できます」


 ジュストはそう言った。


「大坂では、連日未信者がキリストの教えを求めて教会を訪れ、オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノ自らが説法に明け暮れる毎日です。教会を訪ねて来る人たちは特に最近大坂に新しく屋敷を建てた大名や武士が多く、羽柴様の側近の方たちも数多く教会に通い始めています」


「ほう、それは」


 フルラネッティ師は目を細めた。今や大坂は新しい城が建築中であるのと並行して新しい街づくりも進められ、多くの殿たち(トノス)が大坂に新しい屋敷を建てている。ジュストもその中の一人だ。


「高槻でも同じです」


 フルラネッティ師も言った。


「教会はこれまで主に信徒クリスタンの祈りの場であり、『天主デウス』に接する場でもありましたけれど、高槻でも今年になってからどんどん新しい人びとが教会を訪ねてくるようになりました。お父上のダリオから聞いているかもしれませんが」


「そういう人たちにこちらでも、フルラネッティ神父パードレ・フルラネッティ修道士イルマンたちが熱弁をふるっていますよ」


 フランチェスコ師もそう言って笑った。フルラネッティ師は少し照れたような笑みを見せ、言葉を続けた。


「本当の意味での福音宣教が始まったといった感じですね。未信者は次から次へとやってくる。庶民ばかりではなく、明らかに身分が高さそうな殿やその子息、貴人なども乗り物に乗ってやってきます。中には、何度も通う人も相当数出てきて、日曜のミサはこれまで以上の人々の参列者です」


 もっとも私はこれまでほとんど神学校セミナリヨに籠もりきりだったので、あるいは今までもこの風潮はあったのに気がつかなかっただけかもしれない。


 こうしてジュストは高槻にはほんの少し滞在しただけで、すぐに大坂の屋敷へと帰っていった。


 この会話を聞いたのを機に、ほとんど神学校セミナリヨ一点張りだった私も、少しは教会の方にも関心を向けることにした。

 確かに、以前とは空気が変わってきている。たくさんの未信者が教えを請うて教会


「都もそうなのだろうか」


 私は日本人修道士のヴィセンテけいに聞いてみた。


「どうでしょうか。都はまだまだ保守的ですから」


「確かに、寺や神社の力が強い」


 それだけに、なかなか改宗を人びとは思い立たないのだろう。日本の民衆は我われの国の領民と教会との結びつき以上に、寺との結びつきが強いことを私は感じている。

 一人の人がキリストと出会い、教会の門を叩いて入門しようとしても、寺とのしがらみを断ち切ることは容易ではないことも、私はこれまでの日本での経験上知っていた。

 だから、新しく移住してきた人が多い大坂や、領主のジュストの力で寺の勢力が弱くなっているこの高槻だからこそ教会を訪れて来る人も多いのかもしれない。


「ところがこの高槻では、最近は寺の僧も来るのです」


「え?」


 私は驚いて、ヴィセンテ兄を見た。


「ただ、昔のように論争をして我われを打ち負かそうというよな僧たちではなく、純粋にキリストの教えを請いたいと言ってくるのですよ」


「よく知っていましたね」


 ヴィセンテ兄も私と同様、神学校セミナリヨに籠もっているとばかり思っていたからだ。


「それが、そういう僧侶の方たちが来ると、同宿が私を呼びに来ます。フルラネッティ神父様パードレ・フルラネッティが、僧侶たちの対応は私にまる投げですから」


 苦笑気味にヴィセンテ兄は笑った。


「それでも時には日本人ではなく異国のバテレンと話したいという人もいまして、それでフルラネッティ神父様パードレ・フルラネッティにふりますと、あの方はまあそれでもご自身で熱弁をふるわれます」


 今度は本当に、ヴィセンテ兄は笑った。


 私は考えていた。

 やはり日本での福音宣教のカギは、いかに在来宗教である寺や神社のいわゆる我われでいう聖職者に当たるような人たちを改宗させるかも大事なのではないかと。

 今まではどちらかというと、殿たちを対象に福音宣教をしていた。その方向を寺社に向けるとなると、よほど相手のことや相手の教えに精通していなければできない。

 そういった点では都のロレンソ兄がいちばん適任だったが、そろそろ日本人の修道士にまる投げではなく我われ司祭もそれに対応できるほどにならなければならない。

 それは日本人の聖職者養成と同じくらいに重要なことだと私は思った。日本の寺社の僧や神官と対等に渡り合えるのはオルガンティーノ師くらいだけれど、師も今は大坂である。


 ちょうどそんな折、二月も半ばを過ぎた頃にオルガンティーノ師が巡回で高槻を訪れてきた。

 三月になればすぐに灰の水曜日ジョルノ・デレ・ツェネリとなって、四旬節クアレージマに入る。その前にオルガンティーノ師は都布教区の全教会を回りたいのだろう。

 巡回ではその先で、上長はすべての司祭と個別に面談する。

 いい機会なので、私は思っていたことをオルガンティーノ師に告げた。日本の宗教界の人々を福音化する重要性と、そのために日本の既存の各宗教について学びたいということである。


「そのことは私も以前から重視してきたことだよ」


 オルガンティーノ師は大賛成のようだった。


「私も安土にいた頃に仏教各宗派については一通り学んだ。でも、安土では思うように学べなかった。高槻でもそうだろう。やはりそのためには、都がいちばんだ。ロレンソ兄(イルマン・ロレンソ)もいるし」


「やはりそうでしょうね」


 うなずきながらも私は顔を曇らせていた。


「いっそのこと、都の教会に戻りますか?」


 私はすぐに返事ができなかった。そんな私の様子を見て、オルガンティーノ師は高らかに笑った。


「やはりそうでしょうな。あなたは神学校セミナリヨから離れられない」


 図星だ。ほんの短い間だけならまだしも、神学校セミナリヨの学生たちと離れてずっと都に住むことは私にはできない。もっとも、上長であるオルガンティーノ師から命じられたら話は別だが。


「まあ、焦ることはないでしょう。そのうち機会はあります」


 なぜか自信たっぷりに言うオルガンティーノ師だった。



                  2


 この年の復活祭パスクアは4月19日だった。今年は都布教区の主だった教会、すなわち都の教会、高槻教会、そして新しい大坂教会と、それぞれの教会で盛大に復活祭パスクアを祝おうということになった。

 ジュストは昨年以来ずっと大坂に新築した屋敷に住んでいて、毎日大坂城に出仕しては羽柴殿の身近に仕えているということだった。

 そんなジュストが四旬節に入ると、ひょっこりとり自らの領地の高槻に戻ってきた。


「やはり聖なる期間ですから、自らの居城でもある高槻で主の御苦難をしのびたいと思い、暇を頂いてきました」


 戻るとすぐに教会を訪れて来たジュストは、我われにそのように話していた。

 我われの間では、ジュストが復活祭パスクアに大坂と高槻のどちらの教会のミサに参列するのかということが話題となっていた。

 ただこの分だと、このまま高槻にいてくれそうだ。

 去年は出陣中で復活祭パスクアのミサに与れなかったジュストだけに、今年はこれまで通りに高槻で過ごしてくれるだろうと思って、昔のように毎朝教会を訪れては祈りを捧げているジュストをつかまえて、フルラネッティ師が聞いてみた。


「もちろん、こちらで過ごします」


 はっきりとジュストは言ったので、我われも安心した。


 四旬節の真っ最中に、例年通り高槻の城は満開の桜の花に埋もれた。

 そんな桜もすっかり散って、桜の木々にも花の代わりにも緑の葉が生い茂るようになり、復活祭パスクアも近付いてきた。


 そしてその聖週間の、翌日に聖木曜日を控えた夕刻、ジュストが教会を訪ねてきた。何だか重要な話があるとのことで、私も神学校セミナリヨから棟続きの教会へと渡った。


「非常に残念なことでありますが、今年も復活祭パスクアのミサにはあずかれそうもありません」


 ジュストは悲痛な顔つきだった。

 その語るところによるとこの日突然、大坂の羽柴殿よりジュストに出陣命令が下ったというのだ。


「とにかく兵を率いてまずは都まで進軍せよとのことでございます」


「どういうことですか?」


 フルラネッティ師の問いに対して、ジュストが語った内容は以下の通りだった。

 亡き織田殿の次男であり、三七殿の同じ歳の兄で、かつて茶筅チャセン殿と称していた御本所ゴホンジョ殿は伊勢イセという国の長島城に居住していたが、織田殿の幼馴染みでもある遺臣のイケ殿の仲介で、あの三河守ミカワノカミとわれわれが呼んでいた徳川殿と同盟を結ぶに至っていた。

 すでに早くから御本所殿は織田家の家督は三法師殿が継ぐという清洲での会議の決定事項を無視して、実質上織田家の相続人として振る舞っていた。そして徳川殿もそのように御本所殿と接していた。

 そしてその御本所殿が羽柴殿と内通していた三人の家来ケライを切り殺したという情報が大坂にも伝わり、羽柴殿は激怒。ついに羽柴殿は徳川殿と御本所殿に宣戦を布告したという。


「羽柴様は我われの暦で今月の二十一日にも大坂を出陣し、御本所様討伐の軍を伊勢へと推し進めるようです。もちろん、このことは他言無用でお願いします」


 我われは他言しようにもできない。


「それで、羽柴殿の出陣の先鋒隊を私が命じられたということでしょう」


「いかに信徒クリスタンであってもジュストは殿トノでありますから、戦争をしなければならない。それは殿トノとしての宿命でしょう。いつ出発でうか?」


 ジュストはそれまで伏せていた顔を上げて、フルラネッティ師を見た。


「三日後です」


 この日は水曜日だったので三日後といえば土曜日、つまり復活徹夜祭の日だ。


「分かりました。ジュストも無事に戻れるように、我われで祈りましょう」


 フルラネッティ師は優しく言ってから、ジュストを励ますように微笑んだ。

 そうしてジュストは軍勢をひきつれて、高槻をあとにした。その軍勢も高槻の領民であり、そのほとんどが信徒クリスティアーニのはずだった。


 結局、ジュストは今年も復活祭パスクアのミサに参列できなかったことになる。

 復活祭パスクアは多くの領民をジュストが兵士として連れて行ってしまったとはいえ例年通り、いやこれまで以上の盛況であった。

 信徒クリスティアーニの数は年々増えている。全員が御聖堂おみどうに入るのが不可能になっていることは、もう毎年のことだった。


 ただ、今年は土曜日深夜の復活徹夜祭の間中大風が吹いており、翌日の復活祭パスクアのミサでは雨が降り始めて、御聖堂おみどうに入りきれない会衆たちは皆、雨よけの帽子であるカサをかぶり藁で作った雨具であるミノを着ての参列となって難儀していた。


 今年になってから雨が降った日など数えるほどしかなかったのに、よりによって復活祭パスクアの日だけが雨だったのである。これも何か『天主ディオ』にお考えがあってのことだろうと、我われ司祭は思っていた。


 思えば三年前、私が初めて日本に来て迎えた復活祭パスクアはこの高槻でであったし、あの時はヴァリニャーノ師もいてその盛大さに大いに感動していたものだったが、あの時はまだそれでも参列者は御聖堂に入りきれていたのである。

 それを考えると、今昔の感があった。


 さらに、この三年で日本国内の情勢も大いに変わった。日本はこんなにもころころと情勢が変わる国なのか、あるいはちょうど時代の変わり目に私はこの国に来てしまったのか、まだよく分からない。


 そうして、復活祭パスクアも終わり、また晴天の日が続いた。

 二、三日たって、羽柴殿が大坂を出陣する日を迎えた。大軍は高槻の城には寄らなかったが、すぐそばの川沿いの街道を進んでいったようだ。



                  3


 我われが大坂の急を知ったのは、羽柴殿出陣の翌日に何の前触れもなく突然オルガンティーノ師とセスペデス師が、ロレンソけいをはじめ何人かの修道士とともに高槻の教会に来たことによってであった。

 夕方になって到着したオルガンティーノ師は、大坂から船で淀川をさかのぼって来たようだ。

 その時も私は神学校セミナリヨにいて、至急教会の司祭館の方へ来るようにというフルラネッティ師の伝言を同宿の少年から聞いた。

 ここ最近、同じように教会へと呼び出されることが続いたので、また何ごとがあったのかと私はヴィセンテ兄とともに急いで司祭館に行った。

 そして、広間でオルガンティーノ師とセスペデス師の姿を見て驚いたという次第である。

 明らかに、二か月前の巡回の時とは違う。

 いつもならオルガンティーノ師は私を見るとぱっと輝くような笑顔を見せて冗談の一つや二つは言うものだが、今日は深刻な顔をしている。しかも、何の前触れもなく突然に大坂から来られたのである。


 尋常な雰囲気ではないことは、私はすぐに分かった。

 部屋にはフルラネッティ師のほか、フランチェスコ師もすでに来ていた。ジェロニモ・ヴァス兄、バリオス兄、アルメイダ兄の姿もあった。

 皆は私の到着を持っていたようで、私が座るとそれを合図にしたかのようにオルガンティーノ師は一同を見渡した。


「大坂は火の海だ」


 オルガンティーノ師は、それだけを力なくぽつんと言った。全くいつものオルガンティーノ師らしからぬ様子だ。


「どういうことでしょうか?」


 身を乗り出して私は聞いた。私が最後にこの部屋に来ただけに、ほかの司祭や修道士はもうオルガンティーノ師から話を聞いていると私は思ったのだ。だが、誰もが驚いた顔をしていた。そうなると皆、初めて聞くようだ。


「大変なことになった。今、大坂の町は思いもかけぬ敵に攻撃を受け、町は焼かれている」


「え?」


 驚きの声を上げたのは、皆一斉にだった。


「思いもかけぬ敵?」


 フルラネッティ師の問いに、オルガンティーノ師は少し目を伏せた。いつもの陽気で明るいオルガンティーノ師ではない。


紀伊国キノクニ雑賀サイカ武士サムライたちの集団と根来寺ネゴロデラの僧たちの兵が手を結んで、大坂を攻めてきた」


「それはおかしい」


 間髪入れずにフランチェスコ師が口をはさんだ。


雑賀サイカ武士サライたちはもともと大坂にいた一向宗の門徒と深い関係を持つ人びとで、亡き織田殿とも対立していたようだから大坂を攻めてくるのも分かる。でも、根来寺の僧たちというのは一向宗ではなく真言宗で、織田殿との関係も良好だったはずだ。その両者が手を結ぶなど考えられない」


「それはですね」


 日本人のヴィセンテ兄が日本語で話し始めた。彼は我われのポルトガル語は聞いて分かるようにはなっていたが、自分の意見をポルトガル語で述べるのはまだ難しいようだ。


「一口に雑賀衆、根来衆といいましても、その内部は複雑な派閥があるようです。雑賀衆はあくまで鉄砲の名人である武士たちの集団で、どの大名にも臣従せず、いわば雇われたら動いていくさに参加するという立場の人々です」


 いわゆるエウローパでもよくある傭兵メルチェナーリオのことだと分かったので、我われの理解は早かった。特にイタリア人が傭兵として他国の国王に雇われることは多々ある。


「で、根来寺は確かに真言宗の寺の僧兵団ですが、内部にはいろいろと親織田派とそれに反対する派閥とがありまして、織田様亡き後、反織田派がその主力を占めるに至ったようです」


「今、羽柴殿が戦おうとしている御本所殿や徳川殿と手を結んだのですか?」


 フルラネッティ師の問いには、ヴィセンテ兄は首を傾けた。


「確かにちょうど羽柴殿が出陣されたのを狙って大坂に攻撃を仕掛けるなど、そうである可能性も高いですが、はっきりとは分かりません。門徒と関係の深い雑賀衆の単独の行動ならば、本願寺勢力によるかつての石山本願寺の地の奪還作戦と見ることもできましょう。なにしろ今建築中の大坂城の地にかつてあった石山本願寺の住職であった顕如上人は、今は雑賀の地におります」


「いやいやいや」


 初めてオルガンティーノ師が口をはさんだ。


「大坂にいる我われよりも皆さん方の方が、遥かにこの国の情勢に精通してますな」


「ジュストですよ」


 私が告げると、大きくオルガンティーノ師はうなずいた。


「そうですか。ジュスト経由の情報だね。大坂でも羽柴殿の側近がどんどん信徒クリスタンになっていってはいるけれど、彼らは教会に来ても我われの話を熱心に聴くだけで、政治向きのことを我われに話したりはしないからね。だから今回の大坂が襲撃されたことには驚いた」


「そういえば」


 フルラネッティ師がオルガンティーノ師を見た。


「大坂の様子はどうなっているのですか?」


紀伊国キノクニから突然やってきた集団は、御復活パスクアよりも前にすでに大坂や堺よりも南の岸和田キシワダという所を占領していたようでね、そして今日、城の周りで一斉に銃声が鳴り響いたので何事かと教会を出て見てみると、多くの軍勢がまだ建築中の大坂城を取り囲んで、戦争が始まってた。雑賀衆はすごい数の銃を持っているね。そのほとんどがポルトガルから買ったものではなく、すでに日本で造られた銃のようだ」


「あのう、そのようなことよりも、大坂の町は……? そして、教会は?」


 当のオルガンティーノ師よりも、フランチェスコ師の方が焦っているようだ。


「町はたちまち火の海。ちょうどあの安土の町が大混乱に陥った時の再現だったよ。教会は高台だから火は回ってこないと思って、私はそのまま教会にいて教会を守るつもりだった。でも、教会を心配して集まってきてくれた信徒クリスタンの方たちが私の身を案じて、バテレン様はどうしても逃げてくれと勝手に船まで用意してくれて、それに無理やり乗せられて、大坂を脱出させられたよ」


 そこまで話して、初めてオルガンティーノ師は少し苦笑にも似た笑みを漏らした。


「とにかく、早く戦争が終わるように祈ろう」


 オルガンティーノ師の呼び掛けに、我われは御聖堂おみどうに移動して、ひたすら祈りをささげた。今の我われにできることは、それしかなかった。

 

 その翌週の月曜日には、大坂からの知らせが、大坂の教会の留守のために残してきた修道士から届いた。

 それによると、大坂市街での戦闘は回避されたらしい。それでもまだ造営中の大坂の町はかなりの部分が焼かれたが、火は建築中の城には延焼しなかったようだ。

 つまり、今築かれつつある大坂城は、この国の歴史上かつてなかったほどの難攻不落の大城だということになる。

 そして、大阪城の留守を預かり、よく敵と戦って城を死守した殿の名は蜂須賀ハチスカ彦右衛門ヒコエモンと黒田吉兵衛(キチノヒョーエ)ということだった。


「黒田…といいますと?」


 修道士の書状を我われに音読してくれていたオルガンティーノ師に、私は思わず声をかけてしまった。黒田と聞いてピンと来たのだ。


「その黒田吉兵衛殿という殿は」


「羽柴殿の側近だよ。羽柴殿の軍の相談役、日本語で軍師グンシというのだけれど、その軍師の黒田官兵衛(カンピョーエ)殿のご子息で、まだ十六歳の若者だ。私も何度か大坂の城で会ったことがある」


「ああ、やはり」


 私はピンと来たわけが分かった。自分も姫路の城で羽柴殿と会った時に、屋敷に我われを泊めてくれた羽柴殿の側近が黒田官兵衛殿だった。いろいろとキリストの教えに興味を持って、質問されたのを覚えている。

 吉兵衛殿とはその官兵衛殿の子息であるという。


「それよりも教会は?」


 フランチェスコ師が口をはさんだ。たしかに、今の我われにとっての最大の関心事は、大坂の教会の安否についてであるはずである。


「無事だ……と、書いてある。全く無傷だそうだ」


 聞いていた我われも読んでいたオルガンティーノ師も、どちらも安どのため息をついた。


「教会は高台にあるので、火の延焼は免れたそうだ。根来や雑賀衆たちはは難攻不落の城を正面から攻撃するよりも、まずは町を焼き払ってと考えたのだろう。なにしろ町の燃え方や治安の悪化は、ちょうどあの安土城が炎上した時と同じ様子だったと手紙には書いてある。ま、教会が高台にあったということもあるだろうけど、まずは何よりも『天主デウス様』のご加護にほかならない」


 オルガンティーノ師はは手を組んで、目を閉じて祈りをささげ始めたので、我われもそれに倣った。


 その後も毎日のように、ひっきりなしに大坂の教会からの手紙は届いた。

 根来・雑賀衆は大坂攻撃をあきらめ、ずっと南の岸和田の城に立てこもったようだ。これからその城と羽柴殿の軍隊との間で戦争が始まることは必至だが、岸和田とは紀伊国との境界近くで大坂よりはかなり南であるため、そこでの戦争の影響は大坂には直接はもたらされないだろうとのことだった。


「そろそろ私は大坂に帰ります」


 5月も近くになったある日の夕食で、オルガンティーノ師は我われにそう告げた。



                  4


 そうしてオルガンティーノ師が大坂に戻った後、すぐに大坂の様子を知らせるためにオルガンティーノ師は同宿を大坂から高槻によこした。

 その少年が携えてきたオルガンティーノ師の手紙によると、大坂は今ではすっかり落ち着いたそうだ。

 まだ造営中だった大坂の町の大半は焼かれてしまったがすぐに復興に取り組んで、大方元の姿を取り戻しつつあるそうだ。

 火の手はやはり築城中の大坂城の堀は越えることはできなかったようで、城は全く無傷だという。


 そして、天満テンマの橋の近くの高台の上の教会は、やはり全く何ら損傷は受けていないとのことだった。

 もはやこれは奇跡であった。『天主ディオ様』の御加護を思わずにはいられない。

 また、羽柴殿が赴いている尾張での戦争の様子も、ジュストからその父のダリオ経由で我われの教会にもたらされた。

 羽柴殿は犬山という城に入り、徳川殿と織田御本所殿はそのすぐ近くの小牧山城を本拠地として、にらみ合っていたという。

 そして何度か小さな小競り合いはあったけれど、5月の8日にはついに長久手という所で大きな戦闘が行われたということだ。だが決着はつかず、両者はまだにらみ合ったままだという。


 そのような知らせをジュストは父のダリオによこし、そのまま教会の方にも知らせるよう父に委託してきたのだそうだ。知らせをくれたということは、ジュストは無事だったということだが、その知らせには残念な報告もあった。


「かつての河内の岡山城主、結城殿が討ち死にあそばされました」


 教会を訪れていたダリオは、厳かにそのことを我われに告げた。


「え?」


 フルラネッティ師は絶句だった。

 私がヴァリニャーノ師とともに初めて河内の国に至った時、そこの岡山という城の城主であった結城殿、すなわちドン・ジョアンと私は岡山の教会で初めて会った。

 まだ二十代の若い殿だったが、熱心な信徒クリスティアーノだった。その岡山の砂教会こそ、今の大坂の教会の移築元なのである。

 すでにドン・ジョアンは他の場所に領地を遷されたというのでその教会を大坂に移築したのだったが、こんな悲しい形でまたその名前を耳にするとは私は思わなかった。

 フルラネッティ師も衝撃を隠せずにいる。


 ドン・ジョアンの戦死は、おそらくは5月8日の長久手という所での激戦においてであろう。ただ、詳しいことはダリオもま、だジュストからは知らされてはいないようだった。


 遠く東の三河と尾張では戦争が行われており、城主と領民たちが戦争に行っているというだけで、高槻の町そのものは平和の中にあった。

 私はその中にあって、神学校セミナリヨの学生の青少年たちに囲まれる日常を送っていた。

 一日一日の時間が、彼らの笑顔とともに過ぎていく。戦場で戦っている人たちには申し訳ないが、平和と喜びに満ちた国だった。

 季節も次第に夏に近づき、五月の下旬には羽柴殿の軍も御本所殿や徳川殿のいる小牧山から退いたという報告も高槻にもたらされた。だが、にらみ合いの状態が終わったわけではなさそうだ。大規模な戦闘は今のところないというだけで、まだ戦争は終わっていない。


 そんな中で雨季である「梅雨ツユ」も近付き、本能寺屋敷で織田殿が非業の死を遂げてから二年が過ぎようとしていたた。

 6月になるとすぐにキリスト御昇天の祭日、中旬には聖霊降臨の主日、そして聖体の祝日も無事過ぎていった。それらの祭儀はことごとく大坂や都とは別に、高槻で独自に行われた。


 今年の梅雨は「空梅雨カラツユ(雨が降らない雨季)」といって、ほとんど雨らしい雨は降らなかった。一週間に一回降ったか降らないかで、そもそも今年は一月以来、極端に雨が少ない年だ。このままでは農作物に被害が及ぶと人々は大騒ぎをしているし、神社ジンジャテラなどでは雨を祈る儀式なども盛んにしていると聞く。

 そのめったに降らない雨が、かつて復活祭パスクアもそうだったが、聖霊降臨の主日の当日もまたその日だけは雨が降ったのである。


 そうしていつのまにか梅雨も明けた7月の中旬、ジュストがその領民の軍勢とともに突然高槻に戻ってきた。

 そして彼は城に入ったばかりと思われる頃なのに、もう城内の我われの教会へと一人で歩いてやってきた。御聖堂おみどうで祈りたいというのでその時間を提供した後、我われは詳しい話を聞くべく彼を司祭館へと招いた。


「無事のご帰還、おめでとうございます」


 我われ三司祭と対座したジュストに、まずフルラネッティ師が声をかけた。


「かたじけない。でも、もう戦が終わったわけではなく、羽柴様が一時大坂にご帰還なさるので、私もお供したにすぎないのです。すぐに私も大坂に赴き、前の雑賀衆や根来衆の襲撃による大坂の状況を見て、そしてまたすぐに羽柴様のお供で三河に戻ることになっています」


 この時ジュストは日本語で話をしていたので、言葉の端々からジュストの羽柴殿に対する立場の変化が容易に見て取れた。「筑前殿チクゼン・ドノ」ではなく「羽柴様ハシバ・サマ」と言い、日本語独特の相手を敬う表現である「敬語ケイゴ」を使って話していた。

 もはや羽柴殿とジュストは織田家における信長殿の対等な家来ケライではなく、主従関係にあることを如実に物語っていた。

 そのことだけではなく、戦争から帰ったばかりであるためか。ジュストの顔つきにも悲壮さが表れていた。


「バテレン様方、聞いてください。私は今回ほど『天主デウス様』のご実在とご臨在を感じたことはありません」


 話しているうちに、ジュストは興奮してきたようだ。


「羽柴様は小牧山の城の敵を攻めるに当たってその前哨基地として二重堀ふたえぼりに砦を築き、私とそのほか数名の武将がその近くに布陣しました。でも、羽柴様は突然私に身辺の警護に当たるようにとの仰せで、羽柴様のおられる犬山の城に私をお召しになったのです。そしてその翌日、二重堀の砦は突然徳川の軍に襲われ、最初に私とともにその砦近辺に陣を張っていた武将たちはことごとく討ち死に」


 フルラネッティ師もフランチェスコ師も、そして私も驚きの表情を見せた。そしてフルラネッティ師が最初に口を開いた。


「では、もし羽柴殿が……」


「はい。私をお召しにならなければ、私は今ここにはいないでしょう。しかもお召しがあったのは襲撃に遭ったその前夜ですよ」


「まさに、『天主デウス様』ですね」


「こんなにありがたいお仕組みを頂くとは……」


 ジュストは涙ぐんでいた。『天主ディオ』の微に入り細を穿っての仕組みの奥深さに私はあらためて胸が熱くなり、ジュストとともに感動の涙を流した。他の二人の司祭も同様だった。


「他に池田丹後守殿もよく戦い、戦の最中に完全に敵に包囲された時も兵士を鼓舞して窮地を脱出できたといいます」


 池田丹後守とはやはり信徒クリスティアーノの殿で、シメアンが洗礼名なので我われはそう呼んでいた。


「ただ、残念ながら結城殿が……」


「ドン・ジョアンが亡くなったことは、ダリオから聞いています。あの方も若い立派な信徒クリスタンだったの、残念です」


 同じ信徒クリスティアーノでも、『天主ディオ』はどうしてこのように生死を分けられたのか……それは我われの陣地では計り知れない深い仕組みがあったのだろう。『天主ディオ』のなさることに、間違いがあるはずがない。


 こういった情報をジュストは我われに残して、ほんの一晩自分の城に泊まっただけで、すぐに大坂に出発して行った。

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