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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 7 Unione Iberica(西葡同君連合)
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Episodio 6 Nuovo castello e nuova chiesa(新しい城と新しい教会)

                  1


 こうして我われは一度高槻に戻り、ジュストに会って羽柴殿への取り次ぎを頼み、その返事が来るまで約一週間。

 都にそれを知らせて、9月の最終の週には大坂へ向かうことができることとなって、オルガンティーノ師とロレンソけい、ジョアキムの三人はまずは高槻に来た。そこで私も加わり、四人で淀川を船で下って大坂へと向かった。


 よく晴れた日だった。

 もうすっかり暑さも感じなくなり、心地よい風がかなり広い川幅の水面の上を滑る船に当たった。川の流れはゆるやかで、岸に近づくにつれ水の中から多くの水草が群生していた。その中に作られた水路を示す標識に沿って船は進み、船は岸に着いた。

 川岸はちょっとした高台で、それを登ると新しく生まれようとしている大坂の町が一望できた。

 どちらの方角にも山は遥か彼方にうっすらと見えるだけで、果てしなく平らな土地が広がっている。すぐそばを山に囲まれた都とは対照的だ。

 かつてもここには町はあったのだが、あくまでそれは本願寺の門前町だった。今は大坂城の城下町として生まかわろうとしている。規模も何十倍も巨大になるだろう。

 そんな町の中はまだあちこちが工事中で、生活基盤は完成していないようだ。


 我われが目指す大坂城もまだ工事途中で、石垣に積み上げるためと思われる巨大な石が多くの人に引かれていたり、木材が運びこまれ積まれたままだったりしていた。

 資材は船で来るので、ちょうど我われが上陸したあたりから、次々と木材などが川から陸地へと挙げられている。

 そんな職人たちの間を抜けながら、ジョアキムに案内されて我われは造りかけの城の中へと向かった。


「羽柴筑前殿とは、どのような方なのかい?」


 オルガンティーノ師が歩きながら、私にイタリア語で聞いてきた。


「織田殿のように気難しい方かい?」


「いいえ。かなり気さくな方です」


 私は率直な答えたが、それはあくまであの姫路城で会った時の印象だった。その後の羽柴殿の動きや、特に三七殿の言いようから考えると、とてもあの時の小柄で気さくでよく笑う、殿らしくない殿と同一人物なのだろうかとさえ思ってしまう。

 しかし、少なくとも織田殿とは全く違うティポ((タイプ))の殿であることは確かだ。


「それにしては、この城は織田家の一人の家来の城としては大きすぎないかね?」


「たしかに」


 安土城のように山の上にあるわけではなく、ちょっと小高い丘全体を城にしているという感じで、基本的には平地にある。

 かなり広い幅のある堀の橋を渡ると、本丸の屋敷だけはすでにできていた。ますはここから完成させていったようだ。

 その背後には、巨大な石が積まれた石垣の台も見えた。


「あそこにそのうち大きな天守閣が建つんでしょうな」


 ドン・ジョアキムが石の積まれた台を見上げてつぶやいたので我われも見てみると、まだかろうじて足場が組まれ始めた程度だ。しかし、その石垣の台の巨大さから考えると、この上に天守閣が完成したら、もしかしたらあの安土城よりも巨大なものとなるかもしれないと思われた。

 城内には作業をする人々が大勢行き交っていて、かなりの活気だった。

 彼らは大工ではなく、駆り出されてきた農民たちだということだ。これからは稲刈りも終わって農閑期に入ると、さらに多くの数の農民が動員されるという。


 御殿の門を守っていた武士サムライはジョアキムとは顔見知りのようで、ジョアキムを見ると丁重に我われを屋敷の中に通してくれた。

 御殿の中もあちこちに財宝をちりばめ、見事な絵が壁に書かれ、木材はまだ白くて木そのものの香りを放っていた。


 それにしても、この御殿もまた織田殿の安土城を遥かにしのぐ規模である。自分の居城としてこのような絢爛豪華で巨大な城を造らせている羽柴殿の心中は、いったい何を考えているのかと思ってしまう。

 たしかに今の彼には、もう何も遠慮するものはないにしても、だ。


 御殿の中を案内してくれているのは、先ほどの門を守っていた武士とは違う人だった。

 我われはこれまでいろいろな城でいろいろな殿と面会してきたが、その時にいつも通された謁見の間ともいうべき大広間にまずは案内された。

 そこで座ってしばらく待たされる。

 これまでの城ではたいてい木の床だったがここでは一面に畳が敷かれ、それもまだ青く草の香りがする。

 すると、先ほどの武士がまた現れ、我われに立つように促した。


「申し訳ございません。殿は皆さま方をご寝所にお招きするようにとの仰せでございます」


 ご寝所とはいわゆるカメラ・ダ・レット((ベッドルーム))であろう。そんな所に招き入れられるのはよほど親しい人か重要な客しかいないはずだ。つまり、羽柴殿は我われを破格の待遇でもたなしてくれるということになる。


 羽柴殿の寝室に入った。かなり広い部屋の半分だけ畳が敷かれていて、そちらで待つよう促された。だが驚いたことに部屋のもう半分は板敷だが、布団ではなく我われの国で使うのと全く同じレット((ベッド))が置かれていた。貴人のレットよろしく天蓋もついている。羽柴殿はあそこで休むようだ。


 しばらく待っていると、羽柴殿が現れる前に女中たちが次々に料理や酒を運んできた。

 部屋を見回すと、壁には装飾に金がふんだんに使われているようだった。


「どうぞ、先にお召し上がりになってお待ちくださいとのことです」


 そう言うと、料理のそばに座って女中たちは、我われの杯に酒を注いでくれた。

 我われが少し料理に箸をつけていると、ほどなくして羽柴殿が現れた。我われが座り直して頭を下げようとすると、


「そのまま、そのまま、遠慮は御無用。そのままお召し上がりください」


 そう言ってすでに置かれていた自分の膳の前に、羽柴殿は座った。

 紛れもなく、姫路で会ったあの殿だ。小柄で、気さくで、よく笑うあの殿だ。だが、前に会った時とはやはりどこか違う。

 あの時はあまり感じなかった威厳というもの、風格というものが備わってきたようにも思う。年齢が増したせいかとも思うが、増したといってもわずか二年である。

 子供ではあるまいし、二年でそんなに変わるとも思えない。やはり年齢ではなく違う要素でこの殿は変わったのだ。


「いやあ、バテレン様方、今日はようこそお越しくださった。お、あなたは」


 まずは羽柴殿は私を見た。


「前に姫路に来られたバテレン様だがや。いやあ、懐かしい」


 羽柴殿にとっては、私を見るのは確かにあの二年前以来だろう。しかし私は一年前に、都の大徳寺で織田殿の法要の時に少しだけ姿を見ている。


「了斎殿もしばらくでござる」


 さらに前からの知り合いのロレンソ兄にも声をかけた。


「小西殿!」


 ジョアキムには少し口調が変わった。


「ずいぶんと無沙汰であったやにゃあきゃあ」


 その叱責するような口調にジョアキムが恐縮して頭を下げると、急に羽柴殿は高笑いを始めた。


「せがれの弥九郎は舟奉行として水軍を率いて見事な働きであるぞ」


 弥九郎とは私がかつて室津で会った人だ。つまりジョアキムの息子である。


「で、こちらが?」


 羽柴殿は初めてオルガンティーノ師を見た。私が慌ててオルガンティーノ師を羽柴殿に紹介した。


「都の布教区長、バテレン・オルガンティーノです」


「オルガンティーノでござる。ウルガンと呼んでくだされ」


 頭を下げるオルガンティーノ師に、羽柴殿はまた大きく笑った。


「お名前は承っておりよる。安土のセミナリヨにおられましたな。たしかにあの時、安土の城中のキリシタンたちは、皆ウルガン様、ウルガン様と呼んでおられた」


 そして羽柴殿は、そのそばで控えていたもう一人の武士サムライを我われに示した。


「この者は私の祐筆ゆうひつで、安威あい五左衛門ごさえもんと申す。気の知れたものやでお気になされぬよう」


 祐筆とは秘書セグレターリアのようなものだろう。表情をなくして、ただ羽柴殿の後ろで控えているさまは、どうもかなりの切れ者といった感じだった。


「ところで、羽柴様」


 オルガンティーノ師がさっそくという感じで、話を始めた。


「今、たくさんの殿たちが羽柴様の威光を慕ってこの大坂に屋敷を造っていると聞きます。私たちイエズス会も、ぜひこの大坂に都との別の南蛮寺を建てたいと思いますので、そのお許しを頂きたくて本日は参上しました」


 オルガンティーノ師は先に「都とは別の」と言っておくことで、都の教会を移築せよという命令にくぎを刺したようだ。

 だが、羽柴殿の顔は少し曇った。


「それはかまわぬが、新しく南蛮寺を建築するのも大儀であろうに。新しい土地なら今ならまだいくらでも大坂に土地はあるゆえ、提供するのにやぶさかではにゃあで。でも、いかにして建材を手に入れる? 失礼だが安土でも土地は上様より頂いたものの、なかなか南蛮寺の建築ができにゃあであの事件を迎えてしまったのではにゃあきゃあ」


「ごもっともでござる。そこで、我われが考えますに、河内の国の岡山の南蛮寺が、今は使われていない空き家となっておりますので、その岡山の南蛮寺をこの大坂に移築したいと考えております。岡山の南蛮寺はその美しさで、日本の南蛮寺の中でも一番です。これが朽ち果てていくのはもったいない。どうかその岡山の南蛮寺移築のお許しを頂きたいと存じます」


 羽柴殿は、少し何かを考えていた、そしてドン・ジョアキムを見た。


「小西殿はどうお考えか」


「はい」


 今日ばかりは、ジョアキムも少し緊張しているようだ。


「私も今のバテレン様の申し出が妥当やと思います」


 さらに羽柴殿は唸っていた。しばらくの時が立ち、我われも息をのんでいると、羽柴殿はぽんと自分の膝を打った。


「土地は、私が差し上げよう。この大坂で一等地や。実はすでにほかの大名に配分する予定の土地やったが、それはやめだ。上様と親しくして来られたバテレン様方なのだで、私も大事にせんと上様から叱られる」


 そう言って、羽柴殿は一段と声を挙げて高笑いをした。

 たしかに安土もそうだったが、有馬や高槻など殿の領地であったらその殿から土地をいわば借り受けているという形だ。

 都だけは特定の殿の領地ではないので、教会の地所は金銭にて購入したのだと聞く。

 ただ、長崎に関しては教会のみならず町ごとを領主の大村殿から寄進されて、大村殿の領地であることは変わりないがイエズス会の私有地となっている。

 だがこの大坂では、羽柴殿ははっきりと土地は「差し上げる」と言った。


「ただ一つ、問題があってのう」


 羽柴殿は、少し困った顔をした。


「差し上げるといっても、あなた方バテレン様方の組織は、あくまで外国とつくにの組織だで、この神国の土地をひと坪でも外国とつくにの組織に差し上げるというの憚られる」


 羽柴殿は、大村殿ドン・バルトロメオがイエズス会に土地を寄進したことをもしかしたらまだ知らないのかもしれない。


「ほんで了斎殿」


 羽柴殿は不意に、ロレンソ兄の名を呼んだ。


「どうやろう。その土地は日本人である了斎殿に私から与えるということにしよう。ほんなら問題にゃあで」


 たしかにロレンソ兄が寄進を受けたのなら、ロレンソ兄はイエズス会士なのだからイエズス会が寄進を受けたのと何ら変わりはない。


「は、ありがたき幸せ」


 ロレンソ兄も状況がすぐ分かったようで、頭を下げていた。


「では、早速その土地を見に参ろう」


 羽柴殿はすぐに立ち上がったので、我われもそれに従った。

 なんとこれだけ大きな城を造らせて、その城主になろうとしている羽柴殿としては供には例の安威殿だけをつれ、あとは我われとともに歩いてすたすたと城門を出ていくので驚いた。

 作業中の人夫も羽柴殿に気がつくと作業をやめて、立ったまま腰をかがめてお辞儀をするが、羽柴殿は歩きながらその者たちに笑顔で手を振って過ぎていく。

 やがて堀を渡り、さらに大きな門を出ると、十二、三分歩いただけでちょっとした高台を登ることになる。ここは城の北側で、建築中の屋敷もまだまばらだった。

 高台の上への階段を上ると視界が一気に開けた。


「おお!」


 オルガンティーノ師は、声を挙げていた。

 目の前にはどこまでも果てしない空間が遠くの山の麓まで続く。目の下は巨大な大河で、我われが高槻から船で上陸した場所が足元のすぐ下に見えた。船を下りた時に見上げていた高台の上に、我われはいるのだ。だからこの川は、都から発して高槻の町のすぐそばを流れているあの大河の河口近くということになる。

 高槻の近くでもかなりの大きな川という印象があるが、いざ海に注ぐ時はこんなにも幅のある大河になるとは思ってもいなかった。

 この辺りではまっすぐではなく、太いながらもくねくねと川は折れ曲がり、川の中にはいくつかの島も見えた。

 そしてちょうどこの高台の真下あたりから遥か遠くの川の対岸に向かって、今やものすごく長い巨大な橋がかけられようとしていた。

 私はこの国に来てから、こんなにも長い橋を見たことがなかった。

 振り向くと、すぐそばに築城中の城の石垣が見える。その向こうの天守閣が立つであろう石垣も見えるから、もし天守閣が完成した暁にはここから間近にそびえる天守閣を見上げることになるのだろう。


 こうしている間にも、足元の川の船着き場からは木材や石垣用の巨大な石がどんどん船から降ろされ、たくさんの人の手によって、時には丸太を並べたごろの上を転がして城の中へと絶え間なく運搬され続けていた。

 川はそんな石材を運搬してきた船で、水面がほとんど埋め尽くされていたといっても過言ではなかった。


 羽柴殿はまずこんな見晴らしのいい所に我われをつれてきたのは、大坂の町の様子を全部見せ、そして我われに提供してくれる場所がどの辺になるのかをここから示そうとしたのかと思った。


「ここでござるよ」


 不意に、羽柴殿は言った。最初はその意味が分からなかったくらいだ。


「ようけの大名がこの土地をほしがったけれど、この土地を私は了斎殿に与える。了斎殿はご自分の宗門のため、南蛮寺を建てるなり、ほかの南蛮寺を移築してくるなり好きになさったらいい」


「おお」


 オルガンティーノ師は驚きの声を挙げていた。

 今我われが建っているこの見晴らしのいい高台の上こそが、羽柴殿が名目上はロレンソ兄へだが、実質上は我われイエズス会に寄進してくださる土地だったのだ。

 見晴らしだけではなく、敷地の広さとしても高槻の教会と神学校くらいはあり、都の教会よりは遥かに広い。

 高台といっても上り下りが苦になるような山というわけではなく、数十段の石段を上った上にあった。

 ここは、最高の土地だと私は思ったし、オルガンティーノ師もそう感じておるようだった。その目に光る涙を見たので、間違いはない。

 オルガンティーノ師がその場にひざまずいて祈り始めたので、私も同じようにして『天主ディオ』に感謝し、また羽柴殿にも何度も礼を述べた。羽柴殿は高らかに笑っていた。



                  2


 それから高槻で、秋が深まっていく中でまたいつもの日常が始まった。

 毎日ミサに与りに来るジュストの話では、岡山の教会の解体も無事に終わり、資材の運搬も滞りなく進んでいるという。

 その一切の費用も、人的な力もすべてジュストが提供してくれているのだ。

 あくまで費用は献金であると彼は主張し、また労力も領内の農民の中から自発的に名乗り出てくれた人のみを充てているということだが、全員が信徒クリスティアーニなので皆嬉々として働いてくれているようだ。


 そんな中、11月になって朝晩寒さを覚えるようにさえなった頃、都の教会から手紙が来た。どうもまたシモからの手紙があったようで、その内容を伝える手紙のようだが、なぜかオルガンティーノ師からではなくカリオン師からで、宛先もフルラネッティ師ではなく私宛てだった。なんかいやな予感がした。


 手紙は短かった。一気に読んだ。そしてその場に座り込んで、大きな声を挙げて泣いた。


「どうしました?」


 その声に、隣の部屋にいたフランチェスコ師が慌てて私の部屋に入ってきた。


アルメイダ神父(パードレ・アルメイダ)が…」


「はい?」


「亡くなった」


「え? アルメイダ兄(イルマン・アルメイダ)ならさっき、神学校セミナリヨの校舎を歩いていましたけど」


アルメイダ神父(パードレ・アルメイダ)です。天草にいた…」


「あ、あの方が……」


 フランチェスコ師も絶句して、その場で目を伏せて祈っていた。私はまた、涙をぬぐった。

 マカオでアルメイダ師と一緒に叙階したカリオン師は、やはりその時にいっしょに叙階した私に特に知らせてくれたのだろう。その同期の仲間の中で帰天したのはミゲル・ヴァス師に続いて二人目だ。


 そして私たちは、すぐに御聖堂おみどうに集められた。

 カリオン師から知らされたのと同じことが、フルラネッティ師からも伝えられた。オルガンティーノ師からの知らせがフルラネッティ師のもとにも届いたようだ。

 私はもうひとしきり泣いた後だったので、冷静にその話を聞けた。

 アルメイダ師……あのヴァリニャーノ師が日本を離れる時に長崎で会ったのが最後だった。今は六十歳になったかならないかくらいだろう。


「ずっと天草で、ご病気で休んでおられたようです。そしてその天草の教会で、この間の10月に帰天されたとのことです」


 フルラネッティ師の話によると、私と長崎で別れた後のアルメイダ師は、精力的に何回も薩摩まで赴いていたそうだ。

 だが、老いと病には勝てなかったようである。医師の資格を持った商人として来日してから約三十年、その後日本でイエズス会に入会し、福音宣教とともに医学の面でもこの国にもたらした功績は大きい。

 オルガンティーノ師もフルラネッティ師も、私がマカオでアルメイダ師に初めてお会いするよりもずっと以前から、アルメイダ師が修道士の頃から共に日本で福音宣教に携わってきたのである。衝撃は私よりもはるかに大きいだろう。


 そしてそのまま御聖堂で、天国に行かれたアルメイダ師のための祈りが始まった。

 時に、間もなく季節は待降節アドベントを迎えようとしていた。


 その頃、ジュストの話では河内岡山からの移築作業も急速にすすめられ、大坂での工事もまた迅速に行われているという。このためにジュストはかなりの資金を提供してくれたようだし、農閑期に入ったために人手もかなりの数を出してくれているようだ。

 羽柴殿の大坂城も農民たちの農閑期のお蔭でどんどん進んでいるようだが、こちらはそれとは別の急ぐ事情がある。

 前に初めて教会建設予定地を視察した時にオルガンティーノ師が漏らした考えでは、なんとしても今年のナターレ((クリスマス))に間に合わせて、大坂の新しい教会の献堂式はナターレ((クリスマス))のミサと同時に行いたいとのことであった。

 そして都のオルガンティーノ師とジュストの両方から、大坂の教会が完成したという連絡が入ったのはナターレ((クリスマス))の前の週の火曜日、つまり今年はヴィジーリャ・ディ・ナ((クリスマス・イブ))ターレが火曜日なのでそのちょうど一週間前であった。


 大坂の教会にはオルガンティーノ師が都から移るという。都の教会はカリオン師とセスペデス師が残る。。

 その一週間で都の教会から必要な聖具や、オルガンティーノ師と数人の修道士の生活用品などを一週間で運び込み、ナターレ((クリスマス))のミサは大坂の教会にて都と高槻の教会の合同で行われることになった。つまり都と高槻の信徒クリスティアーニが一斉に大坂に流れるのである。

 なぜなら、大坂は新しい町で、まだほとんど信徒クリスティアーニはいないからだった。

 もっとも高槻の領民の一万人以上の信徒クリスティアーニが大坂に流れたらそれは大変なことになるので、高槻でもナターレ((クリスマス))のミサは行い、大坂に行く人々はジュストが領主として人選して、人数を制限した。


 そして当日、フルラネッティ師より私とアルメイダ兄、ヴィセンテ兄はナターレ((クリスマス))は大坂の教会のミサに参列するように言われた。

 神学校セミナリヨの学生たちにも全員新しい大坂の教会を見せてあげたいので大坂のミサに与らせるということになり、我われ三人はその引率ということだった。

 我われは待降節アドベント第四主日の翌日の月曜日、すなわちヴィジーリャ・ディ・ナ((クリスマス・イブ))ターレの前の日には大坂に向けて出発した。

 高槻から大坂まではだいたい五時間くらいの距離で、今回は人数が大勢なので街道を歩いて行くことにした。高槻は都と大坂のちょうど中間に位置する。

 朝のミサの後に出発して淀川沿いに歩き、昼過ぎにはその船着き場、我われが初めてここに来た時に船から降りたあの場所へと到着した。そして高台の上を仰ぎ見ると、かつては何もなかった所に今や白亜の殿堂と呼んでも過言ではない立派な教会堂がそびえているのが見えた。十字架が冬の青空に映えている。

 私はかつてヴァリニャーノ師とともに河内岡山の砂の教会を訪れたことがあるが、その教会を移築したにしてはかなり真新しい感じで、外見こそ似てはいるが全く新しい教会に感じられた。しかも、以前にも増して美しい。

 大きさは都や高槻の教会と変わらないだろうが、周りに何もない高台の上にそびえているので、かなり巨大な建物のように感じられた。


 そしてその翌日の日没を迎え、オルガンティーノ師の司式で前夜ミサが始まった。このミサが、大坂の教会の初ミサ、すなわち献堂式をも兼ねていた。

 そしてその時、まだ大坂には信徒は少ないのでミサももの寂しくなるかもしれないからと、高槻の信徒をつれてきたのがいらぬ心配であったことを我われは知った。

 教会にはなんと、多くの信徒クリスティアーニが押し寄せていた。しかも、彼らは大坂の信徒というよりも、近隣諸国から話を聞いて一気に集まってきた人々のようであった。

 わざわざ大坂の初ミサのために、河内や摂津、そして和泉の堺などからも多くの人が集まって、高槻の教会の時と同じように聖堂に入りきれない人々で教会のある丘はその周りまでもがごった返していた。


 暗くなって満月よりはだいぶかけた月が昇って来た頃には、ミサの後の宴が教会の丘の周りで執り行われていた。

 私は高台の麓の淀川べり、すなわち船着き場のあたりで宴会をしている人々の間に入っていた。ここから見上げる高台の上の教会は、その窓から煌々と明かりがもれて、屋根の上の十字架を夜空に映えさせている。

 まるでそれはナターレ((クリスマス))の夜を彩る、光輝く巨大な木のようであった。


 そして宴の余興のごとく、聖歌隊となっている神学校の学生たちのラテン語の歌声が夜空に響いており、羊飼いたちが聞いた天使の歌声もかくやと思われるものであった。


 セスペデス師司式の夜半のミサに続き、翌日の日中のミサは私の司式だったが、なんとオルガンティーノ師の計らいで、この日ばかりは聖堂もミサも信徒クリスティアーニだけではなく広く一般の異教徒にも開放されていた。

 だから物珍しさから、話のタネにと集まった人々も少なくなかった。だが、オルガンティーノ師はそれも良しとした。


「こうして教会に出会い、キリストの教えに出会い、これがきっかけで信徒クリスティアーノになる人も多いはずです」


 オルガンティーノ師は嬉しそうにそう言っていた。修道士の中には多くの異教徒が教会の中に入ることに難色を示した者もいたけれど、それをオルガンティーノ師は優しくたしなめていた。


「まずはその異教徒という言い方をやめましょう。彼らは今はまだ信者ではないけれどいつかの未来に信者になる人々かもしれません。異教徒ではなくて、今の時点ではいわばだ信者にになっていないというだけの未信者なのです」


 この意見に異を唱える者はいなかった。

 こうして1583年も過ぎ去ろうとしていた頃、新しい土地での新しい福音宣教が今始まろうとしていた。

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