Episodio 5 La sconfitta di Shibata-dono e la fine di Sanshichi-dono(柴田殿の敗北と三七殿の最期)
1
それからしばらくはまた平穏な日々が続いていたが、それはあくまで我われが感知できるこの高槻においてはということにすぎなかった。
領主が多くの兵とともに戦争に出陣している以上、それは平和とは言い難い。間違いなくここにも北の方の国で、大きな戦争が行われているはずだ。
だが、これまで情報源であったジュストが不在なのだから、我われに情報が入ってくるすべもなかった。
こうして4月も過ぎ、5月も下旬となって、5月19日の聖霊降臨の主日や翌週の25日の三位一体の主日も過ぎて、いよいよ次の木曜日の三十日にはもうひとつの大きな祭日である聖体の祝日を迎える。
その日の聖体行列で金の刺繍の天蓋の四本の棒を支えるのは、本来ならその土地の領主ということになっている。だが、出陣から二カ月近くたっているのにまだジュストは戻って来ていなかった。
そこで代理としてその父であるダリオが代わることになった。他の三本はやはり高山家の信徒の重臣と決まった。
その頃、久しぶりに激しい雨が大地をうがった。その雨も上がり、聖体の祝日の準備も慌ただしかった頃、都のオルガンティーノ師からの手紙がフルラネッティ師宛てに届いた。そこには、一瞬希望が消えかかりそうになるような内容のことが書かれていた。
「一度は羽柴殿と和解したはずの三七殿が先週の日曜日、つまり三位一体の主日の日に柴田殿や滝川殿が羽柴殿と闘っているのに呼応して、再び反逆の兵を挙げたとのことです」
フルラネッティ師が私とフランチェスコ師に告げた内容は、衝撃的だった。おそらくはジョアキムから情報を得たのだろう。ジュストがいないので我われにはその知らせが届かないことを懸念して、わざわざ知らせてくれたらしい。
私もフランチェスコ師も言葉がなかった。
「一時的なもの、総てがよくなるための変化。『心配いらない。大丈夫だよ』という主の問いかけを信じて、ひたすら祈りましょう」
厳かにそう言うフルラネッティ師の言葉も震えていた。
ジュストの帰りも異様に遅すぎる。戦争に行っているのだから、いつジュストにとって最悪の事態が突然起こらないとも限らない。だが、もしそういった万が一の時はすぐに知らせが来るはずで、そういった知らせは高槻の城にも我われのところにも届いていない……ということは、ジュストは一応無事でいるということになる。
それだけを希望に、三位一体の主日の聖体行列も、ミサの後に打ち合わせ通りに行われた。
金の刺繍の天蓋の下、聖体顕示台を掲げて歩くのはフルラネッティ師で、それを覆う天蓋の四本の棒の一本は予定通りダリオが持った。その後ろを私とフランチェスコ師、および修道士たちが続き、さらに多くの信徒がそれに続いて延々と行進は続いた。
その日から約二週間後、6月も中旬となり、間もなくこの国の雨季である梅雨を迎えるので天候が湿っぽくなるのを覚悟していた。
梅雨といえば、ちょうど去年の梅雨の真っ最中に例の本能寺屋敷でに一大事件が起こり、織田殿が命を落とした。
あれからこの国の状況は何もかも変わってしまったのである。
そんな日がまた廻り来るのかと思っていた頃に、ようやく軍勢とともにジュストが帰還した。城の家来の武士たちはもちろん、城下の領民たちが皆街道に人垣を作ってジュストの帰還を迎え、歓声とともにそれを祝った。その声で、高槻の町全体がちょっとした騒ぎになったくらいである。
我われもすぐに城にあいさつに行こうかと私がフルラネッティ師に申し出ると、フルラネッティ師は手で制した。
「いやいや、ジュストもお疲れでしょう。少し落ち着いてからにしましょう」
フルラネッティ師の言われることはもっともだし、フランチェスコ師もそれに同意した。なにしろ、約三カ月ぶりの帰還なのである。
ただ、とにかくジュストが無事に帰って来たというだけで、それだけで胸をなでおろしていた。
だが、その日のうちに、ジュストの方から教会へとやってきた。すぐに御聖堂で長々と祈っていたジュストは、その来訪の知らせに御聖堂へと降りた我われ三人の司祭の方に来て、立ったまま頭を下げた。
「ただいま、戻りました。実はいろいろとお話が」
「まあ、立ち話もなんですからどうぞ司祭館へ」
フルラネッティ師に促されてジュストも司祭館の集会室の広間に草鞋という乾燥した草で作られた履物を脱いで入り、我われは車座になって座った。
「まずは復活祭にもその後の復活節の諸行事もことごとく参列できませんでしたこと、お詫び申し上げます」
ジュストは頭を下げた。フルラネッティがそれを手で止めた。
「まあまあ、頭をお上げください。殿としてのお勤めですから致し方ありません。まずは、ご苦労様でした」
フルラネッティ師が座ったまま日本式に頭を下げるので、私もフランチェスコ師もそれに倣った。
「時に、戦争はすべて終わったのですか?」
私が尋ねた。ジュストの無事を心から喜ぶ気持ちは変わりないが、やはりこれまでの三カ月の、情報が入らなかった期間に世の中はどうなっていったのかも気になるところだ。特に……、
「三七殿もご無事ですか?」
唯一都経由で我われに入ってきた情報、それは三七殿が一度は和解した羽柴殿に再び反旗を翻したということだ。その三七殿の名前を出した途端、急にジュストの顔が曇った。
「三七様は、お亡くなりになりました」
「え?」
我われ三人とも、同時に声を発した。
「マドンナ!!」
「いつのことですか?」
フランチェスコ師が詰め寄る。
「三日ほど前のことです」
すると、先週の土曜日、つまり6月8日である。
「岐阜のお城を囲まれ、激しい戦いになったそうですが、ついに降伏した三七様は、羽柴殿の命で切腹させられました」
切腹とは、自分で自分の腹を刀で切って死ぬことで、自殺でそうする人もいるが、刑罰としてそうさせられることも多い。
「しかも、羽柴殿の命令で岐阜のお城を攻撃していたのは、三七様の兄の御本所様だったのです」
「マンマ・ミア!」
またもや三人の声がそろった。ただし、イタリア語なので、ジュストには分からなかっただろう。
それにしても、母親こそ違え実の兄弟で殺し合う……これが戦争なのか、これが「乱世」なのかと、背筋がぞっとしたのは私だけではなくほかの二人の司祭も同じようだった。
「で、あなたは?」
「私は従兄の中川瀬兵衛殿とともに岩崎山と大岩山に陣を張っていました。私が岩崎山、瀬兵衛殿が大岩山です。順を追って説明しますと……」
ジュストの説明はこうだ。
まず柴田軍が雪解けとともに越前を出て南下、近江に布陣。ジュストに参戦命令が来たのもこの頃だ。
ところが三七殿の挙兵によって羽柴殿はすぐに岐阜に向かったのだが、その時の大雨で長良川が氾濫して足止め状態となっていた。
それを好機と見た柴田殿は羽柴方の陣地への攻撃を始め、柴田殿配下の佐久間玄蕃がまずは瀬兵衛殿の大岩山を攻めた。
「我が従兄は、残念ながら命を落としました」
ジュストは一度目を伏せ、また話し始めた。それによると、大岩山が落ちたと聞いたジュストは岩崎山の陣地を捨てて羽柴筑前殿の兄である羽柴小一郎殿の陣に逃げ帰ったという。
「戦わずして陣を捨てて逃げたということで、私はだいぶ顰蹙を買いましたけれど、やはり殺生を伴う戦争は私には荷が重すぎます」
苦笑するでもなく苦い顔で、ジュストは目を伏せていた。
そこへ、岐阜の三七殿を攻撃するべく美濃へ行っていた羽柴筑前殿が、柴田軍からの攻撃が始まったことを聞いて取って返し、神業ともいえる早さで北近江に至ったという。
「そして賤が岳砦の攻防戦を経て、ついに羽柴殿が勝利。柴田殿は越前に戻ったのですがその城も羽柴殿に攻撃されて落城し、柴田殿は奥方のお市様とともに自害して果てたそうです。その後で三七殿も降伏、切腹し、今回の戦は羽柴筑前殿の大勝利で終結しました」
戦争が終結したというのは喜ばしいが、恩義がある柴田殿と闘わなければなず、またその柴田殿が亡くなったということは、ジュストにとっては心痛あまりあるものがあったであろう。
我われにとっても、三七殿の死は衝撃だった。いつも十字架を胸に、信徒と変わりない生活を送り、我われとの親交も厚かった三七殿は、ついに洗礼を受けることもなく逝ってしまった。
「『天主』よ。三七殿の魂が迷わず天国へ行かれますようお導きください」
フルラネッティ師は、その場ですぐにそう祈りを捧げた。
だがこの中で、あの三七殿が悪魔の形相になって豹変したのを目撃したのは私だけなのだ。
天国へは……残念ながら……、そんなことを考えていると、ふと涙がこぼれ落ちそうになってしまった。
2
ほどなく滝川殿も降伏し、一応は、世の中は落ち着いた。
三法師殿の後見は御本所殿一人となり、また世人の合議衆も一人欠けて三人となった。いや、そうなるはずだった。
だが、どうも世の中は羽柴殿を中心に動き始めたようで。これまでの多くの織田家の家来が羽柴殿の家来となるという形を取り始めたようだとジュストも言っていた。
なぜなら、当のジュストもそのような形で羽柴殿の家来になることになったとのこと、しかもなんと、羽柴殿とは対等であったはずの丹羽殿や池田殿までもが羽柴殿の家来ということになったようだ。
「どうも次の天下人は、羽柴筑前殿になるのでしょうか」
食事をしながらの席ではあるが、フルラネッティ師もそのようなことを言っていた。
ただ、我われはここで、その責務を全うするだけである。
私にとっても、学生たちと暮らす日々を過ごしているうちに、かつて安土でそうであったように、そのような毎日が楽しくてしょうがなかった。
異教徒にキリストの道を説いて改宗させるのも福音宣教なら、信徒の若者の信仰を育て、立派な信徒にと導くのもまた福音宣教だと思う。この中から一日にも早く日本人司祭が出ることを祈りながら、私は教壇に立って学生たちと接していた。
世の中も大きな動きはなく、六月の末に羽柴軍の一部隊が高槻の城に押し寄せ、先の戦争でジュストが柴田殿に内通していたのではないかという疑惑を問いただしに来たが、なんとかジュスト殿は身の潔白は証明できたようで、羽柴軍は一日で帰っていった。
やがて梅雨も終わり、季節は夏を迎え、神学校も夏休みとなり、そしてあっという間に9月を迎えた。
その頃、フルラネッティ師は夕食後に私とフランチェスコ師を自室へと呼んだ。
「下の方から消息が届きましたよ」
そう言いながら、フルラネッティ師は数枚に及ぶ手紙を我われに示した。
「フロイス神父から都のオルガンティーノ神父に手紙が来たそうですけれど、その大まかな内容の写しをオルガンティーノ神父は私にも送ってくれました」
まずはフランチェスコ師が、次に私とそれを回し読みした。
そこには驚くべきこと、そして私がずっと気にかけていたことが、喜ばしい結果として記されていた。
それは昨年、私が長崎にいた時についに到着しなかったマカオからの定期船のことである。
その後の例の定期船の消息は、以下の通りであったという。
昨年の八月、私が長崎に行っていた時、アンドレ・フェイオという人を船長とする定期船がいつまでたっても到着しないと大騒ぎだった。
その船と同時にマカオを出港したアントニオ・ガルセス船長の船はぼろぼろの状態で口之津に到着していたが、そのガルセス船長の話だと途中でものすごい大嵐に遭い、フェイオ船長の船は全く見当たらなくなったという。
ガルセス船長の船は『天主』の御守護のもとなんとか日本にたどり着いたけれど、フェイオ船長の船に関しては全く消息不明とのことだった。
そしてもう風向きが変わったのでこれから後の到着は見込めないということになった頃、私は長崎を離れて都へと戻ってきた。
そのフェイオ船長の船の消息がわかったとのことだった。
一ヶ月半ほど前の7月15日、今年のマカオからの定期船がカピタン・モールのアイレス・ゴンサルヴェス・デ・ミランダを船長として長崎に入港した。そしてそこには、昨年到着しなかったフェイオ船長の船に乗っていたはずのペドロ・ゴメス師やクリストヴァン・モレイラ兄などが元気に乗っていたのだという。
モレイラ兄とアルヴァロ・ディアス兄、ジョアン・デ・クラスト兄はすでにマカオで叙階を受けて司祭となっていた。
他にダミアン・マリン師、ジョアジェ・カルバリオ師、フランシスコ・パシオ師という司祭や三人の修道士がその便で日本にやって来たのだという。
パシオ師と聞いて、私は驚いた。私にとって懐かしい名前だ。
私はリスボンからゴアまで、ずっと彼とともに旅をしてきたのだ。私と同じ教皇領の出身だが、リスボンで初めて会った時は私よりも若いのにすでに司祭だった。いわば年下の先輩だ。
たしかパシオ師もマテオとともにゴアからマカオに来ると、去年もらったヴァリニャーノ師からの手紙に書いてあった。
「そうか、あの人も日本に来られたのか」
私は早くパシオ師に会いたいと思った。
ゴメス師が昨年のフェイオ船長の船について語ったところによると、嵐で船は台湾という巨大な島の沖で座礁して動けなくなり、なんとか筏で上陸したものの原住民に襲われて命の危険にさらされ、多くの財宝も奪われたという。
だが彼らはなんとか岡の上に小屋を作って冬を越し、座礁した船の残骸で小舟を作って命からがらマカオへと帰りついたとのことだった。もちろんその途中で、何人かの乗員は命を失ったという。
そしてあらためて今年、カピタン・モールの船で日本を目指した来たとのことだった。
そしてもう一点、長く日本の布教区長を務め、ヴァリニャーノ師とぶつかってその任を解かれて豊後の府内にいたカブラル師が、昨年嵐の中をなんとか先に日本に到着した船がマカオに戻る際にそれに乗り、ついに日本を離れたとのことだった。
彼は暫定的に豊後の布教区長を務めていたが、その後任に内定しているゴメス師の来日の見込みが立ったので入れ替わりに日本を離れたのだろう。
手紙を読み終わった私は目を挙げた。
「あのう、例のスパーニャとポルトガルの併合によるその後の動きなどは?」
フルラネッティ師は静かに首を横に振った。
「ご覧のとおり、オルガンティーノ神父の手紙には、そのことについては何ら触れられていません。特に目立った動きはないのか、あってもまだマカオには伝わっていないのか、あるいはフロイス神父から何か情報は来たけれど、オルガンティーノ神父は我われにはそのことを知らせてくれなかったのか、それは分かりません」
もしかしたら、本当にまだ何の動きもないのかもしれない。
ただ、もし何かあったとしても、私がそのことを長崎から戻った時にオルガンティーノ師に伝えた際も、オルガンティーノ師はさしたる関心も示さなかったので、あえて必要を感じなくて今回の手紙には書かなかったのか……、いずれにせよ大騒ぎするような緊急の事態は起こっていないことだけは確かだろう。
「それとコニージョ神父。フロイス神父からオルガンティーノ神父に届けられた手紙には、もう一通の手紙も添えられていたそうです。あなた宛てですよ」
そう言ってから私に、まだ封も切られていない手紙をフルラネッティ師は渡してくれた。
「今回来られたパシオ神父がマカオから託って来られたようです」
私がリスボンからゴアまでともに旅をした司祭の一人であるパシオ師の名前にも涙が出そうなほどの懐かしさを感じたが、私はその封書の裏の懐かしい文字を見て、飛び上がらんばかりに心が踊った。
「マテオ…!」
そしてすぐに自分の寝室にそれを持っていくと、急いで封を切った。見覚えのあるイタリア語の文字が、私の目に飛び込んできた。もうそれを見ただけで、まだ内容を読んでもいないのに私の目には涙があふれてきた。
――1582年9月8日
コニージョ神父、いや、昔のようにジョバンニと呼ぼう。
主の平和があなたと共にありますように。
ゴアで君と別れてからそのままインディアで福音宣教の任に当たるはずだった僕とパシオ神父を、ヴァリニャーノ先生はマカオまで呼び寄せてくださった。そこで、懐かしいヴァリニャーノ先生ともお会いし、ほかにリスボンから共にゴアまで旅をしてそして君と一緒にマカオまで行ったルッジェーリ神父とも再会して、僕とルッジェーリ神父はヴァリニャーノ先生の命でこれからチーナ大陸への福音宣教へと旅立つ。
そしてヴァリニャーノ先生からも、君の話は聞いたよ。日本で君は大活躍のようだね。
そして日本から来てローマを目指して旅をするという少年たちとも会ったけれど、その中のマンショという少年も君の話をしていた。彼は実に流暢にポルトガル語を話すから驚いた。僕も少しは日本語を勉強しているけれど、なんといっても主体はチーナ語だ。日本語とチーナ語、文字は同じなのに全然違う言葉なので驚いた。もっとイタリア語とポルトガル語くらいには近いのかと思っていた。
日本では順調に福音宣教が進んでいるようで、信徒もかなり増えているそうじゃないか。チーナは未知数の国だ。壁もなかなか厚いと聞いている。どうなるかは分からないけれど、ただ『天主』のみ意のまにまにそのみ手足となって十分にお使い戴くつもりだ。
日本とチーナは海を隔てているけれど、お互いに目指すところは一つ。
この手紙は私が共にゴアからマカオに来たパシオ神父が日本へ行くことになりそうだというのでに彼に託けて、僕はもう来月にはチーナ大陸へ向かうよ。
『天主』のご加護、主イエズス・キリストの御恵みと聖母マリアの御慈しみが君の上にも豊かにあらんことを。
マカオにて マテオ・リッチ――
私はもう、読んでいて涙が止まらなかった。書かれた日付からもう一年近くたって、ようやく私の手元に届いた手紙だ。だがそれは、西東と別れているけれど心は一つ、聖職の友だと、それを実感できるような手紙だった。
3
その翌日、我われ三人の司祭は、ジュストに城へと招かれた。
ジュストは毎朝の祈りのために教会を訪れ、そのまま毎日ミサに与っているのだから、我われに話しがあるならミサの後にいくらでもできる。それなのにわざわざ城に招くということは、よほどあらたまった話なのだろう。
「まずはバテレン様方、我が城にご足労いただいたこと、真に恐れ入ります」
ジュストは我われを前に、深く頭を下げた。
「実はそれがし、思うところがあって都のバテレン・オルガンティーノ様に僭越ながらご注進したき儀がございまして、重臣の一人を都の南蛮寺に派遣するつもりであります」
ジュストの方から我われに意見を申し述べることなどこれまでなかったので、どれだけ重大なことなのだろうかとわれわれは息をのんだ。
「しかしながら、この高槻にもバテレン様方がおいでなのに、そのお耳には何もお入れせずに、飛び越えていきなりオルガンティーノ様に申し上げるのは皆さま方に失礼と思い、今日こうしてお招きしたのです」
やはり、どこまでも律儀なお人であった。
「今、羽柴筑前様は柴田殿亡き後、清洲での合議衆の筆頭に立たれ、二十か国を領有する大大名となっております。そして、長浜の従来のお城はかつて柴田殿に譲られており、今年のあの戦で落城しました。羽柴様のお城は姫路城のみだったのですがあまりにも都から遠く、しばらくは天王山の上の山崎城を居城とされていました」
「天王山、山崎といえば……」
フルラネッティ師が目を挙げた。ジュストはうなずいた。
「はい。私が瀬兵衛殿とともに明智を討ったあの山崎の地の山の上にある城です。都には近いことは近いのですが、我われが戦ったあの戦場を遥かに見おろす天王山という山の頂上です。ですから、出入りがとても大義なのです。城下町を造ることもできません。そこで羽柴様が目をつけたのは、一度は池田殿が領有していた大坂城です」
かつて一度だけ、私もその城の名を耳にしたことがあった。織田殿と長年にわたって抗争を続けて生きた一向宗の石山本願寺だが、織田殿との和解が成立して一向宗が紀州の雑賀に移ってからは、織田殿がそこに大坂城を築いていた。
そこは織田殿の甥の織田七兵衛殿が預かっていたけれど、本能寺屋敷での事件の後、明智と通じていたとの疑いをかけられた七兵衛殿は丹羽殿と三七殿に攻められてその大坂城で命を落とした。
その後は池田殿がその城を預かっていたが、池田殿は三七殿が討たれた後に三七殿の旧領の美濃を本拠地とすることになったため、摂津の国は羽柴殿の領有する土地となっていた。
いわば大坂城は羽柴殿のものとなったのである。
「これまでの大坂城は石山本願寺の遺構を利用しただけの小さな城でしたけれど、羽柴様はそれを安土に負けないような大々的な城へと今や普請中です。おそらく、今後はその大坂城が羽柴様の居城となるのでしょう」
「工事は、もう始まっているのですか?」
フランチェスコ師が質問する。
「はい。今まさに進行中です。しかしかなり大規模な普請ですので、すぐには終わりそうもありません。でも、羽柴様はすでにある程度できた大坂城に移り住んでいるとのことです。そして、私がオルガンティーノ様に申し上げたいことと関連してくるのですが、羽柴様は城だけでなく、大坂の地に安土や都にも負けないような巨大な都市を建設するつもりでいるようです。城の普請と並行してその城下の建設も進んでおり、多くの大名が地所をもらって大坂にそれぞれの屋敷を建てはじめています。そこで、」
ジュストは一度言葉を切った。大きく息をついで、我われを見回した。
「一信徒にすぎない私がこのようなことを申し上げるのは真に僭越なのですが、南蛮寺も大坂に地所をもらいうけて大坂の南蛮寺を作るべきではないかと」
「おお」
三人とも、感嘆の声を挙げた。
「安土ではついに実現しなかった教会を大坂に……」
私がつぶやいた。フルラネッティ師はゆっくりとうなずいた。そしてジュストに言った。
「ジュスト、あなたは一信徒などではない。この国における我われイエズス会を保護するお立場の方だ。どうぞ忌憚なきご意見をお聞かせ願いたい」
ジュストは少しためらっているようだったが、意を決して切り出した。
「羽柴様はそのうち、南蛮寺をも大坂に建てるように言ってくるでしょう。すべての勢力を大坂の中に抱え込みたいと思われているようです。それに逆らうことはできません。でも、それを待っていてはだめなのです。そのようなことを羽柴様の方から命じられる前に、大坂に土地を賜りたいとこちらからお願いしなければまずい状況になるのです」
「まずい状況?」
フルラネッティ師の顔が曇った。
「羽柴様はきっと、都の南蛮寺を大坂に移築せよと命じてくるのではないかと予想されます。そうなると、都に南蛮寺もなくなり、土地も失います。また、移築には莫大な費用がかかるでしょう」
たしかにそれは困る……と三人の司祭の誰もが思った。都の教会にオルガンティーノ師がおられる以上、都の教会こそが都布教区の中心教会なのだ。それがなくなってしまうというのは大問題だ。大坂に教会を造るのはいいが、都の教会は都の教会として残しておかねばならない。でもぐずぐずしていて羽柴殿から都の教会を移築せよと命じられてしまったらそうしないわけにはいかなくなるので、言われる前にこちらから先手を打とうという寸法らしい。
「堺の教会は?」
フランチェスコ師が言った。オルガンティーノ師は堺にも教会を建てたいと、もう土地も購入してある。
「堺の教会はあきらめて、大坂に教会を建てなければならないのでしょうか」
私が口をはさんだ時、またジュストは言った。
「その堺の教会も、建設を変更して大坂に建てよと羽柴殿は言われるでしょう。ですから、やはりその前にこちらから」
「しかし……」
フルラネッティ師の顔は曇ったままだ。
「今、我われに大坂に土地を買う金も、教会を建てる金もない」
「実は」
ジュストはまた膝を一歩進めて話しだした。
「隣国であります河内の岡山の南蛮寺が、今や空き家状態ですね」
そうなのだ、河内岡山の教会は砂の教会とも呼ばれ、日本の教会では一番の美しさだろう。だが、常駐する司祭はいない。それどころか、岡山の地は結城ジョアン殿という信徒の殿が領有していた。私もかつてヴァリニャーノ師とともにその教会を訪れたことがある。
「結城殿は国替えで、もう岡山にはおられません」
ジュストが驚きの証言をした。
「羽柴殿がほかの国へと結城殿を遷され、今の岡山は異教徒の殿が治めています」
国替えとは、権力者による殿の配置換えだ。拒否権はない。岡山の領主が異教徒の殿ということになると、あの美しかった教会も取り壊されてしまう可能性もある。そうなると、ただ信徒だけが取り残された形になってしまう。
「その岡山の教会を解体して、大坂に移築したらどうでしょう?」
ジュストの案は、これは名案だと思った。
「費用はすべてそれがしが持ちます」
さらにジュストの申し出は、我われにとって涙が止まらないほどのものだった。
フルラネッティ師はジュストの手を取った。
「ありがとうございます。でもこのような重大なことは我われ三人の一存で決められません。すべて布教区長のオルガンティーノ神父がどう思われるかです」
「はい。そこで、私の重臣を都に送りたいと思ったのです」
「そうですね。我われがジュストより話を聞いて我われがそれを都に伝えるというのではなく、ジュストのご家来の人を通してジュストから直接オルガンティーノ神父には言われた方がいいでしょう」
「では、そうさせていただきます」
ジュストはまた頭を下げていた。
4
それから二、三日たった頃、我われ司祭三人はオルガンティーノ師から招集を受けた。おそらくはジュストが例の件を、使者を遣わしてオルガンティーノ師にも伝えたのであろう。それに関しての協議を行うということらしい。
神学校の方は修道士たちに任せ、我われは都に向かった。もしこれが数日の滞在ならば、ミサの関係で三人のうちだれかが残らなければならなかったが、一泊のつもりだったので三人で出かけた。
私にとっては約十カ月ぶりの都であったが、特に変わった様子などは見受けられなかった。
朝、高槻を出て昼過ぎには着き、夕方から早速協議会となった。オルガンティーノ師とカリオン師、セスペデス師に加え、高槻からの我われ三人で、総勢六人での会議だった。
オルガンティーノ師からの説明は、我われが高槻の城でジュストから聞いたのと同じ内容だった。カリオン師とセスペデス師にはすでにオルガンティーノ師から話があったようで、我われもジュストから聞いているし、だからその内容についてあれこれ言うものはなかった。
「ジュストの言われる通り、ことを進めてよろしいですね」
オルガンティーノ師からの念押しに全員がうなずいて、あっという間に協議会は終わった。
「本当にジュストには感謝です。もし何も知らずにこの都の教会を大坂に移転させねばならなくなったら、大変なことでした」
オルガンティーノ師はそう言ってから手を組み、祈りを捧げていた。それから、目を挙げた。
「この件は私が直接大坂に行き、羽柴殿にお会いしてお話しすることにしましょう」
ジュストを通してという方法もあったが、オルガンティーノ師自ら出かけるのが最良の方法と思われた。誰も異議はなかった。
「私は羽柴殿が次の天下人ではないかと、そういう気がしているのです。まだ分かりませんが」
オルガンティーノ師は、厳かに言う。たしかに今はまだ羽柴殿は多くの領国を支配しているというだけで、織田家の当主三法師殿の家来であるという点では池田殿や丹羽殿と同列である。官位も、一地方を治める筑前守のままである。
だが、三法師殿は幼少、後見人も三七殿亡きあとは三七殿の兄の御本所殿だがあまり実力のある人ではないようだ。
羽柴殿が力をつけていって天下人になる可能性は十分にあった。
「だから、大坂に教会をということだけでなく、羽柴殿と会って関係をつないでおいた方がいい。私と同道だが、まずはコニージョ神父」
私はいきなり名を呼ばれたので、すぐにオルガンティーノ師を見た。
「あなたは前に羽柴殿に会ったことがありますよね」
たしかに、私は姫路城で羽柴殿に会っている。考えてみればこの中で羽柴殿を直接知っているのは私だけだった。
「一緒に行ってくれるね?」
「はい、喜んでお供させていただきます。それと、あの折に私とともにいたロレンソ兄ですが、あの方はもっと古くから羽柴殿とは面識があったようです。あの方もご一緒していただいては」
「そうだね。我われの側にも、日本人が一人いた方がいい」
オルガンティーノ師は大きな声で同宿の少年を呼び、教会堂の二階にいるロレンソ兄を呼びに行かせた。
すぐにやってきたロレンソ兄に打ち明けると、ロレンソ兄は二つ返事で同意した。
「ついでにあの方にも一緒に行っていただいたら心強いのでは?」
カリオン師が言ったあの方とは、都の教会の信徒のジョアキム小西殿のことであった。その息子の弥九郎殿は羽柴殿に仕える武将だ。たしかにこの方がいたら、心強いなどといった騒ぎではない。
教会からは割と近い所に住んでいるので、同宿に呼びに行かせたらすぐに教会に来てくれて、ことの次第を説明すると同行を快諾してくれた。




