Episodio 3 Oda Sanshichi e Hashiba Chikuzen(織田三七と羽柴筑前)
1
こうして涼風しげくなってきた9月10日、フロイス師やモーラ師、ロペス師などの司祭やニコラオ兄、神学校の教師である修道士のアントニオ・アルバレス兄、そして学生の生活の面倒を見ている修道士アンプロシオ・ダ・クルス兄らに見送られ、私とバリオス兄を乗せた船は帆いっぱいに風を受けて有馬の港を離れた。
船員はジュストの手配の船だけに全員が日本人の信徒で、これまでは長崎の船宿に逗留していた。その船宿の関係者を含め長崎の町の市民もまた全員が信徒だから、生活には何ら問題はなかったと思う。
航海は驚くほど順調で、毛利領伝いに進んで十二日後の22日の土曜日に大坂の港に着いた。長崎や有馬はあれほど暑かったのに、大坂はもう空気が冷んやりとしていた。
だが船は上陸せず、そのまま淀川という大きな川をさかのぼり、直接高槻の近くまで乗り付けた。
高槻の船着き場に上陸すると、我われを目撃した領民が教会とお城に大急ぎで知らせたのであろう、殿であるジュストやフルラネッティ師が出迎えに来てくれて、途中でばったりと出くわす形になった。
その中には、都の教会で一緒だったジョバンニ・フランチェスコ師の姿もあった。
歩きながら聞くと、オルガンティーノ師の命で、今やフランチェスコ師は高槻教会付になっているという。
川の上陸地点から四十分ほど歩いて高槻の町に入り、城門をくぐって城内に入るとすぐに教会が見えてきた。
だが、見覚えのあるその屋根の手前にどんと大きな、新築の建物があるのが見えた。私が今回下に行くときにここを通った時はまだ建築中だった新しい神学校の建物がほぼ完成していた。
「冬になる前には都から学生たちを呼び寄せますよ」
その新建造物を見て歩きながらフルラネッティ師は私に言った。
「都の冬は寒いですからね」
そして笑った。
「たしかに」
私も同調した。
「それに都の教会は狭い。ここは安土のように広々として、学生たちものんびりと過ごせるでしょう。安土と違って教会とも棟続きですし、それに町中が長崎や有馬のように信徒の市民ばかりです。門を一歩出たら異教徒の町って感じの安土や都よりも、環境はずっといいですね」
そんな話をしながら、教会に着いた。
翌日、都の教会からオルガンティーノ師とロレンソ兄が私を迎えに来た。同行していたバリオス兄は高槻までだし、そうなると単独行動はできない以上誰かに迎えに来てもらわなければならないのだが、まさか布教区長直々においでくださるとは思わなかった。
「いやあ、ごくろうでしたね」
にこにこ笑って私をねぎらってくれるオルガンティーノ師だったが、私はとにかくエウローパでの変事を伝えなければと気が焦っていた。
だから、その日の夕食後、終課までの間の時間に司祭館の集会室に、私はここにいる聖職者全員に集まってもらった。
そこで私は長崎や有馬でのこと、マカオからの定期船が一艘嵐のため行方不明でそれにはゴメス師も乗っておられたこと、ヤスフェの有馬仕官ことなど手短に話した後、本題を切りだした。
「まずは詳しいことは、この巡察師からのお手紙に書いてあります」
私はそう言ってオルガンティーノ師宛てのヴァリニャーノ師からの手紙を渡した。
「おお、懐かしい」
オルガンティーノ師がそう言ってその手紙に目を落としている間に、私は先に他の人にかいつまんで状況を話した。
「かれこれ二年前の話ですが、やっとこの国にその情報が伝わりました。一つはすでにイエズス会の総長が交代しておられたこと、もうひとつはこれも二年前にポルトガル国王がお亡くなりになっていたことです」
「ほう、そうだったのですか」
まるで他人事のようにフランチェスコ師が言った。私は続けた。
「ところがその後、ポルトガルは新国王が即位せず、イスパニア王がポルトガル国王を兼ねるという事態になったということです。つまり両国は同じ国王を戴く同君連合の関係になったわけです。でも、それは表向きで、実質上はイスパニアによるポルトガル併合だと」
その時、オルガンティーノ師が、ヴァリニャーノ師の書状を読み終えて顔を挙げた。
「この手紙にも、そのように書いてありますね」
だが、話を聞いていた人もそれほど動揺した様子もなかった。それも当然で、私は一応ポルトガル語で話はしているが、ここにいるメンブロは日本人修道士とバリオス兄以外は皆イタリア人だ。唯一のポルトガル人であるバリオス兄はすでに有馬でこのことは聞いているはずである。
だからスパーニャとポルトガーロが合併と聞いても、よその国の出来事という感じなのだ。
「ただ、長崎ではかなり緊迫した事態にとらえていましたよ」
私がそこに一つの危惧を語った。
「両国の併合となるとサラゴサ条約が白紙になるということです。つまり、イスパニアはこれまで日本には手を出すことはできませんでしたが、これからはフィリピーノのイスパニア総督が直接日本に手を出すことが可能になるのです。フィリピーノからのイスパニア船がこの日本にどんどん来航する可能性もあります」
「しかしこの手紙によると」
ゆっくりと、オルガンティーノ師が口をはさんだ。
「イスパニアは日本に対する領土的野心はないようだとあるが。その関心はもっぱらシーナであって、しかもそれはフィリピーノ総督が主張していることで国王陛下はあまりその気ではないようだとも」
「そのへんはマカオで、ヴァリニャーノ神父様が釘を刺してくださっているようです」
「ま、いずれにせよ」
オルガンティーノ師はゆっくりと一同を見回した、
「地上の動静がどうであれ、我われはあくまでこの日本の霊益のため、日本を福音化することを目的に来たのだから、その使命を遂行するまででしょう」
「そうですね。イスパニアが日本に軍事進攻することについてはヴァリニャーノ神父様が断固阻止すると言ってくださっています。ただ、シーナに対してはずっと前からイスパニアはその企てがあるようで、サラゴサ条約の消滅によって一気に実現化することが危惧されますね」
フランチェスコ師が顔を挙げた。
「かつて織田殿もそのようなことを考えていたので、明智はそれを阻止しようとして織田殿を討ったというのも、あの本能寺屋敷の事件の要因の一つだとも思えますしね。もちろん長曾我部のこととか帝に対する織田殿の考えとかほかにも要因はあるようですが」
「それを思うと、明智が織田殿を討たなかったらもっとややこしいことになっていたかもしれませんね。九州はそのせいで乱世に逆戻りと、ドン・プロタジオは嘆いていましたけれど」
「そうなると」
それまで黙って聞いていたフルラネッティ師も、ようやく他人ごとではないよな気がしてきたのかその顔を曇らせ始めた。
「イスパニアの息のかかった修道会、例えばフランシスコ会やドミニコ会なども日本に来る可能性があるのでしょうか」
「いや、それは」
オルガンティーノ師がフルラネッティ師を見た。
「フィリピーノからの航路が開かれたら可能性はありますが、修道会はあくまで地上の国家が派遣するものではなく教皇様のお心次第です。ただ、一応巡察師がおられた時の協議会では、日本は我がイエズス会が担当して、当分他の修道会にはご遠慮いただくということで話がついています。とにかく」
明るくオルガンティーノ師が話のまとめに入った。
「もしイスパニアが日本に軍事進攻するようなことがあれば、私が楯になって私の嫁であるこの日本をを守る。もちろん武器を持って戦うわけではなく、祈りの力で霊的バレイラを打ち立てる」
オルガンティーノ師は、笑いながらも力強く宣言した。それを聞いて私は、まるで対照的に日本を狙うフィリピーナ総督に同調するかのような意見を吐いた準管区長コエリョ師のことを思い出して胸糞悪くなった。
やはりこんなにも日本を愛しているこのオルガンティーノ師こそ日本の準管区長にふさわしいお方だったのではないかと思ったが、もはや私などにどうすることもできないことであった。
2
翌日の日曜日には主日のミサがあり、教会の御聖堂は相変わらず入りきれないくらいの信徒でごった返していた。
殿であるジュストもその父のダリオも領民と肩を並べて供にミサに参列した。
午後はそのジュストに招かれて城に上がり、あらためて下よりの帰還のあいさつをした。
ジュストにとっては初対面であるバリオス兄を紹介するという意味もあった。バリオス兄も初めてジュストと対面したどの司祭や修道士とも同様に、ジュストが流暢にポルトガル語を話すことに驚いていた。
そして翌月曜日、つまり9月24日に、私はオルガンティーノ師やロレンソ兄とともに都に戻ることになった。
だがその前夜、私はオルガンティーノ師から都の布教区長としての命を受けた。それは、とりあえずは都に戻るけれど、この高槻の神学校が完成して今は都にいる学生たちが高槻に移るのを機に、私に高槻付きを命ずるというものだった。
もちろん私にとってそれは大歓迎で、『天主』のお仕組みにも深く感謝した。またあの青少年たちとともに暮らしていた安土での日々が、この高槻で甦るのである。
オルガンティーノ師と離れ離れになってしまうのは寂しいが、私は胸が躍るのを禁じ得なかった。
そして久しぶりの都に帰り着き、カリオン師に労いとともに迎え入れられた。カリオン師からは、今の長崎の様子をいろいろと聞かれたが、
「いえ、何も変わっていないですよ」
私は笑いながら答えておいた。
たしかに風景はなんら変わっていなかった。だが、この都がわずか半年前とでは状況が大変わりしているのと同様、九州も殿たちの均衡が破れてまずい状況になっているのだが、そのことはとりあえず触れずにいた。
そしてかつて高槻にいたセスペデス師は、今はこの都の教会付となっていた。フランチェスコ師と交代する形だ。
「まあ、しばらくはゆっくり休むといい」
オルガンティーノ師も笑ってそう言ってくれた。例のポルトガルとスパーニャの件は、カリオン師とセスペデス師がスパーニャ人なので、折を見て自分から話すとオルガンティーノ師は言ってくれた。
ただ、私はカリオン師には知らせておかなければならない重大事項があった。カリオン師と私はともにマカオで叙階をうけ、同じ船で日本に来た。その同じ叙階仲間であるミゲル・ヴァス師の帰天については、すぐにカリオン師の耳に入れた。
カリオン師も驚きとともに、かなり悲しんでいた。あの時叙階をうけた六人のうち、ミゲル・ヴァス師が最初に天に召されたのだ。
その三日後、つまり水曜日にはいつもの情報源である信徒のジョアキム小西殿が教会にやってきた。
「いやあ、大勢の人が北の方に行かはるさけ、なんやろと思いまして聞いてみましたらな」
いつもの通り集会所の縁側に腰掛けてジョアキムが語り始めた。
「妙心寺で織田様の百箇日法要だそうで」
「ヒャッカニチ・ホーヨー?」
さすがに日本通のオルガンティーノ師も知らないようだった。
「亡くならはった方の供養を、亡くなって百日目にするんどす」
「葬式ですか?」
カリオン師が聞いた。
「いや、葬式なら、織田殿が亡くなってすぐに本能寺屋敷の跡地で行われたではないですか」
それには私がそう答えた。たしかにあの日は一日中、仏教の僧侶の読む「経」という歌か呪文のようなものを聞かされてまいったし、私おオルガンティーノ師で見に行ったりもした。
「いえいえ、葬儀やのうてあくまで法要どす。仏教では亡くなった後、何日目、何日目と決められた日付にその法要いうんをやるんどす」
私とオルガンティーノ師は顔を見合わせた。そして、オルガンティーノ師が二人の共通の疑問をジョアキムに向けた。
「その法要は、だれが主催ですか?」
そのような重要な法要だから、その主催者が織田殿の跡継ぎであるということを内外に誇示するものとなるはずだ。
「お市様どす。織田様の妹様どす」
妹が主催ならあり得ることだけれど、後継者とか跡継ぎとかとは関係のない話だ。
「でも、その妹さんはご結婚されていますか?」
このような質問をするということは、オルガンティーノ師にとっても織田殿の妹御という存在は初耳だったのだろう。
「前に浅井という大名に嫁いでいてはりましたけんど、その浅井が上様に逆らって滅ぼされたんで、三人の姫とともに織田に戻って来はりましてん。でも、今は越前の柴田修理様のもとへ再び嫁いではります。つい最近どすわ。まだひと月とちょっとくらいしかたってまへんな」
柴田修理といえば、あの清洲での会議の時の三七殿の話に盛んに名前が出ていた柴田権六殿のことだろう。かつては織田家の家来の中では一番上の人だった。
結婚はその清洲での会議よりも後の話らしい。三七殿とも結構仲良くしている人のはずだ。
翌日、その三七殿が何人かの供をつれて教会を訪ねてきた。
久しぶりに見るこの貴人の姿は、前よりも野性味が増したように感じられた。
教会の集会場の広場ではこれまでと同様に、あくまでオルガンティーノ師をはじめ我われ司祭を上に座らせて、三七殿は下座の位置にいた。
「ご無沙汰しております。実はここのところ三法師の後見としてずっと岐阜におりまして、なかなか都に出てくることもできずに失礼いたしました」
そう言って三七殿は頭を下げるので、オルガンティーノ師は苦笑して我われの方を振り返った。
「かえってこちらが恐縮してしまうね」
そういうふうに早口で我われに、小声のポルトガル語で言った。三七殿のこの言い方だと、私が下に行って留守の間も一度も教会には来ていなかったようだ。
「このたびは父の百箇日の法要が営まれまして、それに参列するためにようやく上洛の機会がありましたので、こちらにも参らせていただきました」
やはり昨日ジョアキムが言っていた妙心寺という寺での法要という催しに、三七殿も参列していたのだ。
「わざわざそのために、岐阜から来られたのですか?」
オルガンティーノ師の問いかけに、三七殿は大きくうなずいた。
「法要の施主が我が叔母上でありますから、私が顔を出さないわけにはまいりません。でも、今や織田家当主である三法師はまだ幼少で都への長旅はいろいろと難儀なので岐阜に置いてきましたゆえ、その後見役である私が三法師の名代として参列したというそういう意味合いもあるのでござる」
そこで、セスペデス師が身を乗り出した。
「岐阜は、今はどんな様子ですか? 岐阜の南蛮寺は?」
やはりかつてご自身が在住した土地である。気になるのだろう。
「町全体は落ち着いています。でも、南蛮寺はまだ破壊されたそのままですね。もう少し天下が落ち着いたら、頃合いを見てなんとか南蛮寺が再興できるように取り計らいましょう」
オルガンティーノ師もセスペデス師も顔を輝かせた。これは頼もしい言葉だった。やはりこの殿に早く洗礼を受けてもらって、さらには天下人になっていただけたら福音宣教も一気に進むであろうと思われる。そんな希望をもたらしてくれるお人だった。
「私としても早くそうしたいのです。もはや私がキリシタンとなることをためらう必要はありません。でも、岐阜在住の身ではこの都の南蛮寺に通って洗礼を受けるというのは現在では実質上非常に厳しい。だから岐阜の南蛮寺を再興して、バテレン様を派遣して頂けたらすぐにでも洗礼を受けられるでしょう。そして、どうか三法師にも洗礼を授けていただきたい」
三七殿は前にもそのようなことを言っていた。すでに三歳ということでは幼児洗礼としては遅いかもしれないがまだ間に合う。そのためには、父親代わりの三七殿が先に洗礼を受けないとまずい。
「まあ、父の百箇日も終わりましたし、ぼちぼち取り組みましょう」
「法要には皆さんご参列で?」
「はい。特に柴田修理殿はお聞き及びかと思いますが我が叔母上を娶りましたので、叔母上とともに施主としておられました。私にとっては義理の叔父上となられたわけです。ただ……、」
そこで三七殿は少し顔を曇らせた。
「天下を合議で決めると約した四家臣のうち、羽柴筑前殿が全く姿を見せなかったのです」
その時、教会の門の方で声がした。
「ごめん!」
その声はこちらにも筒抜けだ。
「それがし、織田三七様の家臣、幸田彦右衛門と申すもの。こちらに我が殿はおいでになりますか」
「おお! 参れ!」
やりとりが聞こえていた三七殿は、大声でその家来を呼んだ。集会所の庭さきにその家臣はかがむと、三七殿も立って縁の方に行き、幸田と名乗った家臣を見下ろした。年の頃は三七殿とほとんど同じという感じだった。
「実は、羽柴筑前殿が本日、上様の百箇日の法要を大々的に行っておりまする」
「なんだと?!」
三七殿の顔がみるみる悪魔のようになった。
「父上の百箇日の法要? それなら、昨日叔母上が妙心寺であんなに盛大に行ったではないか。羽柴筑前はそれに参列しなかったばかりか、今日別に同じ法要をやるとはどういう料簡だ?」
ものすごい剣幕で知らせに来ただけの家来を怒鳴りつけているので、その家来が気の毒になってしまった。
それにしても、こんなに激昂した三七殿を見るのは、我われ誰もが初めてだった。
「どこでやっているのか」
「大徳寺でございます。昨日の妙心寺に負けないくらい、かなり盛大な法要になっておりますとか」
「兄上や柴田殿はご存じなのか」
「今、知らせが行っていると思います」
「けしからん! 許せん! 見てくる! 言ったところで中には入れてもらえないかもしれないが……」
そのまま三七殿は我われに向かって立ったまま一礼した。
「そういうことでございます。今日はこれで失礼いたします」
そうして、そのまま大股で歩いて教会を出て行った。
我われは事情がよく分からなかったので、突然のなりゆきにただ呆然と三七殿の背中を見送るしかなかった。
3
それが9月27日の木曜日だった。
それからひと月ほど、私は教会でゆっくりとしながら、狭い所に押し込められている形になっている神学校の学生たちを相手にいろいろと勉学の話をしながら日々を過ごした。
山に囲まれた都もすっかり涼しくなって、凌ぎやすくなっていった。ただ、周りの山々の木々が色づくにはまだ少し間があるようだった。
三七殿はあれから一度も顔を見せていない。
そんななだかんだでちょうど約一カ月後の10月28日の日曜日、主日のミサに与っていたジョアキム小西殿が、ミサの後でオルガンティーノ師のもとへまた何らかの情報を持っているような顔でやってきた。
「いやもう、昨日からまた北野あたりは大騒ぎどすわ」
北野とは我われの教会よりもずっと北の方だと聞いてはいる。
「そこの大徳寺でまた織田様のご葬儀や。坊さんたちがもう仰山集まってはるそうどす」
「大徳寺?」
オルガンティーノ師が聞き返したので、ちょうどその場に居合わせた私も「え?」となった。
大徳寺といえば、ひと月前に羽柴筑前殿が織田殿の法要をやったという寺ではなっかっただろうか? そしてその前日に織田殿の妹御やその夫の柴田殿、そして三七殿などが妙心寺で開いた法要とは別個に羽柴筑前殿が勝手に催したと、三七殿はかなり怒っている様子だった。
「葬儀は前に、この近くの本能寺屋敷の跡地で執り行われたのではないのですか?」
オルガンティーノ師の問いに、ジョアキムも少し考え込んでいた。
「確かに。でもあんなしょぼいんとちゃいます。今度は本当にかなり盛大に葬儀は執り行わっとるちゅうことですわ」
「今度はどなたが?」
「へえ、羽柴筑前様どす」
「三七殿は?」
「なんでも上様のご血縁のご親族は、どなたも参列してへんとのことどす。息子さんがたをはじめお市様も、柴田様もその姿はないと…」
「それもおかしな話だが、百箇日の法要の一カ月後に葬儀というのもおかしな話です」
私とオルガンティーノ師は互いに顔を見合わせていた。
「ま、よろしかったら十五日に大々的な葬列が都大路練り歩くいいますさけ、話の種にでもご覧になったらよろしゅおまんな」
十五日というと……という感じで、日本のカレンダリオの日付を我われのカレンダリオでいうならと指折り数えると、それは31日、つまり今度の水曜日だった。
その水曜日は、よく晴れていた。と、いっても、ここ数日都はずっと晴れの日が続いている。ただ、晴れてはいても、さすがに翌日からは11月とあって風は時折冷ややかに感じられた。周りの山々もほんの少し色づき始めている。
そんな中、オルガンティーノ師とカリオン師とともに、私もドン・ジョアキムが言っていた大徳寺の織田殿の葬儀を見に出かけることにした。
もちろん寺の中にまで入るつもりはないし、まずは入れないだろうが、今日は葬列があるということで道端でも十分見物ができるはずだ。
そう思って行ったが、大徳寺が近づくにつれてどんどん人が増えていき、しまいには歩くのさえ困難なほどになった。本来なら教会から大徳寺までは約一時間ほどかかるはずだが、その手前、あと十五分ほどで着くだろうというあたりで我われはもう前には進めない状態になった。
ここが、葬列の通る沿道であるようだ。その道の両側にはずっと北の方から大ぜいの民衆が詰めかけている。その中には牛が引く車もあった。貴人の車だ。
我われがその民衆の中に入ると、少しだけ周りの人が場所を開いてくれた。それは厚意というより我われの顔立ちが珍しかったので、好奇心から顔を見るために少し場を譲ったという形だ。
さすがにあのヤスフェの時ほどではなかったけれど、都の人たちにとって我われエウローパ人はまだ珍しいようだ。
またおびただしい数なのは庶民だけでなく、道を警護する鎧を着た武士もまた数えきれないほどで、それが人の壁を作って、庶民たちはその後ろから覗き見するという形だった。
もはや、都中の人々がここに集まったのではないかと思われるくらいの人の山の中を、北の方から行列がゆっくりと近づいてきた。
この辺りは民家も少なく空いている土地が多いので、人々もこれだけ集まれたのだろう。その人だかりの一番南の端は広大な敷地を持つであろうと思われる寺で、その大きな門には白い布が張られていた。
「あの寺は?」
オルガンティーノ師が見物人の一人のお横に聞くと、男はオルガンティーノ師の顔を見てたいそう驚いていた。しかも、その顔が日本語で尋ねてきたので余計に驚いたようである。
だから、返事が戻ってくるまで少しの時間があった。
「あ、あれは寺とちゃうて、あれこそが火葬場どす」
つまりこの門の中が火葬場である蓮台野で、北の大徳寺からゆっくり下って来ている葬列の終着点だろう。
しばらく待つと、一様におびただしい数の旗を挙げた葬列は、かなり我われに近いところまで進んできた。ここで道を折れ曲がって、火葬場の門の中に消えていくはずだ。そのための警護の武士たちの列がそれを示していた。
まずは馬に乗った身分の高そうな武士たちが数十人。皆頭にはかぶり物をかぶって、黒っぽい服を着ている。さらには徒歩で、多くの道具を担いだものたちも百人くらい入る。それがゆっくりと目の前で道を折れ曲がり、やがて大きな屋根が行列の真ん中に見えて近づいてきた。
それが近づくにつれて、人々はどよめきの声を挙げた。我われとて例外ではなかった。その屋根は人の力で担がれて進んでおり、担いでいるのは皆身分の高さそうな殿だった。台には金や赤、黒で装飾された手すりが付き、柱も見事な金であった。その屋根の下には棺桶と思われるものが乗っていたが、それが皆完全に金で装飾された目も見張るようなきらびやかなものだった。
あの棺桶の中に信長殿の遺体があり得ないことは、あの本能寺屋敷の事件をつぶさに知るわれわれには分かり切ったことだ。それなら、あの棺桶の中はどうなっているのだろうと思ったが、とりあえずそのきらびやかさに呆気にとられて我われは三人とも黙って見ていた。
その直後に、私は見覚えのある顔を見た。織田殿の刀を高らかに持ち上げて歩く小柄な殿はあの姫路の城で見た気さくで陽気な羽柴筑前殿に間違いなかった。
もちろん、この時は神妙な顔をしている。はっきりいってもうその顔は忘れかけていたのだが、今ここに鮮明に記憶に甦った。
しかし、あの姫路で見たときよりは心なしか堂々としていて、織田殿の一家来という存在を遥かに上回る貫禄を備えているようにも感じた。
そしてその後も次から次へと葬列の参列者の列は続き、その数はざっと三千人もいるのではないかと思われた。人だけではなくおびただしい供え物、花なども人々に抱えられて進んだ。さらには僧侶たちの列となる。こっちはもう三千人などと数を数える気にもならないほどの果てしない行進だった。
「もう、帰りましょう」
オルガンティーノ師に促されて、私もカリオン師もまた人をかき分けてその場を離れた。
たしかに、この行列がはけるまでいてこの見物人たちが解散となったら、それこそ身動きが取れなくなるであろうほどの混乱になることは間違いない。
ため息をつきながら帰る道すがら、私はあることに気づいていた。
いくら人が多くても信長殿のお子である三七殿がそんなに棺桶から離れて歩くはずはない。その三七殿の姿はどこにもなかったのだ。
4
その三七殿が血相を変えて教会を訪れてきたのは、四日後の日曜日のことであった。
あの葬列の翌日から11月に入り、教会では万聖節のミサが執り行われて、多くの日本人信徒も参列した。
都の教会では主日のミサの司式は主任司祭のカリオン師だが、こういうときは布教区長であるオルガンティーノ師が司式する。
その翌日の金曜日が死者のためのミサを挙げる万霊節で、一日おいた日曜日、すなわち11月4日の主日のミサも終わり、我われは遅い朝食を取ったその後のである。
三七殿はまさしく悪魔の形相であった。
「今日は……今日はお暇乞いにまいりました」
いつものように集会場に上がろうともせず庭に立ったまま、何ごとかと外に出た我われの前に三七殿はいつもより多い数の家来たちをひきつれていた。
「どうか、されましたか?」
オルガンティーノ師が聞いても、そこにいるのは笑顔のいつもの三七殿ではなかった。見ると、胸の十字架もない。
「拙者、もはや腹に据えかねてござる。先日、叔母上が行った父の百箇日法要を無視する形で羽柴筑前が別に百箇日法要を営んだことで憤慨して、バテレン様方には大変失礼し申した。しかしこたびは、かように大々的に天下に知らしめるためであるかのような前代未聞の盛大な葬儀を羽柴筑前は執り行ったのでござる」
いつもの穏やかな三七殿の口調ではなかった。これまで、このような感じで我われに話をしたことなど一度もなかったはずである。我われは何と答えていいか分からなかった。
「そもそも父の葬儀はすでに本能寺屋敷の跡地で執り行った。そして百箇日法要までも終えているのに、なぜ今頃また葬儀なのか……どこの世界にそのような道理に合わぬことがあるか……バテレン様方はいかが思われます?」
「確かに、へんだなとは思っていました」
ゆっくりと、オルガンティーノ師が答えた。
「しかもその葬儀、当日になってものすごく盛大に葬列が進んでいるということを、私は自らの家臣より聞いたのですよ。寝耳に水とはこのことです。茶筅兄上はずっと伊勢におられて、今旧武田領をめぐって徳川と上杉と北条が三つ巴で戦っていることに携わっておるので、当然この都での羽柴筑前の暴挙など知らないでしょう。つまりですよ。父上の子である茶筅兄上や私が、そして叔母上さえも何も知らされていなくて、織田家家臣団筆頭で父から見れば義理の弟となる柴田修理殿さえも何も知らされずに葬儀は行われたのです。そんな、身内が参列しない葬儀など、バテレン様のお国でもありますか?」
「いや、ないですね」
オルガンティーノ師が、言葉数少なく答えた。三七殿もだんだんのこれまでの口調を取り戻していった。
「そして腹が立つことに、羽柴筑前から昨日、書状が届きました。表向きは我が家臣岡本太郎右衛門と斎藤玄蕃宛てですが、実質は私に宛てた手紙です」
「なぜ、三七殿へではなく家来の方へ?」
オルガンティーノ師の問いに、少し三七殿は目を伏せた。
「自分より上位の人への書状はその家臣宛てにするのが礼ですから、そのようなことはどうでもいいのです。問題は内容です。一見慇懃に私が筑前と柴田殿との間に入ってとりなしたことへの礼を述べていますが、柴田殿が清洲での合議を反故にするならとりなしは不要と、いったいどこから目線なのか、何様なのか……! そもそも合議を反故にしているのはやつではないかッ!」
一度は落ち着いたものの、また三七殿の手が震えはじめた。
「そして、先日の葬儀について、私に相談したけれど何の返事もないので、世間体を思って自らが執り行ったとぬかしやがる。そんな相談など、全く受けてはいない!」
それは怒号に近かった。
「そして延々と、延々と長文で自らの功績や本能寺屋敷での事件のあとのことなど書きまくって、自分が葬儀を挙げる正当性を主張している。あの明智を討ったのも、まるでやつが単独でわが父の仇を討ったように書いているけれど、あの対明智の戦の総大将は私だったのだ。あの禿げねずみではない!」
我われは黙って聞いているしかない。
「あの禿げねずみは、四人の長老の合議の上で天下を運営するという清洲での取り決めにことごとく背く言動が目につきはじめた。柴田殿がそれをたしなめ、書状で通告しても、かえってたしかにねずみだけに歯をむいて反抗してくる。挙句の果てには、まるで自らが天下人としてわが父の跡を継いだかのように、それを天下に知らしめんと今回の派手な葬儀だ。絶対に許せぬ!」
三七殿は、今度は歯ぎしりを始めた。カリオン師が一歩前に出た。
「許さないという思いは……」
そこまで言いかけた時にオルガンティーノ師がそのカリオン師の腕を引いた。そして首を横に振った。カリオン師はおそらく、イエズス様の七の七十倍まで人を許せと言われた話をするつもりだったのだろう。
「ああいう状況の人には、ここでイエズス様のお話などをしてもかえって反発する。豚に真珠を与えても、かえって噛みつかれるとイエズス様も言われた」
「バテレン様! 何をお話ですか!」
三七殿は我われが自分の解せないポルトガル語で会話をしているのでイラっとしたのだろう。
「柴田殿も激怒されて、すでに越前に帰られた。私も岐阜に戻ります。私には三法師がいる。三法師だけは筑前には渡さぬ。バテレン様方は、どう思われる? 私の言い分の方が正しいですよね!」
オルガンティーノ師は、静かに言った。
「我われの立場としては、この国の政治のことに口出しはできません。それはしてはいけないという修道会の規約もあります。今はあなたに『天主』のお恵みが豊かにありますように、そして一日も早く洗礼の恵みを戴かれますように、それを祈るばかりです」
しばらく、三七殿は目を見ひらいて無言でいた。その唇は震えていた。そして小声で、唸るように言った。
「そうですか」
そして目を伏せた。
「バテレン様方は私の味方をしてくれないということですね。もう、いいです。もう分かりました。洗礼の話も、今はそれどころではないというのが実情です」
「三七殿に悪魔が入った!」
カリオン師が引きつった声で叫んだ。もちろんポルトガル語だから、三七殿には分からなかったはずだ。
「そんなことを軽々しく言うものではありませんよ」
だが、オルガンティーノ師からはすぐに戒められていた。
「三七殿の目には、羽柴筑前こそが悪魔に見えているのでしょう。今はただ『天主様』のみ意のまにまになりますように、祈りながら見守りましょう」
そして日本語でオルガンティーノ師は、三七殿に呼びかけた。
「三七殿」
「もう、結構です。失礼いたします。キリシタンの教えを信じていたのでは、私は天下人にはなれない!」
吐き捨てるように言って、供のものたちに目配せをして大股で三七殿は外へ行ってしまった。
「どうしたものかな」
三七殿が去り、一度御聖堂の上の司祭館に戻ってから、オルガンティーノ師はため息をついた。その気持ちはとても分かる。
我われは皆、三七殿こそが次の天下人ではないかと期待していたからだ。
まず三七殿が洗礼を受け、そして織田殿のような天下人になり、この国の福音宣教も一気に進むと、そんな図式を描いていた。
だが、今それがもろくも崩れ去ったような気がした。それでも、我われには何もできないのが歯がゆかった。
「彼はまだ若い。まだ二十代の中頃だな。まだまだこれから世間の荒波を乗り越えなければならない年齢だ。私たちにできることは、彼のためにも祈ることだね。さあ、祈りましょう」
オルガンティーノ師が言った。たしかに今は、それしかできないのだ。




