Episodio 2 Una nave che non arriva(着かない船)
1
私が気が進まないまでもコエリョ師の部屋のポルタを叩いたのは、その翌日だった。
どうも気が滅入って落ち着かない。
だが、自分の中にどうしても腑に落ちないものがあって、それで気分がすぐれなかったのではっきりさせたかったのだ。
それは、マカオのカピタン・モールのことだった。マカオでポルトガル人は居住が認められているというだけでゴアのようなポルトガルの領地になったわけではないが、カピタン・モールといえばゴアでいうところのポルトガル総督にも相当するはずだ。
それなのにポルトガルがスパーニャに併合されたという情報を知ったとたんにスパーニャに迎合し、それだけではなくそのスパーニャ人のチーナへの軍事進攻スパーニャ国王に勧めるなど、本当にポルトガル人なのかと思ってしまう。
私はポルトガル人ではないので別に怒りを感じているわけではないが、ただ、状況が理解できなくて悩んでいたのだ。
ヴァリニャーノ師は私に手紙を書いてくれたが、同時に準管区長にも手紙を書いていた。準管区長宛てにはもっと詳しく、あちらの状況が書かれていた可能性もあるので、あまり気乗りはしないが私が都へ帰る前に聞いておきたかった。
コエリョ師はいつも通り表情も変えず、かといって不審そうな顔すらもせずに私を自室に招き入れ、椅子を与えてくれた。さすがに準管区長の部屋だけあって広い。かつてはヴァリニャーノ師が使っていた部屋だ。
建物自体が日本風建築で木の床の部屋であり、ヴァリニャーノ師はそのまま日本式の部屋として使っていた。
だが、コエリョ師はその床の上に赤い絨毯を敷き、椅子と机などエウローパ風の家具を持ちこんで完全に洋室にしていた。
私は早速、来意でもある疑問をぶつけた。
「以上のことについて準管区長はどのようにお考えですか。わたしには到底理解できないのです」
いつものようにコエリョ師は伏せ目がちに目を閉じ、しばらくの沈黙の時間を過ごした。やがて、目を開けて私を見た。
「カピタン・モールは聖職者でもなければ軍人でもない。あくまで商人なのですよ。商人であって、マカオでは変則的に行政をも任されている。そんな立場の人だ。ポルトガルとイスパニアが実質上は一つの国になった以上、イスパニアの国王に忠誠を誓い、その国策に従うのは当然のことでしょう」
「でもそれで戦争になったら、元も子もないではないですか。今巡察師の指示でマカオから何人かの司祭がシーナ大陸の福音宣教に向かおうとしています。戦争になれば、福音宣教どころではなくなります」
「コニージョ神父」
あまり感情を表情に出さないコエリョ師だが、少しばかり私に対する見下げた心がその顔に現れていた気がする。
「別にカピタン・モールは戦争を勧めたわけではないでしょう。これまでイスパニア国王は何度もシーナの皇帝にアプローシマルしてきたのに、シーナ皇帝はそれをことごとく拒絶して国を閉ざしていたのです。そんなシーナ皇帝に開国させる贈り物は金銀財宝ではなく軍勢を差し向けることだというだけ。戦争が目的ではなく、あくまでシーナが国を開いてくれるだめですよ」
「それでも応戦されたら、戦争になりますよね」
「聖トマース・アクィナスの正戦論はあなたも知っていますね?」
「はい」
「応戦されて戦争になったら、聖トーマスのいうところの防衛戦争でしょう」
これまで一応準管区長としてのリスペットを私はコエリョ師に対して持とうとしてはいたが、この一言でそれは霧散したようにも感じた。コエリョ師は話を続ける。
「我われは軍人でも政治家でもありませんが、我われにできることはまずシーナの地に信徒を増やして、日本の信徒の殿のような存在を増やし、その領民が皆信徒になればいざ戦争になってもその領民は皆イスパニアの味方です」
私は真夏だというのに寒気さえ覚えた。イスパニアはアステカやインカで行ったコンキスタドーレスを、シーナで再現しようとしているのか……。
私は震える声で、やっと口を開いた。
「イスパニアはただ、シーナの地に対する領土的野心があるのみでしょう。これまでイスパニアがインカやアステカの帝国を滅ぼしてノヴァ・イスパニアを建て、さらにフィリピーナスを領有してきたことを見れば、それは明らかでしょう。それに対してポルトガルは領土的野心はなく、ただ交易をするのが目的だったはずなのではないのですか?」
「時代が変わったのですよ」
たしかに、コエリョ師は鼻で笑った。
「もはや、ポルトガルだのイスパニアだの言っている時代ではない。これまではもしイスパニアがシーナに手を出したらサラゴサ条約違反になるのでポルトガルは目を光らせていました。もっともフィリピーナスがそのそもサラゴサ条約に違反していますが……。でも、とにかく」
コエリョ師の声が一段と高くなった。
「もはやサラゴサ条約すら存在しないのですよ!」
私はもはやこれ以上、この男と対座するのに耐えられそうもなかった。
「ま、すべては『天主』のみ意のまにまに世界は動くだけです」
口ではそうは言いながらも、何と危険思想の持ち主なのかと思う。
本当に司祭なのだろうか? 聖職者なのだろうか? 準管区長なのだろうか? あるいは、私の方が考え方が甘いのだろうか?
それは『天主』のみぞ知るといったところだろう。
私はここで、織田殿もチーナの地に侵攻する考えを持っていて、どうもそれを阻止するための明智殿の反逆だったことも考えられるという、昨日の会合では話さなかったことをも話そうかとも考えたが、やめた。
それを話すと、話がますますややこしくなりそうだったからだ。
とにかく私は、まだ話が途中という感もあったが、コエリョ師の部屋を辞した。
できれば早くこの地を離れて都に帰りたかったが、もうしばらくゴメス師の乗る船の到着も待ちたかったし、その前に有馬に赴いてヤスフェを有馬の神学校に連れて行かなければならない。
まだしばらくは、この長崎にいなければならなさそうだった。
それからというもの、毎日が悶々とした日々だった。ミサと聖務日課のほかは、特に何もやることがない。気分晴らしに長崎の町を散策しようかとも思ったけれど、あまりの暑さもあって面倒でやめた。
それにしても、ヴァリニャーノ師はなぜもっと強引にあの時オルガンティーノ師を準管区長に推さなかったのだろうかと思う。もちろん、ヴァリニャーノ師の意中はオルガンティーノ師であったけれど、オルガンティーノ師が固辞したので結局は折れてしまった。
準管区長という地位にある上長を批判したくはないが、また批判するべきではないが、コエリョ師が準管区長でいるということはこの国にとってもチーナにとっても甚だ危険なことなのではないかとさえ思ってしまう。
もちろんそのようなことは、口が曲がっても言葉にして言うことなどできない。
しかし、コエリョ師がどんな人であれ聖職者であり、この国の「キリシタン」たちにとっては「バテレン様」なのである。
そうこうしているうちに、あっという間に十日が過ぎた。
ゴメス師を乗せているはずのマカオからの船は、長崎にも口之津にも一向に到着しそうにもなかった。
「もう無理でしょう」
夕食の後、皆がそろっている時に、コエリョ師は全体に向かって切りだした。
「間もなく9月になって西からの風もやみ、風の向きが変わります。これ以降はマカオからの船の到着は期待できないでしょう」
人びとはどよめいた。コエリョ師も目を伏せていた。まだ到着しないゴメス師を乗せているはずの船がどうなったか、もちろん誰も知らない。
可能性としてはマカオに引き返したか、途中のどこかの陸地に上陸したか、あるいは……最後に関しては誰もがそれを思った瞬間にその思いを吹き消そうとするだろう。
一番誰もが思いたくない末路だ。
だが、ゴメス師の船と同時にマカオを出港して今回たどり着いたガルセス船長の船も、途中マストを一本失うほどのひどい嵐に見舞われた後での到着だったのも事実だ。だから……。
ここにいる司祭や修道士たちのすべてがそんなことを思いながらも、ひたすらそこには沈黙があった。
誰も、何も言わない。そしてその悲痛な思いは、自然と誰もが手を合わせての祈りとなっていった。
「それで」
コエリョ師の声が、最初に沈黙を破った。
「もうこれ以上、ここでは待てません。私は口之津に戻ります」
考えてみればコエリョ師は長崎に常駐しているわけではなく、これまで口之津や有馬の方にずっと滞在していたという話だ。
「決してあきらめたわけではありません。しかし船は長崎に着くとは限らず、実際に多くの船は口之津に着く場合もあります」
それは潮の加減や風向きなどを見ての船長の判断による。
実際、私の時は長崎着だったけれど、一年前のヴァリニャーノ師は口之津に着いておられたし、今回もガルセス船長の船も口之津に着いた。
それを思うと、今準管区長が口之津に移ってもなんら不都合はない。イエズス会の本部はあくまで長崎のこの教会だが、準管区長が長くここにいなかったのは、口之津や有馬のあの地区に何か思い入れがあるのだろう。あそこだと、天草も近い。
「私とフロイス神父はあさって、口之津に向かう。損傷の激しかったガルセス船長の船の修理もそろそろ終わるらしいので、その船を口之津に回すというので同乗させてもらう。それから」
コエリョ師は私を見た。
「コニージョ神父、ニコラオ兄も同行してください。まずはヤスフェを有馬につれていかなければならないでしょう? それが終わったら、そのまま都にお帰りください」
有無を言わせない口調だ。しかしそうでなくても準管区長の命なのだから逆らえるはずもなかったし、また逆らう必要もなかった。
2
マカオからの船は到着しなかったけれど、誰もが、最悪の事態は考えないようにしていた。
たとえこの日本に到着しなかったとしても他へ漂流したか、あるいはマカオへ引き返したか、そのどちらかであることを今は祈るばかりである。祈って『天主』の御加護を願うしかなかった。
ガルセス船長の話だと、もう一艘の船には聖職者としてゴメス師を含めて四人の司祭と修道士が一人乗っていたそうだ。その五人の命が奪われ、貴重な資料や文物なども海の藻屑と消えたなど誰もが思いたくはなかった。
もう9月だというのに、夏は一向に去らない。
どぎつい青さの空には中天まで入道雲が湧きあがり、蝉の声もけたたましかった。ただ、教会は海に突き出た岬の先端にあるせいか、潮風が海の香りを運んで来てなんとか涼は取れた。
考えてみれば私は、小さい頃から海とは無縁の生活を送ってきた。
生まれたのはローマ近郊なので、海からは少し距離があった。
私が初めて海を見たのは、この日本へ来るためにリスボンへと航海した時が初めてだったのである。
生まれて初めて見る地中海の広さと青さに度肝を抜かれた。特に印象的だったのが、海の方から吹く風に乗ってくる潮の香りだった。
それから日本に着くまでは、船の上で嫌というほど海に囲まれた生活を余儀なくされた。途中長く滞在したゴアやマカオも海の近くだった。
だが、日本に来てからは都や安土という海とは遠い地方で暮らしてきたけれど、また久しぶりに海の上を船で旅して海のそばの町にやってきたのだ。
そんな海へと、久しぶりに乗る大型船でまた旅立つことになった。
乗るのはコエリョ師とフロイス師、そして私とニコラオ兄、そしてヤスフェだった。
船はポルトガルのナウ船ではなく、それとほぼ同じ大きさのジュンカ《(ジャンク)》と呼ばれるチーナの帆船だった。これで口之津へと行く。だから、旅立つと大げさに言ったけれど、わずか半日の船旅なのだ。
今回、私が長崎に着いてから、港にはポルトガルのナウ船の姿はなく、このジュンカが停泊しているのみだということはずっと見てきた。
いつもマカオからの定期便はポルトガル船だと聞く。今回はなぜチーナのジュンカ船なのか……その理由は聞いていない。だが、今やポルトガル船をおいそれと出港させることはできない状況に、今のマカオはなっているのかもしれない。
私は船に乗り込みながら、ニコラオ兄と語っていた。
「もしこれがナウ船だったら、きっともっと懐かしいだろうね」
「はい。船に一歩乗ったらそこはポルトガルですからね」
私は乗船の板に足を踏み入れた。
「いやあ、これでよかったのかも。ナウ船に乗ったりしたら変な里心がつくかもしれないしね。それにたった半日の旅だ」
私は苦笑していた。
船に乗って驚いた。
「いや、これは……」
もう修復はできているという話だったが、船の中にはまだ嵐に遭遇した爪痕があちらこちらに残されていた。これほどまでに船が損傷を受けるような嵐をよく乗り越えて到着したものだという感心と、そんな嵐に遭ってはもう一艘の船はどうなったかという不安が一気に押し寄せてきた。
だが、そのことは誰も口にしなかった。
やはり船内はナウ船のように懐かしいというわけにはいかなかったが、だが少なくともこの空間は日本の空間ではない。ナウ船とも違うけれど、日本の船ともまただいぶ違う。船の中だけマカオという感じだった。
大きさについてもナウ船よりもかなり小さいが、この船はマカオを共に出航した二艘のジュンカのうちの小さい方だということだったから、今行方不明になっているもう一艘の大きい方はナウ船と変わらぬくらいの大きさがあったかもしれない。
ロペス師と数人の修道士に見送られて、船は長崎の港を出港した。カルセス船長以外の乗組員は、皆チーナ人だった。
帆にいっぱい風を含んで、船は順調に大海原を滑った。
長崎から続いている陸地を左に見て、半島の先端を大きく旋回する頃には、海の向こうに天草の陸地が横たわって見えてきた。
夏の日差しの中で、すべてが明るく輝いていた。深い緑の海原には、時折イルカが水面から飛び跳ねてその姿を見せたりする。
船は半島と天草の島との間の海峡へと進みすぐに舵を左へ切った。半島を回ったすぐのところが口之津の港なのだ。
半島の向こうにはかつて見たあの雲仙という火を噴く山が少し頭をのぞかせていたが、陸地に近づくにつれて手前の山に隠れて見えなくなっていった。
予定通り昼過ぎには口之津の港に入った。
「ここでは降りなくていいことになった」
甲板で船から降りる仕度をしていた私の隣にフロイス師が来て、そう告げた。ニコラオ兄もヤスフェも、「え?」というような顔をした。
「ここでは準管区長だけが降りる。カピタンが、そのまま有馬まで船をまわしてくれることになった」
どっちみち口之津の教会には一泊くらいですぐに有馬に行く予定になっていたので、これはありがたかった。
「有馬に船がつけられるのですか?」
たしかにナウ船は長崎か口之津かのどちらかにしか停泊できない。
「この船なら大丈夫だそうだ」
聞けば、このジュンカなら有馬の港に入ることもできるとのことだ。そうなると、マカオからの定期便がナウ船でなかったことがむしろ幸いしたことになる。
港に出迎えに来た司祭たちとともにコエリョ師が行ってしまうと、船は再び帆を挙げた。しかも有馬までは、船ならほんの十数分で着いてしまう。
すぐにお城のある小高い山が見えてきて、本来なら漁船くらいしかいないような有馬の港に船はゆっくりと入っていった。
口之津の教会は港に面している高台にあるが、有馬の神学校は港から十分くらい歩く。
私が初めて日本に来た時、最初に長く住んだのがこの有馬だった。ヴァリニャーノ師の帰国に際してともにこの下地区に来た時も最初に有馬に上陸したが、あの時は一日か二日くらいにしか有馬にはおらずに、私はすぐに長崎へ行くように命じられたのだった。
それが去年の秋、まだ一年もたっていない。
その後はずっと長崎にいて、今年になってから都、そして安土へと出発するまで一度も有馬には来ていなかった。
だが、世の中も大きく変わった。
この日本もそうだし、世界もまた大きな変動期に入っていることを遅ればせながら知った。
そんな少しばかりの感傷にふけりながら、出迎えに来てくれた神学校の学院長であるメルヒオール・デ・モーラ師と再会を喜んだ後にともに神学校への道を歩いていると、とにかく一人興奮してやまないのがヤスフェだった。
「うわあ、懐かしか。ほんなこつ、懐かしか」
大声の日本語で叫びながら歩いている。たしかに彼にとって口之津が初めての日本であったし、ずっと長く、私よりも長く有馬に住んでいたのである。
さらには、彼はヴァリニャーノ師の離日の時には安土にいてここには同行していないので、彼にとっては二年ぶりの有馬である。
しかも、どんなに彼が騒いでも、この有馬の人々はすでに彼を見知っているので、誰も好奇の目を向けるようなことはなかった。
神学校に着くや、私はすぐにもう一人の司祭、バルタザール・ロペス師へのあいさつもそこそこ、すぐに教場を見に行きたかった。バルタザール・ロペス師はかつて口之津にいたいわゆる小ロペス師の方で、今はこの有馬に異動になっているようだ。
私はモーラ師の許しを得て、神学校の教室の方へと向かった。学生たちは夏休みも終わって、新しい勉学が始まったばかりだという。私らがかつて薩摩から連れてきた少年、ペトロ鹿島の姿も見えた。
私はこの有馬が懐かしいというよりも、神学校自体が懐かしかった。安土の神学校の教室で、若い学生たちを相手に熱く語っていたあの日々、そう遠い昔ではないのにあの頃が最高の時だったように思われる。
ここの学生も、あの安土の神学校の学生と本質的に何ら変わりはない。純真そうな笑顔は全く同じだ。
だが、今や安土の神学校は跡形もなく、そこで学んでいた青少年たちはあるいは実家に戻り、あるいは狭い都の教会の集会室に押し込められている。高槻の新しい神学校の完成も間近で、そこでの新しい日々が待ち望まれるところだ。
私はここでも学生たちの前に立ちたい衝動に駆られたが、ここにも数日しか滞在せずにすぐに都へと戻らなければならない身であることが惜しかった。
私が教場を後にしようとすると、庭の方からヤスフェが、半ベソでこちらへと歩いてくるのが見えた。
「どうした?」
「私の小屋がない」
私は思わず噴き出しそうになった。前にヤスフェがここにいた時は、庭の小屋に住んでいた。私が彼と初めて会ったのも、その小屋の前だった。
「あなたはもう立派な信徒であって、もはや奴隷ではないのだから小屋なんかに住まなくてもいいでしょう」
ヤスフェの小屋はヤスフェがいなくなってからは、もう不要ということで取り壊されたのだろう。
「長崎でもそうだったように、ここでも司祭館に部屋が与えられると思う」
「そんな……」
長崎はヤスフェにとって初めての場所だったからそんなものかと思って司祭館に住んでいたようだが、昔長く奴隷小屋に住んでいたここでは、司祭館に住むというのは彼にとって夢のような話なのだろう。
夕食の席で、フロイス師は我われに言った。
「明日、城に上がるといい」
つまり有馬の殿であるドン・プロタジオへの会見である。
「もう通訳もいらないだろうから、私は行かない。それと、ヤスフェも連れて行くといい。必ず話は織田殿の死についてになるだろうし、いちばん身近にいたヤスフェに語ってもらうのが一番だ」
フロイス師にそう言われて、翌日朝から私とニコラオ兄、そしてヤスフェの三人で有馬の城へと向かった。
3
よく晴れていて、木々の隙間から火の光が意思の階段の上に落ちている。
まだまだ残暑厳しいが、ほんの少しだけしのぎやすくなっている気もする。たしかにひところよりも蝉の声が少なくなっていた。
いつもの通り我われは黙って歩いているだけで、この顔を見て門番は難なく通してくれる。むしろ丁重な礼をもって接してくれる。ただ、同行しているヤスフェには、誰もが怪訝な顔を向けていた。
屋敷の広間に入ると、待たされることもなくすぐにドン・プロタジオは姿を見せた。
「どうぞ、お顔をお上げください」
これまで通り、優しくドン・プロタジオは語りかけてくれた。
顔を挙げて驚いた。前に会った時も、初めて会ったときに感じた子供から成長したことに驚いたが、会うたびにさらに成長を重ねている。もはや子供ではなく、青年と呼ぶのにふさわしいくらいになっていた。
「遠路ご苦労様です。都に行かれたバテレン様ですよね」
「はい。お懐かしゅうございます」
私はそう言ってから、初対面であろうニコラオ兄を紹介した。だが、ドン・プロタジオの目はヤスフェにくぎ付けになっていた。
しかしその好奇の目は、かつて織田殿が初めてヤスフェを見たときの、あの肌の色に対してではなかった。
有馬の神学校には肌の色が黒い使用人がいるということは殿であるドン・プロタジオの耳にも入っていただろうし、たしかドン・プロタジオは実際にヤスフェと会ったこともあったようだ。つまり、初対面ではないのだ。
ドン・プロタジオが驚いていたのは、ヤスフェのその服装であった。完全に日本の侍の格好で、先ほどまで腰に差していた刀をはずして畳の上に置いている。
頭はもともとなかなか髪が伸びない人種で縮れ毛の癖っ毛になるのだが、それでも少し伸ばした髪をなんとか束ねて侍の髷まで結っていた。
「こたびはおめもじを賜り恐悦に存じます。拙者、織田前右府様にお仕え申しとった弥助と申しますたい」
立派な日本語で堂々と挨拶したヤスフェに、ドン・プロタジオはただ目を見張っていた。だが、その口上の日本語はなんとこの有馬の地で習い覚えた、有馬の訛りのある日本語だったので、ドン・プロタジオは余計に驚いたようだ。
そして、親近感を持ったようにも感じられた。
しかし、ドン・プロタジオの驚きはそれだけではなかったようだ。
「そなた、今、織田殿にお仕えしとったと申しましたな」
「いかにも。上様の小姓をしておったとです」
「おおっ!」
ドン・プロタジオは身を乗り出さんばかりに少々興奮していた。
「今回の織田様の件、お耳に入っていますでしょうか」
私が話に入ったので、ドン・プロタジオは私を見て深くため息をつき、少し目を伏せた。
「大村の叔父上からの書状で知りました。豊後の大友様からも書状がまいっております」
コエリョ師もフロイス師も私が報告して初めてその事実を知ったくらいだったが、やはりさすがに日本人社会の殿たちの間の情報の行き来は、我われよりもはるかに速いようだ。
「大変なことになりました。これまでは織田様の息の下で大友様と薩摩の島津はなんとか和議を整えて均衡を保っていたのですが、織田様がおられぬとなると、一気に乱世に逆戻りか……。竜造寺殿もどう出てくるか……」
やはり九州が大変なことになりそうなのは、フロイス師が言っていた通りなのだろう。もっともその言葉は、大友殿ドン・フランシスコの言葉だそうだが。
「時に弥助とやら。織田様の御小姓でおられたのなら、そのご最期も存じておろうな」
「は。拙者は最期まで上様のそばにおりましたとです」
そうしてヤスフェは自分が本能寺屋敷で見たことを、つぶさに流暢な日本語でドン・プロタジオに話した。
続いて、その直後の安土の混乱をニコラオ兄が語った。
「そうですか。その明智という家臣は、とんでもないことをしてくれたものですな」
吐き捨てるようにドン・プロタジオは言った。
全くその通りで、我われにとっても明智はなんということをしでかしてくれたのかと遺憾に思う。
「で、次の天下人は?」
ドン・プロタジオがそう聞くので、私が答えた。
「はい。織田の家はすでにご長男の城介勘九郎殿が継いでおりましたし、その勘九郎殿も亡くなりましたから、さらにその長男の三法師殿が継ぎました」
「法師? 僧侶なのですか?」
「いえ、子供の名前です。まだ三歳ですから」
「三歳!?」
ドン・プロタジオは目を見ひらいた。
「三歳では天下人にはなれないでしょう」
「はい。たしかに天下人というわけではありません。あくまで織田家の後継ぎです。次の天下人はまだ決まってはおりません。織田殿の御三男の三七殿を我われは推しています。三法師殿の養育係りでもありますし。まだキリシタンではありませんが、キリシタンになりたいという意志は持っている方です」
「そうですか。これから世の中がどうなるかは、全くわからないということですね」
ドン・プロタジオはため息をついた。
そして目を挙げた。
「時に弥助。これからどうするつもりだ?」
「特に考えてはなかです。拙者はもともと奴隷としてこの国に来たとです。ばってん、織田殿の上様はそんな拙者ば侍として取り立ててくださいました。奴隷ではなく、こん国の人と同等に扱ってくださったとです」
おそらくヤスフェは安土でもこの有馬訛りの日本語で通していたのだろうが、やはりこの場所でこの言葉でしゃべるのが一番しっくりくる。
「侍というのは」
ドン・プロタジオが口を開いた。
「主に仕えてこそ侍。主なき侍は浪人といって、本当の意味での侍ではなか」
ヤスフェはハッとした顔をした。たしかに今のヤスフェには、主君はいない。
「私に仕えんね? 織田のお家でと同様、私のそばで小姓ばしてほしか」
「は」
ヤスフェの目に涙があふれるのを私は見た。
「ヤスフェ、それがいい」
私はそれだけ日本語で言うと、ポルトガル語に切り替えた。
「織田殿は異教徒であったけれど、今度の君の主君は同じ信徒だ。いい話ではないか」
ヤスフェは何度もうなずいていた。
そしてその場で天を仰いで『天主』に賛美と感謝を捧げていた。
とりたてて荷物もないので、ヤスフェはこのまま有馬のお城に置いていくことになった。ヤスフェは信徒ではあるけれども別にイエズス会士ではないので、フロイス師にも事後報告で済むだろう。
従って我われが城を辞して帰るときは、ヤスフェとの別れの時だ。
なぜかもう何度も別れの時を経験したヤスフェだけに、何かおかしかった。しかしこんな逆境にあっても恵みが頂けるヤスフェとは、いったいどんな魂なのだろうかと思う。
神学校に戻ったら、今度は私の旅支度だ。我われをここまで送ってくれたジュスト高山殿の手配の船は長崎に停留しているが、それがこの有馬に回ってきたらいよいよ私は都に帰る。
その間に、フロイス師はなんだかあらたまったような感じで、私をこの神学校における彼の執務室に呼んだ。
呼ばれたのは私だけではなくニコラオ兄、そしてこの神学校の教師でもある修道士のアンプロシオ・ダ・バリオス兄だった。
バリオス兄は私が初めてこの有馬に来た時に、私に日本語の手ほどきをしてくれた修道士だ。かつてヴァリニャーノ師とともに初めて有馬の殿の城に上がった時も、通訳として同行してくれた。
私よりも少し年配の頑丈そうな体格である。
「実はこれは準管区長も了承済みのことなんだが」
そう前置きを置いてからフロイス師はニコラオ兄を主に見て話した。
「ニコラオ兄はこの有馬に残ってもらいたい」
「はあ」
突然の話にニコラオ兄は少しは驚いていたが、上司の命令は絶対なのでそれに何か異を唱えるという様子はなかった。
「実はこちらの神学校でエウローパの絵画を学生たちに教えてもらいたいんだ。君が素晴らしい画家でもあることは、ずっと前から知っているしね。それで…」
今度は、フロイス師はバリオス兄を見た。
「バリオス兄は代わりに高槻の神学校に行ってほしい。向こうはポルトガル語やラテン語を教授する人が足りないかと思う」
たしかに、神学校が安土から高槻に移って、これからますます学生も増えるかもしれない。フロイス師の言うように、語学教師は不足していた。
「そういうことでコニージョ神父、ジュスト手配の船が長崎から着き次第、バリオス兄とともに都に向かってほしい。話は以上」
今や準管区長の補佐であり相談役でもあるフロイス師のこの言い渡しで、総ての人事が決まった。




